2012年10月31日水曜日

一日不作 一日不食/私たち・・・・そこに人がいなければなにもない。



「一日不作 一日不食」とは、誰かのためにしてこそ社会は成り立つという意味です。 リーダーのコンセプトがどうしてもやり遂げたい「魂の叫び」であることに通じています。 違いを生み出す違いはここから生じています。自分ができることをせずに自分の希望ばかりを訴えるばかりでは、リーディングカンパニーとの差は開くばかりです。

格言に心を踊らせる人は少なくありません。しかし注意が必要です。自分の価値観を粉砕してしまう場合もあります。大切なのは自分の道を踏み外さないように標識にすることです。つまりいい言葉ではなく、自分の価値観をまとめるものにすることです。スローガンになりそうな言葉を選ぶのではなく、リーダーをめざすならメンターになるために引用するべきなのです。

必要なのは自分の文化、地図を作るための言葉なのです。自分の文化や地図は、関係を作りつながりを育てるもので、責任をともない、責任を引き受けるものです。つまり役職にある者だけでなく、アルバイト・パートタイマーのひとり残らず可能性を引き出し、私たちの関わる世界において最大級の貢献ができるようにするためです。



自分が何をする者かを知り、どこに向かうのかを知り、忘れずにそこに向かう旅をするために必要な文化と地図。それがリーダーシップのルールです。どのような言葉がふさわしいのか、それはここで語るものではなく、組織ごと、チームごとに膝を突き合わせ原理原則から導き出すものです。

それにしても大切なことは、「私」なく、「私たち」として認識されたものでないと、「私たち」の落とし込むものでないと意味はないのです。なぜならどのような物品、サービスを売っていたとしても、結局は人に対するものだからです。そこに人がいなければ何もないのです。つまり人が育てばビジネスは育ちます。ここでいう人とは「私」でも「あなた」でも「あの人」でもなくなく、「私たち」なのです。従業員でも、顧客でもなく、「私たち」なのです。お客様を人として大切にすれば、心のつながりができます。なにかをすれば思いやりが返ってきます。すべては「思いやり」なのです。

レジ係の前に立ち、その人がどのような動機で働き、なにを得ようとしているのか関心がありません。しかし、そのレジ係の人が自分をどのように扱おうとしているのかには、関心があり、そのときほとんどの関心はその一点に向けられます。「真実の瞬間」が起こる瞬間を迎えます。この瞬間にこそ「私たち」は明らかになります。ほとんどの人はこの真実から目をそむけます。

しかし、幸福な成功を望むなら、この真実を発見することがリーダーの役割で、そこに真実の価値観を投げこむことが仕事のはじまりなのなのです。そうすると、弱点を見つけ、成長し、導き、パラダイムシフトが起こせるようになります。そうして自分と組織の幸福な成功の可能性を見つけることができます。目標を達成する旅路を始めることができるようになります。それまでは旅の日程を考えることもできていないのが本当の姿なのです。



2012年10月30日火曜日

一日不作 一日不食 /違いを生み出す違いはここから生じる


幸福と成功を体現する人は、まず人間力の点で優れています。
これが一番目にあります。ライフスキルのことです。

次に、違うのが、プロセス(マイルストーンとPDCA)です。
その前提に目的・目標があるのは言うまでもありません。

目的を定め、実現するために具体的な目標を設定して、より分かりやすくするためにマイルストーンを設定して、そこで行程ごとにPDCAを実行する。

とても簡単なルールで、すぐにできることです。

そして後一つの違いが、因果関係です。言い換えるとシナジー効果です。
因果関係は誰にもどんなことにもありますが、テコとして活用できるポジティブな因果関係は、ネガティブな考え、行動に支配されている人には生まれません。認識の仕方がネガティブなので、全部がネガティブな相乗効果として、せっかくのリソースを食いつぶしてしまい不幸と失敗に導いてしまうのです。
この悲しい方向に進ませない役割をしているのが、すべての基礎である、人そのものである、あり方なのです。

どのような分野であれ、うまく行く人はそうでない人が知らないことを知っている。違いが生じる違いとは以上のたった3つだけなのです。

あなたとあなたの隣にいる人に、貧富の差があってとしても、現代の日本でリソースに極端な違いがあるのはほとんど稀です。なぜなら決定的にリソースに違いがあるもの同士は接触の機会がないからです。このことが、いつまでも認識の違いが埋まらない原因になっていることを忘れないでください。

分かりやすく言えば、英語を話すアメリカでは、こどもでも英語のパターンを認識していますが、日本の成人は認識していないので、話せない、書けないのです。そこで語学留学というようなこともあるのですが、それだって留学したものの成果は乏しいという事実があります。この違いを生んでいるのが、「Be~あり方」人間力の違いなのです。

人間力(Be~あり方)が違うから、英語のパターンつまり英語の原理原則を認識しょうとしないのでマスターできないのです。認識できていないことはできないのです。
赤信号を認識していないと、止まろうとしないのです。

人はどのようなときに、進むのか?どのようなときに止まるのか?
誰もが知っているパターンを無視して自分勝手に行動すると、事故になります。自分の行いが正しいと思い込んでいるから自分勝手な行動になるのです。ここでいう自分勝手とは、違いが生じる違いを無視した行動と言う意味です。しかし自分が透明化してしまっているので本人にはそれが分かりません。その分からないと分かるようにする力が人間力で、他者の目には「謙虚」と映ります。

成功するのも、失敗するのも、同じ理由からです。同じ理由だから間違いを起こすのです。この道理が分からないのが、 人間力(Be~あり方)の違いなのです。だからある会社では、 人間力(Be~あり方)のことになると知識・技術以上に熱くなるのです。それが風土として定着しています。こういう会社は強い。

これまでにお話したように、リーディングカンパニーになることは、とても重要です。お話したように、私たちの世界にはリーダーとフォロワーがいます。リーダーが道なき道を 切り拓く人なら、フォロワーは指示待ちです。リーダーが業界の先駆者なら、フォロワーは業界の動向を見てついていく企業、真似に終始する企業です。先にするから立派ということではなく、「違いが生じる違いを知って行動する謙虚」であることに重要があります。これこそが競争力だからです。

