2012年11月19日月曜日

天地与我同根 万物与我一体/ブランド力は信頼関係で育まれる


禅語に「天地与我同根 万物与我一体」と言う言葉があります。「てんとわれとどうこん、ばんばつとわれいったい」此の世に存在するものは全て同根。自分と他者とは一体、そこに区別するものはない。と言う意味です。皆同じ人間、同じ心を持ったもの、そこに優劣の比較もなければ、損得もない。損得が入り込めばよい関係は創れないというものです。互いに尽くし合うことが大切というものです。

他社との差別化要因の切り札になっている自律型マネジメントの本体は、天地与我同根 万物与我一体が言わんとする信頼関係の集積に他なりません。

自分の判断でなく、マニュアルに定めてあることをただそのまま接客するのと比べて、人が自分で判断して接客していると自然な印象を受けるものです。マニュアルと接客の関係に見る成功要因を考えてみましょう。
「挨拶をして普通に会話したらできるはず。」・・・経営者なら誰でもそう思います。しかしそれを励行しようとしたら、できないので、マニュアル通りにやるしかないと判断してマニュアル全盛になりました。

マニュアルやルールにがんじがらめにされて働いている人には、任されることをうらやましく思う人がいたりします。
一方、お客さまはマニュアル通りにする姿を見て侘しさを覚えながらも、マニュアル通りに実行できている姿に畏敬の念を覚えたことも事実です。

 マニュアルと接客の関係は大別すると以下の4通りになります。
  • 【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
  • 【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる
  • 【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
  • 【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている

マニュアルレスで自分の裁量で判断できることの喜びとやりがいは大きいのですが、そこには責任が必ずついて回ります。そこを自覚できない限り、マニュアルをなくすことはできません。

マニュアルを使っても、その通りできないというのは、マネジメントが機能していないことを意味しています。他に理由はありません。
「こうしてください」と決められたマニュァルがないということは、自由ということではなく、最良の方法を考えて実行しなさいという権限委譲の精神が実行されている証明です。そこには、任せる側と任される側の信頼関係が大切ですし、何がベストであるかを判断する良心と良識が求められます。良心と良識なくして自由はありません。

マニュアルがなく、各自これが仕事だと思うことをしているので、マネジャーは苛立ち、個別に攻撃をするというのは、マネジメントを間違えています。

【パターン1】と【パターン4】の間では、結果に辿り着く道筋があるのと、ないのとの違いがあります。努力していたらどうにかなるという話ではありません。いくら努力しても、方法が間違っていたらなりません。だからマニュアルを作って導入しても、思うようになるところとならないところが出てきます。

【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる

両者には共通する点がありますが、以下のパターンには共通する点がありません。

【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている

この両者には、マネジメントできない点で、共通するものがあります。
マネジメントとは決めたことを決めた通りに実行することです。
マニュアルレスで最高の接客を実行すると決めたら、そうするように持って行くのがマネジメントです。

マニュアルがないからマネジメントがないわけではない。ですから、マネジメントする立場、される立場共にマニュアルがあり、ルールがはっきりしている方が、仕事はやりやすく楽な場合が多いのが実態です。
10円のものを売っていてもブランドは作れます。1000万円のものを売っていても作れない者には作れません。

ブランドとは生き様、仕事の仕方が商品に与えている影響の大きさと品質の確かさです。
多様な価値観が混在する集団が、そこに人を介在させてブランドを築くとは、仕事の仕方の標準化なしに実現できません。つまり働き方の共感と共有です。
それをマニュアルなしに実現するには、ひとり残らず個人のパフォーマンスを最高レベルに引き上げることでしか標準化できません

「こんなものでしょう」と途中でお茶を濁すことを認めない文化と仕組みがないとできません。だから「ブランド」とは、これが仕事だろうと各自が勝手に判断する世界とは対極にあります

これはアメリカのデパート、ノードストロームの精神に通じるものがあります。
ノードストローム(Nordstrom)は、アメリカ28州で160店舗を展開する創業1901年の老舗デパート。「ノー」と言わない顧客サービスで有名です。
ノードストロームの就業規則には「どんな状況においても自分自身の良心と良識に従って判断すること。それ以外のルールはありません」としています。
そこから見えてくることは、良心と良識への認識のバラツキの範囲が最小であることが実行力に影響していることです。個々の作業の仕方は個人の良心と良識に任せるが、良心と良識では一致していることが絶対条件になる世界。マニュアルの世界はここが反対なのです。

作業の仕方は絶対に遵守だが、個人の良心と良識は問わない。分りやすくするために、極端な言い方をすると、もともと個人の良心と良識をあてにしていないのが、マニュアルの世界です。人を信用できない、そんなことに時間を費やすのは効率的ではないとして、作業さえ間違いがなければクレームは出ないという世界です。

マニュアルレスのマネジメントは、もっとポジティブです。
クレーム防止ではなく、感動を起こす最高のものを届ける。その態度がお客さまに伝わっている限り、クレームが出る確率は低く、称賛を獲得できるという英断を背景にしています。全員が自分でよしと思うことを自分で考え行動することでチームワークを実現する仕組みです。

ファストフード、コンビニエンスストァ、スーパーマーケットの膨大なマニュアルに比べるとすごく少ない世界でありながら、逆にそれを越えるものを提供する野心に満ちた世界です。

それは野球とサッカーの違いといえます。野球は一球一打について指示を出しマネジメントするのに対し、サッカーは一度ピッチに入ってしまうとベンチからのマネジメントはほとんどできません。サッカーは、野球以上に動きの中で連携と役割分担が要求されます。
サッカーは、チームメイトとの信頼関係のみならず、サポーターとの信頼関係も大事で、サポーターもチームメイトの部分のようなスポーツです。


では信頼関係を強固にしていくうえで欠かせないスキルとは、どういうものでしょうか。

たとえば スターバックスが目線にしているスキルはどうでしょう。
  • 1)自分への信頼感を高める率直であるスキル
  • 2)すべての他者の話を傾聴する誠実であるスキル
  • 3)サポートを求め、求められる対等であるスキル

率直、誠実、対等、これらはアサーティブの4つの柱に通じるスキルです。
この三つを実現する原動力となっているのが自己責任です。
自己責任への高まりが自律できる心を創造します。

自分への信頼感を高める。これは自己肯定するスキルです。その延長に自他肯定があります。自尊感情を高めることは一般には楽なことではありませんが、ライフスキルすべてに影響する最も重要なスキルで、他の2つのスキルを高める上でもどうしても必要なスキルです。自他肯定によって、他の2つを実現する力になっています。

聞く(hear)と聴く(listen)は違います。聴くとは、コーチングでいうところの"アクティブ・リスニング(積極的傾聴)"です。聴くという字を分解すると、耳と目と心があることが分ります。
人には、雑談など、ただ話を聞いてほしい場合があります。その場合は聞くようにしてあげます。しかし、大切なこと、心を伝えたい場合には、聴いてほしいと思います。
人の話を傾聴するとは、ただ話を聴くではなく、こころを感じ取るスキルが問われています。コーチングでも重要なスキルである 相手に話しやすいようにしてあげることが、結果的に聴きやすい状態を作りますので、自分の聴く態度が問われます。
積極的な傾聴は相手の気持ちを理解するスキル、相手の立場になって物事を考えるスキルにつながります。
これによって、仕事で重要なホスピタリティのスキルを身につけることになります。
 さらに言葉の向こうにある相手の心を感じ取るには、自意識が高くては聴き取れません。自意識が高くなるのは自尊感情が低いからです。そこで自己肯定するスキルが必要になります。

アクティブ・リスニングを習慣として身に付けることで、一人ひとりのパートナーが常に相手の立場で考えるようになり、互いに支え合い助け合うと同時にパートナー同士の絆を強め、働きやすい環境をつくります。

サポートを求めるスキルは、互いに支え合うという互助の精神を含んでいますが、これが甘えでなく自立心になるのは、自分への信頼感を高める意志が機能しているからです。
裏返すと、自立しようとしないから、サポートを求める必要がなく、誰の役にも立たない自意識だけが強化され続け、自分への信頼感を弱めます。
結局、日頃から、なにを問題にしているかの違いから、どんどん自分が成長する職場と、逆に全く成長しない職場ができあがるということです。

自分の人生は自分の選択と行動で変化します。
世の中や環境のせいにして、自分にできることをしないでいたら、できることも、やがては大きな変化を起こせる可能性も全部閉じてしまうしかないのです。

自分の人生は自分の選択と行動で変化します。
世の中や環境のせいにして、自分にできることをしないでいたら、できることも、やがては大きな変化を起こせる可能性も全部閉じてしまうしかないのです。

