無尽蔵とは、尽さざる一切のものを蔵していることの意味です。
計画は頭の痛いことであるけれど、観察と実験を基礎にして、あきらめずに「どうすればできるか」を繰り返せば、その知恵は自分の内から湧き出てくるものです。無尽蔵である能力に結果主義でフタをして能力を枯渇させる仕組みがある限りチームは成長しません。
結果主義は、達成率で評価するもので学校の試験とよく似ています。
結果主義は、達成率で評価するもので学校の試験とよく似ています。
一方、成果プロセス主義は100%に到達したか、しなかったかの評価です。
これだけでは、あまり違いがないと感じる方も少なくないと思いますが、成果プロセス主義と結果主義の違いは、実は似ても似つかない世界なのです。会社内の考え方、行動のすべてで、驚くほど違いが生じてきます。
たとえば運送屋さんにたとえると・・・
大阪から名古屋までの引越しサービスを依頼したら、新しい転居先である名古屋まで運んでくれます。まず途中で荷物を放って帰ることはありません。
いってみればこれが成果主義です。必ず任務を達成するのが成果主義です。
近くまで行って「終了時間なのでここまでです」と途中で放って帰るようなことをするのが、結果主義です。
つまり主体性が「目標達成」にあるのと、「自分の都合」にある違いがあります。
その違いは目標達成のプロセスのすべての部分で起こります。必ず達成するには、達成する方法を練る必要があります。しかも、ただ練るだけでなく、その方法は実現できるかどうかも検討します。できないことを計画しても無意味だからです。成果主義での正しい計画は必ず"実行可能なこと"を計画します。そして計画通りに実行します。計画通りに実行するが一番大変なわけでが、正しい計画なので確実な方法です。
ところが、そうでない会社やチームが多いのです。目標はあるけれど、どうしていいのか分らない会社が多い。可能性の高い計画が立案できないのです。計画が曖昧だから、計画通りに実行してもしなくてもどうでもいいみたいな会社が多い。こういう会社では働き方が真面目かどうかが評価基準になります。具体性がないのでコメントも「感情的な表現」が中心になりますが、肝心なことを具体的にどうするのか、いくら聞いても分らない。これで会議したらどうなるか、結果は明らかです。
本当なら計画があって、その通りに実行しょうとしたら、達成できないといけません。それが理想で現実は違うのが世の常だとしても「どうせ出来ないから計画はデタラメ」からは何も生まれませんが、計画通りに実行して問題が生じることは改善の糸口になります。問題点を発見することが計画力を高めていきます。学習体験がキャリアになります。
計画通りに実行することは、実行するスタッフに実行できる能力が有るのか無いのか確認が必要です。できない場合にはできるようにトレーニングします。あるいはできる者が担当します。これをするから人が成長します。
感情的な表現で具体的な問題を放置したままでは、滅私奉公式にやる気があるように見せておけば大丈夫だと意識させる結果になります。計画通りに実行しない会社(チーム)では人は育ちません。育たない仕組みがあり、育たない仕組みが機能しているからです。
そもそも計画を立案するときに、実行能力は確認しておくべき重要なテーマです。これをしていないから結果主義になってしまい、やる気を高めることもできないのです。進歩のきっかけがないので、いつまでも状況は変わらず全体のモチベーションは低いままです。目標は悪い現実に合わせざるを得なくなり、モチベーションの高い人材は減る一方になります。
会社は発展していかないと、従業員の期待にも応えることができないので、発展をめざしますが空回りします。結果、誰も本当の原因がどこにあるのか分らないまま、競合他社の実績と比較して結果を嘆くことになります。不信と対立の原因になり楽しく仕事ができない環境が作られます。仕事ができない環境が醸し出すやる気のなさを嘆いても原因はやる気ではなく、仕組みにあり、問題は仕組みを改善しない方が都合がいいように感じている人の在り方にあります。仕組みを改善の着手すると能力不足が露呈すると感じる人がいるからです。
結局、必ずスタッフの能力不足が問題になり、現状の力を向上させなければならない場面に遭遇します。楽しくない社内には重い空気が沈殿し否定感が日常化します。否定感が日常化するほど結果主義が続きます。