リーディングカンパニーは違いが生じる違いが、なによりビジネスの本質が「顧客にある」ことを知っています。お客様は、レジ係の人の関心が何にあるか興味はありませんが、自分をどのように扱うかについて特別強い興味を持っています。リーディングカンパニーは。なによりこの問題を知っていて、それについて自分が正しい行いをしているかどうかについて異常なほど謙虚に取り組んでいます。繰り返しますが「謙虚」とは透明化に惑わされないようにしてパラダイムシフトを起こし続けていることです。

それを具現化するために、羅針盤つまりコンセプトを明確にします。ここにもリーダーとフォロワーの違いは明確です。コンセプトはどこにもありますが、リーダーのコンセプトがどうしてもやり遂げたい「魂の叫び」ですが、フォロワーのコンセプトは物真似の域を出ません。「他社がしているからウチもやる」でしかないのです。

ともかく、ここではパラダイムシフトを起こし続ける謙虚さを具体化する羅針盤を提案しますまず「私たちはなにをする存在なのか」を明確にしましょう。

禅の言葉に「一日不作 一日不食」があります。「いちにちなさざれば、いちにちくらわず」「働かざるもの食うべからず」と解釈されがちですがそうではありません。やるべきことを放棄して支えられることしか考えないなら社会は成り立ちません。どんな小さなことでも、小さな一歩でもいから、自分にできることをやる。その姿に人は手を差し伸べるものです。

「一日不作 一日不食」とは、誰かのためにしてこそ社会は成り立つという意味なのです。 リーダーのコンセプトがどうしてもやり遂げたい「魂の叫び」であることに通じています。 違いを生み出す違いはここから生じています。自分ができることをせずに自分の希望ばかりを訴えるばかりでは、リーディングカンパニーとの差は開くばかりです。


2012年10月29日月曜日

露/烏合の衆から目標を持ったプロ集団に変わる




不安があると適切な基準どころではなくなり、慣れ親しんだ基準で選択します。昨日のあなたも今日のあなたも同じになります。本を読んでもセミナーを受けても変われません。不安を越えるモチベーションがあれば選択の基準も変わりますが、それにはあなたがリーダーになるという強い意志が必要です。

私たちの世界にはマネジャーとワーカー。もっといえばリーダーとフォロワーがいます。リーダーが道なき道を 切り拓く人なら、フォロワーは指示待ちです。ほとんどのサラリーマンは指示待ちのワーカーです。その中からリーダーシップのある人がマネジャーになります。

リーダーとフォロワーには、見た目で決定的な違いがなく同じように見えます。違いは在り方の違いなので内面の違いです。フォロワーには在り方の違いを見抜ける人間力がありません。傾聴しないので、分からないままです。

リーダーは自分といる世界が違うと感じます。リーダーは違いが生じる違いがあることを知っていると同時に、正しいことが間違っていると考えないことが間違っていることにも気がついています。 しかし違いが分からない人に違いを教えることはとても面倒な作業です。説明する責任も、説得する責任も理由もないので、 説得しません。両者は違うステージに立ったままになります。

フォロワーは気がつかないまま、自分と同じように見えるので、ここでも2種類のフォロワーが発見できます。「なんだ大したことがない。自分と違うと思っていたけど、変わらない。何か運が良かったのだろう」くらいに考える人と、 「自分と違うと思っていたけど、変わらない。それなら自分も頑張ってあのステージまで昇ってみよう」と考える人です。前者は相変わらずフォロワーに甘んじて、なにかと人のせい、環境のせいにして暮らしていきます。後者はフォロワーから抜け出そうと頑張ります。前者は不安に支配され続けますが、後者は不安を忘れて頑張ろとします。そのまま頑張るとリーダーの域に達します。

リーダーは、いくら強制しても、本人が変わらない限り、バラダイムシフトが起こらないことを知っています。そこには人間力の限界があります。限界を突破しようとする人には両手を広げて歓迎します。自律的な人が好きだからです。 一流プレイヤーは謙虚です。人間力が高いのでオープンなコミュニケーションが弾みます。なにより自分はまだまだだと考える人には共感を覚えます。それは自分が歩んだ道を歩く人だからです。

「自分はまだまだ」には、「まだまだ自分はダメだな」と「まだまだ自分は伸びる」の 2種類あります。リーダーには同じ意味ですが、フォロワーには「まだまだ自分はダメだな」だけです。フォロワーは迷路に入り込んでしまいます。否定感が強いので抜け出せません。フォロワーは選択の基準が狂っているので、習慣が変わりません。狂っているというの不安に支配されて、不安を避けるための言動に終始するので、原理原則もどうでもよくなり、言動がバラバラになり矛盾だらけになりますが、それさえ気にしません。

これを突破するために必要なのは、組織では組織内で頻繁に使う言葉の定義、明文化です。個人には選択の基準の適正化で、それには行動が絶対条件で、トレーニングの点からも目標が必要です。しかし、目標は自分を束縛するものと考え消極的です。人のせい、環境のせいにして逃げようとします。自分を投げ込まないのです。

選択の基準が変わらないと、日々のエピソードも変わりません。選択の基準が変わらないと、選択が変わらないので、行動も同じパターンです。結果は行動の結果ですから、行動が変わらないと結果も同じです。同じ行動をして結果だけを変えたいというのは狂気です。

狂気の習慣というと少しは驚きますか?でも本当にそうなのです。同じ行動をして結果だけを変えたいというのは・・・・それを願っている人がほとんどです。同じことをくりかえして、願いが叶わないと 人のせいにするというからますます驚きなのです。

少し考えていただくと分かりますが、誰にとっても24時間しかありません。一生懸命働いて24時間働くと、生産性が頭打ちになります。もうそれ以上、働くことができません。そうなると、次にどうしますか?能力アップするしか道はありません。

能力アップするとどうなると思いますか?出会いが変わります。ステージが変わります。ステージが変わると、生産性が変わります。能力アップするには、パラダイムシフトが必要なのです。

