「随処に主となる」とは、
「従いつつも導く」の意味です。
従いつつも(自分を変えることで)、 導く(自分の目的を達成する方向へ自在に動かす)
「従いつつも導く」の意味です。
従いつつも(自分を変えることで)、 導く(自分の目的を達成する方向へ自在に動かす)
「随処に主となる」には、どんな状況にも突破口を開く知性の尊さがこめられています。
変えようのないものを自分が主となって変える。
他者や 状況や環境を変えることはできませんが、自分を変えることはできます。
随処に主となるとは、人が幸福に暮らす知性であり、ビジネスのほとんどの場面で、その実践のチャンスがあります。
「マネジャー/管理者(責任者)」と「社員(一般従業員)」は、何が、どう違うのでしょうか?マネジャー は一般従業員のなれの果て? そう考えている人が多い会社もあります。
「マネジャー(責任者)」と「社員(一般従業員)」について、 以下のような点に注意しないと、組織が正常に機能しなくなります。特に自律型マネジメントを展開する方針なら徹底が欠かせません。
「マネジャー/管理者(責任者)」と「社員(一般従業員)」の違い
- 職務について責任を負う人が管理者(エキスパート)であり、役割を分担して目標を達成する責任者です。つまり人を使って目標を達成する人です 。
- 作業について義務を負う人が「社員(一般従業員)」です
- 管理者、社員は人間の階級わけではなく、 労働契約の種類の違いを表現しているわけです。
部下がダメだから目標が達成できないと嘆く方がいます。本当にそうでしょうか?
職務と作業の違いが理解できていないのが原因のようです。
「広辞苑」によると、職務は 仕事として担当する任務とあります。つまり目標を達成することです。作業は肉体や頭脳を働かせて仕事をすること。また、その仕事。とあります。
部下がダメだから目標が達成できないと嘆く方は、嘆くのではなく、何がダメなのかを具体的にして、その作業がこなせるように訓練する義務があります。
一般的に、人事管理上、管理者は 部長、マネジャーなどの「ポスト(職位)」で任命されていますが、ちなみに マネジャーには2種類あります。
- 部下を使って数値目標を達成する人
- 自ら作業をすることで数値目標を達成する人。
自ら作業を することで数値目標を達成する管理者の場合、ポストが曖昧な場合もありますが、これは部下を持っていないからです。
部下がいるいないにかかわらず責任を負うエキスパートとして、その役割は大きい。
- いくつかの職務をまとめた一定範囲の仕事を一つのポスト(職位)の名称で表現している場合が多い。
- ポストが先にあって数値責任が割り当てられるものではありません。(年功序列型企業の現実として、誤解を招いているケースが多いようです。)
- ポスト(職位)が作られる目的は予め定めた経営効率数値について責任をもたせるためです。
- 数値責任をクリアするために、ポストがあり、人が割り当てられるのが正しい状態です。
- 一般従業員から管理者へ本人の能力を上昇させることを、当然とするのが挑戦的な経営をする会社の「普通」といえます。
- 教育プログラムを設置し研鑽、上昇の関所として社内研修&試験による「資格制度」で計るのが公正公平で望ましい。
部下を持つ人は部下を使う、動かす、よろこびに感謝しながら、世の中に同調しながら、自分を主体的に動かし世の中をいい方向に動かしていくようにする。
すると、どんな仕事でも、ひとの役に立っていて、さらにひとを喜ばせることができることに気がつくものです。部下、共同体が一体となりダイナミックな活動が立ち上がってくる。
たとえばあなたがロ-カルの沈滞した地域で働いていたとしても、同じです。我が社がこの町の起爆剤になって、みんなを元気づけようと立ち上がることもできる。
特にロードサイドで展開しているサービス業や小売業なら、そのチャンスに恵まれています。それを自分と自分の部下にアプローチして、実行する機会が上司と部下の関係に潜んでいる。
つまり、上司と部下の関係とは「手続き」の関係なのです。そう文面だけを観ると、割り切った冷たい印象があります。その本質を間違えないようにしたいものです。
主体は自分にあるが、その先には「目的を達成する」があります。つまり目的を達成するために自分がいて、自分の周りには部下がいる。
それはできませんとは「しょう」という気がないから出る言葉です。「手続き」 は何のためにあるのか。やり遂げるためにあるのです。そこには人間の熱い血と汗が流れているのが、本来の姿です。
随処に主となる・・・
水は方円の器に従うといいます。自らが水となり、円でも四角でも、どのような形の容器であっても、無理なく容器の隅々に入り込みます。
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