スターバックスにしてもノードストロームにしても、店というチームは自分でよしと思うことを自分で考え行動する自律型マネジメントによって顧客を惹き付けているのです。
他社との差別化要因の切り札になっているのは、いくつかの信頼関係に他なりません。

仲間との信頼関係
お客さまとの信頼関係

それを実現しているのが
自分の信頼関係
なのです。

つまり、それは個人の問題として切り捨てるか、共同体の問題として向かい合い考えるか、人へのまなざしのあり方が最終的に利益のもっとも大きな要因になっているのです。

自律型マネジメントの本体は、天地与我同根 万物与我一体が言わんとする信頼関係の集積に他なりません。

2012年11月18日日曜日

アサーティブが必要なビジネス環境



組織では、いろんなポストにいろんな人が仕事しています。
それぞれが立場にふさわしいスキルをイメージしています。
そして、イメージとは別に現実があります。
たとえば、課長職があります。
 
トップが思う課長職があり、現実の課長がいます。
部長が思う課長職があり、現実の課長がいます。
部下が思う課長職があり、現実の課長がいます。
外部組織の思う課長職があり、現実の課長がいます。
当事者である課長が思う課長職があります。

それぞれにイメージと現実があり、そのズレがあります。
そのズレが大きいほど、共感の土台にぶれが生じます。
ぶれると、人の考えや行動がバラバラになってきます。
バラバラになるとは、それぞれがこれが仕事だろうと思うことをするようになります。空中分解状態です。
組織はチームワークなので、 こういう組織は少なくありません。
アサーティブなチームワークとは仲がいいということとは別の次元のことです。
チームワークとは、それぞれのポスト、ポジションのひとが、自分の役割を果たせることです。いくら仲が良くても、自分の役割を果たせないひとがいたら、チームワークは歪みが生じて破綻に発展することもあります。

そんな状況で、一番、悩むのは、イメージとスキルにズレを感じている当事者です。どのように、どの程度気にするかは、個人の性格によりますが、実際のスキルとは関係ありません。自分が不足していて罪悪感や劣等感を感じると悩んでしまいます。

そこでアサーティブなアプローチが必要になりますが、その前に当事者の悩み以外にどんな問題が生じるかについて考えてみます。
それぞれがこれが仕事だろうと思うことをする組織は、価値観にまとまりがないということです。こういう組織は少なくない。
たとえば多店舗展開していても価値観にまとまりがないと、店の標準が分らなくなります。それでも意欲的なマネジャーがいる場合には、個別に成功店を創ることはできます。そして実際に創ります。すると、ますます課長は混乱します。
ベンチャーというのは、成功例を体験したり掌握しているトップが、ブレーンと共に、トップダウン式に、マニュアルを浸透させながら、つまり自分の成功事例を念頭に、マニュアルを作成して、それを遵守することで、トップが体験した成功事例を再現します。何も知らない人でも、言う通りに行動すれば最高の結果を出すというのがベンチャーの常套です。
小売・流通なら成功店を基準にして、ベンチャーのように水平展開できる可能性が生まれますが、店舗レベルでのたまたまの成功であり、強いトップダウンでないために、価値観、仕事の仕方に葛藤が起こります。
結局、参考にする程度になり、状態を目標にすることまで発展せず、数値目標だけに留まり、その状況を野放しにすると、価値観はバラバラのままです。共感が起こらず、人が育たない環境に陥ります。

仕事の仕方や価値観に共感が起こらない風土は、数値目標だけに終始します。
組織のどこにも、自分の幸福感という心のフックがないと意欲はまとまりを持たず力が抜けているような感じがつきまといます。

ベンチャー型では、優秀な本部体制とチームワークの徹底が原動力です。
マニュアル型とマニュアルレスに大別できますが、マニュアル型は人材派遣など雇用形態の変化によって、働き手の意識の変化に、若年労働力の減少傾向が加わって人手不足が深刻化している現在ではマニュアル型は限界に達しています。

ここでも共感ができないために意欲は低下を免れず競争力を弱めています。
一方、マニュアルレス型に移行するには自律型マネジメント体制に移行する必要があり、そのスキルを浸透できない企業では立ち往生したり、飛躍のチャンスがあってもステップアップできない状況にあります。

そこで問題になるのが、ベンチャー型でないマニュアルレスの自律型マネジメント体制の確立です。トップダウンでない、つまり本部が全体を思う方向へ牽引できないタイプの企業。現場から生まれた成功事例を水平展開するしかない場合、その担い手になるのはスーパーバイザーの役割になります。

ところが、スーパーバイザー自身に成功体験がないと、どう落とし込んでいいのか分らないために、結果的に水平展開ができず共感を得られず挫折する可能性が一気に高まります。
この場合、着手すべきは、最初の一歩。トップとスーパーバイザーのコンセンサスを得ることから始めますが、ここからアサーティブが大きな課題になります。
説得力が問われるのです。社内に待ち受ける反対意見をクリアしていかなければならないからです。
 アグレッシブに高圧的になったり、皮肉っぽくなったり、ノンアサーティブに抑圧して控えめになったり、率直でない態度は無用な感情のこじれを引き起こします。
説得作業には書かせない、次の2つの側面があります。
・自分の率直さを引き出すようにする
・意見を伝える以前の準備として、良識のある共感できる価値観を整備する
アサーティブに、いくら率直に伝えるにしても、その内容が心に響くものえないといけません。正しいことを伝えるのだから問題ないだろうとい考えは禁物。正しくても心に響かないことはあります。目的は共感してよしやろうという気持ちを引き出すことです。それには相手の幸福を考えていない正義では、気持ちに届きません。
自分が感情的になるのは、問題ですが、ひとの心を動かすには感情に触れないと 動かせないのです。

2012年11月17日土曜日

一期一会/自律型マネジメントの4本柱




自律型マネジメントを実現するコアになっているのが、自主性ですが、自主性のコアにあるのがアサーションです。
アサーションとは、ひとことで言うなら、人を大事にすることです。
アサーションに似た言葉に、アサーティブ、アサーティブネスがあり、微妙に意味が違います。

それぞれ次のようになります。
  • 【アサーション Assertion】 遠い関係のものが近づくようにする活動
  • 【アサーティブ Assertive】自他ともに尊重する表現をする
  • 【アサーティブネス Assertiveness】自他ともに大事にされた実感の持てるWIN-WINな関係性

アサーションについては9つのアサーション権と、その集積である「責任をとる権利」でお話しました。
自他ともに尊重する表現であるアサーティブの仕組みは4つの大きな柱で成り立っています。率直であること誠実であること対等であること、そしてそれらを支える自己責任です。
この柱によって自分の居場所を形成しているといって過言ではありません。
誰しも、自分の家ではリラックスしたいものです。自分の居場所とは、ありのままの自分を肯定できる場所です。

しかし、現実の問題として、ありのままの自分を受け入れるといっても根拠もなしに受け入れる事は自分自身が許さないでしょう。そうゆえの葛藤なのですから。

人は誰しも自分は価値ある者と思いたい。そのために生きているといっても過言ではない。

人からどう思われようが関係ないといった短絡的な生き方が本当のできるかといえば、一般には不可能です。ひとは社会的な生き物だからです。
最近モラルやマナーも崩れて気ままに好き勝手なことをするひとが増えています。
しかし、これこそが自分いじめに他ならない。
マナーは他者と共存していくために自分にとって欠かせないルールです。しかし、それが自分にとって欠かせないものとは思えない。他人のためにあるものと思い込んでいる。
ここにひととひとの境界の崩壊が感じ取れますが、境界そのものが自分のための境界がどんなものであればいいのかを間違えている。
境界を遵守することは、我慢を強いられますが、我慢が自分のための貴重なスパイスだと思っていない。
これもすべて、そのはき違えた短絡さによるものです。
つまりこのような生き方には、率直さも、誠実さも、対等であることも、自己責任も見ててこない。自分の主張を社会性を失う事なく正々堂々と行うスキルを放棄して、権利の要求だけをプンプンとすねたように、皮肉っぽく行うと幼児性まるだしの恥を忘れた行いでしかないのです。果たして、それは自分を本当に幸福にできるのでしょうか?
同じような価値観をもった反社会的なミニ集団では許されても、健全な社会には通用しません。その逆恨みが、さらに間違った行動へエスカレートするほど、幸福からは遠ざかります。