つまり 人間力(ライフスキル)と実務スキルがアップしないとパラダイムシフトは起こらないのです。先に言ったように 人間力(ライフスキル) がアップしないと自分が透明化してしまうので、パラダイムシフトは起こらないのです。パラダイムシフトなしに能力アップはできませんが、仮にアップしたとしても、フォロワーとしてアップなら出会いは変わりません。

リーダーのステージに立たないと生産力は変わりません。生産力が変わらないのは出会う人の価値観が変わらないからです。大事なのは、生産性ではなく価値観の違いなのです。価値観が変わるから、それをバネにして自分がリーダーとして成長するから生産性がアップするのです。自分がリーダーとして成長するから出会いが変わるのです。この仕組みは組織でも個人でも同じです。リーダーとフォロワー、マネジャーとワーカーの関係です。

先に言ったように 人間力(ライフスキル) がアップしないと自分が透明化してしまうので、 自分が見えません。自分を見つめる、もうひとりの自分が必要なのです。その必要を、感じない奴は救いようがありませんが、変わることに不安な本人はそこまで理解できません。これでいいと思いながら不安だけが、強まります。ますます不安が、強化され、「あなたしか見えない」状態になる。つまり依存です。決定的にネガティブな人生シナリオは成就します。

自分の分身とは子分ではありません。対等、率直、誠実、責任。つまり日頃の自分の在り方が、そういう在り方の人を引き寄せるのです。在り方が、間違っていたら去っていきます。自分が近づけないようにしたからです。お客さまも同じです。自分の人生には、自分の能力に見合った人しか現れないのです。

だから挑戦をしてステージを変えるしかないのです。

私たちは不安に苛まれているのでみんな臆病です。だから私たちはひとつになって挑むようにするのです。それは烏合の衆という意味ではありません。目標を実現する「人間のプロ」になるのです\(^o^)/

そこでまず「私」ではなく「私たち」としての目標の設定から始めます。ここがスタート地点になります。

「露」と言う言葉は露払いでもおなじみです。禅では「ろ」と読みます。すべての心をむき出しにするという意味です。しかし「露」にして接すると摩擦が生じます、誰もが壁を作ることで摩擦を避けようとします。つまりこの壁は人間関係を良くするための知恵の壁です。

しかしそのような環境で暮らしていると自分自身を露にできないもどかしさからストレスが生じてきます。この問題を解決してくれる場所が「家族」です。愛する人同士の世界では、言葉がなくても露にしてコミュニケーションできる絆があります。このような温かい関係の場、心開ける場を大切にしたいものです。

「WE ARE」私たちという概念をしっかり認識して、心開けるチームにすることが、不安に苛まれ脚がすくんでしまう私たいに勇気を与えてくれる場にするのです。そこに杭を打ち込むように、目標を打ちこむ、まさしく露払いです。



2012年10月28日日曜日

行住坐臥/組織力・人間力は誰も見ていないときに違いが出る。


あなたは英語が話せますか?
YESという文字を見てイエスと発音できると思います。
日本人、アメリカ人を問わず、古くから誰もが同じようにイエスと発音するのを知っているからイエスと言えるのです。

では、忠臣蔵という文字をアメリカ人に読んでもらってください。
読めないと思います。日本の若者にも試してみてください。
読める人と、そうでない人がいると思います。
なぜ読めないのでしょうか?
彼らは、忠臣蔵をちゅうしんぐらと読む事実に立ち会っていないからです。
つまり知らないからです。頭の良い悪いではなく認識したことがないのです。

幸福と成功を体現する人は、事実を五感を通して認識済みなのです。
幸福と成功を引き寄せる会社には、五感に変わる風土が機能しています。

つまりお金を稼ぐ方法をあり方として、認識しているのです。
幸福な家庭を築く方法をあり方として、認識しているのです。
人から好かれる方法をあり方として、認識しているのです。
効果的な時間管理をする方法をあり方として、認識しているのです。

方法はやり方ですが、あり方は生き方つまり人そのものです。
やり方は知識であり、技術です。
生き方、人そのものは考え方、価値観の前提になるものです。

つまり図にするとこういう形になります。


 



人そのものが歪んでいたら、考え方・価値観もそのようになります。
ここまでは見えないのです。
つまり他者には認識できない。せいぜいその人の片鱗に触れるだけです。
だから成功する人とそうでない人の違いが認識できないのです。

成功する人とそうでない人の違いは、見た目にはほとんど違いがありません。
何だ自分と同じじゃないか。それなら自分だってできるはずだ。
必ずそう感じます。そこからの判断が成功する人とそうでない人では違うのです。
在り方が違うので、選択も、行動も違ってくるのです。

ある会社では、知識・技術のことになるとみんな熱心です。
ところが、考え方や価値観の話になると退屈そうで弾みません。
知識・技術はタメになるが、考え方や価値観は犬も食わない話のように感じるのです。

どうしてか分かりますか?これこそが人間力の限界なのです。
本当の意味で自分に関心がないのです。
あなたはそんなことがないですか?
あなたの会社ではそんなことはないですか?

幸福と成功を体現する人には共通して実行している3つのルールと呼ぶべきパターンがあります。

原理原則をひも解いて行くと、はっきりと事実が見えてきます。
成功者とそうでない人の違いが見えるのです。

幸福と成功を体現する人は、まず人間力の点で優れています。
これが一番目にあります。

人間力とはなんのことだと思いますか?
ライフスキルのことですが、もう少し具体的に言うと
他者には見えないあり方と考え方・価値観のことです。
つまり自分はどんな人間なのかという問題です。

パラダイムシフトとは、その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などを革命的にもしくは劇的に変化させること。パラダイムチェンジとも言います。

同じことは個人にも言えますが、ほとんどの人は自分では起こせません。なぜなら正しいと思い込んでいるので変えることができないのです。それを注意されても変えられません。自分では正しいと思い込んでいるからです。

その証拠に本を読んでもセミナーに参加して、共感や刺激があっても結局は変われないことが証明しています。当たり前です。どれほど刺激を受けても、共感しても、自分が正しいと無意識に信じているからです。

フィギュアスケート選手、安藤美姫さんが来季限りで現役引退を発表しニュースになりました。理由は指導者(コーチ)不在による調整不足です。
2011年の世界選手権後にロシア人コーチ、ニコライ・モロゾフ氏との師弟関係を解消した後、ふさわしいコーチが見つからず調整が思うように進まないというのが理由です。ところで、ニコライ・モロゾフ氏は 安藤美姫さんよりフィギュアスケートが上手いのでしょうか?

