2012年10月5日金曜日

萬法一如/アサーティブネスの歴史で知る矛盾のない仕事術




ある先進的な企業から、社内、社外ともWinWinの関係が作れるように、全国にいる全社員を対象に研修してほしいと依頼を受けました。

たとえば、結婚記念日で奥さんと待ち合わせをしている。そこに残業の依頼が入った。こんな時に、自分の予定を率直に伝えることができ、素直に受け入れることができる上司。このような権利を誰もが持っていて実際に履行できる関係を職場に落とし込みたい。

最先端事業を営む進取の大企業から、このような問題が職場にあり、互いがうまく好ましい関係が作れない。同じことはユーザとの間にもあり、WinWinの関係が作れていない。一刻も早く改善したい。その背景には過激な競争があり、WinWinの風土作りが欠かせないという判断から生じたものでした。

アサーティブな活動ができる会社にしたいという願いは進歩的で過激な競争を生き抜いている会社ほど強いのです。

萬法一如」・・・・「ばんぽういちにょ」WinWinの基礎 アサーティブ権でご説明した禅の言葉です。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。

矛盾のない仕事。すべての根源は同じです。人間は誰もが幸福になりたいと考えています。自分を認めてほしいと思っています。すべてはつながりを持ち、因果関係があります。因果関係に矛盾があるとストレスになり疲労し意欲はなくなります。ですからモチベーションを高める対策は、矛盾をなくすことです。

自分だけが幸福になりたいと思うと矛盾は至る所に生じます。みんなが互いのことを考えて働く仕組みでは矛盾はなくなります。問題はそうすると自分の利益が減ると考える習慣があることです。とんでもない勘違いです。その発想の根源は不安と恐怖です。不安と恐怖に支配されると人は間違いを間違いと認識できなくなってしまう弱い生き物なのです。弱い生き物がジャングルを生き抜く方法として間違った考えを採ってしまい、結果的に不安を現実にしてしまうのです。

次の言葉をどう考えますか?

魂が自分の意志を持とうとするのはまったく自然のことで、したがって生後二年の間にうまくやってしまわなければ、その後からではとても目的を達することはできない。この生後すぐの時期は、力や強制を自由に使えるという点でも大変都合のよい時期なのである。子どもたちは成長するに従い自分が赤ん坊だったころにあったことをみな忘れてしまう。であるからその時期に子どもから意志を奪ってしまえばその子どもはその後自分にも意志があったことなど決して思い出さないし、その際手厳しいやり方をしても決して後に悪影響を残したりしない。

子どもの不服従はすなわち、あなたの人絡に対する宣戦布告と同じである。あなたの息子はあなたから支配権を奪おうとしているのだから、あなたは力を持って力を制し、あなたに対する尊敬を揺るがぬものにしなければならない。そうでなければ教育などとてもできはしないのだ。息子に、あなたこそ主人なのだということを思い知らせなけれならない。

犬や猫に対する教育方針ではありません。17世紀中期のヨーロッパに於ける人間の子どもの教育方針です。17世紀ですが、止まる事なく流れるタイムラインで継承されていて、似たような考え方はいまでも散見できます。民主主義になり、数は減りましたが、その断片が大人の世界ではまだ残っていて、マネジメントの不安から抑圧が生まれています。

働いて自分がうれしい、お客様もうれしい、会社もうれしい、「萬法一如」はWin-Winの世界を表した言葉なのです。それはまさしく幸福生産性を高める基本的な教えです。

アサーティブの概念はどのようにして生まれたのか、その歴史をふりかえってみます。

アメリカ 1896年。アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下しました。

「分離すれども平等」とは、白人と黒人を分離して暮らす体裁をとっても、せ別していることにあたらないという解釈です。もちろんまやかしです。この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかったのです。

1954年には「ブラウン裁判」が行わました。「ブラウン裁判」とはカンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判です。実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれます。

全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしであった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となりますしかしこの判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレート。KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになりました。

1955 年12月、後に公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスという女性が、アラバマ州モントゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた白人男性に敢然と拒否、バス運転手の通報で駆け付けた警官に逮捕され、収監されました。

「もう我慢しない」と決めたローザ・パークスの 事件をきっかけに、当時ほとんど無名だった故キング牧師を中心とした長期間の抗議行動に発展。翌58年に米連邦最高裁が差別は憲法違反とする判断を下しました。

白人社会への黒人の対抗が強くなる一方で、1954年、黒人音楽であるゴスペルやリズム&ブルースをベースにした白人によるロックンロールが誕生します。

1956年には、アメリカ全土の若者を熱狂させました。その原動力になったのがエルヴィス・プレスリーでした。白人でありながら黒人のように歌う彼のパフォーマンスは文化を変えるに十分な威力がありました。しかしまだロックンロールを受け入れる社会ではなく、エルヴィスが歌ったクリスマスレコードをオンエアしたDJが首を切られたり、レコードが焼き尽くされたり、コンサート会場の貸し出し禁止などが相次いで起りました。

しかし若い世代はプレスリーを通じて知った自由を支持し、世の中は従来の価値観から変わりはじめていたのです。

そして、1963年8月28日、黒人の公民権運動のために「私には夢がある」と訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われます。

やがてその抗議は全米で黒人暴動という形で広がっていきました。





米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生。さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、北アイルランドで公民権運動が起こりました。

アサーティブネスは、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれました。
アサーティブネスの基本概念は人は誰でも自分らしく生きる権利があるというものです。黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものでもなく、あなたもOK、私もOKの主張です。

同じく女性もOK、男性もOKの主張です。
それは、ひとはみな、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分の考え。 感じ方を率直に表現してもいいということです。 
自分を認めることは、同時に他者も認めることなのです。

互いを尊重することを基本とするのがアサーティブネスです。このアサーティブネスの考え方を職場や教育の現場で生かそうというのが、私たちの提案です。 

自分の将来、ライフスタイル、スケジュール、人間関係を自分自身で決定する能力を持つようにする。人づきあいを深めるようにし、必要であれば他者へ援助を求めることをためらわない。

自分の権利を守るために「いや」と言いたい時は率直に言う。

相手から話しかけられるのを待つのではなく、主体的に自分から会話を始めたり、目標を設定して、達成に努力るなど、積極的に自分を表現することで、同時に他者のそれらも受容する態度を尊重するものです。
「萬法一如」「アサーティブの歴史」にモチベーションが高まり、さらに自律した組織を創る「矛盾のない仕事術」のヒントがあります。

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