2013年1月31日木曜日

チームワークの本質は数値責任制


チェーンストア経営システムはチームワークで仕事を進めます。チームワークとは役割分担のことで、大きく分けてスペシャリストとワーカーに分かれます。

スペシャリストとは、専門職という解釈があるかも知れませんが、正しくは分業システムに於ける数値責任担当者の意味です。


スペシャリストに対してスペシャリストでない人をワーカーと呼ぶますがワーカーも分業
者です。しかし、それは作業の分業者のことで、職務上の分業者はスペシャリストだけです。つまり職務について責任を負う人がスペシャリスト、作業についての義務を負う人がワーカーであって責任と義務の範囲が全く違うのです。

分かりやすく説明すると、たとえば外食チェーン店で、売り上げや収益という数値に対する責任を負うのが店長であり、顧客に食事を提供する作業の義務を果たすのがワーカーであるウエイター、ウェイトレスというわけです。ワーカーとは一般の従業者というだけの意味であって、決して蔑称ではないので誤解しないようにしてください。

さてこの数値に対する責任の負い方が、数値責任制です。数値とは、経営効率上の目標の数字のことです。 スペシャリストが実際に人事管理上任命される場合は、職位でポジションに就きます。ストア・マネジャーとか、担当マーチャンダイザーとかがその実例です。

そこで問題になるのはこの職位、つまりポジションをつくる目的、すなわち職責です。これまでのような(昭和的な)年功序列方式だと、ある人物を待遇するために職位ができるのが通例のようです。したがって職責は、年功への報奨としての待遇になってしまいます。

しかしこれは随分おかしな話で、これだと職責は名誉職になってしまいます。これに対して本来のチェーンストア経営システムでは、特定の経営効率数値について責任をもたせるために職位がつくられるのです。つまり順番が逆なのであって、数値責任を負うために職位があるのです。

さらに、このシステムでは、経営効率についてあるべき形がまずプランニングされているということ。二つめに、スペシャリストの能力を持った人々が多数出揃ってこないとうまくいかない、ということです。つまり数値責任制の本質は、プランニングにあります。
そこでチェーンの組織対策の決め手は、数値責任を負うことのできるスペシャリストを多数育成確保することが正否を分ける重大な関心事になるというわけです。企業が成長するためには、一過性の営業成績よりもこちらのほうが大事であることは明白なのです。

なぜチェーンストア志向企業が、マン・パワーの育成と科学的な思考を何よりも重大視する理由が、ここにあります。そしてもうひとつの重大な課題がチームワーク(分業)が前提ということです。





マネジメントと アドミニストレーション





マンパワーの生涯設計で身につける重要なスキルがマネジメントと アドミニストレーションです。

スペシャリストが取り組む技術の総称が、マネジメントです。マネジメントの意味は「管理」と翻訳されていますが、このためマネジメントの本質を見誤り、誤解が起こる原因になっています。

マネジメントとは、正しく言えば数値責任を果たすことです。

マネジメントとは、目標数値を何が何でも確保するための、あらゆる努力を意味しています。言い換えると、目標数値を獲得するためにシステムを作れる、あるいは修正できるということです。

システムが作れるとは、その人物が担当していなくても、ひとりでにそうなってしまうという決まりを決める、あるいは決まりを改訂することによって確保できると言う意味です。

だから「おれが担当していたときにはうまくいったけれども、おれがやめてからはダメになった」という言い方は、この場合、マネジメント能力がなかったというふうにしか解釈されません。それを知らずに過去はどうだったと吹聴する人がいますが、分かっている人にしたら、「自分の能力不足を宣伝して歩いている」としか映らないのです。

マネジメントと併せて誤解されやすい言葉が アドミニストレーション (administration)です。 一般の株式会社では取締役と、その直接の補佐役であるスタッフに必要な技術です。5年後あるいは10年後にどうなるかを想定しながら判断のできる改善策と改革案がつくれること、第二に会社全体としての効果が予測できること、さらに重大な意思決定のできることの3つを含んでいる戦略立案技術のことです。

マネジメントが直近の数値目標を達成する技術。一方 アドミニストレーションは将来への対策ができるということなのです。

この2つを身につけた状態で50歳代を迎えることが、マンパワーの生涯設計で重要なのです。

尚、最近ではドミニストレーションのことを社会福祉援助を合理的、効率的に進めるための方法。と解釈されているようですが、介護事業に限定したことではありません。



2013年1月30日水曜日

マンパワーの生涯設計



教育主義と法人中心主義に徹するのが、チェーンストア志向企業だけの特色です。教育主義の代表事例が40歳前後を人生の区切りとしたマンパワーの生涯設計なのです。

マンパワーの生涯設計とは、40歳前後を人生の区切りにして、それまでを準備期として、40歳前後で技術のあるスペシャリストとなり、後半の20年間、つまり60歳まではその技術で世の中に尽くし、生きがいとやりがいと、それ相当の報酬と社会的地位をもっという構想です。

言い換えれば、高校を出て職場生活に入ると18歳、大学卒なら22歳。つまり、20歳前後までは肉体と基礎的理解力を学ぶ準備期間になります。そのあと約20年間のビジネススキルの教育期聞を経て、ようやく一人前のビジネス技術者になります。この20年間は、大別して二つに分かれ、前半の20歳代で現場作業をマスターする。基本理論も学びますが、それは理屈としてではなくて、理論と体験の融合したものを心身を使い動かしながら習得するのです。つまり実務を科学的論理と数字として理解するわけです。