昔、世界のホームラン新記録を出した巨人軍の王選手には荒川コーチがいました。荒川コーチは現役時代、王選手より、優れた記録を残したのでしょうか?明らかに選手としては格下です。なのになぜコーチできるのでしょう?選手の「正しい」は「能力の限界」なのです。選手は自分のしていることは正しいと考えています。自分で疑問を持っても見えなくなります。これを「透明化」と言います。自分のことなので見えないのです。

つまり正しいという判断が間違っているのです。そこでコーチが必要になります。コーチは主観と客観をミックスした目線で、正しいに潜んでいる間違いを見抜き、改善策を提案するのです。その結果、荒川コーチは「フラミンゴ打法」を編み出しました。王選手はそれを受け入れ、二人三脚の猛練習で「フラミンゴ打法」の完成をめざしました。

プレイヤーとコーチの関係はみんなそうです。見抜き、提案する。受け入れ、練習で完成を目指す。このプロセスのどれかにでも破綻があると、パラダイムシフトは起こりません。つまり正しいと思い込んでいる間違いがそのまま続き改善はできなくなります。

これを会社レベルで起こるとどうなるでしょう?会社は沈みます。業界にあてはめたらどうなるでしょう?その業界は沈みます。どの業界にも成功事例に右に倣えが目立ちます。自分が正しいと思い込んでいることを疑わない人たちが多い業界ほど発展はできません。実績があると保証されていると信じているからです。

つまりリーダー不在の冒険を好まないフォロワーの多い世界では起こりやすい現象です。
フォロワーはリーダーが必要とする厳しいライフスキルが必要ではありません。本当が必要ですが、厳しさは自分の否定感を強めるだけなので嫌うのです。安易な在り方を求めます。Be(存在の在り方)が、どうしてもリーダーのようになれないのです。人間力の限界です。人間力の限界については別のところで説明します。

安心を好み、変化と冒険を好まないフォロワーと違い、リーダーならどうするでしょう?高い志のもとに、少々の危険は恐れず、前例のないこと、人に嫌われることでも、理念の実現のために挑戦していきます。

言い換えると強いリーダーのいる組織は強いということです。つまり強いリーダーとは、創造性が豊かで、自分はいま現在より、より良く変われると自分を信頼し、自己否定しながらもっとよくなりたい、もっと強くなりたいと歩みを止めない人なのです。その前提が「謙虚」なのです。謙虚でなければ他者の意見を傾聴できません。どんな業界でも一流プレイヤーが人間的にも素晴らしい資質「人間力」を持っていると言われる由縁です。

楽とか簡単の言葉に騙されない堅実さ、困難、ストレスをバネに成長できる人がリーダーの資質を持った人です。楽とか簡単に踊らされ、イージーを好む人がフォロワーです。フォロワーが多い業界で勝ち抜くことは想像以上に簡単です。但しフォロワーたちの真似をしないことが条件ですが。 


禅の言葉「行住坐臥」・・・・「きようじゅうざが」と読みます。行く、止まる、座る、横になる。日常の行為を表しています。どんなときにもどんな場所でも、自分の立ち振る舞いに気をつけなさいという意味が込められています。誰も見てないからいい、誰も文句は言わないだろう。このような気持ちがあると、その習慣が態度、振る舞いに出るものです。
現代のファッションはルーズで楽で荒々しい印象のものが好まれます。デザイナーやファション会社が仕掛けた売るための作戦にまんまと乗って、つまりフォロワーに甘んじて、心まで雑になっています。信号無視、ルール無視がともすれば利口なように勘違いされています。このような人の中からリーダーは出て来ないのはすでに明らかです。何が正しいか間違いか、その吟味することもなく、商業ペースを疑いもなく受け入れてイージーに暮らすさまには、困難、ストレスをバネに成長できるリーダーの資質を持った人が輩出されることもないでしょう。

行住坐臥」人が見ていてもいなくても、自分を律して裏表のない美しい立ち振る舞いを心がけたいものです。パラダイムシフト、つまり自分に革命を起こすことから始めるのです。


2012年10月27日土曜日

仏様の掌/なぜ成功している人は、成功していない人が知らないことを知る事ができるのか




ここまで、先人の知恵に学び原理原則をお話してきました。
あといくつかの重要なことを残していますが、つなぎあわせると矛盾のない円が描けると思います。
どなたとお話をしても納得していただける説明ができます。まさに円相です。


「円相」は禅の極地を語った「信心銘」に出てくる一句です。「円相」組織とは何かについてお話するときに使わせていただいた言葉です。

中国・隋時代に僧燦という禅僧が「円かなること大虚に同じ。欠くることなく余ることなし」とうたいました。大虚とは、宇宙のなりたちの源です。つまり「円とは宇宙の究極の姿に似て、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している」ということです。足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している状態とは、なんと美しいではありませんか?


