2012年11月14日水曜日

喫茶去/アサーティブな自律型マネジメント組織の特長




(文中のパートナーとは、社員、パートアルバイトなどの総称です)
トップ・マネジメントからは、理念つまり「何をどうしたい」という基本的な方針と目標を示し、それを受けて、方針の実現と目標を達成するために、ミドルマネジメントレベルとボトムのオペレーショナルレベル(現場)とが、具体的に「どうするか」について一緒に考えて取り組んでいくやり方が「自律型」マネジメントです。

階層別にどのような役割と責任を担うかを職務要件によって規定し統制する方法や、数値目標を与えて結果を評価対象とする合理性の高いシステムが、成果主義ともども広く採用されてきましたが、これには決定的な欠陥があります。

どのように合理的であっても、現実には、人は合理的な生き物でないこと、本人のライフスキルに不足があること、最後の瞬間にモチベーションが持ちこたえられない問題が起こって失敗することがあるからです。

そこでコーチングという手法を用いますが、指示と自立のバランスがうまくとれず、誘導できないこと、またコーチ側が市場の変化がつかみきれないことから、情報を仕入れるだけに終始してしまうというようなことが起こっています。

その原因は、自律という名のもとに、職務要件が徹底されていないために機能しない放任的なマネジメント。または自律という名のもとに、結果主義的な数値目標を与えるだけに終始する放任的なマネジメントになってしまうからです。

結局、なにをめざそうが、事実として「放任的なマネジメント」が存在する限り、すべては水泡に帰します。つまり、プロセスに注目しながら、プロセスによってモチベーションを高めて、自立性を育むという視点が抜け落ちているのです。

成果主義は間違っていませんが、結果のみを重視せずに、目標にたどり着けるプロセスをコントロールする成果プロセス主義でなければ、本来の目的は達成できず、結局本部→現場への押し付け、依存にしかならないのです。
自律型マネジメント以前のマニュアル型マネジメントを確立していないこと、つまり「仕事を知らない」ということ、そのため「放任的なマネジメント」しかできないことが問題なのです。

マニュアル型マネジメントといっても実態はさまざまです。マニュアル型マネジメントを模倣したけれど、マニュアルがマニュアルになっていない場合も数多くあります。実験もせずに思いつきで決めたことを、しかも一度決めたら修正しない、修正しても以前のものはそのままで撤回しない、最終的にマニュアルがあっても、放任によって、現場では、これが仕事と思うことをやっているにすぎないという間違った経験しかしていないのが大半なのです。

この最大の原因は、ビジョンや価値観をはっきりさせずに、二文字、四文字社訓のスローガンによる自己満足と数値目標だけを追いかけさせるマネジメントに終始したり、本末顛倒おかまいなしに、何でも数値目標化しょうとしたり、数値化できないものは困難を理由に、本来重要な定性的な目標設定を省いたり怠たる点にあります。

また何よりも、「在り方」「なぜその取り組みが必要なのか」といった肝心なところのコンセンサスづくりを怠ってしまうと、めざしたはずの自律型組織が、指示命令による統制も自律も中途半端な組織になるのは明白です。このような間違いを冒さないためには、自律型マネジメントをめざす理由をしっかり理解しておく必要があります。

自律型マネジメントを目指す理由は、組織に所属する一人ひとりが共通の価値観を持ち、目指すべきベクトルを一つにする点にあります。
なぜそうする必要があるのかについては、組織の立場、働く者の立場、両方の立場から、先にご説明した通りです。
また、自律型マネジメントにおいては、自ら目標を設定し、目標を達成するために、行動することを考えるだけでなく、達成にふさわしい優先順位をつけて、計画的に行動し、結果をフォローするマネジメントサイクルを回すことが不可欠です。