会社によりますが、この時期マスターすべき現場作業は、一般に約200種類程度はあるものです。そうすると普通の人なら一年間に正しくマスターできる範囲は、せいぜい25種類程度なので200種類なら8年間かかる勘定、優秀な人でも6年間かかります。すると、新卒として入社してからの8年間ほどは、その人の人生にとって大切な研修期間にあたるのです。つまり20歳代をどこで何をして修業して過ごしたかが、一生の問題として注目され続ける結果になります。その人を語る上で欠かせない履歴書になるのです。

この貴重な期間を体系化することもなく、ダラダラと指示と言う名の依存を上司から受けて育つことを教育と呼んでいる会社もありますが、このような環境で育った者は当たり前のことながら、雑学を知識として体験を重ねるばかりなので、社会的にチグハグな素質、教養、知識、経験、リーダーシップ、意欲を身につけてしまい、生涯設計と呼ぶにはあまりにお粗末なスキルにしてしまう危険があるのです。この危険は起業した場合にも起こりえます。

このような危険を未然に防ぐために、マンパワーの生涯設計が重要です。現実には人手不足で、それどころでないという環境もありますが、これが事実前提の経営の危険なのです。つまり事実前提の経営に終始するために、スペシャリスト不足から生じる 人手不足が止まらなくなり負のスパイラルが続いてしまうのです。


転勤することも少なく現場経験が乏しいまま、実力もないまま管理職になり、作業を知らないで部下を多数かかえてしまうと、その後の一生が台なしになってしまうのです。これは、チェーン化の準備段階にある会社では、しばしば起こっていることで、会社側のご都合主義によるものだ。結局は教育システムと組織計画の失敗であって、「出世が早くてよい」ことと受けとめるようでは、とんでもないことなのです。



マンパワーの生涯設計に欠かせない6つのビジネス能力



日本の企業経営ではしばしば、「適性配置」とスローガンを唱えながら、客観的または科学的な根拠がないままに、上司の主観や印象で向き・不向きを決めているケースが多いのですが、これは改革すべき課題です。

まずチェーンストアをめざす上で、必要なマンパワーは、スペシャリストとワーカーに大別されます。その両方の人々がすべて生涯勤務をするわけではありませんが、出店と成長が最適なスパイラルで継続されなければチェーンストア展開は挫折します。健全なチェーンストアをめざす経営システムにあっては、企業の成長と従業員の幸福な生涯設計の両面から逆算すれば人間のビジネス能力の要素を、次の6通りだと考えるのが妥当です。
素質、教養、知識、経験、リーダーシップ、意欲

1)素質
いわゆる適性のことで、生まれつきの、向き・不向きのことです。適性とは優劣ではなくて、この面では能力を高めやすく、別のこの面ではしにくいという区別のことであって 知能指数や偏差値のことではありません。

2)教養
教養とはエチケットのことではありません。未知の分野に挑戦できる基礎的な理解力のことです。学力は関係がありますが、学歴は無関係です。「教養がない」というのは、難問を避けたがるとき、あるいはそのことに臆病な気配を示した際、と思ってほしいのです。

3)知識
これは、ビジネス社会では技術力の基礎条件です。学校生活で学んだはずの知識は、そうした技術上の知識を習得するための準備知識のことであって、断じて本体ではありません。ですから「自分は満たしている」と思うことなく、日常的に「まだまだ」と否定を重ねて、年ごと月ごとに技術知識を生涯かけて学び続けるものであることを意味しています。

4)経験
体験が能力に結びついたとき、経験となります。「感」が「勘」になることです。体験しても能力に結びつかない人が沢山いますが、その原因はこれが仕事だろうと自分なりに解釈しているからです。体験を能力に結びつけて経験にするためには、次のことが重要です。

①完全に、現在の職務(命令で要求されている仕事の種類)と作業とをマスターすること。「マスターする」とは、みずから完全にルールどおりに実行でき、さらにただちに採用される改善策が出せるようになる、という意味です。記憶したとか、ひととおりできるということではありません。
②どんどん配置転換を受けて、多種類の職務と作業とをマスターすること。
この、二つの条件で進歩します。このため、現在の職場における職務と作業を個人的な好き嫌いで対応したり、配転を嫌うのでは、みずからの能力の向上を否定していることになるので注意しましょう。

チェーンストア経営の慣習では、職位配転は一年半~2年が最適です。すなわち18ヶ月~24ヶ月単位です。当然に、転勤は能力向上のために不可欠な教育対策と考えられています。

5)リーダーシップ
本当のところ、リーダーシップが正しく理解されていないので、誤ったトップ批判や責任転嫁、やりがいのなさで誤解されチェーンストア勤務の問題につながっています。 リーダーシップこそ諸問題を整理する上で重要なキーワードになっています。

日本では統率力とか指導力と受けとめられがちですが、チェーンストアを志す企業が産業として最初に成立したアメリカでは、よい意味での「権威」という意味に使われています。言い換えれば、他の人々から敬服される状態のことです。部下はもとより、同僚、そして先輩、最後に上司からも一目置かれる状態になったときです。さらに言えば、「この件は君にまかせるよ」と上司が脱帽する状況を指しています。

チェーンストア経営では、このリーダーシップのあることが証明されないかぎり、スペシャリストには任命されないのが正常な状態です。

だから、幹部になってからリーダーシップが期待されるのではなくて、スペシャリストになる前から、つまりワーカー段階からひそかに心がけて、敬服されうるような地味にして継続的な努力がいるのである。これこそが、プラ
イベートな努力テーマなのです。