私は仕事柄、成功された人にたくさんお会いしています。
そんな方々を見ていると共通点が見えてきて確信するのです。
すぐにお金を稼げる人は、お金を稼げない人が知らないことをご存知です。
異性に人気のある人は、モテない人が知らない事をご存知であるということ。。
次々とビジネスを成功させる人は、そうでない人が知らないことをご存知なのです。
つまりどのような分野であれ、うまく行く人はそうでない人が知らないことを知っている。
本当にそれだけなのです。
「では、なぜ成功している人は、成功していない人が知らないことを知る事ができるのでしょう」
学歴は関係ありません。中学生の時に家出をして事業で成功した人もいました。
暮らした国がどこなのかも関係ありません。生まれた国、成功した国に因果関係もありません。
どこでどのようにして、彼らは知ったのでしょうか?
その違いを自ら引き寄せ生み出したのが、ある1つの力です。
それが成功と失敗の原理原則を認識する力です。
つまり成功のパターンを実行し、失敗のパターンを避けただけのことなのです。
「原理原則」という言葉は日常的に使っていると思います。
私がある会社で重役、管理職、全員を集めて、原理原則に基づいたマネジメントの方法を説明しました。
すると批判的な人が何人かいて、それをなだめる人が何人かいて、
「原理原則だから、しなくてはいけないと言う訳ではないんだよ」と言いました。
私は原理原則に基づいたマネジメントを実行してほしかったから説明したのですが、
その会社は、その半年後に倒産しました。


仏教の考えでは、人は皆、仏様の手の上にいるとされています
所詮は掌のなかで泳がされているだけ

そう思うと、諦めのようにに聞こえるかもしれませんが、むし逆です
思い通りにいかないことがあても、情けない自分でも、仏様の手の上で守られている。そう考えるとどんなときでも心強いものです。だから、勇をもて前に進みましょうということです。

人は皆、ひとりで生きています。しかしあなたが生きる姿は全部、仏様が見てくれているそう思えば元気が湧いてきませんかいいとろも、ダメなとろも、様は見ていてくれるそう信じて前を向くことです
無条件で自分を守てくれる存在を、原理原則と考えてみてはいかかでしょうか?
自分は原理原則という掌の中で泳がされているだけ。そうであるなら、原理原則に生きてみると決心すれば物事はスムーズに行くのではないでしょうか。


2012年10月26日金曜日

無始無終/PDCAの本質はいまこの瞬間の集中にある




無始無終」という言葉があります。「むしむしゅう」と読みます。始めも終わりもなく、限りなく続いていること。人の感情も回り続ける。PDCAに表現されるように、物事は回り続けるのです。

結局は過ぎ去ったことでもなく、まだ来ない未来のことでもない。いまこの瞬間があるだけです。風は一瞬に通り抜けます。人の心も行動も同じで瞬間のこと。

その事実を理解していたら、どんな喜怒哀楽も通り過ぎるだけのことだと分ります。仕事の喜怒哀楽も同じです。

40年生きた人なら40年それを続けてきたのです。でもこだわりや過去の失敗に囚われていませんか?自己否定感をひきずっていませんか?そんなことは実体のないひとり相撲、力めば力むほど奇妙な姿です。

たとえば前回訪問して玄関払いされた・・・実体のない記憶にこだわるのはカッコいい話ではありません。マネジャーにも同じように「それはいいと思いますが。でも以前にやりましたが成功しませんでした。もし状況が変わればうまくいくかも知れませんね。なかなかそうはなりませんが。」こんな話がものスゴく多い。

Yes,But,If・・・その通り、しかし、もの・・・この悪魔のような構文を使うと何ごともス進まなくただ沈んでいくしかありません。But(しかし)をPDCAの入口にしてはどうでしょうか?PDCAはみんな知っていますが、回し続ける人は少ないのも事実です。人生は時間です。時間の制限のないPDCAはないのと同じです。1ヶ月という単位はほとんどの人の基準になっていると思いますが、少なくとも基準内に結果を出す必要があり、出せるようにPDCAを回し続ける必要があります。本当は本番ではなく、準備期間内に出すようにしないといけませんが。少なくともそういう意識を持って準備することが必要でしょう。

前大本山総持寺貫首であられた板橋興宗氏は「無始無終」について「はじめにはじめなし、終わりに終わりなし」とお話されています。

失敗しても落ち込むのも無用なら、うまくいっても驕るなかれということでしょうか。ただただいまこの瞬間に生きるだけです。


2012年10月25日木曜日

脚下照顧/自己効力感が未来を創る。




禅に「脚下照顧」 「きゃっかしょうこ」という言葉があります。つまり未来とはどこか遠くにあるのではなく、足下にあるいまここの延長に未来があるという意味です。未来には誰かが連れて行ってくれるわけではないし、自分の脚て一歩、一歩行くしかない事を示唆しています。

毎日、一歩ずつ歩くとは、毎日の歩き方で未来も変わるのです。自分の行動について肯定的に歩くこともできるし、否定的に歩くこともできます。当然、未来も変わります。

セルフエスティーム(self-esteem)は、自己肯定感のことで自尊心です。これに似た言葉に心理学用語「自己効力感(self-efficacy)」があります。


自己肯定感(セルフエスティーム)は、自分自身の価値に対する感覚を表現していますが心理学者アルバート・バンデューラ(カナダ)が提唱した自己効力感は、目標に到達する能力に対する自分の感覚を表現したものです。

自己遂行可能感」・・・つまり自分の目標達成能力についての有能感を表しています。
人がある行動を起こそうとする時、自分がどの程度うまく行動出来そうか、その程度の予測によって、その後の行動が予想に適応した形で起こります。

ある課題と向かい合った場合、自己効力感の高い人は、「自分にはここまでできる」と予測することで、「よし、やってみよう」とモチベーションが高まり、その後の行動に発展的につながり、その連鎖によって自己効力感が維持あるいは高まりが続きます。


この傾向を日常的に、楽観的、悲観的と呼んでいますが、楽観とは、物事について気にしない性格を言うのでなく、むしろ逆で、細心の注意によって必要なことを正しく計画、準備して、合理的な行動を重ねて行くという確かな裏付けに支えられた態度と言えます。

自己効力感は、主に次の4つの源泉によって形成されるといわれています。


1.達成体験
自分自身で行動によって、達成した体験のことです。
自己効力感を定着させるうえで、最も効果的といわれています。

2.代理経験
他者が達成している様子を観察して、想像をかきたて「自分にもできそうだ」と予測すること。
自分自身が直接、体験できる範囲は限られていますが、代理経験を使うことで仮想体験が可能になります。
代理経験で得られる自己効力感の影響は大きいと考えられています。身近なものでは「読書」から得られる情報によるバーチャル体験です。