また自分を過度に抑圧するひともいます。意見や主張を抑えてしまう。ひとの意見や態度を見てから、流れにそってかた発言する。だから会議や打ち合わせでは、なかなか言葉が出ない。
「君はどう思う?」よ促されても、すぐに言葉が出ない。
これも間違った態度です。
ひとには、自分が言った責任がありますが、言わなかった責任もあります。
言わなかったから責任がないというなら、放置した責任はどうなるのかと問われます。
言ったから、言わなかったからではないのです。自分はどうしたらいのか、社会人、つまり社会性のある生き物としての責任は誰にでもあります。
アサーティブは、ここであげた両者の流れと真逆の仕組みです。
率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任。4つの課題はすべてのひとに与えられている人権を尊重する意識に基づいています。
コミュニケーションは同じ価値観だから会話する、互いを尊重する。
これはコミュニケーションのありかたのひとつであっても、コミュニケーションのすべてではありません。
コミュニケーションは違う価値観、違う意見を認めることが原点です。

そのスタートが 、自分を肯定して、健全な形で、自分を主張することです。

「自分はもっと幸せになっていいのだ。同じように周囲のひとももっと幸せになってもいいのだ。 」アサーティブには、人権尊重の精神そのものがみなぎっています。
それを実現する力が率直誠実対等自己責任なのです。

そこには我慢が必要な場合もありますが、その我慢は痛みに耐える我慢ではありません。
幸福に向かうために、自ら求めるポジティブは我慢です。
一流のスポーツ選手に共通するポジティブな我慢の仕方、たとえば練習がそうです。
彼らは努力の仕方を、他のひとより体験によって多く深く知っています。
それと比較すると、時には無知に近いかも知れないけれど、求めれば身につきます。
率直であること誠実であること対等であること、そしてそれらを支える自己責任。
これらを求めることで身につけることができます。
そして会社組織なら、あるいはなんらかのグループであれば、業績より、数値結果よりも先に、率直であること、誠実であること、対等であること、そしてそれらを支える自己責任を果たす事を目標に掲げたいものです。その目標が達成すると数値目標も達成されています。

2012年11月16日金曜日

一期一会/顧客の予想を裏切るレベルの仕事




いま直面している様々な問題と向かい合うにはふたつの大きなポイントがあります。

  • 仕事をする技術的な問題。
  • 仕事をする精神的な問題。


技術的な問題は、ベンチャー企業にその代表事例を発見できます。
トップが社員に対して自分の考えた通りに「何をすべきか」、「どのようにすべきか」を逐一指示命令します。

この方法では、一人のトップのカリスマ的な求心力と個人のマネジメント力によって組織の成長も生死も決まります。
その力量が功を奏してベンチャーが次第に成長し、複数の店舗を構えてチェーン化が進むと、今度は組織の末端にまでトップの目が届かなくなり、指示命令型の統制に限界が見えてきます。

これを優れたミドルマネジメントで乗り越えるのが、ベンチャーの常套手段です。
トップと現場の接点であるミドルマネジメントは、運営の中心となる繰り返し行われる作業を標準化、単純化、専門化を徹底し、誰が行っても一定水準レベルの品質と仕事の仕上がりを実現、維持できるようにマニュアルにして整備、現場に落とし込むことで統制、トップの意思を作業レベルに反映します。

その一方では、本部で集中化するほうが効率のいいこと、つまり仕入調達、商品供給、会計処理などを本部に集中化して経営効率を徹底的に高める仕組みを創造します。
いわゆる、チェーン経営システムの王道である「3S&1C」を構築します。

3S&1Cとは、自動車王ヘンリー・フォードが提唱した「大量生産の原理」の“3Sの原則”、

  • 標準化/Standardization, 
  • 単純化/Simplification,
  • 専門化/Specialization 以上の3Sに、
  • 集中化/centralization を加えたものです。


こうしたマネジメントの特徴は、トップからボトムに向かって指示命令を中心にチームワークすることです。何をどうするのかについて、上位マネジャーから下へ伝えられ、その過程で役割別に分解します。

極端なことを言えば、店舗の末端へ届く情報は指示か命令あるいは指図のどれかということさえ考えられます。
この中央集権システムは、その合理性からチェーン経営のみならず、広く使われていて、企画ならいいけど、営業はイヤというひとが多いのも頷けます、

中央集権システムは、その精度と実行度、つまりトップの意思を反映した本部と連携した現場のマネジメント力によって競争力に決定的な差が生じます。
大きく分けて3つのマネジメントスタイルが生じます。

「なぜこれをしなければならないか」といった理由を徹底して教え、「どうすれば効果的に目的を達成できるか」と教え考えさせるマネジメントと、それらをことごとく省くマネジメント(とはいえませんが)、さらに説明不要としたマネジメントに分かれることで決定的な差が生じます。

ベンチャーの主流となったマネジメントでは、マニュアルや指示書によって与えられた任務を粛々とこなし、その結果を上長がチェックし、出来不出来を判定し、改善要求を出します。この仕事の仕方は、マネジメントサイクルであるP(Plan)→D(Do) →C(Check) → A(Action)が運営の核で、チェーンストア経営で成長している企業ではマネジメントサイクルの正常な回転に利益の秘訣がありました。

つまり、この一連のサイクルのプロセスの内、現場で考えさせることを省略しても成長するのがコストカットの意味であり、このメリットの最大化こそが低コストによる競争力と利益が最大の強みでした。
頭脳集団による中央集権体制のセンターコントロールで、可能な限りひとに考えさせない役割分担によって、大幅な時間の短縮化(コストカット)と潜在する労働力を同時に引き出しコストパフォーマンスを最大化するという頭脳と肉体を完全に切り離した方法で成長してきたのです。

これは極めて伝統的なアメリカ式合理的な発想で、野球やアメラグに通じた方法で、資本主義の典型です。
この体制と激突した場当たり体制の店、つまり頭も身体も動かさず、感情的になるばかりで、最も重要なことである「なぜこれをしなければならないか」といった理由も「どうすれば効果的に目的を達成できるか」も省いていた店はことごとく敗退してきました。すべての面で勝ち目がないのは明白でした。

小売・サービス業界では、この場当たりタイプが圧倒的に多いため、閉鎖を余儀なくされました。
マニュアル化が進まず、挫折しているケースがほとんどで、現場レベルでの改善は遅々として進ます、指図しかしていないケースも多く、生産性があがらない最大の原因になっていました。
そのため中・長期のビジョンもなく、しかも本社の事実前提による判断という決定的な過ちによって、目の前の利益を仕入れ価格に必要利益を上乗せする市場価格度外視とコストカットだけに依存する店が続出。

強いトップマネジメントで攻勢をかけ続ける店とぶつかった場合にはマーケットから撤退を余儀なくされるという運任せの経営をしてきたケースが全国で発生。経営手法の変革を促す警鐘を鳴らし続けています。
どんな業種でも勝ち抜いて来た者だけが残ったマーケットになると、そこにいる者の間の差は僅少になります。中央集権体制のマニュアル型マネジメントだけでは勝ち組になれない状態に変化してきました。

特に運良く頭も身体も動かさない店から顧客を奪って勝ってきた店は、競争力が身についていないので成長できなくなります。
センターコントロールの方法がうまくいかなくなったことから、現在は製造業からサービス業までブームのように「現場力」としきりに言うようになりました。
そこで流通サービス業にあってはベンチャーの多くがアメリカから輸入したライセンスと併せて実験していますが、求められているのは社員あるいはパートナー個々が主体性をもった自律型マネジメントによる組織形態です。

しかし、実は昔もいまもビジネスのもっとも重要な部分は、なにも変わっていないのです。それは顧客がイメージしている満足レベルを越える感動レベルの仕事をすることに尽きます。つまりマーケティングの基本原則「4P」であるプロダクト(商品)、プライス(価格)、プレイス(店舗)、プロモーション(販促)で顧客の予想を超える仕事をすることです。

これまで、満足レベル以下でも成長してきたのは、駅前VS スーパーの事例から判断できるように、中央集権体制のマニュアル型マネジメントタイプの店と比較して、対抗する店のレベルが低すぎるために、つまり、顧客にすれば、もともと選択肢がないためにマニュアル型マネジメントタイプの店を選んでいただけなのです。

しかしマーケットが淘汰されていくと、違いがはっきりしない店や運営力の弱いマニュアル型マネジメントタイプの店が脱落していく状態にあります。
その上、時代の変化、多様性が掌握できず、成長パターンがなかなか見えなくても競争力要因となる余地を持っているところは、そこを攻める。強いスーパーが仕入れ調達を支配して優位性を保ち続けているようにです。

しかし競争力要因の余地がないところほど現場力が競争要因になる。つまり本部がどうしていいのか分らないから現場の感動力への期待が高まっているのです。そこで現場力と言い出したに過ぎない。

このやり方は間違ったコーチング・スキルを使っているひとに酷似しています。
センスが悪かったり、間違った使い方をすると、客観性のない事実前提に陥る可能性が大きいのです。
本来個人の力量の影響を大きく受ける現場力を水平展開レベルに引き上げることができるのは、本部力によって育まれる偉大な副産物になった場合なのです。

