2013年2月27日水曜日

実は知られていないマネジメント&コントロール。あなたは乃木タイプ? 児玉タイプ?




実は知られていないマネジメント&コントロール。

マネジメント&コントロール、正しく使っていますか?あまりにも当たり前すぎて、自分なりに、これがマネジメント&コントロールと解釈されて、間違った仕事の方法に疑問を持たずにいる方がたくさんいます。


日本では最前線チームを、従来から店舗運営部とか営業部、販売部と呼ぶことがありますが、アメリカではすべて作業部隊を意味するオペレーション・セクションあるいはファンクションと呼びます。

販売や営業は店舗段階だけでやるのではなくて、会社全体でやっているのですから、店舗グループを表現するのに絶対にセールスという言葉は使いません。

コントロールという言葉にも、独特の意味があります。中小企業診断士のテストでは管理と統制と使われたりしますが、本来のコントロールと統制には随分違いがあります。


たとえば小売業とサービス業というビジネスは、ていねいにやりはじめたら、これでいいという底がなく、無限にやったほうがよい仕事が多いものです。徹底しようとすれば、人件費をいくらかけてもキリがありません。

そこで成果を決定づける必要な作業だけに絞りこみ、その代わり、不可欠な最大の任務だけは徹底的にやり遂げることに専念するオペレーションをモットーとしていて、絞った課題については完全に実現するのです。

つまりオペレーションとは完全にやり遂げるために現場のすべてを総称する言葉であり、全社あげて徹底してやり遂げる作業のことなのです。つまりドライ商法と言われているものです。


マネジメント&コントロールのコントロールとは、期限前に現在進行中の数字を使って、命令の変更と教育の追加で作業内容を変更することです。それによって期限前に数値を変更させ、目標数値に到達させる、つまりコントロールすることでマネジメントの目的を達成するのです。そういう意味でマネジメントとコントロールは切っても切り離せない関係にあるのです。

そして、マネジメントとは、日本語でいう管理という意味ではなく、どのようにしてでも到達することです。このことが間違って使われているために「マネージメント」と表記されたりします。「マネージメント」では「マネジメント」本来の意味が違ってきます。「マネジメント」の語源は「Manage」であり、その意味はとんでもない状況にあっても、状態をコントロールしながら、目的地に到達することを言います。


つまりマネジャーとは、どのようにしてでも目標を達成する人なのです。



最初からできそうにないことを悪戦苦闘しながらやり切るのがマネジメントであり、困難は前提条件として折り込み済みなのです。
座して、ああだ、こうだと言ってるイメージとはかけ離れているのです。

できそうにないことをやるわけですから、計画の内容が一番最初に重視され、吟味されるのは当たり前であって、この習慣がないから PDCAがいつまでたってもできないのです。つまり計画が反省を繰り返した上で策定されていないのです
そのため、何年働いても 人が育たないのでプロフェッショナル不在の原因になっています。

プロフェッショナル育成には時間がかかります。だからこそプロフェッショナルには自信と誇りが芽生え、それがリーダーシップに発展して行きます。

真のリーダーシップと形ばかりのリーダー、管理と統制、マネジメントとコントロールの違いが分かりやすい娯楽映画があります。「二百三高地」です。この話は司馬遼太郎の「殉死」「坂の上の雲」でも描かれています。前者が乃木将軍でおなじみの乃木 希典陸軍大将、後者が児玉源太郎総参謀長です。娯楽映画ですから、少し考えながら観ていただくと誰にも分かりやすくなっています。






あなたは乃木タイプ?
あるいは児玉タイプ?