もしこれが回らず自己統制できない放任的な組織では、自立することは限りなく難しいといえます。
最初にこれらの点は、認識しておき、どうするのか、はっきりと意識して、決まりを決め、決まりの遵守が必要です。自分の存在価値を求めて暮らしている人々にとって、二一ズが画一的だった戦後の物不足の時代は特殊な時代です。

モノが充足されると、自分が肯定され、認められることを最上のよろこびとして暮らします。消費は、その代替として起こっているにすぎないわけですから、自分らしくないものに心が動かないのは当然なのです。自分らしさを追求するとは、他者との違いを求めることに他ならないので、多様化します。そのとき国民性を考慮することが求められます。

アメリカでは地域別に特徴がありますが、国土の狭い日本では地域というより国民性が問題です。「みんなと違う」は日本では難しく、「みんなと同じであって、みんなと同じでない」がキーワードになります。このニーズに見事に応えている事例がスターバックスであることは店頭のオペレーションを観察すると分ります。

チップ社会では当たり前のオペレーションですが、チップがないファストフードでは異例です。つまり日本のスターバックスにこそ驚きを発見するのです。スターバックスの掲げる「この瞬間は一生に一度しかない。だから悔いの残らないように誠心誠意おもてなししなさい」というポリシーは禅語の「一期一会」、「喫茶去」と同じ意味です。
お茶を滝れるというのはとてもシンプルな作業ですが、
滝れる人によって、その味が違ってきます。相手に対する気持ちやその人の人柄が、お茶を滝れるプロセスに反映されるからでしょう。このひとときが楽しいなと思っていると飲む側も、美味しく感じることもあります喫茶去とは、一生に一度しかないこの瞬間を大切にする心の在り方をつたえています。


サービスはお金と時間をかければいくらでもよくなりますが、コストアップになります。そこで最大公約数的にまとめる。それがマニュアル発想ですが、それでは、「みんなと同じであって、みんなと同じでない」に対処できませんので、顧客に満足や感動を提供ができません。

そこで浮上するのが、心情的には最大公約数、技術的には型を破るという方法です。心情的には最大公約数とは、人は誰でも大事にされたがっているので、大事にする。技術的には、型を破るので、自分の個性を出して、個々の接客技術で対処する。この2つを一体化した行動をする。これはマニュアル型と反対です。

技術的には、型をまとめるので、自分の個性を出さず、教えた通りの接客技術で対処する。心情的には、教えた通りしたらいいから、余計なことはするなというスタンスです。この転換を図るために、その場の状況や顧客の気持ちを自分で考えて臨機応変な対応ができるスキルを持った人材が求められるようになってきたのです。
ひとも集まらない状況で、どうしてそんな贅沢が言えるのだ。と反論されそうですが、そこが間違いなのです。

わたしたちは、人を面接して採用を決めます。その段階では、やれると思ったから採用した。しかし使ってみてダメだと分ったという話をよく聴きます。
果たしてそれは事実でしょうか?

完全な人などいません。しかしある時、なにかによって動機づけられ変身することがある。それを信じたとき、あきらめない、見捨てないという考えが自然に起こります。ところが、実際に仕事を進めると、事実前提に陥り、目先のことに頭がいっぱいで「励ましの心」が欠落してしまうのです。

つまり、きっとやれるを前提にした教育と目標設定、さらにマネジメントが欠落していないかという疑問です。目標達成にこだわれば、「きっとやれる」を前提にした教育とマネジメントを最大の武器として頼りにします。
そこでは「励ましの心」こそ突破口したコミュニケーションが命綱になります。その「励ましの心」が欠落するとは、コミュニケーションの不足に他ならず、不足の原因は、「きっとやれる」ではなく「きっとやれない」ネガティブ発想があることです。「きっとやれない」は、コミュニケーションの不足と必ずと言っていいほど一体になり、必ず離職率を高めます。
たとえばコーチングでは、気付かせる 学ばせるように誘導します。
指示・命令には、なぜするのか、どのようにするのかが含まれますが、指図には、なぜするのか、どのようにするのかが欠落しています。なぜするのか、どのようにするかが含まれる会話には、かならずやり方を間違うと失敗する懸念する心があります。