ただし、二十歳代で教養や知識や経験が傑出するわけはないのだから、残るのは体力、いやハードワークを我慢しているようには見えない様子でやってのけられることが、第一歩だといえます。

6)意欲

未熟な若年のうちは、これまでの5つの要素は発揮しにくいものばかりです。したがって、この最後の意欲だけが、唯一の要素ということがでます。つまり、やる気です。「積極性」「徹底した意志」と表現できます。「根性」と言い直すことも可能です。つまり勤務の最初の段階では意欲だけがとりえなのです。しかし、意欲は本当のところ、初期あるいは若年期だけの問題ではありません。それが、一生涯持続できることが必要なのです。

他の5つの能力を構成する要素の水準が高まれば高まるほど、より積極的で、より強固な、より徹底した意欲がいるからです。言うなれば、それは生涯計画として、いつの時期でもこれでよしではなく、高めていくべき要素なのです。



2013年1月28日月曜日

成果プロセス主義と価値前提の経営で仕組みを作る




成果主義と結果主義の違い


成果主義は経営の評価尺度のひとつです。

成果主義の是非には意見が分かれますが、その原因は成果主義と業績主義(実質は結果主義)が混同されている点にあります。
その区別をする意味で、ここでは成果主義を「成果プロセス主義」としています。

目標に対する結果の多い少ないではなく、目標に到達したか、しなかったで、評価することを「成果主義」といいます。
「達成率」という概念は、結果主義のことであり、成果主義とは異質なものです。成果プロセス主義では達成したか、しなかったのかが問われます。

成果プロセス主義に対応できるエキスパートが育成されるまでの期間のみ、過渡期の対策として、結果主義が採用されるのは仕方がないにしても、会社挙げて結果主義を採用するのは、経営での成長を阻害する要因になることを心しておきましょう。

結果主義を採ってしまうと、将棋倒し的に健全な経営システムの崩壊を引き起こします。
システムとは、因果関係で構築されている自動的に形成される仕組みだからです。
いい仕組みを作るには自動的にいい仕組みになるようにいい条件、つまり因果関係の整備が揃っていなければなりません。

ですから、悪い仕組みの場合には、反対に悪い条件が揃っています。
重要ないくつかをいい加減にしていると悪い条件が揃ってしまうのです。
成果プロセス主義は、好ましい条件が揃うようになる仕組みといえます。


成果プロセス主義

成果プロセス主義は、結果の多寡ではなく、予め設定した目標に到達したか、しなかったで評価する方式のことです。
成果プロセス主義を現実のものにするには、目標を達成できるエキスパートが不可欠です。つまりエキスパートとは、目標への到達方法を知っている者です。
エキスパート は、経営の要であり、エキスパートとして行動することは数値責任制度で仕事をすることを意味します。エキスパートは 成果プロセス主義の象徴的存在です。
成果プロセス主義を成功させるには、価値前提の経営であることが必然になります。


結果主義(出来高主義)

結果主義は、達成率で評価するやり方で、出来高主義とも言い換えられます。
結果主義は、 目標への到達方法を知っているエキスパートが育成される迄の過渡期の尺度です。状況に応じた使い分けが必要です。また使い分けによって職位も変わります。

それにしても 、人を育成する仕組みが 破綻していると、いつまでたってもエキスパートが育たない状態では、ずっと結果主義で経営している会社が少なくないのも現実です。

過渡期にある会社は「成果プロセス主義」への転換をめざし、改善するための計画が必要 です。

それには、価値前提の経営に変更する必要があります。


価値前提の経営

価値前提の経営とはある価値観を共有しその具体的な実現を目的として経営する行き方をいいます。
「価値前提の経営」の反対が「事実前提の経営」です。

事実前提の経営とは、数値主体の経営です。資金力に乏しく企業規模が小さいほど、数値主体である事実前提の経営は現実的だと思いがちです。小さな企業が「世の中を変える」、「人々を幸福にするために頑張る」といってもリアリティがなく失笑を買うからです。

ところが、一見合理的に思える「この落とし穴」にはまってしまうと起業あるいはチェーンストア展開は挫折に向かいます。資金力に乏しく企業規模が小さいほど、数値は重要なのですが、数値はいつの場合も結果でしかないのです。いくら成果を目指しても得られる数値は行動の結果でしかありません。行動は選択の結果ですが、選択は選択の基準の結果なので、選択の基準に矛盾があると求める成果は得られないのです。

つまりこういう図式です。  

        選択の基準▶選択行動結果(成果)

売れない条件での改革を何度も体験してみるとこの原則が本当だと体験できます。
何度繰り返してこの図式が機能していることが分かります。つまり急がば回れというように本質から正して行くのが一番近道なのです。なぜなら求める成果は顧客なしには得られないからです。

予定する成果を確実に得ることが、報酬の条件になっていないと企業は資金調達の見込みが立たなくなるので、計画的な出店は困難になります。つまり否が応でも出店のペースは抑えるしかありませせん。まして過去に基づくばかりの予測不能な出来高主義で出店計画など立てることは出来ません。

これを防ぐには、確実な成果プロセス主義の貫徹が必要になります。

価値前提の経営▶目標数値▶成果プロセス主義▶資金調達計画▶出店計画▶人材育成計画

思うような出店ができないという会社は、参加者全員がよってたかって出来高主義の運営をしている結果だと知るべきなのです。ここを直さずして幸福な成功を手にすることはできないのは、ここに表したキーワードをひとつひとつ考えていただくと分かる自明の理なのです。そのような会社では間違いなく下記の構造(システム)にあります。