重要なのは、 期限前に現在進行中の数字を使って、命令の変更と教育の追加で作業内容を変更することです。期限後にもう過去になってしまった数字をもとに叱責、激励し、感情的、道徳的に奮起させる、あるいは奮起するのではないのです。

この違いが「二百三高地」でははっきりとビジュアルで見てとれます。これに関連して、リーダーシップ、チームワークの概念も間違わないようにしたいものです。次に言う「犠牲の在り方」にも言及していますので、参考にしてください。



最初からリーダーシップを身につけた人も、マネジメントできる人も、プロフェッショナルもいません。だから育つ期間が必要なのです。その期間は生産性も低いでしょうが、仕方がありません。犠牲にする期間です。

大事なことは犠牲の意識があること。繰り返す失敗が実を結ぶようにすることが大切なのです。

マネジメントできない期間は犠牲の期間、早くマネジメントできるように成長させよう、成長しょうとしる意識がなく逃げ回っているだけでは不毛の期間になります。





2013年2月19日火曜日

チームワークに正しい理解を


分業つまりチームワークには、正しい理解が必要です。

これはプロ野球で考えていただくと分かりやすいと思います。たとえばショートに飛んだ打球をショートが捕れないとサードがカバーします。

それが頻繁に起こるとサードは緊張を過度に味わい疲労します。分業とは自分の守備範囲を確実にこなせることが前提であって、助け合うことではないのです。

ですから「チームワークを良くしょう」と言ったらその意味は「自分の役割は確実に果たせるようにしましょう」という意味であって、間違っても「助け合いましょう、手伝いましょう」ではないのです。これはスポーツの世界では常識です。

酷い場合には、「自分は悪くない、悪いのは他のことを担当している者だ」という言い訳に使われることが多いのが日本の分業意識なのです。

「助け合いましょう、手伝いましょう」には危険な発想が潜んでいます。

手伝うことが増えれば増える程、手伝った人は自分の仕事ができないのです。あるいは休息、自己研鑽に使える時間が減少するのです。

手伝ってもらった人は、 本人の能力不足になっている知識と経験とが上司に認識されず、必要な追加教育が行なわれなくなります。本来自分が担う役割を果たせないままになります。つまり能力不足が続く危険があります。

スポーツの世界と相通じるのは、共に結果を出すことを求められているからです。結果主義、出来高主義で勝負を決めることはできません。成果主義だから勝負を決められる能力が必要となり、必要となるから日頃からトレーニングが当たり前になっているのです。

この分業に明け暮れて来たのがアメリカの小売業の世界なのです。日本のように情緒的に頭を下げることをサービスと解釈せずに、一人ひとりが自分の役割を果たせるように取り組んできたのです。

それがエクソンモービル、シアーズを頂点にして、フォロワーとして続いたのが、GM GE IBM などなのです。この系譜はAppleやMicrosoftにも生きていると想像するのは容易いことです。

情緒的に良し悪しを判断していくからチームワークもリーダーシップもマネジメントも誤解され、誤解されたまま定着していき、出来るはずの能力開発が不十分なままになり、結果的にWINーWINが遠のき、WINーLOSE が起こってしまうのです。

 WINーLOSEは「7つの習慣」にも書かれているようにずるさが潜んでいるのです。

チームワークに正しい理解がないまま、組織作りをすると組織は本来の能力の総和以下になるしかないのです。



2013年2月18日月曜日

あなたにとって、組織とはなんでしょう?



従業員の生涯教育が重要なのは、従業員との関係をWIN-WINなものにすること、それは同時に従業員の集合体である組織と顧客との関係もWIN-WINにするためです。

では、組織とはなんでしょう?
従業員の集合体では不足であって、従業員が分業を正確にこなせることが条件です。つまり組織とは、分業の仕組みそのもののことです。

分業とは、多数の人々が一つの目的を実現するために仕事を分担しあうことです。その背景には数値責任制があります。
一般に多数の人員が集まれば烏合の衆になってしまい、個人一人ひとりがそれぞれもっている力の総和よりもずっと少ない力しか発揮できないものです。これでは分業どころか責任のなすり合いにしかなりません。