成果プロセス主義のいい点は具体的な方法と遂行能力、つまりプロセスの追求が中心です。「期間内に出来るまでやり続ける」が核になる思想なので、ハードなように感じますが、罪を憎んで人を憎ますが風土になります。本当は成果主義の方が人に優しいのです。どうしていいのか分からないためにストレスが続くより、これさえすればやれるストレスの方が心理的には楽なのです。
日本の成果主義が次々と失敗したのは、やる気のある言葉さえ使っていたら、まあまあ通用した世界に、結果を出せと迫ったために、どうしていいのか分からないを解決しないまま、導入したからです。
成果プロセス主義では100%達成しなければならないので、そこで必ず教育・訓練が必要になり、人が育つ機会が生まれます。
教える側も教えれる側も成長しなければ、100%の達成ができないからす。その試練が目標達成の力の源泉になります。
人が育つと、新しい店舗を増やしても、成功させる可能性が高まります。店舗を運営している場合には多店舗展開が可能になります。これこそが、働く人を幸福にする入口なのです。
ノルマを成果主義と呼んで、何も教えず叱咤激励しているのは、壊れた考え方で、そんなものは成果主義ではありません。一方の結果主義も、「がんばりましたけれど、ここまででした」で通ってしまう世界ですから、目標に現状を合わせる必要がありません。現状に目標を合わせてしまえる世界ですから、人の育成はしなくても通用してしまいます。ギャップこそが成長の根拠です。
ギャップを避けると、知らず知らずの間に経営の危機が生まれてしまうのです。ところがギャップに注目されると自分の非が指摘されるように感じる方が多いのも事実です。
成果プロセス主義は目標に現状を合わせるために、能力不足を放置できないので、人が成長します。
結果主義は、能力の不足を放置しますので、人が成長しません。この違いが、チェーン展開の場合には、はっきり出ます。成果主義は店を増やすことが可能になりますが、結果主義では様々な角度から見ても店は増やせないのです。
特に現代では、多店舗展開をしている会社は「成果プロセス主義」を貫かないと破綻してしまいます。では、どうすれば「成果プロセス主義」で、運営することが出来るのでしょうか?
結果主義をとる場合の理由はひとつです。まだ、マネジャーが成果主義で取り組みだけの技術を持っていない場合です。つまり一時的な過渡期の対策として教育期間として限定的に結果主義を採択します。
しかし、慢性的に結果主義でしか運営できないとなれば、社内のシステムに明らかな欠陥があることを意味しています。その欠陥とは、計画が立てられないにつきます。
ではなぜ、計画が立てられないのでしょうか?
計画のヒアリングに必要な時間をとっていないからです。計画に対する認識がズレているのです。
くり返しますが100%達成できないのは、計画が正しくないからです。正しくない計画で走らせてしまうことが達成できない原因です。
これなら達成できるという計画が提出されない限り計画を受け取ってはいけないのですが、ヒアリングや策定の時間をあてていないために、無計画に近い根拠のない計画を受け取ってしまっているのです。結局、計画から離れた実績を見ることになりますが、すべて終わった後なので、反省するに留まります。
これこそが問題ですが、いくら反省しても、次の計画に生かされないために、反省が反省になりません。
先にもあげたようにこんなことを続けている限り、成果主義での運営ができませんので、人が成長しません。人が成長しないから、結果主義でいくしかないという悪循環が断ち切れなくなります。ますます人は育たず先細りになるばかりなのです。
この原因のためにどうあがいても成長軌道に乗らないばかりか、衰退の一途を辿る会社が少なくありません。その破綻は退社による人手不足から始まります。
無意識であれ、結果主義の発想をしている人には、計画の策定に共通した欠点があります。たとえば計画を立てるときに、過去の実績を参考にたてます。このときにお客様からの依頼のあった商品や、偶然性の高い商品まで計画に組み込みます。
一見現実的なようですが、実はまったく馬鹿げた発想です。なぜなら偶発的なものを計画に組み込んでも、自発的な行動では、意識の外になるからです。