3.言語的説得
達成の可能性を、言語で繰り返し説得すること。
しかし、言語的説得のみによる自己効力感は、容易に消失しやすいといわれています。
言語的説得はきっかけでしかないと割り切って、早期に達成体験によって自己効力感を定着させるのが効果的です。

4.生理的情緒的高揚
苦手だと感じていた場面で、動揺することなく落ち着いていたり、身体的な変化が起こらずにすることで、自己効力感が強められることを言います。
以上から言えることは、自己効力感は、小さな成功体験を繰り返して、蓄積することで高める一方、目標とするモデルを心理的に身近なところに見つけて成功を発見することで仮想体験的に、自己効力感を育てていくことができます。

簡易なものとしては読書もそのひとつです。自分自身にできるのは概ねここまでですが、代理経験を通じて、さらに自分の自己効力感を高めることができます。
この能力がリーダーシップに発展していきます。


周囲の誰かの自己効力感を高めたいと思い、言葉による説得を根気よく続けることによって相手だけでなく、自分の自己効力感が高まります。さらに相手がチャレンジする代理経験を通じて、自分のスキルも高まります。

自己効力感が高まると、自分から課題に取り組む意欲がみられるようになります。学習への意欲が高まるようになり、自律的な行動の変化が起こるようになります。すると新たな業務、異なる分野など、いままでと違った行動が求められる時に意欲的になります。

自己効力感が増大するに伴い、内発的な興味も育っていくようになります。新しいことに前向きに挑戦していくためには、スキルの根本に自己効力感の存在が必要だといえます。

実は業績に直結している自己効力感、育む方法は先にあげた4つの源泉にあります。日常業務に、どう落とし込むか、管理者の腕前が問われていますが、管理者もいきなり管理者になったわけではなく、
一歩、一歩歩んで来た結果として管理者になったのです。つまり「脚下照顧」の賜物なのです。


成果プロセス主義、目標管理の真のターゲットは、自己肯定感を育むことにあるとも言えますが、そこに焦点を充てているマネジャーの在り方次第です。




2012年10月24日水曜日

随処に主となる / 上司と部下の関係






「随処に主となる」とは、
「従いつつも導く」の意味です。


従いつつも(自分を変えることで)、 導く(自分の目的を達成する方向へ自在に動かす)



「随処に主となる」には、どんな状況にも突破口を開く知性の尊さがこめられています。
変えようのないものを自分が主となって変える。
他者や 状況や環境を変えることはできませんが、自分を変えることはできます。


随処に主となるとは、人が幸福に暮らす知性であり、ビジネスのほとんどの場面で、その実践のチャンスがあります。

「マネジャー/管理者(責任者)」と「社員(一般従業員)」は、何が、どう違うのでしょうか?マネジャー は一般従業員のなれの果て? そう考えている人が多い会社もあります。

「マネジャー(責任者)」と「社員(一般従業員)」について、 以下のような点に注意しないと、組織が正常に機能しなくなります。特に自律型マネジメントを展開する方針なら徹底が欠かせません。


「マネジャー/管理者(責任者)」と「社員(一般従業員)」の違い
  • 職務について責任を負う人が管理者(エキスパート)であり、役割を分担して目標を達成する責任者です。つまり人を使って目標を達成する人です 。
  • 作業について義務を負う人が「社員(一般従業員)」です
  • 管理者、社員は人間の階級わけではなく、 労働契約の種類の違いを表現しているわけです。


部下がダメだから目標が達成できないと嘆く方がいます。本当にそうでしょうか?
職務と作業の違いが理解できていないのが原因のようです。

「広辞苑」によると、職務は 仕事として担当する任務とあります。つまり目標を達成することです。作業は肉体や頭脳を働かせて仕事をすること。また、その仕事。とあります。

部下がダメだから目標が達成できないと嘆く方は、嘆くのではなく、何がダメなのかを具体的にして、その作業がこなせるように訓練する義務があります。

一般的に、人事管理上、管理者は 部長、マネジャーなどの「ポスト(職位)」で任命されていますが、ちなみに マネジャーには2種類あります。

  • 部下を使って数値目標を達成する人
  • 自ら作業をすることで数値目標を達成する人。


自ら作業を することで数値目標を達成する管理者の場合、ポストが曖昧な場合もありますが、これは部下を持っていないからです。

部下がいるいないにかかわらず責任を負うエキスパートとして、その役割は大きい。

  • いくつかの職務をまとめた一定範囲の仕事を一つのポスト(職位)の名称で表現している場合が多い。
  • ポストが先にあって数値責任が割り当てられるものではありません。(年功序列型企業の現実として、誤解を招いているケースが多いようです。)
  • ポスト(職位)が作られる目的は予め定めた経営効率数値について責任をもたせるためです。
  • 数値責任をクリアするために、ポストがあり、人が割り当てられるのが正しい状態です。
  • 一般従業員から管理者へ本人の能力を上昇させることを、当然とするのが挑戦的な経営をする会社の「普通」といえます。
  • 教育プログラムを設置し研鑽、上昇の関所として社内研修&試験による「資格制度」で計るのが公正公平で望ましい。

部下を持つ人は部下を使う、動かす、よろこびに感謝しながら、世の中に同調しながら、自分を主体的に動かし世の中をいい方向に動かしていくようにする。

すると、どんな仕事でも、ひとの役に立っていて、さらにひとを喜ばせることができることに気がつくものです。部下、共同体が一体となりダイナミックな活動が立ち上がってくる。

たとえばあなたがロ-カルの沈滞した地域で働いていたとしても、同じです。我が社がこの町の起爆剤になって、みんなを元気づけようと立ち上がることもできる。
特にロードサイドで展開しているサービス業や小売業なら、そのチャンスに恵まれています。それを自分と自分の部下にアプローチして、実行する機会が上司と部下の関係に潜んでいる。