事実前提の経営▶目標が曖昧▶出来高主義(結果主義)▶すべて売上または儲け額で判断▶場当たり主義

このような構造になるのは人が悪いのではなく仕組みが悪いからです。このような仕組みを作ったという点で人の問題になりますが、それではいつまでも解決できません。まず仕組みを正した上で、なぜその必要があるのか、価値観を正しく伝えることができる人間力を早急に(期限を設定して期限内に伝えることができる能力を)身につけるようにする必要があります。



自戒から始まる幸福な成功への道のり


成長志向の企業に職場を見つけた若い人々は、まことに好運です。積極的な人生と能力の向上を願う人間にとっては、この上ないチャンスに満ちた職場環境なのです。 しかしながら日本の企業、とくに商業の世界では、幹部といわれる人々には次のような、共通の欠陥があります。現在はマンパワーの準備期だと楽観的に捉え直すと、仕方がないですんでしまいますが、幹部を自認する人々は、その未熟さを自戒して弱点の克服に力を注ぐことが欠かせません。

①問題意識を身につける
会社が何をめざして努力を続けているのか、現在の重点政策課題は何かという軌道を理解し、その軌道からそれつつある事象を問題点として発見することができるようになる。すなわち、経営政策について認識がないために問題点がわからず、 解決策も間違った方向に行ってしまう傾向があるので、こういうことのないようにすることが大切です。

②計数知識を強くする
ビジネスは計数に基づくことはだれでも知っているが、ビジネスで一般に使う経営計数は、経営効率と呼ばれる算術です。品質管理や市場調査の際に若干統計数学を使うことがあってもまれであり、足し算と引き算と掛け算と割り算、しかも携帯用電子計算機のボタンを押せば計算はできるのです。

③報酬観念を正しく身につける
月給や手当ては、職場に存在したことへの対価としか思っていない。どのような仕事をいかにしとげたかは、報酬とは無関係だと思い込んでいるが大きな間違いなのです。どのような仕事をいかにしとげたかで報酬は決まっていると認識できるようになるには、そのプロセスの因果関係を知り理解が出来るようになることが欠かせません。

④基本的な技術と技能の不足を認識して克服する
現場にいること、そこで学ぶ作業を軽視、正確には蔑視しているから、熟練どころか完全に実行できる作業は数種類にすぎない。だから、作業の段取りやプランニングや指導は不可能になります。スローガンを口先で言うだけになってしまい改善も改革もできない。ところがスローガンが口先になる理由さえ分からず、その原因を他に求めます。スローガンが口先だけになるのは正しい技術を身につけていると思い込んでいるからなのです。その最大の原因は管理者としての在り方が間違っているからですが、これについても問題意識が欠如しているのです。

⑤動機主義をやめる
ビジネスは結果で語られるものであり、特に成長志向の組織では成果(あらかじめ決められた目標に到達すること)のみ評価されるものですが、情緒的企業では「いかに熱心に」あるいは「まじめに」行動したかどうかという動機だけで、賞賛あるいは叱責される傾向がある。「サービス残業」という言葉がありますが、これまで日本人は労働時間が長い
ことが美徳とされてきて、それを制限しなければならないという考え方が弱かったことも原因しています。これについて大いに反省をする組織体は少なくありませんが、会社側が求めているという前提で情緒的な動機をアピールすることを続けて成果から遠い問題で評価させようとする傾向が未だに続いています。

⑥管理職意識を改革する
通勤を唯一のライフ・スタイルにしたがり、大過のないことをモットーとして、職名ないし社内の身分呼称という肩書に執着する。とにかく、戒名のように漢字、おまじないのようなカタカナで表現された、もっともらしい肩書が社会的地位を示すものと思い込んでいる。肩書をはずすと落胆し、退社までしてしまうことさえ少なくないのです。しかし本来はチームワークの都合上で頻繁に変わる性質のもので、一喜一憂するような性質のものでないのが正しく、これを社会的地位と受け止めていたならチームワークできなくなります。

これらは当の本人さえ否定している悪しき傾向ですが、その一方で未だに蔓延している傾向です。これらは無邪気な過ちとして処理される傾向がありますが、実際にはチェーンストアを志向する企業にとって致命的な欠点になり前途を遮断するのです。

これらを全部まとめて清算する起点が、価値前提の経営と成果主義の採用です。つまりこのような欠陥は企業の方針と表裏一体の結果なのです。管理者であるなら自ら殻を破りいままではそうだったが、これからは自ら率先して価値前提の経営と成果主義をどん欲に採用することが自戒であると心して臨むべきなのです。



2013年1月23日水曜日

一日不作一日不食/商業の復権


たとえば小売業やフード・サービス業は、小さくても大きくも、どんな時代でも、いかなる国でも、生活を営むための物と事の提供ビジネスである。

しかし、

①人々(大衆)の、
②日常の暮らしを、
③急速に向上させ、
④本当に現代の豊かさのある潤いのある生活として、
⑤守り、
⑥育てていける

のは、チェーンストア経営システムだけである。

一言でいえば、国民生活を真の文明国らしく変革できることがチェーンストア経営の存在意義である。

とすれば、その店があることで同国の人々の暮らしが向上している、とその人々が思える状態の有無、その程度だけが貢献度であり、経営努力の到達点についてのバロメーターです。