ほとんどの会社では責任のなすり合いの結果に甘んじていることが少なくありません。その証拠に「自分の会社だったら頑張るのに」なんてわけのわからない言葉が飛び交います。実際には組織で頑張れない人が独立しても頑張れません。

つまり個人一人ひとりの力の総和以上のものすごい力を創り出すのが、組織のあるべき姿なのです。
しかもこの場合の組織論は人間の経験法則から導き出されたものなのです
個人ではとてもできそうもないことをやってのける「人々の分担の仕方」が組織論なのです。

自分はよく組織図を作成の依頼を受けますが、どのように整理しまとめようが、部長、課長といった肩書の人がどのようにポジショニングしようが、実際のところまるっきり関係のない話なのです。

トップがやりたいことがどんどんやれている企業がよい組織であり、そのような組織はどんなにきれいな組織図を作成しても、できるものでもないのです。

場合によればトップがやりたいことが全然できないつまらない組織にしかならないことも少なくないのです。良い会社とは、経営政策どおりにビジネスが進行し、経営効率も高水準、併せて従業員も幸福な生活設計ができている状態のことです。


これを可能にするのは、個人一人ひとりが活力のある分業が出来う能力を持ち、現実に分業を遂行できることが絶対条件なのです。組織図はその集約として図にしただけのもでしかなく、大事なことは分業が出来う能力と分業が遂行できる実行なのです。

この大前提を飛ばしてしまい、組織図を作成すれば組織が機能する、あるいは機能する期待が持てるというのは妄想でしかないのです。





2013年2月15日金曜日

成長を志向する企業の評価尺度





成長を志向する企業にあって評価尺度は重要です。それは成果主義です。成果主義の導入はうまくいかなかったと思われる方が多いでしょう。自分が知っている会社にも、成果主義を導入して倒産した会社があります。毎日毎日メーカーさんと一緒になって成果主義の会議の挙げ句という笑えない話がありました。


しかし、それでも成果主義なのです。誤解のないように自分は成果プロセス主義と呼んでいます。決定的に違うのは成果が出せるように一貫してフォローする点です。つまり成果を出すのは実質的には管理者なのです。「命令(成果)という名の依存」・・・・無責任な不毛のマネジメントでしかありません。その撲滅について25年間言い続けてきました。成果の出せない相手に成果主義を振りまくのは発令者に責任があります。


あなたの会社では、成果主義導入の有無は別として、評価の基準はどうなっていますか?
結果の多寡、つまり達成率ではなく、「予め計画した目標に到達したか、あるいは、しなかったかで評価していますか?

「達成率」という概念は、結果主義に属するものです。結果主義とは出来高主義です。つまり「出来ただけでOK」「結果オーライ」の世界です。最初から「成長できたらいいな」という願望の企業です。成長を志向しているのと、願望しているのは全く違うことです。

成果主義は給与の在り方と密接に絡んでいましたが、では一般に多いパターンはどうでしょう?ほとんどが評価尺度は結果主義です。言い換えれば出来高主義です。
成長を志向する会社のモットーである計画主義と相反するものです

計画主義は、成果主義の基礎をなすもので、目標に対して具体的な達成手順を詳細にし、達成可能と判断できたときに発令されるものです。つまり計画ができた段階で90%は結果が読めている状態です。残る10%がマネジメント&コントロールのコントロールなのです。

つまり目標達成率80%というような事態があり得ないのであって、あったら正しく判断できなかった発令者の責任なのです。もしこのような事態が相次いで起こったとしたら、多店舗展開は不可能になります。予測できないのに、出店計画ができないからです。だから計画主義は成長を志向する会社のモットーなのです。





2013年2月14日木曜日

働く意味が与えてくれるもの




働く意味が与えてくれるものを考えてみましょう。

まず一番目に「安定したやる気
やる気の安定は難しい問題です。感情が高ぶったときにはやる気がアップし、頑張ると疲れてやる気が下がる。この繰り返しをやっていると前年比アップダウンの繰り返しです。この問題に決着をつけるのが、働く意味の理解です。