もともと現場はいつの時代も真実の瞬間が起こる場所です。
どんなにコストダウンしても、現場が悪ければ顧客は離れます。
コストダウンできなくなったことから現場力アップに救いを求めているのが実情です。
ところが肝心の現場に人が来ないという悪夢のような事態に陥っている次第です。

現場力をどのようにして勝てる競争力にできるか。
ここまでが仕事をする技術的な問題ですが、もう一度おさらいしてみると、本部力を時代に適合したスキルにアップすることで現場力をアップする。

中央集権体制のマニュアル型マネジメントを基礎に、その長所と欠点を振り分け、長所がさらに効果的になるように、欠点部分を柔軟に変更する。
それが「自律型マネジメント」ですが、事実前提とした愚かなご都合主義のものであれば、混乱を深めるだけなので注意をしたいものです。

モンスター化したビッグ・チェーンストア経営では修復に膨大なエネルギーを伴いますが、中小のチェーンストア経営は、その変わり身の速さにおいて、圧倒的な優位性があるので、トップ、ミドルマネジャーが意識変革を迅速に行えば大きなチャンスになります。

・「理念→仕組み→作業」の流れは現場に落とし込んでいるか
・達成するべき数値目標と状態の目標は共有しているか
・ 働きやすい魅力的な職場環境といえるか、その工夫をしているか
・ 評価や処遇は公平でオープンを保っていて、周知されているか
・ やりがいを持たせる工夫をしているのか、
・ スキルやモチベーションを高める教育と仕掛けは実施しているのか
・ 社会的地位の向上を図っているか

もうひとつの精神的な問題は、この技術的な問題とコインの裏表になっています。

第二次世界大戦以降、勝利国として世界一豊かな国としてアメリカの発展はめざましいものがあります。
農耕民族である日本のくらしは仕事も休息も同じ屋根の下。
武家の城下町システムも同じです。

つまり仕事は生活の一部として、自分の内側に置かれていたのです。
でも、近代アメリカはそうではありません。
仕事はつらいものとして、自分の外側に置き、内側に休息と消費を置いたのです。
日本は敗戦後、豊かなアメリカを理想として、その真似してこのスタイルを追いかけました。その正体は「消費こそ自由の証明」という状態ですが、消費、内需が増える、企業が儲かる、給料が上がる、消費が増えるというスパイラルがフル回転しました。

この生活様式に警鐘を鳴らしたのが、ベトナム戦争、核爆弾の保有に反発して学園紛争と併せて起こったヒッピー・ムーベントでした。
ヒッピーというと、自由だのなんだの言って好き勝手なことをしている社会からドロップアウトした汚らしい連中という印象しかないような印象です。
極端な自由へのアプローチは、良識のある者にとって、アウトサイダーの戯れ言でしかありませんでしたが、その核心部分は共感を集めるものでした。
内側に休息と消費を置いたのは体制の仕掛けた罠だと位置づけ、このままでは、自分、環境、社会が破綻すると主張し、仕事は生活の一部として、自分の内側に置くという重要性を説き、自給自足の大切さもアピールしました。

現在、広く共感を得ている『LOHAS』といわれる生活スタイルの原型です。
ダライラマ14世の擁護が盛んなように、彼らがもっとも影響を受けたのが東洋哲学でした。彼らはヒッピーという形を通して、幸福のあり方、もっというなら生きる意味について違うアプローチを発見したのです。

しかし、70年代当時、大衆が享受している利便性や贅沢を思うと、一部の変わり者、若気の至りとしたのは当然で、長引くベトナム戦争と不況に疲弊した大衆は、消費する快感を求めました。
しかし、ITのメッカ、シリコンバレーにヒッピーの魂が宿っているように、アメリカ文化には東洋哲学が深く浸透しています。

たとえば、スターバックスの掲げる「この瞬間は一生に一度しかない。だから悔いの残らないように誠心誠意おもてなししなさい」というポリシーは禅語の「一期一会」、「喫茶去」と同じ意味です。


ヒッピーが提起した問題は、働くことが意味を為さない状態にある現在のドバイの狂乱に見受けられるように、世界に蔓延し、その不安はいま現実のものとなって、わたしたちを苦しめています。
日本では、赤字国債、政官の無駄遣い、格差などになって噴出しています。

仕事を個人生活の内側に置いて生きることそのものにするのか、外側に置いて生きるための術にするのか、それはサラリーマンだから自営業だからというレベルを超えて、ひとの幸福を追求するとき、生き方の価値観として、売り手の立場でも、生活者の立場でも。避けて通れない問題なのです。
私たちは、今後どうするのか、現状を打破する、その打ち手を探るとき、
仕事をする技術的な問題と、精神的な問題の両方からのアプローチが欠かせません。

なぜ両方から手を打たないといけないのか?
顧客の価値の多様化に対応するには、技術的な問題として対策を講じなければなりません。
フリーターなどに代表されるように、終身雇用が崩壊し人材流動化が進み、新しい価値観、やりがいを求める人が増えていることに対応するには、ふさわしい価値観が必要です。

抑圧でも迎合でもなく、共感できる価値観でないと意味をなしません。
共感したところで、一生この仕事で頑張ろうという若者は減っています。
また、生活のために我慢して仕事をする、会社の命令だからつまらないことでもじっとこらえるといった、
ちょっと前までのサラリーマンと違って、お金や安定以上に自分の夢や仕事へのやりがいを優先する意識が高まっているようです。
与えられた仕事をただ黙々とこなすだけでなく、自分らしさを追い求め、自己実現を重視し、自立した存在でありたいと願う人が増えているのです。

営業より企画、ウェイトレスよりパティシエ、そのスキルのミスマッチ云々はさておいて、意識はなれるならがんばる、ただ実際はそんなに甘くない。
この感覚のズレが、心情を読み切れず、分らなくしていますが、ステレオタイプに決めつけをしたところで人集めるうえでも、育てるうえでも役に立つことはないのでしないのが得策です。

この傾向はいま始まったばかりではなく、実は海の向こうで、ヒッピー・カルチャ-が花開いて時代に、日本では同棲をテーマにした「神田川」が流行していたことからも読み取れるように、日本では時間をかけて、その方向へ傾斜してきたのです。
つまり、この流れは流行ではなく、二極化はあっても、止まることがないといえます。

それを思う時、雇用する立場として、自社のスタッフをパートナーと位置づけ、自分らしさを追い求め、自己実現を重視し、自立した存在でありたいと願う人であるという目で見ているでしょうか。
この視線と、それに応える理念(GOAL)が重要な時代なのです。

この技術と精神がバラバラに対応するのではなく、一体化しているものでないと対策にならない理由が、さらにあります。
消費者意識が曖昧になる一方で、つかみようがないという点、精査された現場力でないと迅速に対応できないという点です。

その理由は、曖昧な消費者に対応する力を育んだところ、迅速に対応できるところ、そのどちらもできないところに分かれることから、今後、サービス力は二極化がますます進みます。
二一ズが画一的だった物不足の時代とは違って、生活者として、仕事も含んで「自分らしさ」を大切にする今、型通りの対応では顧客に満足や感動を提供することが難しくなってきました。

そこで、マニュァルで定義することのできない、その場の状況や顧客の気持ちを考えた臨機応変な対応ができるスキルを持った、自分で考えて対応できる人が求められるようになってきました。
また、現場の変化に迅速に対応するには、本部からの指示待ちをしているようでは駄目なのです。
自主的に考え迅速に行動する人材の育成の必要性が増しています。
その突破口になるのが、全社に溢れる「励ましの心」イズム。
その基礎になるのがアサーティブ。わたしもOK、あなたもOKの気持ちです。



2012年11月15日木曜日

枯木裏龍吟/目的・目標で自分を牽引する




禅語「枯木裏龍吟」・・・・「こぼくのりゅうきん」枯れ木であっても強い風に煽られると龍のような鳴き声を出すと言う意味です。つまり役に立ちそうに見える枯れ木も、強い風で、動物を震え上がらせる力を発揮します。この風の役目をしているのがリーダーシップであり、吹くという行為がコミュニケーションの力です。それによって無駄と思える人はひとりもいなくなる。全ての人が力を発揮できると考えられます。リーダーシップも、コミュニケーション力もすべての人の内側に宿っています。その力を発揮するには、自身のなかに風を吹かせる必要があります。それが目的・目標を持つことなのです。

人生とはバランスをとることではありません。幸福な成功とは、感情的に、社会的に、精神的に、知的に、財政的に、成長を続けながら、 健康に、あなたにもっともふさわしいやり方で社会とコミュニケーションを撮り続けながら、役に立つことで、なれる最高の自分になることです。なるほど、こういうとバランスをとっているように聞こえるかも知れませんが、そうではありません。ひとつのことに集中する結果、因果関係から必然でバランスがとれるということです。