そうであれば数値的指標の内、もっとも重要なのは「客数」であることが明白です。客数の増え続けていることが最も重大な数字的指標というべきです。

決して、売上高や、純益高や、賃金水準や、経営効率ではない。いわんや、従業者の自己満足感で、その貢献度あるいは成就度をはかつてはならない
のです。

ビッグストアづくりというチェーンストアづくりへの準備過程では、関係者は瞬間的にだけ必要な数値に、おこがましくも貢献度や成功度を示すものとして気を奪われやすいことを、反省しなければならないのです。

こう考えてくると、チェーンストアは明らかに次の言葉を否定することになります。

量販店、名声店、ファッショントレンド店、大量仕入れ大量販売、自家製造・・・・残念なことに、ここに羅列した用語は、日本ではチェーンストア専門語とすら受けとめられてきているのが実情なのである。

その原因は、売上高の大きいことがビッグストアであり、店数の多いことがチェ
ーンストアであり、しかも流通革命はとっくに終わったと思っているといった、根本的な誤解のためなのです。量販店や繁盛店ができたところで、人々の暮らしを向上、変革することは不可能なのです。
そういう程度の表現にすぎないのならば、われわれがチェーンストア産業づくりにロマンを追求し人生をかける値打ちはないのです。

政治が国民のために行われるのを期待するように、商業も同じです。いま問われているのは「商業の復権」なのです。




2013年1月21日月曜日

一日不作一日不食/マーケティングから学ぶ行き方


日本を省みて成熟社会とか、飽食の時代とか呼ばれることが多いものです。
しかし果たしてそうでしょうか。それは諸外国を歩いてみると分かるように、とんでもない錯覚ではないでしょうか。日本人の大衆の暮らし、日常生活は、調和のない生活であってまことにみじめでである。ここの原点に立たないから国際競争力で負けて行くのです。

ようやくユニクロのような会社が出て来て席巻するものの、まだまだ消費財、とくに日常品は製造コストを積み上げ、かけ値幅の大きいモデレートプライスの中級品主体が目立ちます。

用途も多目的・多用途の見せかけの品がほとんど。使う側からすれば、調和のない生活しかできないようになっています。
たとえば消費者の衣食住は、それぞれかよそいき中心に飼いならされた、まだまだ変わっていないお客さま向けに関心が集中。無印商品などがこの分野に切り込んでいるものの、全体には使い心地の点で顧みられていなくて、コストパフォーマンスという点で果たしてどうでしょう。

生活のさいに大部分の時間を占める最も頻度の多い日常の暮らしという目的のための商品、とくに、一点豪華で夢を追うライフ・スタイルが一般的で、このために崩れかけた状態とはいえど、世界でも稀有な高級品・趣味品中心で、商品の大部分は多目的・多用途兼用、それだけに価格が高く使い捨てもできない。
衣も住も食も、およそコーディネーションが無視され、材料製造業の国産素材の生産対策の延長上に日本的な価値が販促され、世界の傾向とは食い違いつづけています。しかも、ホット・ファッションは以前としてというより、ますます高価です。

アメリカの衣食住の大型店の行くと一見「アメリカのお店の品揃えは貧弱だ」と見えますが、そうでしょうか。その背景にはチェーンストア産業が一世紀以上も積み上げてきた、暮らしの豊かさが実現されています。つまり

  1. 用途ごとに
  2. 同時に使うときに必要な品種は、すべてそこにそろっており、
  3. 品質(機能)は、使う側にとって便利で楽しいことに限定し、
  4. 大部分の人々が
  5. 手ごろに買えて、
  6. 安心して、
  7. 気軽に、
  8. 楽しく、快く、使いわけられ、
  9. 全国どこでも、
  10. 日常的に

が実現されているのです。このキーワードが味わえる条件の実現こそが現代における「豊かさ」なのです。恐らく誰もが追求している、実現していると思っていますが、実際には、日本ではまだまだ実現できていないのは、作る立場・売る立場で尺度がいつも生産者によって一方的に決められてきたからに他ならないからです。その上、日本ではアメリカでは重視していない商品部門数、品目数が多いこと、つまり「よろず屋」が自慢なのです。ガラパゴスと言われた携帯電話市場を見てもこの体質は相変わらずだと分かります。

日本の市場(行政も含めて)にあふれている商品群、サービス(公的なサービスも含めて)は、いろいろあるように見えても、いざ使うとなったら互いにコーディネートしないで、使いものにならないことが多いのです。

このキーワードでそれぞれが自分の仕事に照らし合わせると ユニクロや無印良品の成功はヒントをくれるはずです。まだまだチャンスがあることを暗示しているのです。

だから、私たちは日本人の暮らしについて革命を起こしたいと願う。それは日本国民にとってまだかなえられていない生活のニーズなのです。
しかももっと悪いことに、日本人は暮らしがみじめで貧しいのに、逆に豊かになったと錯覚さえしている点です。

この点では国民のWANTさえも否定しなければならないのす。
アメリカでいうマーケティングは、WANTを乗り越え、NEEDまでも問題にするのに、日本でいわれるマーケティングはWANTしか対象にしていない。いや、現実はその大衆のWANTすらも、生産者側のWANTの軌道上でしか実現しようとはしていないのが現状なのです。だからロボ掃除機 のように技術はあっても開発できないのです。

しかもマーケティングの定義もバラバラ。巷では「市場調査のことだ」「テレビや新聞、雑誌などで商品やサービスを宣伝することだ」など、マーケティングに関して実に様々な印象が持たれています。「目の前にお客様を連れてくること」というのもあれば、「売上と対価を得ること」、「儲け続ける仕組みを作ること」もあります。

