チームワークに正しい理解を
分業つまりチームワークには、正しい理解が必要です。
これはプロ野球で考えていただくと分かりやすいと思います。たとえばショートに飛んだ打球をショートが捕れないとサードがカバーします。
それが頻繁に起こるとサードは緊張を過度に味わい疲労します。分業とは自分の守備範囲を確実にこなせることが前提であって、助け合うことではないのです。
ですから「チームワークを良くしょう」と言ったらその意味は「自分の役割は確実に果たせるようにしましょう」という意味であって、間違っても「助け合いましょう、手伝いましょう」ではないのです。これはスポーツの世界では常識です。
酷い場合には、「自分は悪くない、悪いのは他のことを担当している者だ」という言い訳に使われることが多いのが日本の分業意識なのです。
「助け合いましょう、手伝いましょう」には危険な発想が潜んでいます。
手伝うことが増えれば増える程、手伝った人は自分の仕事ができないのです。あるいは休息、自己研鑽に使える時間が減少するのです。
手伝ってもらった人は、 本人の能力不足になっている知識と経験とが上司に認識されず、必要な追加教育が行なわれなくなります。本来自分が担う役割を果たせないままになります。つまり能力不足が続く危険があります。
スポーツの世界と相通じるのは、共に結果を出すことを求められているからです。結果主義、出来高主義で勝負を決めることはできません。成果主義だから勝負を決められる能力が必要となり、必要となるから日頃からトレーニングが当たり前になっているのです。
この分業に明け暮れて来たのがアメリカの小売業の世界なのです。日本のように情緒的に頭を下げることをサービスと解釈せずに、一人ひとりが自分の役割を果たせるように取り組んできたのです。
それがエクソンモービル、シアーズを頂点にして、フォロワーとして続いたのが、GM やGE やIBM などなのです。この系譜はAppleやMicrosoftにも生きていると想像するのは容易いことです。
情緒的に良し悪しを判断していくからチームワークもリーダーシップもマネジメントも誤解され、誤解されたまま定着していき、出来るはずの能力開発が不十分なままになり、結果的にWINーWINが遠のき、WINーLOSE が起こってしまうのです。
WINーLOSEは「7つの習慣」にも書かれているようにずるさが潜んでいるのです。
チームワークに正しい理解がないまま、組織作りをすると組織は本来の能力の総和以下になるしかないのです。
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