バランスをとるとは、ひとつのことに集中するより、 あれもこれもやりたいと逃げ道をいくつも用意しておき、あれもこれもほどほどにやろうとする意味です。あなたが電化製品を販売しているなら、電化製品を使う人を喜ばせることに熱心になるより、 生活費を稼ぐ手段の仕事と割り切って電化製品を売ることを選ぶという意味です。なにごともほどほどにやればいいという考え方に基づくやり方で、社会とのコミットメントは他の機会に発見すればいいというやり方です。

つまり バランスをとるとは 、目標があると人生を束縛され、自由でなくなると考えている人にふさわしいやり方です。なるほどこのやり方を選べば挫折はないでしょう。但し情熱も、粘り強さも、心からやりたいことも、確固たる目標もないので、幸福な成功もありません。幸福な成功とは自分の価値観、つまり感情のニーズに合っていないとたどり着かないのです。あなたに忠実で、本心で成し遂げたいと思っていないといけないのです。でなければ緊張感から逃げ出そうとするでしょう。そうすると絶えず意識は他のことに向けられ人生を無駄に過ごしてしまいます。

磁力のある目的と目標。磁力とはあなたの価値観から生まれる本心なのです。本心がどこにあろうが儲けたらいいというのなら、あなたも周囲の人も、それを成功と認識するかも知れませんが、なれる最高の自分に遠いため、幸福にはなれません。感情のニーズを知ることが出発点なのです。

  • 成長のニーズ
  • 貢献のニーズ
  • 自由のニーズ
  • 自分様のニーズ
  • 愛のニーズ
  • 安全のニーズ

あなたが求める感情が分からないなら、何度も自問自答すればいいでしょう。それでも安全や愛のニーズに留まるなら、それでもいいでしょう。それを満たすようにしましょう。満たされたら成長や貢献のニーズに目が向くかも知れません。あるいは数値目標を達成するために、成長や貢献が必要になるかも知れません。それからでも遅くはありませんが、計画した時点で予測される問題点をピックアップして、その解決策を見当すれば、成長や貢献の必要が分かるかも知れません。成長や貢献は目的や目標であると同時に問題を解決する方法でもあるからです。つまりひとつのことに集中する結果、因果関係の必然で必要となるものでもあるからです。

リーダーシップはあればいいものではなく、なければどうにもならないものになるからです。リーダーシップは、あらゆる障害を乗り越える 究極の力になるものです。 リーダーシップは、コミュニケーションの質を改善する力で、コミュニケーションは力なのです。コミュニケーションは他者との関係で必要と思われがちですが、なにより自分の本心とアクセスする上で重要なツールなのです。

心の声を確実に聞き取り、現実に反映する力に他なりません。その手順はシンプルです。心の声を目標に置き換え、つまり磁力にして、行動すること。さらに行動が目標に近づいているのか、遠のいているのか、状況判断をして、柔軟に調整することです。つまりPDCAを回す力ですが、 心の声を確実に聞き取っていることが重要なのです。コミュニケーション力が弱いと、それができないため、行動量も行動力も乏しくなってしまいます。これを乏しくなる前に活気づけ、乏しくなると、さらに活気づけることができる力、それがリーダーシップです。


2012年11月14日水曜日

喫茶去/アサーティブな自律型マネジメント組織の特長




(文中のパートナーとは、社員、パートアルバイトなどの総称です)
トップ・マネジメントからは、理念つまり「何をどうしたい」という基本的な方針と目標を示し、それを受けて、方針の実現と目標を達成するために、ミドルマネジメントレベルとボトムのオペレーショナルレベル(現場)とが、具体的に「どうするか」について一緒に考えて取り組んでいくやり方が「自律型」マネジメントです。

階層別にどのような役割と責任を担うかを職務要件によって規定し統制する方法や、数値目標を与えて結果を評価対象とする合理性の高いシステムが、成果主義ともども広く採用されてきましたが、これには決定的な欠陥があります。

どのように合理的であっても、現実には、人は合理的な生き物でないこと、本人のライフスキルに不足があること、最後の瞬間にモチベーションが持ちこたえられない問題が起こって失敗することがあるからです。

そこでコーチングという手法を用いますが、指示と自立のバランスがうまくとれず、誘導できないこと、またコーチ側が市場の変化がつかみきれないことから、情報を仕入れるだけに終始してしまうというようなことが起こっています。

その原因は、自律という名のもとに、職務要件が徹底されていないために機能しない放任的なマネジメント。または自律という名のもとに、結果主義的な数値目標を与えるだけに終始する放任的なマネジメントになってしまうからです。

結局、なにをめざそうが、事実として「放任的なマネジメント」が存在する限り、すべては水泡に帰します。つまり、プロセスに注目しながら、プロセスによってモチベーションを高めて、自立性を育むという視点が抜け落ちているのです。

成果主義は間違っていませんが、結果のみを重視せずに、目標にたどり着けるプロセスをコントロールする成果プロセス主義でなければ、本来の目的は達成できず、結局本部→現場への押し付け、依存にしかならないのです。
自律型マネジメント以前のマニュアル型マネジメントを確立していないこと、つまり「仕事を知らない」ということ、そのため「放任的なマネジメント」しかできないことが問題なのです。

マニュアル型マネジメントといっても実態はさまざまです。マニュアル型マネジメントを模倣したけれど、マニュアルがマニュアルになっていない場合も数多くあります。実験もせずに思いつきで決めたことを、しかも一度決めたら修正しない、修正しても以前のものはそのままで撤回しない、最終的にマニュアルがあっても、放任によって、現場では、これが仕事と思うことをやっているにすぎないという間違った経験しかしていないのが大半なのです。

この最大の原因は、ビジョンや価値観をはっきりさせずに、二文字、四文字社訓のスローガンによる自己満足と数値目標だけを追いかけさせるマネジメントに終始したり、本末顛倒おかまいなしに、何でも数値目標化しょうとしたり、数値化できないものは困難を理由に、本来重要な定性的な目標設定を省いたり怠たる点にあります。

また何よりも、「在り方」「なぜその取り組みが必要なのか」といった肝心なところのコンセンサスづくりを怠ってしまうと、めざしたはずの自律型組織が、指示命令による統制も自律も中途半端な組織になるのは明白です。このような間違いを冒さないためには、自律型マネジメントをめざす理由をしっかり理解しておく必要があります。

自律型マネジメントを目指す理由は、組織に所属する一人ひとりが共通の価値観を持ち、目指すべきベクトルを一つにする点にあります。
なぜそうする必要があるのかについては、組織の立場、働く者の立場、両方の立場から、先にご説明した通りです。
また、自律型マネジメントにおいては、自ら目標を設定し、目標を達成するために、行動することを考えるだけでなく、達成にふさわしい優先順位をつけて、計画的に行動し、結果をフォローするマネジメントサイクルを回すことが不可欠です。

もしこれが回らず自己統制できない放任的な組織では、自立することは限りなく難しいといえます。
最初にこれらの点は、認識しておき、どうするのか、はっきりと意識して、決まりを決め、決まりの遵守が必要です。自分の存在価値を求めて暮らしている人々にとって、二一ズが画一的だった戦後の物不足の時代は特殊な時代です。

モノが充足されると、自分が肯定され、認められることを最上のよろこびとして暮らします。消費は、その代替として起こっているにすぎないわけですから、自分らしくないものに心が動かないのは当然なのです。自分らしさを追求するとは、他者との違いを求めることに他ならないので、多様化します。そのとき国民性を考慮することが求められます。

アメリカでは地域別に特徴がありますが、国土の狭い日本では地域というより国民性が問題です。「みんなと違う」は日本では難しく、「みんなと同じであって、みんなと同じでない」がキーワードになります。このニーズに見事に応えている事例がスターバックスであることは店頭のオペレーションを観察すると分ります。

チップ社会では当たり前のオペレーションですが、チップがないファストフードでは異例です。つまり日本のスターバックスにこそ驚きを発見するのです。スターバックスの掲げる「この瞬間は一生に一度しかない。だから悔いの残らないように誠心誠意おもてなししなさい」というポリシーは禅語の「一期一会」、「喫茶去」と同じ意味です。
お茶を滝れるというのはとてもシンプルな作業ですが、
滝れる人によって、その味が違ってきます。相手に対する気持ちやその人の人柄が、お茶を滝れるプロセスに反映されるからでしょう。このひとときが楽しいなと思っていると飲む側も、美味しく感じることもあります喫茶去とは、一生に一度しかないこの瞬間を大切にする心の在り方をつたえています。


サービスはお金と時間をかければいくらでもよくなりますが、コストアップになります。そこで最大公約数的にまとめる。それがマニュアル発想ですが、それでは、「みんなと同じであって、みんなと同じでない」に対処できませんので、顧客に満足や感動を提供ができません。

そこで浮上するのが、心情的には最大公約数、技術的には型を破るという方法です。心情的には最大公約数とは、人は誰でも大事にされたがっているので、大事にする。技術的には、型を破るので、自分の個性を出して、個々の接客技術で対処する。この2つを一体化した行動をする。これはマニュアル型と反対です。

技術的には、型をまとめるので、自分の個性を出さず、教えた通りの接客技術で対処する。心情的には、教えた通りしたらいいから、余計なことはするなというスタンスです。この転換を図るために、その場の状況や顧客の気持ちを自分で考えて臨機応変な対応ができるスキルを持った人材が求められるようになってきたのです。
ひとも集まらない状況で、どうしてそんな贅沢が言えるのだ。と反論されそうですが、そこが間違いなのです。

わたしたちは、人を面接して採用を決めます。その段階では、やれると思ったから採用した。しかし使ってみてダメだと分ったという話をよく聴きます。
果たしてそれは事実でしょうか?