つまり、上司と部下の関係とは「手続き」の関係なのです。そう文面だけを観ると、割り切った冷たい印象があります。その本質を間違えないようにしたいものです。

主体は自分にあるが、その先には「目的を達成する」があります。つまり目的を達成するために自分がいて、自分の周りには部下がいる。

それはできませんとは「しょう」という気がないから出る言葉です。「手続き」 は何のためにあるのか。やり遂げるためにあるのです。そこには人間の熱い血と汗が流れているのが、本来の姿です。


随処に主となる・・・
水は方円の器に従うといいます。自らが水となり、円でも四角でも、どのような形の容器であっても、無理なく容器の隅々に入り込みます。




2012年10月23日火曜日

経霜楓葉紅 / 教育で越えさせるハードル


経霜楓葉紅は、霜を経て楓の葉はいっそう鮮やかに紅葉するという意味です。楓の葉と同じく人も苦しい時期を経て大成します。


私は仕事柄、成功された人にたくさんお会いしています。
そんな方々を見ていると共通点が見えてきて確信するのです。
高い業績をあげる人は、高い業績をあげられない人が知らないことをご存知です。
異性に人気のある人は、モテない人が知らない事をご存知であるということ。。
次々とビジネスを成功させる人は、そうでない人が知らないことをご存知なのです。
つまりどのような分野であれ、うまく行く人はそうでない人が知らないことを知っています。

本当にそれだけなのです。
高い業績をあげる人は、高い業績をあげられない人が知らないこと」をご存知なのでしょう?学歴は関係ありません。中学生の時に家出をして事業で成功した人もいました。
暮らした国がどこなのかも関係ありません。生まれた国、成功した国に因果関係もありません。
どこでどのようにして、彼らは知ったのでしょうか?
その違いを自ら引き寄せ生み出したのが、ある1つの力です。
それが成功と失敗の原理原則を認識する力です。
つまり成功のパターンを実行し、失敗のパターンを避けただけのことなのです。


以下、お汁粉のレシピです。

小豆こしあん:300g 
水:150g
塩:少々
白玉粉:100g
水:100g

塩という異質の材料を使うことで、目的とする甘みが際立ちます。人を際立たせるにも同じで、指導には次のようなルール遵守が重要となります。



指導のルール
  • 「いまこの瞬間」に集中できるスキルを身につけることをめざす
  • 挑戦させる
  • 怖がらせない
  • 気後れさせない
  • プロセスに注目し、プロセスの行動に称揚する
  • 失敗や挫折を責めない(2度同じ失敗は別)
  • 挑戦しない人を徹底的にマイナス評価する
  • 育成中の評価の最大の尺度は結果よりも「プロセス」で行う
  • できない理由よりできるやり方を課題にする
  • 「・・・しないからできません」ではなく、「・・・すればできる」と表現させる
  • 「なぜ?」よりも「どうしたら?」と訊く
  • 「できない理由」 に 会社の風土が露骨に表れている 


会社規模と野心によって、トップの関心は違うでしょうが、創業して間もない店と大規模なチェーン展開レベルでは関心ごとも変わってきます。

創業したばかりの店や、小規模店の店主であれば、単位面積当りの売上高至上主義とする売場販売効率に関心が高いので、接客と改装と販売促進策への努力が中心でしょう。

この場合、 商品と面積、それを支えるマンパワーが変化しないかぎり、経営効率に大幅な変化は生じません。仕入れして販売しているなら、販売力とバランスがとれた売れ筋商品の仕入れが課題になります。製造している場合は、商品開発力と販売力が大きな課題になります。

いずれもマンパワー が大きな原動力になりますが、現実は商品や販売促進に頭がいっぱいで、なかなかそこまで意識が回らない会社が多いようです。この状態が長く続くと低調なマンパワーが風土化してしまうことがあります。マンパワーと販売促進を一体化して販売力を強める動きを連発したいものです。「こういう状況だから」に甘んじることなく、状況がどうであれ打って出ることが欠かせません。



中規模の小売業やサービス業なら、計数管理とマンパワーの大事さに気がついているはずです。ですから出店を含め売場面積を拡大、つまり店舗数の拡大をしようと考えます。経営が担う責任への自覚と表裏一体のスキルの高さが、実績と人間について責任を果たそうと行動させます。インターネットへの参入は、店舗拡大の常套手段ですが、その成功も、実績と人間に対する責任の強さと比例していると言えます。

まだまだこのレベルは、目先の対策にすぎませんが、責任への不安と事業拡大の希望の狭間で経営者として葛藤が強くなる段階とも言えます。葛藤を超えて、大きな事業へと発展していくのは、 労働生産性を、その基盤としてマンパワーの質と量が成長の必須条件であると気づいた段階です。組織管哩と労動条件の向上に取り組みながら、店数や年商額の拡大を目標します。

しかし、この段階でも、改善はあっても根本的な改革までにはは及ぶことはないものです。なぜなら管理者の育成、第二に法人資産の蓄積が不足するからです。
そこで中規模の安定で停滞していまいます。結局、自己満足に陥ってしまいます。この段階の停滞を突破し、改革へ突き進んでいくのが、教育主義と法人中心主義です。その力によって、 無限の可能性をねらいつづけることが、経営上の特徴となります。

教育主義から実行される若年層へのビジネススキル獲得のための教育費の高さや課題への挑戦励行は、働く人にとって好運です。
積極的な人生と能力の向上を願う人間にとっては、この上ないチャンスに満ちた職場環境なのです。

なぜならこれらは会社にとっては大きなリスクなのです。そのリスクを取ってでも成長しょうとする経営風土は、積極的に成長したいと願う個人のポリシーとも見合ったものと言えます。少子高齢化時代にあって、 そのような人にも、企業にも、チャンスに恵まれた職場です。
両者にとって成長の鍵があるといって過言ではありません。


ビジネススキルを獲得す
るにはすればどうすればいいのでしょうか?
個人及び挑戦的な会社における自己、人の教育、育成に、どのような構成を設定すればいいのでしょうか?