働く意味の理解できるとやる気のムラがなくなります。ムラがなくなるのは科学的に考えるようになるからです。科学的に考えるのは仕事に対する姿勢が落ち着いてくるからです。それをもたらすのが働く意味の理解なのです。安定したやる気は、「仕事のやりがい、生きがい」につながります。

つ目の課題が この「仕事のやりがい、生きがい」です。
働く意味の方向性がわかれば、人はそれに向けて真摯に打込むことができます。打込むことがやりがい、生きがいにつながります。努力する程愛着が湧き、やりがいが生まれてきます。

三つ目の課題は「成果」です
働く意味を考えることは、目標に対するブレない気持ちが出てきて、その結果として、営業成績だったり、売上げ達成だったり、自らの望む成果をもたらしてくれます。これは 努力する程愛着が湧くことに起因しています。


四つ目の課題は「自己の成長、キャリアの方向性」つまり育成プログラムの影響を受けます。
自分が何のために働くのかが明確になることで、自分がどのように成長していきたいのかが見えはじめ、目標が明確になり、その目標を果たすことができるようになります

こうして見て行くと、従業員教育の在り方が見えてきます。全体を貫くのは、働く意昧の理解です。それには是でいいだろうはありません。具体的な案件を学習していても、繰り返し繰り返し、底辺に流れているのが 働く意昧の理解です。


それが五つ目の課題である人間関係をマネジメントする能力」に発展します。部下を持ったとき、上司として部下を育てるにあたり、部下にどのように成長てほいか、どのような人間になってほしいかの指針が必要になりますが、その指針として、自分が働く味を理解していることが特別な力を持ちます

働く味を理解することは自身にとっては基本的なことですが、それが部下を育てる上では特別な力になるのです。




2013年2月12日火曜日

萬法一如/従業員教育



「企業は人なり」・・・良い会社では従業員教育に熱心なだけでなく確固たる信念を持っています。従業員教育に熱心なつもりでも、次のような点で曖昧な会社は、本当の意味で熱心なわけでも、本気で成長しようとも思っていません。

育てようとする側も、成長しようとする人も、次の点を掌握して取り組みことが重要です。

①ふるい分けは、入社直後から始まります。
意欲のある人、成長する人は期待ではなく、日常的な反応、態度、行動、結果から見極めます。つまり本気で成長を志向する会社にあっては、選抜は数年後からではなく直後から始まります。「慣れて来てからだろう」なんて甘いことを考えるようでは心構えで失格です。

②あらゆる機会が活用されます。
書類提出の定刻や期限を守る、フォームの決まった用紙に空欄なしに記入すること。質問されたときの態度、執務時は当然、休憩時の姿勢、何気ない小さな行動や反応も、評価の対象です。勤務状況と教育計画からみた進歩の度合いが採点項目になるのは当然です。

③資格試験
入社試験の結果だけでなく、社員資格をはじめとしてトレイニー(主任、係長)、スペシャリスト(課長、部長)、取締役資格の難関が用意されます。資格試験の厳しさという点では、合格すれば良いだけでなく、順位が生涯影響します。

④教育投資は圴一ではない
誰でも均等にという発想が危険過ぎます。成長しない人にコストをかけるようでは企業が成長志向でないことを意味します。成長志向の企業にあってはは大きな個人差がつくのが当然です。教育投資は圴一でないことが平等なのです。

⑤機会(チャンス)の結果確認
チャンスを与えたら、そのチャンスをどう有効に本人が活かしたかを厳密に観測し、次の成長となる機会と刺激策を用意します。反応。結果に不可があれば、二度とチャンスもコストをかけません。

⑥一番のみ登用する
期待度ではなく、実際に役に立つ人から選抜します。

⑦日常的に入れ替える
追い越そうとする者が目につくと、日常的に交替するのは当然です。日常的という点が大事です。

以上のことをしない会社は、会社という単位で業界から墜落します。そこにしがみついていた従業員は、ダメ企業のダメさに力を貸した不良人種という烙印が捺される結果になります。不良人種を創っているのは会社という視線が向けられます。

