いま直面している様々な問題と向かい合うにはふたつの大きなポイントがあります。
- 仕事をする技術的な問題。
- 仕事をする精神的な問題。
トップが社員に対して自分の考えた通りに「何をすべきか」、「どのようにすべきか」を逐一指示命令します。
この方法では、一人のトップのカリスマ的な求心力と個人のマネジメント力によって組織の成長も生死も決まります。
その力量が功を奏してベンチャーが次第に成長し、複数の店舗を構えてチェーン化が進むと、今度は組織の末端にまでトップの目が届かなくなり、指示命令型の統制に限界が見えてきます。
これを優れたミドルマネジメントで乗り越えるのが、ベンチャーの常套手段です。
トップと現場の接点であるミドルマネジメントは、運営の中心となる繰り返し行われる作業を標準化、単純化、専門化を徹底し、誰が行っても一定水準レベルの品質と仕事の仕上がりを実現、維持できるようにマニュアルにして整備、現場に落とし込むことで統制、トップの意思を作業レベルに反映します。
いわゆる、チェーン経営システムの王道である「3S&1C」を構築します。
- 標準化/Standardization,
- 単純化/Simplification,
- 専門化/Specialization 以上の3Sに、
- 集中化/centralization を加えたものです。
極端なことを言えば、店舗の末端へ届く情報は指示か命令あるいは指図のどれかということさえ考えられます。
この中央集権システムは、その合理性からチェーン経営のみならず、広く使われていて、企画ならいいけど、営業はイヤというひとが多いのも頷けます、
大きく分けて3つのマネジメントスタイルが生じます。
ベンチャーの主流となったマネジメントでは、マニュアルや指示書によって与えられた任務を粛々とこなし、その結果を上長がチェックし、出来不出来を判定し、改善要求を出します。この仕事の仕方は、マネジメントサイクルであるP(Plan)→D(Do) →C(Check) → A(Action)が運営の核で、チェーンストア経営で成長している企業ではマネジメントサイクルの正常な回転に利益の秘訣がありました。
頭脳集団による中央集権体制のセンターコントロールで、可能な限りひとに考えさせない役割分担によって、大幅な時間の短縮化(コストカット)と潜在する労働力を同時に引き出しコストパフォーマンスを最大化するという頭脳と肉体を完全に切り離した方法で成長してきたのです。
この体制と激突した場当たり体制の店、つまり頭も身体も動かさず、感情的になるばかりで、最も重要なことである「なぜこれをしなければならないか」といった理由も「どうすれば効果的に目的を達成できるか」も省いていた店はことごとく敗退してきました。すべての面で勝ち目がないのは明白でした。
マニュアル化が進まず、挫折しているケースがほとんどで、現場レベルでの改善は遅々として進ます、指図しかしていないケースも多く、生産性があがらない最大の原因になっていました。
そのため中・長期のビジョンもなく、しかも本社の事実前提による判断という決定的な過ちによって、目の前の利益を仕入れ価格に必要利益を上乗せする市場価格度外視とコストカットだけに依存する店が続出。
どんな業種でも勝ち抜いて来た者だけが残ったマーケットになると、そこにいる者の間の差は僅少になります。中央集権体制のマニュアル型マネジメントだけでは勝ち組になれない状態に変化してきました。
センターコントロールの方法がうまくいかなくなったことから、現在は製造業からサービス業までブームのように「現場力」としきりに言うようになりました。
そこで流通サービス業にあってはベンチャーの多くがアメリカから輸入したライセンスと併せて実験していますが、求められているのは社員あるいはパートナー個々が主体性をもった自律型マネジメントによる組織形態です。
その上、時代の変化、多様性が掌握できず、成長パターンがなかなか見えなくても競争力要因となる余地を持っているところは、そこを攻める。強いスーパーが仕入れ調達を支配して優位性を保ち続けているようにです。
センスが悪かったり、間違った使い方をすると、客観性のない事実前提に陥る可能性が大きいのです。
本来個人の力量の影響を大きく受ける現場力を水平展開レベルに引き上げることができるのは、本部力によって育まれる偉大な副産物になった場合なのです。
どんなにコストダウンしても、現場が悪ければ顧客は離れます。
コストダウンできなくなったことから現場力アップに救いを求めているのが実情です。
ところが肝心の現場に人が来ないという悪夢のような事態に陥っている次第です。
