実は知られていないマネジメント&コントロール。
マネジメント&コントロール、正しく使っていますか?あまりにも当たり前すぎて、自分なりに、これがマネジメント&コントロールと解釈されて、間違った仕事の方法に疑問を持たずにいる方がたくさんいます。
日本では最前線チームを、従来から店舗運営部とか営業部、販売部と呼ぶことがありますが、アメリカではすべて作業部隊を意味するオペレーション・セクションあるいはファンクションと呼びます。
販売や営業は店舗段階だけでやるのではなくて、会社全体でやっているのですから、店舗グループを表現するのに絶対にセールスという言葉は使いません。
コントロールという言葉にも、独特の意味があります。中小企業診断士のテストでは管理と統制と使われたりしますが、本来のコントロールと統制には随分違いがあります。
つまりオペレーションとは完全にやり遂げるために現場のすべてを総称する言葉であり、全社あげて徹底してやり遂げる作業のことなのです。つまりドライ商法と言われているものです。
つまりマネジャーとは、どのようにしてでも目標を達成する人なのです。
最初からできそうにないことを悪戦苦闘しながらやり切るのがマネジメントであり、困難は前提条件として折り込み済みなのです。
座して、ああだ、こうだと言ってるイメージとはかけ離れているのです。
座して、ああだ、こうだと言ってるイメージとはかけ離れているのです。
できそうにないことをやるわけですから、計画の内容が一番最初に重視され、吟味されるのは当たり前であって、この習慣がないから PDCAがいつまでたってもできないのです。つまり計画が反省を繰り返した上で策定されていないのです。
そのため、何年働いても 人が育たないのでプロフェッショナル不在の原因になっています。
プロフェッショナル育成には時間がかかります。だからこそプロフェッショナルには自信と誇りが芽生え、それがリーダーシップに発展して行きます。
真のリーダーシップと形ばかりのリーダー、管理と統制、マネジメントとコントロールの違いが分かりやすい娯楽映画があります。「二百三高地」です。この話は司馬遼太郎の「殉死」「坂の上の雲」でも描かれています。前者が乃木将軍でおなじみの乃木 希典陸軍大将、後者が児玉源太郎総参謀長です。娯楽映画ですから、少し考えながら観ていただくと誰にも分かりやすくなっています。
あるいは児玉タイプ?
重要なのは、 期限前に現在進行中の数字を使って、命令の変更と教育の追加で作業内容を変更することです。期限後にもう過去になってしまった数字をもとに叱責、激励し、感情的、道徳的に奮起させる、あるいは奮起するのではないのです。
この違いが「二百三高地」でははっきりとビジュアルで見てとれます。これに関連して、リーダーシップ、チームワークの概念も間違わないようにしたいものです。次に言う「犠牲の在り方」にも言及していますので、参考にしてください。
最初からリーダーシップを身につけた人も、マネジメントできる人も、プロフェッショナルもいません。だから育つ期間が必要なのです。その期間は生産性も低いでしょうが、仕方がありません。犠牲にする期間です。
大事なことは犠牲の意識があること。繰り返す失敗が実を結ぶようにすることが大切なのです。
マネジメントできない期間は犠牲の期間、早くマネジメントできるように成長させよう、成長しょうとしる意識がなく逃げ回っているだけでは不毛の期間になります。
大事なことは犠牲の意識があること。繰り返す失敗が実を結ぶようにすることが大切なのです。
マネジメントできない期間は犠牲の期間、早くマネジメントできるように成長させよう、成長しょうとしる意識がなく逃げ回っているだけでは不毛の期間になります。