2013年2月6日水曜日

行住坐臥/リーダーシップによってWIN-WINが生まれる



「リーダーは育てられない」というのは、その基盤が自己啓発にあるからです。ですから逆説的ですが、リーダーシップは組織の在り方で育てられるのです。日頃から自己啓発を奨励すればいいのです。

数値目標を達成できるプランを立てることの重要を知る人はどのようにして知ったのでしょう。当たり前のことを自己啓発によって率直に認めただけなのです。
たとえば家を建てるとして、建てられるかどうかやってみないと分からない業者に発注しますか?いくら大金持ちでもしないでしょう。
たとえば引っ越しするときに、決めた時間に運び終わってくれない業者に発注しますか?やはりいくら大金持ちでもしないでしょう。

なのに、数値目標を達成できるかどうか分からない人に任せるのはどうしてでしょう?やってみないと分からないと思っているからです。確かに創業当時ならそうでしょう。でも経験を積んでも積んでもできないとしたら常識をもって「ありえないやり方」だと疑うべきなのです。

「ありえないやり方」だと疑う基準が給与についての解釈にあります。給与は一定時間、現場に存在するから支払われる「存在給」なのか、あるいは通勤していることに対して支払われる「通勤給」なのか、給与の性質は職務を果たすための「職務給」なのです。

しかし考えてみてください。ほとんどの家庭では、親は子に会社勤めして職務を果たせとは教えません。大過なく過ごして給与を手にすることを教えても決して職務を果たせとは言わないのです。

つまりほとんどの人が記憶している契約は「存在給」か「通勤給」なのです。ここに間違いの出発点があります。 この是正をするのがリーダーですが、 リーダーシップが欠如していると、間違いに気がつきません。

なぜなら、契約が履行できるように育てるという基本的な重要に目配りしていないからです。契約が履行できるように育てるとは、能力を身につけさせるということです。それは裏返せば人生設計と密接に結びついているからです。

30年働いて得る給与つまり「存在給」がすべてなのか、30年働いて得る能力と給与、つまり「職務給」がすべてなのか、あなたがリーダーならどちらが良いと判断しますか?あなたが部下に与えてやりたいのはどちらでしょう?職務給の場合、見合った能力がなければ得ることはできないのです。それを酷だと考えるか、能力不足のままでいることを酷だと思うのか、その有無がリーダーシップなのです。

「どっちにしたって自分が給料の額を決められるわけではない」と思っていたらとしたら大きな勘違いです。必要な職務が果たせるとどういう結果になるか想像してみてください。想像力を働かせるのがリーダーシップなのです。

リーダーシップとマネジメントは違います。マネジメントとは田を耕すようなものです。コツコツと耕す者には、目の前のことしか見えません。リーダーは木に昇り、全体を見渡し、方向を知らせる役を担っています。「お〜い、こっちだぞ」と最適な方向を知らせるのが仕事です。その知らせを聞いて田を耕す者は従います。

お分かりですか?正しい方向を示し、適切な活動をすることで、実りを多くするのです。実りが増えると配分も多くなります。これがWIN-WINであり、チームワークの場合、それはリーダーシップによってもたらされるのです。

禅の言葉に「行住坐臥」(きょうじゅうざが)があります。「行(行く)」「住(止まる)」「坐(座る)」「臥(横になる)」日常のすべての行為を表現した言葉です。いついかなる場所でも、常に自らの立ち振る舞いに気をつけることを促す言葉です。美しい心とは、美しい立ち振る舞いから生まれるものです。これこそが禅の基本、禅の心です。つまり伝えたいのは生活の基本なのです。


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