完全な人などいません。しかしある時、なにかによって動機づけられ変身することがある。それを信じたとき、あきらめない、見捨てないという考えが自然に起こります。ところが、実際に仕事を進めると、事実前提に陥り、目先のことに頭がいっぱいで「励ましの心」が欠落してしまうのです。

つまり、きっとやれるを前提にした教育と目標設定、さらにマネジメントが欠落していないかという疑問です。目標達成にこだわれば、「きっとやれる」を前提にした教育とマネジメントを最大の武器として頼りにします。
そこでは「励ましの心」こそ突破口したコミュニケーションが命綱になります。その「励ましの心」が欠落するとは、コミュニケーションの不足に他ならず、不足の原因は、「きっとやれる」ではなく「きっとやれない」ネガティブ発想があることです。「きっとやれない」は、コミュニケーションの不足と必ずと言っていいほど一体になり、必ず離職率を高めます。
たとえばコーチングでは、気付かせる 学ばせるように誘導します。
指示・命令には、なぜするのか、どのようにするのかが含まれますが、指図には、なぜするのか、どのようにするのかが欠落しています。なぜするのか、どのようにするかが含まれる会話には、かならずやり方を間違うと失敗する懸念する心があります。

それを防ぐにはなぜするのか、どのようにするのかをこれでもかというくらいに念入りに伝えないと届かないという意識があります。
つまり赤という言葉は同じでも私の赤とあなたの赤を違うという言葉の限界を知っています。だから質問と傾聴が大切なのです。

その背景には、人への期待が基本にあります。
必ずやれる。ただしプロセスさえ間違わなければという条件つきです。
考え方とやり方さえ間違えなければだけど・・・という思いがある。できるという人への信頼と、ちょっとした間違いはいつでも起こるという危惧、がある。そこには、失敗から守ってやりたいという愛情があります。

結局、人が人を支えるには愛情しかないというところにたどり着きます。でもその愛情は、親分子分の支配ではありません。自立に向かわせるもので、自分がいなくてもできるようにしてやりたいという思いがある愛情です。どのようにして自分の人生を自分の手許に戻してやれるかというテーマがああります。愛情とはそういうことです。

自分がケアしてやるから大丈夫という愛情もあります。
そこには相手に対して能力と価値の値引きがあります。
きっとできるはずという思いにその持ち主も気がつかない嘘が潜んでいます。
自分がケアしてやるから大丈夫という愛情は、自分をケアできない無力なものに向けられたときに輝きを持ちます。
しかし無力でない者、たとえば非力な者に向けたときには、スポットライトは自分に向いています。コミュニケーションの不足が起きる原因はいくつかありますが、
  • コミュニケーションの意味を間違って理解している
  • コミュニケーションの仕方を間違って理解している
意味と仕方を間違えると、まったく違ったものになります。

そのため、コミュニケーションができないと判断してしまいます。
たとえば、「自分と価値観が全然違う。もう話にならない」と話す方がいます。
しかしこれこそコミュニケーションであり、コミュニケーションのスタートなのです。
しかも、若者にその傾向が強く見られます。
特に日本は世代間ギャップを強調しすぎる傾向があるために、容易に価値観が全然違う。もう話にならないを認めてしまいます。

しかし、逆の反応をするべきなのです。
自分と価値観が全然違う。もう話にならないから、話をする価値があるという発想です。
しかし若者側にも、「価値観が全然違う。もう話にならない」と思い込んでいますので、話に乗ってきません。その雰囲気をきらってマネジャーも「やっぱりムリだ」とあきらめます。

そこで大事なのが、「あなたを思う気持ち」です。
「年の差もあって、あなたのことを十分理解できないけれど、それでもあなたは私にとって大事なひとだから理解したい」という気持ちを出すことです。
実は分りにくいとは、年の差ではなく、理解を深めたい欲求と共感を示す姿勢の弱さにあります。それがないと自主的な判断に任せる運営を行うことで、顧客の多様性に対応する仕組みをつくり、今までのチェーン店とはまったく違ったシステムをつくり上げることは出来ません。

マニュアルなどにより画一的に最も無難なサービスを提供するより、より良いサービスを提供することを選ばないとオンリーワンへの歩みはできません。
意識的に、マニュアルを作らずに現場のパートナーの自主的な判断に任せる運営を行うことで、顧客の多様性に対応する仕組みをつくり、今までのチェーン店とはまったく違ったシステムをつくり上げる。

励ましの心を基軸に、個々パートナーの考えるスキルを伸ばすことを重視し、十分なスキルが身に付いた段階で権限委譲することで、パートナーに機動的な対応をさせるようにします。権限委譲には任せる側の大きなリスクを伴いますが、大きなリスクがあるから、自尊感情(自己肯定感)が高まります。自分が尊重されている、大事にされているというよろこびがモチベーションを高めます。

このときに気をつけたいのは、放任と自律型マネジメントの違いです。
「十分なスキルが身に付いた段階で」というのがポイントです。「失敗させない」という思いやりと、「できた」という満足感が一体になっていることが条件です。

つまり「自律型マネジメント」は、どうすれば凹むか、傷つくかを最大限に心配りして、進めて行きます。これがなかったために「成果主義」を導入して失敗した会社は山ほどあります。

「仏作って魂入れず」とは昔からある言葉ですが、成果主義も自律型マネジメントも表現の仕方こそ違え、根底にあるものは同じであって、どちらも形を作ったから成功するものではなく、魂の入れ方で結果も違うわけです。

魂・・・・成功の鍵を握っているには、作業のひとつひとつに魂を込めようという想いと共感です。理念もなく、価値や目的を明確にせずに、今ここの出来事にその場しのぎで対応して、その時々の都合で対応する「作業→仕組み→利益」のご都合主義の経営を「事実前提の経営」といいますが、これとは反対の行動原理「理念→仕組み→作業」が正否を握っています。

つまり、「自律型マネジメント」は、どのような組織であるべきかという価値を明確にしたうえで、共感して経営を行うことが絶対条件なのです。
それをしない限り、現在抱えている問題は、より深刻さを増すことはあっても、改善は不可能であり、それは競争力を失うことを意味しています。
「自律型マネジメント」は、最終的に顧客の前に表現されるときの穏やかさ、温かさとは、裏腹に厳しくしっかりした仕組みです。
その厳しさに自主的にかかわるひとがいるのが理解できないひとは、すべての階層に少なくないでしょう。

誤った価値観の思い込みがある限り、行動をためらい、実感する体験の機会すら自ら拒絶しているからに他なりません。
小売・サービス業界にあっては、特に気をつけたい問題があります。小売・サービス業界に圧倒的に多い「(自分たちの)事実前提の経営」こそ、改善を遅々として進ませなかった原因と断定できでしょう。

つまり自分たちの問題のある間違った行動によって導き出した「結果」を「事実」として前提において、疑うことなく運営しているのです。
自ら改善の機会を拒みながら、一方では改善を求めて、うまくいかないと嘆き続けるというのは狂気以外のなにごとでもありません。
少し客観的に観察すると、すぐ理解できることなのに、不思議にも、このスタイルはどこにもはびこっています。

ですからなにか新しいことを始めようとしたら必ず抵抗にあいます。
しかし、ニュースというように話題になるのは新しいことです。
テレビに登場するタレントは、一般社会では「奇異」と思える滅多に見かけないようなひとです。このように、世間はいままでにないもの、違うものを求めていますが、過去の結果を事実とする限り、硬直したまま化石になるしかない。

やり方を変えることなく違う結果を求める心理と行動には、人生は自分の選択とは関係のないレベルにあるという発想に立脚しています。
したがって無力な自分は状況に依存するしかないという決めつけが起こりますが、それでは如何様にも具合が悪いのか、状況への不平と不満を自分と結果を変える唯一の手段に用います。