人生80年として、マイルストーンを設置します。40歳前後を人生の中心的な区切りに設定します。全体を20年単位で区切り設定します。

なかでも、最も成長が著しい20~40才を10年で区切ります。全体が80年、合計5つの期間に区切った形になります。

5つのステージをどのような目標を持って臨むか、それぞれのステージに目標を設定します。

▼マイルストーンで作ったステージ

ステージ1)
学校生活を通して、20 歳前後までは基礎理解力を身につけます。

ステージ2)
20~30才までの次の約10年間は、からだを動かしながら基本理論と現場作業を30才までに会得します

ステージ3)
30才~40才までの10年では理論と体験の融合を図りながら、ビジネス技術を修得するします。この20年が次の準備期なのです。

ステージ4)
40歳前後で一人前の技術力のある管理者となります

ステージ5)
40才~60才の20年は、これまでの教育期間で得たものを実践に生かし社会的地位と報酬をもちます。

ステージ6)
60才から80才までは、その技術で世に尽くし、生きがいとやりがいと味わい、高めます。

i以上、6つのステージに区切って、最終的には世の中に貢献できるようになるのが、人生の幸福ではないでしょうか?
もちろん、正しい努力は家庭生活の幸福にもつながります。

教育の目的は、個人個人が自立できること、目標管理ができることにあります。
目標設定、達成できる行動計画、行動のマネジメント、プロセスで起こる様々な問題をコントロールができるスキルを身につけることにあります。その具体的な手法はOJTが中心です。結果を変えるには行動を変えるしかありません。

この事実はシンプルで分りやすいものだけど、いざ実行となると非常に困難です。目標に適した行動計画を立てても、実際にはその通りに行動できない場合が多いからです。

いくらトップがビジョンを掲げ方向性を示し、目標を立て、スタッフが目標管理の仕組みを策定しても、従業員がやる気を出さず行動しなければ、水泡に帰することになります。意識を変えないままに仕組みをいじくっても成功しないのです。

仕組みを作ったから、「さあ、やりなさい」式が多いのですが、これでは機能しません。新しい変化への活動が思うように進まないのは、自分が変わることへの拒否があるからです。

ディスカッションしているときはポジティブな態度を表していても、いざ行動となると変化を拒否するのはネガティブな態度が習慣化しているからです。人がとっている行動は、メリット、デメリットを考慮する以前に、自分にとって楽な行動である場合が多いものです。

「分っているけどできない」という言葉をよく耳にします。メリットが分っても行動が変わらないことが普通のように起こっています。この葛藤の処理を自分でできるようにするのが教育の中核といえます。

具体的にどうすればいいのでしょうか?
まず手をつけるべきは価値観の統合です。これが教育の根幹となります。価値観に共感できない状態で、いくらスキル開発を行っても、時間的なロスが多く費用的なロスも増大するからです。

社員であれ、アルバイト・パートであれ、意識を変えるには、新しく入社してきた段階が最適です。この段階で会社の価値観を知らせ、なぜそのような価値観になっているのかを説明して、それが当人にとってどんなメリット、デメリットがあるのかを対話によって教え、価値観に共感できるように進めます。

しかし価値観への共感がすぐに得られる場合は稀です。また全員が新しく入社してきたわけでもありません。その場合は、リーダーの意識、考え方を変えることからスタートとします。一般従業員はリーダーの行動を見て自分の行動を変えることが多いものです。

リーダー自身が行動を変えるのが、一般従業員の行動を変える早道です。
・ 会社に新しく入って来たときに価値観に共感させる
・ リーダーが行動を変えることで、従業員の行動を変えさせる

この2つが基本です。それを日常の業務、O.JT ,OFF-JTの教育を通じて実現しますが、教育は非常にシビアな問題でメンタルな要素をいくつも含んでいます。
その意味でもコーチングは有効です。
コーチングは、自立を目的としたマネジメント・スキルです。

コーチする側が上司です。コーチする人が、コーチされる側の人に、効果的な質問をすることにより、本人に気づかせることで、本人が考え、選択し、行動するように誘導する手法です。

問題への気づき→思考(自問自答)→意志決定(選択)→行動→検証のサイクルを回します。その体験を繰り返すことで、自分でサイクルを回せるようにするのがコーチングの目的です。

コーチングは誰にでも適用できるものではなく、コーチされる側の人の資質も条件になります。たとえば経験の浅い従業員に対してコーチングを行っても、意志決定(選択)にたどり着くだけの情報を持っていない場合がほとんどですので、気づくことができません。

経験の浅い従業員に対しては、経験させることによって情報を蓄えさせることが先になります。経験させるには、その義務が果たせるか見極めます。

1)命令が正確に理解できる。
(確実な聞き取り、読み取り、忘れない能力が必要です。)
2)命令が分りやすく正しく表現されること
3)本人に命令が実行できる能力があること
4)実行の事前に不足する能力の発見と、充足する教育を行う
5)本人が知っている評価方法で評価が行われる(行われている)ことが必要

責任を果たせない人は、5つの条件の内、どれかが欠けているものです。
しかし5つの条件の内、1)以外の4つの条件は上司側に原因があるものです。
責任を 果たせない場合はどうするのか、次の点に留意、問題を明確にして対策を実行します。

・ なにが出来なかったか、その原因として本人にどんな種類の過失や怠慢があったか
・ どうしたらよかったのか
・ 今後どの部分をどのように変更すれば、同じミスを防止できるか
・ 反省(上司の誘導で、本人に具体的な問題と対策を確認させることが「反省」)
・ 義務違反が起こった場合、なぜそうなったのか、上司または本人の反省が必要。

仕組みを機能させるための教育の主体がO.JTで、O.JTは経験を通して変化を受け入れさせる教育として有効なのです。このときに詰め込むように教えて受け入れされるのはなく、主体性を本人に移して、考えさせて気づかせることで、自ら主体で判断し選択するように導くのがコーチングです。

以上の点を心に留めて、そのまま実行するのではなく、教育のあり方を教えるもの、教えられるものとするのではなく、根底に人間は対等であるというポリシーを守りながら、具体的なプログラムを用意します。
プログラム【自律する教育】を参照してください。