それを防ぐにはなぜするのか、どのようにするのかをこれでもかというくらいに念入りに伝えないと届かないという意識があります。
つまり赤という言葉は同じでも私の赤とあなたの赤を違うという言葉の限界を知っています。だから質問と傾聴が大切なのです。

その背景には、人への期待が基本にあります。
必ずやれる。ただしプロセスさえ間違わなければという条件つきです。
考え方とやり方さえ間違えなければだけど・・・という思いがある。できるという人への信頼と、ちょっとした間違いはいつでも起こるという危惧、がある。そこには、失敗から守ってやりたいという愛情があります。

結局、人が人を支えるには愛情しかないというところにたどり着きます。でもその愛情は、親分子分の支配ではありません。自立に向かわせるもので、自分がいなくてもできるようにしてやりたいという思いがある愛情です。どのようにして自分の人生を自分の手許に戻してやれるかというテーマがああります。愛情とはそういうことです。

自分がケアしてやるから大丈夫という愛情もあります。
そこには相手に対して能力と価値の値引きがあります。
きっとできるはずという思いにその持ち主も気がつかない嘘が潜んでいます。
自分がケアしてやるから大丈夫という愛情は、自分をケアできない無力なものに向けられたときに輝きを持ちます。
しかし無力でない者、たとえば非力な者に向けたときには、スポットライトは自分に向いています。コミュニケーションの不足が起きる原因はいくつかありますが、
  • コミュニケーションの意味を間違って理解している
  • コミュニケーションの仕方を間違って理解している
意味と仕方を間違えると、まったく違ったものになります。

そのため、コミュニケーションができないと判断してしまいます。
たとえば、「自分と価値観が全然違う。もう話にならない」と話す方がいます。
しかしこれこそコミュニケーションであり、コミュニケーションのスタートなのです。
しかも、若者にその傾向が強く見られます。
特に日本は世代間ギャップを強調しすぎる傾向があるために、容易に価値観が全然違う。もう話にならないを認めてしまいます。

しかし、逆の反応をするべきなのです。
自分と価値観が全然違う。もう話にならないから、話をする価値があるという発想です。
しかし若者側にも、「価値観が全然違う。もう話にならない」と思い込んでいますので、話に乗ってきません。その雰囲気をきらってマネジャーも「やっぱりムリだ」とあきらめます。

そこで大事なのが、「あなたを思う気持ち」です。
「年の差もあって、あなたのことを十分理解できないけれど、それでもあなたは私にとって大事なひとだから理解したい」という気持ちを出すことです。
実は分りにくいとは、年の差ではなく、理解を深めたい欲求と共感を示す姿勢の弱さにあります。それがないと自主的な判断に任せる運営を行うことで、顧客の多様性に対応する仕組みをつくり、今までのチェーン店とはまったく違ったシステムをつくり上げることは出来ません。

マニュアルなどにより画一的に最も無難なサービスを提供するより、より良いサービスを提供することを選ばないとオンリーワンへの歩みはできません。
意識的に、マニュアルを作らずに現場のパートナーの自主的な判断に任せる運営を行うことで、顧客の多様性に対応する仕組みをつくり、今までのチェーン店とはまったく違ったシステムをつくり上げる。

励ましの心を基軸に、個々パートナーの考えるスキルを伸ばすことを重視し、十分なスキルが身に付いた段階で権限委譲することで、パートナーに機動的な対応をさせるようにします。権限委譲には任せる側の大きなリスクを伴いますが、大きなリスクがあるから、自尊感情(自己肯定感)が高まります。自分が尊重されている、大事にされているというよろこびがモチベーションを高めます。