このネガティブな発想は、現在の若者の希求とは相反するものです。伝えなければならないのは、やり方を変えれば違う結果が出る。人生は自分の選択と行動によって変わるのだということ。それを試せる場が仕事の場であることを教え、体験によって勇気を育むことができる職場。

人が集まらない、離職率が高い、人が育たない、クレームが多い・・・・「なぜ状態が悪くなっているのか」そこから見なおせば「自律型マネジメント」の必要は発見できるでしょう。

励ましの心で、下支えした「自律型マネジメント」は難易度の高く思えても、人間の心にフィットした仕組みは、かならずすべての階層を幸福にするものです。

もし難易度が高くて取り組めそうにないと思うなら、その想いの背景にある自己否定感こそが元凶であり、「人は誰でも完全でない、だからこそ励ましの心を忘れない」を旗印にして、その元凶に向かって果敢な挑戦をするのが「自律型マネジメント」なのです。

2012年11月13日火曜日

柳緑花紅/【 ライフスキル 】自己認識スキル






柳緑花紅」・・・・「やなぎみどりはなべに」読んで字の如くです。自然はありのままです。その姿こそが真実です。そこの不変不動の真理が宿っています。私たち人間も自然の子。時には花を愛でるとき、五感すべてを使って自然に触れることが大切です。たったそれだけで生きている実感を強くするでしょう。その実感にこそ「幸福」が宿っています。禅とマネジメントのめざすところは「幸福な成功」です。それには五感を鍛えるライフスキルがすべての土台です。

リーダーシップを育みマネジメント力をアップするライフスキルは、全部で10 あります。


・自己認識 スキル
・共感性 スキル
・効果的コミュニケーションスキル 
・対人関係スキル 
・意志決定スキル
・問題解決スキル 
・創造的思考 ・批判的思考 スキル
・感情対処スキル 
・ストレス対処スキル

以上が、そうですが、10をまとめると次の5つに集約されます。


1.自己認識スキル(自己認識・共感性)
2.目標設定スキル(創造的思考・批判的思考)
3.意志決定スキル(意志決定・問題解決)
4.コミュニケーションスキル (効果的コミュニケーション ・対人関係)
5.ストレスマネジメントスキル (感情対処・ストレス対処)


 この5つのライフスキルは、それぞれ補完関係にありますので、もっとも、弱いライフスキルに全体のライフスキルも引き下げられる結果になります。
なかでも自己認識スキルとは、文字通り自分を認識するスキルで、自分を知る上で欠かせないスキルですが、裏を返すと他者のことを理解するスキルにもなります。
それだけに自己認識スキルが弱いとコミュニケーションスキルも弱くなり、将棋倒し式に他のスキルも弱くなります。

 私どもに一番多く寄せられる相談は、他者とのコミュニケーションへの不安です。コミュニケーションへの不安といっても多いのが、自分を抑圧するか、逆に支配に走りすぎるか、極端に相反する態度によるトラブルや不満です。
現象は正反対ですが、どちらも自己認識スキルが不足しているために、自分と他者とは違うという現実をアサーティブ、つまり率直、誠実に、対等の立場で、自己責任をもって受け入れることができません。

この問題は「境界」の問題と絡んでいます。境界は非常にデリケートなテーマですが、重要です詳細についてはライフスキル講座で詳しく説明しています。

境界に関連した言葉に「親しき仲にも礼儀あり」「和して同ぜず」があります。境界への理解があると、より挑戦的な人生が過ごせるようになります。

自己認識スキルは、自分を知り、違いを発見するスキルです。

よく私たちが「自分のことが分からない」と言うように、知っているようでも分からな
いのが自分の考え、意識、感情です。
「自分のことは分からないが他人のことはよくわかる」とも言いますが、自分が絡んで
いない場合は客観視できるからです。

自己認識スキルは、自分を他者のように客観視できるスキルです。自分を育むうえで、
とても大切なスキルです。
自分の考え、意識、感情を、第三者のように認識できるには、言葉で語ることができることが必須になります。考えることは言葉なしに出来ないからです。言葉を使ってまとめるわけですから、日本語の語彙を十分使いこなせることが大切になります。

先にも言ったように。自分を認識できることは、裏返せば他者のこともよく分かるようになります。自分と他者が判るほど、なにかにつけ、自分と他者は違うことに気づきます。

さらに、互いの違いを否定せず、ユニークな存在として受容できると共感する力も強くなります。共感力はコミュニケーションを円滑にし、自己信頼感につながります。是非「ライフスキル講座」で「自己認識スキル」など10のスキルについての学びをお楽しみください。



2012年11月12日月曜日

柳緑花紅/ライフスキルがすべての基本



柳緑花紅」・・・・「やなぎみどりはなべに」読んで字の如くです。自然はありのままです。その姿こそが真実です。そこの不変不動の真理が宿っています。私たち人間も自然の子。時には花を愛でるとき、五感すべてを使って自然に触れることが大切です。たったそれだけで生きている実感を強くするでしょう。その実感にこそ「幸福」が宿っています。禅とマネジメントのめざすところは「幸福な成功」です。それには五感を鍛えるライフスキルはすべての土台です。ライフスキルとはなんでしょう?
チームワーク、リーダーシップ、自己実現に欠かせないライフスキルは、 世界保健機構(WHO)が日常の様々な問題や要求に対して、より建設的かつ効果的に対処するために必要不可欠な能力と定義づけた技術のことです。ライフスキルは、よりよく生きるために「どう在るべきか」「なにを、どうするのか」という選択の場面で役に立つ技術で、性格を変えようとするものではありません。

かつては、生活の知恵やコツとして、親から子へしつけというかたちを通して、地域社会や子供社会で、また年長から年少者へ世代の違った集団による遊びの中で、無意識的・体験的に伝えられていたものです。
しかし、少子化、地域社会の変質、情報化が進むなかで、世代間の乖離が進み、人間関係が希薄になり、ライフスキルスキルを学ぶ機会が極度に減少する傾向にあります。

そうしたなかにあって、私たちマートワンでは、人が幸福、安全、快適に暮らすためにいまもっとも必要とされているものは携帯電話でも、液晶テレビでもない、 ライフスキルこそが、いまもっとも必要とされていることだと信じて、その浸透に取り組んでいます。
ライフスキルの内容は10種類ありますが、これらは相互に密接に関連しており、わかりやすくするために次の5つにまとめることができます

1.自己認識スキル
2.意志決定スキル
3.コミュニケーションスキル
4.目標設定スキル
5.ストレスマネジメントスキル

自己実現を助けるライフスキルの育て方努力家で、とっても性格のいい、やさしい人が、人生の大事な場面、たとえば恋愛、仕事、試験などで失敗してしまって、「自分なんか」と思うことも少なくありません。

「自分なんか」と思う必要なありません。ライフスキルが少しだけ不足しているだけなのです。

ライフスキルとは、分りやすく言うと「生き方の技術」のこと。

自分の願望を実現したり、自分らしく生きるには、スキル(技術)がいるのです。

目的地に行くのに、クルマを利用しますが、クルマの運転技術がないとクルマがあっても運転できませんよね。それと同じです。

必要なライフスキルを身につけていないと、自分の気持ちをうまく伝えられなかったり、問題を解決できなかったり、周囲に流されてしまったりします。
つらいときにどうしていいかわからなかったりします。

努力家で、とっても性格のいい、やさしい人が、人生の大事な場面、たとえば恋愛、仕事、試験などで失敗してしまうことが少なくないのは、そういうことなのです。

これは、性格や頭のよさの問題ではありません。

そういう「生き方の技術」は、みんなどこで身につけているのでしょうか?
学校や家庭などで、学んでいくのですが、ほとんどは知らない間に無意識に学んでいます。
だから、性格や頭のよさとして片付けられてしまうので、「私なんか」というように自信喪失につながってしまいます。
原因は努力できない性格にあるんだとか、頭が良くないんだと思ってしまうからです。

でも、そうではありません。
ライフスキルの身につけ方を間違えているだけなのです。

クルマでいうなら、間違ったドライビング・テクニックで、運転しているようなものにすぎないのです。クルマの運転と同じくコツがあるのです。誰でも分る技術ですので、練習すれば身につけることもできます。

そして、コツは、いったん身につけると他のことにも応用できます。
うまくいかないときこそ、身につけてみょうと取り組むチャンス。
早ければ早いほど、後々影響力が違います。

身につけたスキルは、いったん身につけると他のことにもどんどん使えますから。
恋愛で失敗したことから、リスタートしてスキルを身につけると、仕事に役立ちます。
仕事で失敗したことから、リスタートしてスキルを身につけると、恋愛に役立ちます。
仕事、健康、恋愛・結婚、習い事やスクール、子育て、介護ケア、海外留学・移住、日常のあれこれから、エンターティンメントまで、すべての場面で役に立ちます。