つまりプロフェッショナルを育てるには、プロスポーツの世界と同じなるのは必然なのです。用意されたシステムを不幸と思うか幸運と思うか、やる気のある人間には幸いなのです。やる気のある人間を優先できない事情が組織にあるとしたら、組織の在り方に重大な欠陥があるということを猛省すべきなのです。

この背景には禅語でいう萬法一如ばんぼういちにょ)」があります。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。


すべての根源は同じで、人間は誰もが幸福になりたいと考えています。自分を認めてほしいと思っています。すべてはつながりを持ち、因果関係があります。因果関係に矛盾があるとストレスになり疲労し意欲はなくなります。ですからモチベーションを高める対策は、矛盾をなくすことです。
自分だけが幸福になりたいと思うと矛盾は至る所に生じます。みんなが互いのことを考えて働く仕組みでは矛盾はなくなります。
問題はそうすると自分の利益が減ると考える習慣があることです。とんでもない勘違いです。その発想の根源は不安と恐怖です。不安と恐怖に支配されると人は間違いを間違いと認識できなくなってしまう弱い生き物なのです。弱い生き物がジャングルを生き抜く方法として間違った考えを採ってしまい、結果不安を現実にしてしまうのです。

働いて自分がうれしい、お客様もうれしい、会社もうれしい、「萬法一如」はWin-Winの世界を表した言葉であり、まさしく幸福生産性を高める基本的な教えです。Win-Winを実現するための従業員教育です。競争は無限でなく、成果があがれば競争はなくなる宿命にあります。競争は当たり前だという思い込みを捨てましょう。




2013年2月8日金曜日

いいい会社と悪い会社の決め手は従業員教育




店舗展開を熱望する会社を例にあげて「禅とマネジメント」をお話する理由は、「成長を強く希望する企業」をイメージしているからです。なぜそうなのかと言うと、「成長を強く希望する企業」と、そうでない会社の違いは、従業員にフィードバックされます。なにより従業員をビジネスの単なる道具とは考えないからです。

「成長を強く希望する企業」は従業員に対して末長く会社を支えてくれることを期待しているものです。状況でリストラが起こるかも知れませんが、そうならないように普段から収益にもこだわっています。


収益にこだわると、顧客と従業員を大事にします。大事にするとは感情的な問題ではなく仕組みを作ることです。顧客に対しては生涯取引をめざしWIN-WINの関係をめざした仕組みを作ります。うわべの追求に集中してしまうWHAT思考に偏らず、 WHY思考に重点を置くようになり、マーケティングに熱心になります。


あらゆる経営努力の中で、マンパワーの育成を最優先課題として考えます、その際に、ビジョン、意欲のある人材には惜しみなく教育費も使いますが。その代わり、そうでない人材との間に線をひき区別をします。つまり選抜します。成長したいと思う人は選抜という難関を、つねに突破し続けねばならなくなります。

競争が発生します。それを意識して突破し続けないとしたら、せっかくの成長を熱望する会社であっても、並の会社と違わないことになってしまいます。いい会社にするか、しないかは自分次第なのです。決して受動的な立場で過ごすことをしてはいけないのです。つまりすべては自分の判断と選択なのです。

そこで、会社側の手の内を知ることが先決になります。それは、次のように総括できます。(続く)






2013年2月7日木曜日

風吹不動天辺月/当たり前のことをやり抜く



私たちは無限の力を持っているわけではありません。私たちの力は有限です。
だから何でもできるというわけにはいきません。しかし自分がなりたい自分、したいことができることはできます。

禅に「風吹不動天辺月」・・・「かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき」という言葉があります。風が吹いても月は雲のように流されません。微動だにしない心を持つことの大切さを説いた言葉です。誰がなんと言おうと決めたらやり抜く。決意した瞬間に天職になります。