このときに気をつけたいのは、放任と自律型マネジメントの違いです。
「十分なスキルが身に付いた段階で」というのがポイントです。「失敗させない」という思いやりと、「できた」という満足感が一体になっていることが条件です。

つまり「自律型マネジメント」は、どうすれば凹むか、傷つくかを最大限に心配りして、進めて行きます。これがなかったために「成果主義」を導入して失敗した会社は山ほどあります。

「仏作って魂入れず」とは昔からある言葉ですが、成果主義も自律型マネジメントも表現の仕方こそ違え、根底にあるものは同じであって、どちらも形を作ったから成功するものではなく、魂の入れ方で結果も違うわけです。

魂・・・・成功の鍵を握っているには、作業のひとつひとつに魂を込めようという想いと共感です。理念もなく、価値や目的を明確にせずに、今ここの出来事にその場しのぎで対応して、その時々の都合で対応する「作業→仕組み→利益」のご都合主義の経営を「事実前提の経営」といいますが、これとは反対の行動原理「理念→仕組み→作業」が正否を握っています。

つまり、「自律型マネジメント」は、どのような組織であるべきかという価値を明確にしたうえで、共感して経営を行うことが絶対条件なのです。
それをしない限り、現在抱えている問題は、より深刻さを増すことはあっても、改善は不可能であり、それは競争力を失うことを意味しています。
「自律型マネジメント」は、最終的に顧客の前に表現されるときの穏やかさ、温かさとは、裏腹に厳しくしっかりした仕組みです。
その厳しさに自主的にかかわるひとがいるのが理解できないひとは、すべての階層に少なくないでしょう。

誤った価値観の思い込みがある限り、行動をためらい、実感する体験の機会すら自ら拒絶しているからに他なりません。
小売・サービス業界にあっては、特に気をつけたい問題があります。小売・サービス業界に圧倒的に多い「(自分たちの)事実前提の経営」こそ、改善を遅々として進ませなかった原因と断定できでしょう。

つまり自分たちの問題のある間違った行動によって導き出した「結果」を「事実」として前提において、疑うことなく運営しているのです。
自ら改善の機会を拒みながら、一方では改善を求めて、うまくいかないと嘆き続けるというのは狂気以外のなにごとでもありません。
少し客観的に観察すると、すぐ理解できることなのに、不思議にも、このスタイルはどこにもはびこっています。

ですからなにか新しいことを始めようとしたら必ず抵抗にあいます。
しかし、ニュースというように話題になるのは新しいことです。
テレビに登場するタレントは、一般社会では「奇異」と思える滅多に見かけないようなひとです。このように、世間はいままでにないもの、違うものを求めていますが、過去の結果を事実とする限り、硬直したまま化石になるしかない。

やり方を変えることなく違う結果を求める心理と行動には、人生は自分の選択とは関係のないレベルにあるという発想に立脚しています。
したがって無力な自分は状況に依存するしかないという決めつけが起こりますが、それでは如何様にも具合が悪いのか、状況への不平と不満を自分と結果を変える唯一の手段に用います。

このネガティブな発想は、現在の若者の希求とは相反するものです。伝えなければならないのは、やり方を変えれば違う結果が出る。人生は自分の選択と行動によって変わるのだということ。それを試せる場が仕事の場であることを教え、体験によって勇気を育むことができる職場。

人が集まらない、離職率が高い、人が育たない、クレームが多い・・・・「なぜ状態が悪くなっているのか」そこから見なおせば「自律型マネジメント」の必要は発見できるでしょう。

励ましの心で、下支えした「自律型マネジメント」は難易度の高く思えても、人間の心にフィットした仕組みは、かならずすべての階層を幸福にするものです。

もし難易度が高くて取り組めそうにないと思うなら、その想いの背景にある自己否定感こそが元凶であり、「人は誰でも完全でない、だからこそ励ましの心を忘れない」を旗印にして、その元凶に向かって果敢な挑戦をするのが「自律型マネジメント」なのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