ここまでが仕事をする技術的な問題ですが、もう一度おさらいしてみると、本部力を時代に適合したスキルにアップすることで現場力をアップする。
それが「自律型マネジメント」ですが、事実前提とした愚かなご都合主義のものであれば、混乱を深めるだけなので注意をしたいものです。
・「理念→仕組み→作業」の流れは現場に落とし込んでいるか
・達成するべき数値目標と状態の目標は共有しているか
・ 働きやすい魅力的な職場環境といえるか、その工夫をしているか
・ 評価や処遇は公平でオープンを保っていて、周知されているか
・ やりがいを持たせる工夫をしているのか、
・ スキルやモチベーションを高める教育と仕掛けは実施しているのか
・ 社会的地位の向上を図っているか
もうひとつの精神的な問題は、この技術的な問題とコインの裏表になっています。
農耕民族である日本のくらしは仕事も休息も同じ屋根の下。
武家の城下町システムも同じです。
でも、近代アメリカはそうではありません。
仕事はつらいものとして、自分の外側に置き、内側に休息と消費を置いたのです。
日本は敗戦後、豊かなアメリカを理想として、その真似してこのスタイルを追いかけました。その正体は「消費こそ自由の証明」という状態ですが、消費、内需が増える、企業が儲かる、給料が上がる、消費が増えるというスパイラルがフル回転しました。
ヒッピーというと、自由だのなんだの言って好き勝手なことをしている社会からドロップアウトした汚らしい連中という印象しかないような印象です。
極端な自由へのアプローチは、良識のある者にとって、アウトサイダーの戯れ言でしかありませんでしたが、その核心部分は共感を集めるものでした。
内側に休息と消費を置いたのは体制の仕掛けた罠だと位置づけ、このままでは、自分、環境、社会が破綻すると主張し、仕事は生活の一部として、自分の内側に置くという重要性を説き、自給自足の大切さもアピールしました。
ダライラマ14世の擁護が盛んなように、彼らがもっとも影響を受けたのが東洋哲学でした。彼らはヒッピーという形を通して、幸福のあり方、もっというなら生きる意味について違うアプローチを発見したのです。
しかし、ITのメッカ、シリコンバレーにヒッピーの魂が宿っているように、アメリカ文化には東洋哲学が深く浸透しています。
ヒッピーが提起した問題は、働くことが意味を為さない状態にある現在のドバイの狂乱に見受けられるように、世界に蔓延し、その不安はいま現実のものとなって、わたしたちを苦しめています。
日本では、赤字国債、政官の無駄遣い、格差などになって噴出しています。
私たちは、今後どうするのか、現状を打破する、その打ち手を探るとき、
仕事をする技術的な問題と、精神的な問題の両方からのアプローチが欠かせません。
顧客の価値の多様化に対応するには、技術的な問題として対策を講じなければなりません。
フリーターなどに代表されるように、終身雇用が崩壊し人材流動化が進み、新しい価値観、やりがいを求める人が増えていることに対応するには、ふさわしい価値観が必要です。
共感したところで、一生この仕事で頑張ろうという若者は減っています。
また、生活のために我慢して仕事をする、会社の命令だからつまらないことでもじっとこらえるといった、
ちょっと前までのサラリーマンと違って、お金や安定以上に自分の夢や仕事へのやりがいを優先する意識が高まっているようです。
与えられた仕事をただ黙々とこなすだけでなく、自分らしさを追い求め、自己実現を重視し、自立した存在でありたいと願う人が増えているのです。
この感覚のズレが、心情を読み切れず、分らなくしていますが、ステレオタイプに決めつけをしたところで人集めるうえでも、育てるうえでも役に立つことはないのでしないのが得策です。
つまり、この流れは流行ではなく、二極化はあっても、止まることがないといえます。
この視線と、それに応える理念(GOAL)が重要な時代なのです。
消費者意識が曖昧になる一方で、つかみようがないという点、精査された現場力でないと迅速に対応できないという点です。
二一ズが画一的だった物不足の時代とは違って、生活者として、仕事も含んで「自分らしさ」を大切にする今、型通りの対応では顧客に満足や感動を提供することが難しくなってきました。
また、現場の変化に迅速に対応するには、本部からの指示待ちをしているようでは駄目なのです。
自主的に考え迅速に行動する人材の育成の必要性が増しています。
その突破口になるのが、全社に溢れる「励ましの心」イズム。
その基礎になるのがアサーティブ。わたしもOK、あなたもOKの気持ちです。
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