天職とは自分の力、生命力は有限と認識した上で、なる原則、ならない原則を守ってやり抜くことなのです。

・私たちの肉体は、一度にひとつの場所、ひとつの時間にしか存在できません。
・1日は24時間で、一年は365日。
・この星には何年かしかいられません。長くても120年程です。

誰もこの事実を変えることはできません。
自分の欲しいものを手に入れる、やりたいことをするために必要なことは次の10点です。

・注意のすべてを欲しいものに向けます。「とりつかれた」ように集中します。
・欲しいものを手に入れている、やりたいことをしている自分の姿を視覚化しイメージします。
・それを手に入れたり、それになったりすることに対してワクワクし続けます。
・何がほしいのかはっきりします。細かな点まで書き出します。絵を描いたり、模型を創るのもいいでしょう。
・何よりもそれを優先します。他のすべて( すぺてにです )に優先します。
・すでに手に入ったと確信した状態で自信を持って行動します。
・それを手に入れるために必要なすべてをやります。
・必要な努力をします。努力の目安は簡単です。手に入ったらそれで充分な努力ですが、手に入るまでは努力不足です。
・目的に反するすべてのことを捨てます。
・もう手に入ったかのごとくにふるまいます。
・すでに実現した部分について心から感謝します。

これだけです。ほしいものはこれで必ず手に入ります。数値目標責任制に於ける数値目標も必ず達成できます。もし現在、病気していて、病気から回復したい場合もこれだけです。



2013年2月6日水曜日

行住坐臥/リーダーシップによってWIN-WINが生まれる



「リーダーは育てられない」というのは、その基盤が自己啓発にあるからです。ですから逆説的ですが、リーダーシップは組織の在り方で育てられるのです。日頃から自己啓発を奨励すればいいのです。

数値目標を達成できるプランを立てることの重要を知る人はどのようにして知ったのでしょう。当たり前のことを自己啓発によって率直に認めただけなのです。
たとえば家を建てるとして、建てられるかどうかやってみないと分からない業者に発注しますか?いくら大金持ちでもしないでしょう。
たとえば引っ越しするときに、決めた時間に運び終わってくれない業者に発注しますか?やはりいくら大金持ちでもしないでしょう。

なのに、数値目標を達成できるかどうか分からない人に任せるのはどうしてでしょう?やってみないと分からないと思っているからです。確かに創業当時ならそうでしょう。でも経験を積んでも積んでもできないとしたら常識をもって「ありえないやり方」だと疑うべきなのです。

「ありえないやり方」だと疑う基準が給与についての解釈にあります。給与は一定時間、現場に存在するから支払われる「存在給」なのか、あるいは通勤していることに対して支払われる「通勤給」なのか、給与の性質は職務を果たすための「職務給」なのです。

しかし考えてみてください。ほとんどの家庭では、親は子に会社勤めして職務を果たせとは教えません。大過なく過ごして給与を手にすることを教えても決して職務を果たせとは言わないのです。

つまりほとんどの人が記憶している契約は「存在給」か「通勤給」なのです。ここに間違いの出発点があります。 この是正をするのがリーダーですが、 リーダーシップが欠如していると、間違いに気がつきません。

なぜなら、契約が履行できるように育てるという基本的な重要に目配りしていないからです。契約が履行できるように育てるとは、能力を身につけさせるということです。それは裏返せば人生設計と密接に結びついているからです。

30年働いて得る給与つまり「存在給」がすべてなのか、30年働いて得る能力と給与、つまり「職務給」がすべてなのか、あなたがリーダーならどちらが良いと判断しますか?あなたが部下に与えてやりたいのはどちらでしょう?職務給の場合、見合った能力がなければ得ることはできないのです。それを酷だと考えるか、能力不足のままでいることを酷だと思うのか、その有無がリーダーシップなのです。