たとえば小売業では、商品点数を増やすことで、1 商品当りの販売目標を少なくすることをします。少なくすることで、実現可能な気になっていますが、実際の行動段階では多くの商品を意識していませんので、販売活動が起こりません。
その上、重点商品とした商品も数を少なくしていますので、これくらいなら売れるだろうという、いい加減さなのです。おかげで、教育・訓練を避けることができます。つまり、「何もしなくても達成できるはず」という無謀な計画なのです。
せいぜい、売れる根拠もないテキトーなセールストークをテキトーに通知する程度です。達成できないのが当然のやり方をしているから、達成できないのです。
これを断ち切るには、計画を事前に聴く事です。
聴いたときに実現可能かどうかの判断をすることが、始まりなのです。
実現可能でない計画は却下すべきです。受理している限りマネジャーの成長も、マネジャーに預けた人材の成長もありません。
どの商品に対しても、努力を必要としない過去の実績に毛のはえた程度の目標には、人が自信を深め成長する機会を阻害するばかりで、成果主義にいつまでも取り組もうとしない態度が見えます。
成果プロセス主義は、100%達成が当然ですから、どうすれば達成できるのかを考え行動します。そうでないと100%の達成があり得ないからです。
たとえばある販売会社で、セールストークを用意したとします。数値目標が高いほど、セールストークを活用する場面が増えます。そうしないと達成できないからです。そこで反復が起こります。反復こそ最強の訓練なのです。OJT です。
しかもその反復する内容が、計画段階で練りに練ったものなら精度も高いので、ヒット率も高いはずです。そこで起こることは「また売れた」という実感を味わう機会が増えます。すると面白くて楽しくなるので、より自信を持って、反復が繰り返されます。ますます自信が深まります。さらなる反復は反復は単純化され、その効果はさらに高まります。実行が楽なので反復が数多く実行されます。単純化された作業は実行しやすいのです。
これによって専門化が進みます。繰り返されるそれは、やがて特殊な才能に進展します。特殊化が進むと競走上の圧倒的優位になります。マクドナルドやスターバックスは、その優れた事例です。
売上、収益を増やすために、商品群を増やす場合がありますが、それだけでは反復は起こりません。単純化され、身体で記憶しないたまにするような作業がいくら増えても、決して競争相手の優位に立てないのです。記憶しなくていい計画を作った結果です。
毎日毎日同じことを反復している会社や店 と、記憶すらない会社や店とでは、実績が同じであるはずがありません。成果プロセス主義と結果主義は、こうして見事に定着するのです。それは勝手にそうなったのではなく、いずれの場合も、従事する人たちが、総力挙げて、そのようした結果なのです。
あれを少し、これを少しというような、反復が起こらない販売計画では、このようなことになりません。おかげで、スタッフはどの商品に対しても自信が深まりません。その証拠に、当然ですが目標達成率が低い会社や店 ほど人が育っていません。
目標を達成している会社や店は反対の現象が起こっています。反復を重ねることで、コツを身体でつかむレベルに達します。達成感を味わう機会も増え、意欲が高まる機会が増えます。意欲が高まるとさらに反復が起こりますので、さらにいい結果が生まれ、好循環が起こります。
反復が生じるのは、それが20:80の原則でいう重要な20%のことだからです。
このような状態はどこで生まれるのでしょうか?
計画が作り出すのです。
努力を必要としない過去の実績に毛のはえた程度の目標には、人が自信を深め成長する機会を阻害するばかりで、成果主義にいつまでも取り組もうとしない態度が見えます。
成果プロセス主義は、100%達成が当然ですから、どうすれば達成できるのかを考え行動します。そうでないと100%の達成があり得ないからです。結果主義には、会社も人も破壊する危険が満ちています。一見ハードに思える成果プロセス主義こそ、科学に裏づけされた、人間に対して、やさしい方法なのです。
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