ライフスキルはこどもから大人まで、すべての人に必要なスキルです。特にビジネスシーンではどのような場面でも必要とされているスキルです。

2012年11月11日日曜日

一志不退/いい会社とはどんな会社なのか





一志不退」・・・「いっしふたい
志を立てたら、決して引かない意味です。その時々の欲望や流行的な考え方、他人の価値観による意見に惑わされていたら、志を貫くことはできません。頑固になることではありません。人間は感情の動物ですが、感情に支配されてしまうと洪水に身が流されてしまうのに似た危険があります。この危険から身を守るうえで役に立つのがであり、その基礎となる価値観なのです。

どんな会社がいい会社なのか?結論から言うと、トップのやりたいことが実現できている会社が良い会社、できていない会社が悪い会社です。
リストラ、派遣切りをしている会社は、そもそもトップのやりたいことが実現できていない会社です。このような事態は想定していたプロセスにはないはず。もっとも最近では社会全般にライフスキルが未熟化する傾向にあって、弱者に甘えることをプロセスに折り込んでいる会社も少なくありませんが、正しいコミュ二ケーションができる成熟したライフスキルが浸透した会社なら、違うアプローチができます。

トップのやりたいことが実現できようにするには、どうすればいいのでしょう。トップの価値観、リーダーの価値観、所属する従業員の価値観が同じで、必要なスキルを備えていれば目的は達成されます。
原理原則から逸脱せずに、原理原則に則って行動を積み重ねていくことが基本で、目標管理ができることがリーダーに欠かせないスキルです。

リーダーはそれを実現するスペシャリストですが、スペシャリストには、トップのやりたいことを、部下を使ってチームワークで達成するスペシャリストと、部下を持たず自分ひとりで達成するスペシャリストがいます。事業所には、目的に応じて双方のスペシャリストがいます。
どちらも目的を達成するには、計画が必要ですが、ついつい原理原則から逸脱した行動によって目標管理ができない状態が生じます。
どうありたいのか、なにをするのかより、自分の感情の処理の方が優先されたりすると、業績は低迷します。特にリーダーが感情的な行動をとると影響は大きくなります。

スペシャリストが自分の感情の処理の方を優先するのは、価値観が経営トップとずれているからです。スペシャリストの価値観がずれていると、部下の価値観はさらにずれてしまいます。会社の価値観はまとまりのない歪んだものになります。
芳しくない結果の原因は、業界での競争など外的な要因よりもリーダーに問題があることが多いのです。
一般的に個人の価値観とのズレは感情的な食い違いに発展しやすく、人間関係に関する諸問題が生じ、円滑に仕事を進める上での障害にもなります。
会社や団体の目的よりも、個人間の問題に注目しがちに陥って、感情的な問題を引き起こし、その種の問題が一番大きな悩みになったりします。 それをまとめるのはリーダーの仕事です。リーダーの価値観は会社の価値観と重複する部分が多いのが一般的です。
しかし一般の一般従業員は、経験、見識、知識の乏しさも手伝って、価値観の共有部分が少ないのが一般的です。
人間はそれぞれにみんな本当の自分があります。ですから会社の価値観を個人に押しつけているだけでは、個人の能力開発は不可能です。逆に個人の価値観を認めただけでも能力開発は不可能です。
部下の価値観を優先しながら、会社の価値観と一致させるとは、会社の価値観を個人に合わせるのかと思う方がいるかも知れませんが、そうではありません。
ビジネスには顧客(ユーザ)がいます。自分の価値観だけでは成功しないことを意味しています。顧客の価値観、個人の価値観、会社の価値観は対立するものでなく互いに共有するものです。
三位一体で価値観が共有されて、一体感がうまれると、まるでご褒美のようにドラマティックな感動が三者に起こります。
それぞれに一体感がないと、感動はどこにも起こらず、会社の成長は小さく期待もできません。「共同体」に向かって感動を起こすことをいつも考えて行動を起こすようにします。

(図:重なる部分が多いほど価値観の共有が進んだ状態を表しています。)
数値目標のことしか言わない会社がやりがいを創造することは困難です。利益というものは、人間にたとえたら、息をしているようなものです。息をすることに生きがいを感じることはないでしょう?
スポーツジムで黙々と運動できるのも、より健康になりたい、やせたいという思いかあるからです。これが目的です。利益は目的を達成するための必要条件にすぎません。
売上10億円にしたい。1億個の販売を達成したいなどもそうです。これは目標ですが、これだけなら、いわゆるスローガンに成り下がります。
よく道徳的なスローガンを掲げている会社を見かけますが、物がない時代ならともかく、いまのように競争が激しい時代には、より具体的な目標がないとやりがいは発見できません。具体的な目標は価値観を共有する上で、とっても重要です。
たとえば業界でナンバーワンになりたい。地域で一番収益力のある会社にしたい。業界一に給与水準にしたい。モチベーションがあがる土台となる目標はいくらでも掲げることができます。
たいていはトップの想いが具体的に表現されたものになります。それが従業員にとっても意欲の源となる経営者やリーダーの意欲です。伝えたいことと思いがあることはコミュニケーションのスタートであり、ゴールまでのエネルギーです。
伝えたいことと思いが溢れている価値観は、それはライフスキルの成熟への欲求でありゴールになります。ライフスキルと一体化しら価値観は、他社よりも優れていると感じることができるもの、従業員に希望を与えるものが最適です。どんな厳しい状況でもそれは発表できるはずですし、するべきものです。

たとえば「ひとりでも多くのお客様にひとつでも多くの満足を提供したい」
こんなお題目で飯が食えるか、それより数字だという方もいますが、価値観は求める数値を現実にするための土台で、「ひとりでも多くのお客様にひとつでも多くの満足を提供したい」を科学的スキル(観察、調査、実験、分析、判断)を使うことで、お題目にしないのです。
IQよりもライフスキルの重要を知っているリーダーは自律性こそ力だと知っています。ライフスキルの成熟と不足の切実を知ったリーダーは感動を現実にするために、価値観にコミットメントするのです。価値観とは体験したい価値観に他なりません。
コミットメントは日本語に置き換え困難な英語ですが、もっとも近い言葉は不退転の覚悟です。コミットメントこそが、人が育ち、良質な遺伝子が育つ土壌なのです。このような感情体験をしたい、これこそが目標にすえるべきものです。トップの想いであり、共感した従業員が、獲得したい感情体験を共有し、実現する会社がいい会社であり、その進捗状況のバロメーターになるのが数値なのです。

2012年11月10日土曜日

本来無一物/子育てはマイルストーンを設定する




たとえば、 0歳~5ヶ月の期間では 生まれたばかりの乳児にとって五感から 入ってくるすべてが不安ですので、環境に慣れさせてあげることが大切です。 乳児にとって母親の保護だけが頼りの時期でスキンシップを通じて守られている安心感を感じてもらえるようにするのがとても大切です。

ところが5ヶ月~10ヶ月になると、 寝てばかりいた乳児が、ハイハイするようになり、親離れが始まります。問題はこの時期のことが、12歳~18歳の親離れの時期に影響することです。5ヶ月の幼児と12歳の子は全く違いますが、因果関係があることを知って、5ヶ月の幼児と向き合うことが大切なのです。

0歳~5ヶ月、5ヶ月~10ヶ月、10ヶ月~18ヶ月、18ヶ月~3歳、3歳~5歳、5歳~12歳、12歳~18歳というように分けるのは、その時期時期で子ども自身の目的も行動も変わってくるからです。

それは当然ですが、それぞれの時期の目的が5ヶ月~10ヶ月の時期が12歳~18歳の時期に影響するように、因果関係があることを意識して幼いときに向き合っているかどうかが大切なのです。

子どもは小さい時に投資しておくと、大きくなってから費用がかかりません。成長してくると、塾だの予備校だのと費用がかかりますが、幼い時に勉強する習慣をつけておくと、余計な勉強にともなう費用もストレスも最小限に抑えられます。ビジネスの目標管理と同じ理屈です。

3歳から5歳の頃は親を真似たがる時期です。この頃に親がテレビの前でゴロゴロしているようだと、子どももそうなります。逆に読書したり、書き物をしたりしていると子どもはそれを真似ます。習慣化しておくと、「勉強しろ」と言わなくても小中学生になった頃には勝手にしてくれます。

五感を通して入り込んだパターンに逆らってなにかするのは子どもにも苦痛です。親子ともに苦痛な時期を迎えるようになるのは、実はやるべきことをやっていなかった親のミスなのです。

目に見えない因果関係を知ってぞの時期時期に必要なことをしておく。何ごとにも通じることですね。