2012年10月27日土曜日

仏様の掌/なぜ成功している人は、成功していない人が知らないことを知る事ができるのか




ここまで、先人の知恵に学び原理原則をお話してきました。
あといくつかの重要なことを残していますが、つなぎあわせると矛盾のない円が描けると思います。
どなたとお話をしても納得していただける説明ができます。まさに円相です。


「円相」は禅の極地を語った「信心銘」に出てくる一句です。「円相」組織とは何かについてお話するときに使わせていただいた言葉です。

中国・隋時代に僧燦という禅僧が「円かなること大虚に同じ。欠くることなく余ることなし」とうたいました。大虚とは、宇宙のなりたちの源です。つまり「円とは宇宙の究極の姿に似て、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している」ということです。足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している状態とは、なんと美しいではありませんか?


私は仕事柄、成功された人にたくさんお会いしています。
そんな方々を見ていると共通点が見えてきて確信するのです。
すぐにお金を稼げる人は、お金を稼げない人が知らないことをご存知です。
異性に人気のある人は、モテない人が知らない事をご存知であるということ。。
次々とビジネスを成功させる人は、そうでない人が知らないことをご存知なのです。
つまりどのような分野であれ、うまく行く人はそうでない人が知らないことを知っている。
本当にそれだけなのです。
「では、なぜ成功している人は、成功していない人が知らないことを知る事ができるのでしょう」
学歴は関係ありません。中学生の時に家出をして事業で成功した人もいました。
暮らした国がどこなのかも関係ありません。生まれた国、成功した国に因果関係もありません。
どこでどのようにして、彼らは知ったのでしょうか?
その違いを自ら引き寄せ生み出したのが、ある1つの力です。
それが成功と失敗の原理原則を認識する力です。
つまり成功のパターンを実行し、失敗のパターンを避けただけのことなのです。
「原理原則」という言葉は日常的に使っていると思います。
私がある会社で重役、管理職、全員を集めて、原理原則に基づいたマネジメントの方法を説明しました。
すると批判的な人が何人かいて、それをなだめる人が何人かいて、
「原理原則だから、しなくてはいけないと言う訳ではないんだよ」と言いました。
私は原理原則に基づいたマネジメントを実行してほしかったから説明したのですが、
その会社は、その半年後に倒産しました。


仏教の考えでは、人は皆、仏様の手の上にいるとされています
所詮は掌のなかで泳がされているだけ

そう思うと、諦めのようにに聞こえるかもしれませんが、むし逆です
思い通りにいかないことがあても、情けない自分でも、仏様の手の上で守られている。そう考えるとどんなときでも心強いものです。だから、勇をもて前に進みましょうということです。

人は皆、ひとりで生きています。しかしあなたが生きる姿は全部、仏様が見てくれているそう思えば元気が湧いてきませんかいいとろも、ダメなとろも、様は見ていてくれるそう信じて前を向くことです
無条件で自分を守てくれる存在を、原理原則と考えてみてはいかかでしょうか?
自分は原理原則という掌の中で泳がされているだけ。そうであるなら、原理原則に生きてみると決心すれば物事はスムーズに行くのではないでしょうか。


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