日本マーケティング協会によれば「 マーケティングとは 、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である」と定義しています。

このような定義を触れると「マーケティングってやっぱり難しいな……」と感じる方もいるかもしれませんが、実際にはマーケティングの本質は非常にシンプルです。

マーケティングとは「人々の暮らしを豊かなにする仕組みを作ることで対価を得る」ことなのです。つまり先の10の条件を達成することです。

そしてマーケティングへの無自覚、間違った常識を否定することが、流通革命の出発点なのです。
その実現のために必要条件は
  1. ビッグチェーンづくりによる資産と人材の育成
  2. 標準化された多店化づくり
  3. 同志企業が数100社にふえる

それは、長い険しい革命への道程であることは間違いがないのです。しかし今日起業した若者であっても、どこに向かうかといえば、やはり人々の暮らしを豊かなにする仕組みを作ることで対価を得ることなのです。それには理念だけではなく先の10の条件を達成することです。


2013年1月18日金曜日

一日不作一日不食/なぜ君は往くのか、そんなにしてまで。




チェーンストアづくりは数10年にわたる難事です。しかも、ハードワークの連続です。それなのに、なぜ好んでそれを志すのかという疑問を抱く人々は少なくありません。

たとえばガソリンスタンドの経営者なら、「こんなに投資するならもっと儲かる商売があるはず。」と言います。また「なんのためにコンサルタントが必要なのか、自分が頑張ればいいことだ」とお話しになります。もっともな意見なようですが、そこに「能力の限界」を感じずにはいられません。

商業の世界での成功モデルとして、昔から「繁盛店」があり、「成長店」もあります。不景気と言われる現在でも急増しています。それらのモデルに似せたものを作れば十二分に食べていけて、しかも個人資産も一般のサラリーマンよりはるかに多額のものを実現できます。そのようなビジネス、店舗は街に氾濫しています。それを推すコンサルタントの方々も沢山います。

「儲かる」の意味で先述の方々の意見はその通りなのです。一店で儲けるだけ儲ける主義、3店から5店までの支店経営方式なら、4~5年間でできます。その方が安全であり、それを成功として満足する人たたちも沢山います。

その方々は、何10年もの継続努力を前提にして、しかも自分が生きている間に実現できるかどうかも分からない。さらに多店化による倒産の危険を自ら冒すとはどういう魂胆かと首をかしげられるかも知れません。

しかし単独店や支店経営では、生計の方法ではあっても、世の中を変えることはできないのです。人々の暮らしを向上することはできないのです。そんなのは戯言、きれいごとと言われますが、それでは変わり続ける潮流の中に呑みこまれ、流されていくだけです。事実、冒頭の方々が経営されていた会社は存続していません。元々潮流に乗っただけだからです。

逆にチェーンストア形式を採っておられても、「大きいことはいいことだ」「成長することはいいことだ」の考えに留まったままでは冒頭の方々と大して変わりません。勘違いの領域なのです。チェーンストアの意味を熟慮されて取り組むことが、進化するためにとても重要なのです。

それはその会社で働く方にとっても同じなのです。仕事の仕方は目的で変わります。そのプロセスでの困難をどう解釈するかは、目的で変わるからです。
選択の基準▶選択▶行動▶結果・・・・行動は選択の結果であり、最終の結果は行動の結果だからです。





2013年1月17日木曜日

一日不作一日不食/ロマンゆえの継続こそ力




禅語に「一日不作 一日不食」と言う言葉があります。つまり「働かざる者、食うべからず」という意味です。禅の作務とは人が人であるために、人としてするべき基本的な行いを指しています。働かざる者とは、社会のため、人のために働かざる者という意味です。

チェーンストアづくりは、店を1店舗開いて金儲けをするという次元とは全く違うものです。それが20店舗あるのと意味が根本的に違うのです。その違いを一発回答すればロマンがあるかないかなのです。

チェーンストアづくりは日夜ハードワークが強いられます。しかもチェーンストアづくりには半世紀からの時間がかかります。20歳で関わっても70歳になっていて、それでもまだ未完である場合がほとんどでしょう。 店を一店舗開いて金儲けをするという次元のハードワークとは次元が違うのです。それを支えるのはなぜかと尋ねられても、ロマンとしか言いようがないのです。

ロマンとはなにかといえば、限りない現状否定です。生活者の暮らしに対してこれでいいと肯定しない態度、もっと良くなる、よくできるはずと信じて、自らの現状否定をする毎日なのです。

よく「在り方は分かっているのですが、方法が分からないのです。」と聞きます。しかしそうでしょうか?在り方が本当には分からないから、方法が分からないのが本当なのです。生活者の暮らしにどう向き合えばいいのか、それが分かっていたら方法はどこからでも返って来るものです。

金儲けをするためにどうあればいいのかという意味で在り方が分かっていると考えているから、 方法が分からないのが本当なのです。そこにあるのは、なんとしても売り込みたい、売りつけたいという金儲け意識だけなのです。これでは方法が分からなくても当たり前で、 仕掛けをいかに巧妙に組み立てるかというノウハウに終始するしかなく、このような働き方に自信が持てなくても自業自得なのです。

なぜそうなのかと言えば、現状を是認した上での話だからであって、重箱の隅をつつくような穴探しでしかないからです。現状肯定の立場から出発する以上、出てくるものは姑息なあの手この手しかありえず、人手をかける値打ちのあるビジネスになるはずもなく、新たなビジネスが生まれてくるはずもないのです。つまり儲からない、人材も集まらないというのは自分の行動の結果なのです。