「どっちにしたって自分が給料の額を決められるわけではない」と思っていたらとしたら大きな勘違いです。必要な職務が果たせるとどういう結果になるか想像してみてください。想像力を働かせるのがリーダーシップなのです。

リーダーシップとマネジメントは違います。マネジメントとは田を耕すようなものです。コツコツと耕す者には、目の前のことしか見えません。リーダーは木に昇り、全体を見渡し、方向を知らせる役を担っています。「お〜い、こっちだぞ」と最適な方向を知らせるのが仕事です。その知らせを聞いて田を耕す者は従います。

お分かりですか?正しい方向を示し、適切な活動をすることで、実りを多くするのです。実りが増えると配分も多くなります。これがWIN-WINであり、チームワークの場合、それはリーダーシップによってもたらされるのです。

禅の言葉に「行住坐臥」(きょうじゅうざが)があります。「行(行く)」「住(止まる)」「坐(座る)」「臥(横になる)」日常のすべての行為を表現した言葉です。いついかなる場所でも、常に自らの立ち振る舞いに気をつけることを促す言葉です。美しい心とは、美しい立ち振る舞いから生まれるものです。これこそが禅の基本、禅の心です。つまり伝えたいのは生活の基本なのです。


2013年2月5日火曜日

少水常流如穿石/リーダーシップが試されているとき



もし、いま現在、数値目標を達成できるプランが立てられない管理者が多い会社であるとしたら、管理者にある人は懸命になって一刻も早く、目標に対して、その達成について具体的なプランニングができるように人を育てるように取り組むべきです。

1年12ヶ月、53週あれば、相応に力はつきます。毎週、1週間のプランニングに取り組むことは飛躍的な学習を生みます。1年間を運任せで過ごすのとは雲泥の差があります。これを10年つまり530回体験するのと、そうでないのでは結果は明らかです。

さてここでリーダーシップの問題が起こります。
中小企業、特に零細の場合、このような仕組みがないのが普通です。そこでスペシャリストに該当する人は、会社に仕組みがないことを問題にします。会社に責任転嫁(必ずしも転嫁とは言えませんが)することは簡単です。それはリーダーシップのなさを自ら宣言しているのと同じです。

真にリーダーシップがあれば、自己啓発によって、この問題に気づき、会社が用意してくれないとできないということではなく自ら行動することを厭いません。問題解決の上でもっとも合理的だからです。

先輩、最後に上司、さらに経営トップからも一目置かれる状態になるときにリーダーシップは本来のものになります。リーダーシップとは上から目線で指示命令することではありません。自己啓発によって誰もが気がつかない重要な問題を解決し、あるいは取り組み敬われることです。「この件は君にまかせるよ」と上司や経営トップが脱帽する状況を指していることを忘れないでいただきたいのです。

少水常流如穿石」(しょうすいつねにながれていしをうがつがごとし)とは、些細な水でも絶え間なく流れていることでやがて尖った石でも丸くしてしまい、穴もあけてしまうことです。

あなたの自己啓発、リーダーシップが試されているのです。


2013年2月4日月曜日

少水常流如穿石/何を信じるか。



数値責任制に対する具体的な取り扱いこそ、もっとも重要なポイントなのです。

心ない人は、これを見て「いじめ」のように思うかも知れません。しかしこれこそが人を育てる核であり、思いやりなのです。

もし、何年も勤務したにもかかわらず、目標に対して、どのようにすればいいのか、分からないとしたら、ただ時々、気分が盛り上がりやる気になれば業績が上向き、やる気が下がればさんざんな結果にしかならい、このような感情に左右される状態で頑張ったり、頑張れなかったりする仕事人生をどう捉えればいいのでしょう。

勤務を重ねてもプロフェッショナルにほど遠い素人集団、これが仕事だろうと自分の解釈で進める烏合の衆で過ごす日々から、自信も生まれなければ、リーダーシップも育たたなければ、本人も惨めでしかなく、会社にしても店舗展開も思うようにできずになり、管理者(プロフェッショナル)として働く場も提供できなくなります。つまり一応の体裁は整えたとしても実体は何歳になってもワーカーでしかなく、真のリーダーとして敬われることもないとすれば、井の中の蛙として同類同士で感情的に傷をなめ合うしかないのです。

これを防止するのが、思いやりでなくて、なぜ「いじめ」になるのでしょうか?人材育成の生涯計画を持ち、発展的な店舗展開を行うことが、どうして負担になるのでしょうか?

