2012年10月29日月曜日

露/烏合の衆から目標を持ったプロ集団に変わる




不安があると適切な基準どころではなくなり、慣れ親しんだ基準で選択します。昨日のあなたも今日のあなたも同じになります。本を読んでもセミナーを受けても変われません。不安を越えるモチベーションがあれば選択の基準も変わりますが、それにはあなたがリーダーになるという強い意志が必要です。

私たちの世界にはマネジャーとワーカー。もっといえばリーダーとフォロワーがいます。リーダーが道なき道を 切り拓く人なら、フォロワーは指示待ちです。ほとんどのサラリーマンは指示待ちのワーカーです。その中からリーダーシップのある人がマネジャーになります。

リーダーとフォロワーには、見た目で決定的な違いがなく同じように見えます。違いは在り方の違いなので内面の違いです。フォロワーには在り方の違いを見抜ける人間力がありません。傾聴しないので、分からないままです。

リーダーは自分といる世界が違うと感じます。リーダーは違いが生じる違いがあることを知っていると同時に、正しいことが間違っていると考えないことが間違っていることにも気がついています。 しかし違いが分からない人に違いを教えることはとても面倒な作業です。説明する責任も、説得する責任も理由もないので、 説得しません。両者は違うステージに立ったままになります。

フォロワーは気がつかないまま、自分と同じように見えるので、ここでも2種類のフォロワーが発見できます。「なんだ大したことがない。自分と違うと思っていたけど、変わらない。何か運が良かったのだろう」くらいに考える人と、 「自分と違うと思っていたけど、変わらない。それなら自分も頑張ってあのステージまで昇ってみよう」と考える人です。前者は相変わらずフォロワーに甘んじて、なにかと人のせい、環境のせいにして暮らしていきます。後者はフォロワーから抜け出そうと頑張ります。前者は不安に支配され続けますが、後者は不安を忘れて頑張ろとします。そのまま頑張るとリーダーの域に達します。

リーダーは、いくら強制しても、本人が変わらない限り、バラダイムシフトが起こらないことを知っています。そこには人間力の限界があります。限界を突破しようとする人には両手を広げて歓迎します。自律的な人が好きだからです。 一流プレイヤーは謙虚です。人間力が高いのでオープンなコミュニケーションが弾みます。なにより自分はまだまだだと考える人には共感を覚えます。それは自分が歩んだ道を歩く人だからです。

「自分はまだまだ」には、「まだまだ自分はダメだな」と「まだまだ自分は伸びる」の 2種類あります。リーダーには同じ意味ですが、フォロワーには「まだまだ自分はダメだな」だけです。フォロワーは迷路に入り込んでしまいます。否定感が強いので抜け出せません。フォロワーは選択の基準が狂っているので、習慣が変わりません。狂っているというの不安に支配されて、不安を避けるための言動に終始するので、原理原則もどうでもよくなり、言動がバラバラになり矛盾だらけになりますが、それさえ気にしません。

これを突破するために必要なのは、組織では組織内で頻繁に使う言葉の定義、明文化です。個人には選択の基準の適正化で、それには行動が絶対条件で、トレーニングの点からも目標が必要です。しかし、目標は自分を束縛するものと考え消極的です。人のせい、環境のせいにして逃げようとします。自分を投げ込まないのです。

選択の基準が変わらないと、日々のエピソードも変わりません。選択の基準が変わらないと、選択が変わらないので、行動も同じパターンです。結果は行動の結果ですから、行動が変わらないと結果も同じです。同じ行動をして結果だけを変えたいというのは狂気です。

狂気の習慣というと少しは驚きますか?でも本当にそうなのです。同じ行動をして結果だけを変えたいというのは・・・・それを願っている人がほとんどです。同じことをくりかえして、願いが叶わないと 人のせいにするというからますます驚きなのです。

少し考えていただくと分かりますが、誰にとっても24時間しかありません。一生懸命働いて24時間働くと、生産性が頭打ちになります。もうそれ以上、働くことができません。そうなると、次にどうしますか?能力アップするしか道はありません。

能力アップするとどうなると思いますか?出会いが変わります。ステージが変わります。ステージが変わると、生産性が変わります。能力アップするには、パラダイムシフトが必要なのです。

つまり 人間力(ライフスキル)と実務スキルがアップしないとパラダイムシフトは起こらないのです。先に言ったように 人間力(ライフスキル) がアップしないと自分が透明化してしまうので、パラダイムシフトは起こらないのです。パラダイムシフトなしに能力アップはできませんが、仮にアップしたとしても、フォロワーとしてアップなら出会いは変わりません。

リーダーのステージに立たないと生産力は変わりません。生産力が変わらないのは出会う人の価値観が変わらないからです。大事なのは、生産性ではなく価値観の違いなのです。価値観が変わるから、それをバネにして自分がリーダーとして成長するから生産性がアップするのです。自分がリーダーとして成長するから出会いが変わるのです。この仕組みは組織でも個人でも同じです。リーダーとフォロワー、マネジャーとワーカーの関係です。

先に言ったように 人間力(ライフスキル) がアップしないと自分が透明化してしまうので、 自分が見えません。自分を見つめる、もうひとりの自分が必要なのです。その必要を、感じない奴は救いようがありませんが、変わることに不安な本人はそこまで理解できません。これでいいと思いながら不安だけが、強まります。ますます不安が、強化され、「あなたしか見えない」状態になる。つまり依存です。決定的にネガティブな人生シナリオは成就します。

自分の分身とは子分ではありません。対等、率直、誠実、責任。つまり日頃の自分の在り方が、そういう在り方の人を引き寄せるのです。在り方が、間違っていたら去っていきます。自分が近づけないようにしたからです。お客さまも同じです。自分の人生には、自分の能力に見合った人しか現れないのです。

だから挑戦をしてステージを変えるしかないのです。

私たちは不安に苛まれているのでみんな臆病です。だから私たちはひとつになって挑むようにするのです。それは烏合の衆という意味ではありません。目標を実現する「人間のプロ」になるのです\(^o^)/

そこでまず「私」ではなく「私たち」としての目標の設定から始めます。ここがスタート地点になります。

「露」と言う言葉は露払いでもおなじみです。禅では「ろ」と読みます。すべての心をむき出しにするという意味です。しかし「露」にして接すると摩擦が生じます、誰もが壁を作ることで摩擦を避けようとします。つまりこの壁は人間関係を良くするための知恵の壁です。

しかしそのような環境で暮らしていると自分自身を露にできないもどかしさからストレスが生じてきます。この問題を解決してくれる場所が「家族」です。愛する人同士の世界では、言葉がなくても露にしてコミュニケーションできる絆があります。このような温かい関係の場、心開ける場を大切にしたいものです。

「WE ARE」私たちという概念をしっかり認識して、心開けるチームにすることが、不安に苛まれ脚がすくんでしまう私たいに勇気を与えてくれる場にするのです。そこに杭を打ち込むように、目標を打ちこむ、まさしく露払いです。



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