商業に従事する者は、まず現在の人々の生活が本当に豊かなのか、観察するところから始まっているのです。だから異業種であっても気づきの山であって、暇があれば観察して回るのが最初の一歩なのです。それをすることもなく、現状を是認した上での方法探しに云々するという態度から、 男子が生涯をかけて社会のために何事かをやってみるというビジョンは決して生まれてこないのです。

ビジョンがないから、折角の才能も活かせず、方法が分からないと言うような陳腐な言葉になって、自分の間違いが表出するのです。

人々の生活が本当に豊かなのか、観察してみれば分かります。そこで数々の不十分さと錯覚や間違いを発見し、その因果関係を原因から推定した上で分析すれば、不足を充足するための改善策と改革案が出てきます。それが出来るようになるのです。 そうすると自分たちにできることがもっとあると気づきます。

それが方法なのです。



現状は不十分だからこそ現状改革が必要なのであり、それが改善ではなくて改革だからこそ、われわれの情熱の対象になります。改革だからこそ、その道にまい進することに生きがいが生まれてくるのです。情熱がハードワークを問題としないのです。

ところが現状を是認していると、なんとしても売り込みたい、売りつけたいという金儲け主義に終始し、改革どころか改善の情熱さえ芽生えるはずもないので、方法も見つからず、見せかけのやる気に自分自身も埋没してしまい、錯覚の連鎖が止まらなくなってしまうのです。このような仕事の仕方に男子の本懐と呼べるロマンが生まれることもないのです。

ロマンのないようなものに、汗水流して家族を養い苦労する者が見向きもしないのは当然なのです。

ビジョンとは現状を否定し、あるべき状態がたとえ今は到達できそうにない不可能な事に見えてもあきらめず、限界という常識に果敢に挑戦していこうという構想のことであり、短期になし遂げられるものでもありません。長い道程が想定されるがゆえに、生涯の課題として取り組むに値するロマンだからこそ、継続こそ力になるのです。

あなたの職場は就職してすぐに辞める職場でしょうか?世界はまだ使われていないイエスで溢れているのです。男が命をかける職場が目の前にあります。




2013年1月16日水曜日

花無心招蝶 蝶無心尋花/会社の規模が違うとマネジメントも違う




会社の規模には大きい、小さいの問題ではなく、仕事の仕方がまるで違うという側面があります。そこで働いている方々の雰囲気も違いますが、それは日々のマネジメントの違いがもたらすものです。

禅の言葉に禅語に「花無心招蝶 蝶無心尋花」・・・・「はなはむしんにしてちょうをまねき ちょうはむしんにしてはなをたずねる」があります。

つまり自然の法則のこと、仏教では「因縁」のことをいいます。縁には良い縁と悪い縁があります。どちらを結ぶかで人生も仕事も大きく変わります。素晴らしい結果と縁を結ぶにはそうなるように力量がなければなりません。どんなに思い描いても縁を結ぶことはできません。さらに縁の不思議は一度良縁を結ぶと、どんどんいい方向に進んで行きます。良縁が良縁を運んできます。逆に悪縁も同じです。

いま自分が結んでる縁を客観的に見直してください。事実前提の経営になっていませんか?小さな規模ならOKでも、規模を大きくしたいのならそれでは飛躍するどころか破綻します。

この問題は、あなたが何者で、何をするべきで、何をしてはいけないのかを知るために大変重要なことです。

チェーンストアのことをレギュラーチェーンとも言いますが、なぜかチェーンに対して日本人は人間を束縛する道具のイメージをもってしまったようで、チェーンのイメージから直訳して連鎖店と解釈にして、鎖で縛られた自由のない店と偏見を持った時代があります。

元々、鎖が開発された目的は運搬の道具としてです。鎖はどんな形のモノでも一つにまとめて移動できる文明の利器です。一つひとつの鉄の輪は小さく非力で役に立たないなモノに見えますが、それが一定のルールで連結し、多数の輪が繋ぎ合わさると、一人の人間ではとても動かせない大きな物や多量の物を、思うところへ動かせるようになるのです。

チェーンストアとは、このすごいことをやる特別な仕組みのことです。鎖と同じで一店ではできるはずのないことを、特別に工夫された経営上のシステムによって、「素晴らしく豊かな暮らし」という利益を生活者に提供出来るのが、本来のチェーンストアの目的であり、本来の意味なのです。

チェーンストアという言葉には、重要な二つの意味があります。

ひとつは特別な仕組みであること。ある一定の法則で基準通りに店舗や商品が用意され運営されている点です。「基準通り」という意味からチェーンストアのことをレギュラーチェーンとも呼びます。

つまりいくら店があっても基準がバラバラならチェーンストアとは呼ばないのです。そこには「標準化」されたものが存在していることがレギュラーチェーンと言われる由縁なのです。


標準化

①最良の方式を発見し、
②関係者に教育し、
③その通りに実行できる状態をつくりあげる
④あらかじめ想定した期間が過ぎたら、その規格を改善・修正する

そして再び①からまたこのサイクルを繰り返すプロセスをまとめて標準化と言うのです。注意すべきは、このプロセスの①から③を規格化といい、それに④を加えたものを標準化と呼ぶ点です。


チェーンストアのもうひとつの特長は、普通のお店、集団とは、全く異質で、彼等が到底やれそうにないすごいことをやってのける経営形態、集団だという点です。

ここでいう「すごいこと」の本来の意味は、生活者を豊かにすることです。これこそがチェーンストアの目的であり、普通のお店、集団にはできないことなのです。その実現のためにハードワークにも耐え、ひたすら努力、向上心を絶やさず挑戦する集団のことなのです。