ハードワークをしているから幸福な人生であることはないのです。ハードワークは自分と周囲の人を幸福にするためのものなのです。

もし、いま現在、この領域にあるとしたら、管理者にある人は懸命になって一刻も早く、目標に対して、その達成について具体的なプランニングができるように人を育てるように取り組むべきです。1年12ヶ月、53週あれば、相応に力はつきます。毎週、1週間のプランニングに取り組むことは飛躍的な学習を生みます。1年間を運任せで過ごすのとは雲泥の差があります。


少水常流如穿石

一生懸命にやっているのに、成長しない。そういう人は自分の変化に気がついていないのです。それは気がつかないやり方、気がつかない在り方で過ごしているからなのです。禅の言葉「少水常流如穿石」(しょうすいつねにながれていしをうがつがごとし)とは、些細な水でも絶え間なく流れていることでやがて尖った石でも丸くしてしまい、穴もあけてしまうことです。

一歩一歩進むことの大切さを説く言葉ですが、一歩になっていないことを継続しても効果はありません。もしあなたが間違った歩みを続けていたとしても、それも一歩なのです。遠回りだったにしても、その反省ができれば一歩を百歩の歩みに変えることができます。あなた次第で変化を起こせるのです。何を信じるのか?あなたの選択が結果を変えます。






2013年2月2日土曜日

数値責任制における任務の発令



数値責任制における任務の発令は次のような手順になるのが一般的です。

まず第一段階として会社は、スタッフが起案したプロジェクト(つまり販売目標)を、スペシャリストとしての能力をもっているはずの人物に文書で提示します。文書には次の項目が記載されているのが普通です。

  • 目標、担当者、期限
  • 進行計画(3ヶ月/13週間)
  • 果たすべき課題
  • 週単位の進行計画
  • 経費予算


このプロジェクトに基づいて、提示されたスペシャリストが具体的な進行計画を構築します。この作業が計画作りです、

この際、本部側がスペシャリストが提出した原案をそのまま承諾する確率は低く、改善要求をして、修正をさせ再提出させるのが通常です。なぜなら大いに検討することで実現可能かどうか、こなれた状態に引き上げて行くのです。

プランニングの段階では、この討論や修正はいくらあっても、あればあるほど値打ちが高まるのが普通で、これも教育の一環なのです。その結果、実行可能で手順も適切であるということになれば、工事に置き換えていうなら請負契約成立になります。

通常、工事を注文する場合、これら一連の手続きをしているものですが、それと同じなのです。以後行程表を\求めに、進行状況を確認していきますが、それも同じです。標数値が大きく変わりそうなときは、増減を打ち合わせることが発生しますが、この作業が工事請負の場合にはないのが普通です。

この一連の手続きが出来ないのに、プロジェクトをスタートさせることは、危険な行為なのです。それは根拠もなく数値目標に挑戦することでしかなく、出来高主義に陥るのは目に見えています。

これで出店計画することは無謀なので、当然できないので主体性のあるチェーン展開することはできなくなります。ですから主体性のあるチェーン展開を目標する会社にあっては、目標▶計画策定の手順こそ、成果プロセス主義の実行、人材育成の要と位置づけ、重要視しているのです。

この関門を通過することが、スペシャリスト育成の最初の一歩なのです。この手続きを飛ばして、数値責任を追求することは「運任せ」でしかなく、人が成長することも難しくしてしまいます。