「すごいこと」とは売上で測るのではありません。たとえばスーパーが百貨店の売上を抜いたと言っても、業界のショック、従業員の喜びであったとしても、それだけのことです。「生活者を豊かにする」ことに届いていないのであれば、それは「すごいこと」でもなんでもないのです。

このようにチェーンストアには、標準化という技術の課題があり、貢献という理念の課題があるのです。チェーンストアには、この2つの意味があることを前提として、チェーンストアという単語を使い、チェーンストア志向と呼んでいるのです。


このことが重要なのには、理由があります。

普通のお店、集団とチェーンストア志向は、目的が違えば、経営の在り方も違ってきます。

10店舗までが普通のお店、集団。11店舗になるとチェーンストア志向だからです。

「我が社には20店舗あるがチェーンストア志向ではない」というのもあるかも知れません。しかしそれでは経営できないからです。なぜなら10店舗までのマネジメントと11店舗以上のマネジメントは全然違うからです。


11店舗以上あるのに、10店舗までのマネジメントをしていると、特殊な事情がない限り、会社は早晩、破綻するからです。

もう一度言いますが、普通のお店、集団とチェーンストア志向はゲームの土俵が全く違うのです。この認識がなくマネジメントの理解をしようとしない場合、潮流に翻弄されるのは自ら選んだ結果としか言いようがないので、それは総力をあげて避けなければならないのです。

花無心招蝶 蝶無心尋花」・・・・初詣に行くのは、前年に結んだ悪縁を断ち切るためです。一生懸命、頑張っている間に知らず知らずにマイナス面も創ってしまいます。次に進むには、マイナス面を断ち切らなければいけません。規模あるいは目標に応じてマネジメントを変えるから成長、進化できるのです。








2013年1月15日火曜日

脚下照顧/あなたは何者か?何をするべきで、何をしてはいけないのか。





脚下照顧(きゃっかしょうこ) 

未来とは遠い彼方にあるのではなく、現在の延長にあります。自分の脚で一歩一歩あるいていくのです。このため人生を旅にたとえて表現する人がいます。いまできることをするしかないのですが、その足下がぐらついていては思う場所にたどり着くこともできません。自分が何者で、何をするべきか、何をしてはいけないのか、自分を知っていて、正しい歩みができると、思う場所にたどり着くことができるようになります。


そこで、ここをスタート地点として、あなたが何者で、何をするべきで、何をしてはいけないのかについて、話します。
しかし、人は人によって生きる環境が違うので、誰でも同じというわけにはいきません。ここではマネジメントする立場にある人、これからマネジメントする立場にある人を対象に進めます。


素晴らしい人生を過ごす上で、生活には七つの側面があります。
  • スピリチュアル霊的)
  • 精神
  • 仕事・職業
  • 財政
  • 家族
  • 社会的な影響力(リーダーシップ)
  • 肉体的なバイタリティ、ルックス

これらの側面が十分でないとその部分で他者の影響力を受けます。被害者と言う意味ではなく、力不足という意味です。
どんな人でも価値観があります。つまりこうなればうれしい、楽しい、ハッピーということです。人にはそれぞれ独自の優先順位があります。

自分にとって価値があると思うものは自分からやりますが、そうでないものは他者から言われないとしません。重要でないと判断しているから自分からしないのです。

たとえばショッピングモールを歩いていて、ファッションに関心がある人は衣類を売っている店に引き寄せられ、電子デバイスに関心があるとデバイスに触れようとします。ビジネスに関心にある人は接客やディスプレーに注目します。

この価値観が重要です。なぜなら自分にとってもっとも価値のあることには関心がいきます。人は誰でも自分の価値観でフィールターをかけて世界を見ているのです。人によって見ている世界は違うのです。

そこで、自分の価値が低いものには低い目標設定しかできず、記憶することすら出来ず、現実的とは感じることもなく、自分にはできないと思います。自分にとって高い価値のあるものには、長期にわたって記憶し、自分にもできる、やれると高い目標を設定をしてやろうと思います。

しかし、ここに問題が潜んでいます。あなたの価値の優先順位が適正でないと、現実を見ることなく不幸を招いてしまうからです。優先順位が適正でなくなる原因はあなたのフィルターです。フィルターとは「基準」です。基準は無意識の潜在意識で魑魅魍魎としていて誰にとってもブラックボックス(*)です。

意識の上では優先順位の上位にあっても、無意識では下位にあることがあります。統合感がなく、無意味にエネルギーを消耗するので、やる気になる前にエネルギーを失っています。いまやっていることに愛情が持てないとしたらごまかしの人生を過ごします。(統合感については後ほど説明します)

ごまかしの人生をを防ぐために「ある整理」が必要です。

いまやっている仕事で、価値のあるもの、価値を感じないものがあります。そこで何に価値を感じ、何に価値を感じないのか、整理することが必要です。自分を真に幸福にするためには、 幸福な人生を過ごすために、自分の価値観をサポートするものを大事にし、そうでないものは排除することが重要です。

そのためにまず次の作業をしてください。


【 作業 1 】

自分の仕事でやっている作業をリストアップしてみてください。リストアップが終わると、その上でやる気になるもの、ならないものを選択し、やる気になるものについて、どんな価値があるのか、書いてみてください。

やる気にならないものには書く必要がありません。なぜなら自分では価値がないと思い込んでいるからです。