2011年6月19日日曜日

明珠在掌 /会議







明珠在掌・・・・「みうよじゅたなごころにあり」と読みます。 

自分の持っている宝に気づいていない人が多い。どこにあるかって・・・・その手の中にあります。自分の掌をみるようにする。

「こんなものでしょう」と安易な妥協で報じられるメデャアの在り方に代表されるように、よそがあんなものだから、うちもこんなものでいいでしょう。そうして作られた家から、情報まで、幼い時からこういうものに慣れ親しんで育てば、自分の持っている宝に気づかなくなります。

会議で決める習慣に潜む、誰も責任をとらなくてすむ仕組みを自ら打破し、自分が責任を引き受ける覚悟と行動力こそ自分を豊かにする。

会議の心は明珠在掌から始まるようにしたいものです。

会議

「会議ばかりして・・・」・・・よく耳にする言葉です。でもそんなにムダな会議だったらしないはずではないでしょうか。 会議の目的と手法に問題があるのでは?なにかを決定するために、会議をして・・・そこまではよくてもその先に問題があるかも知れません。であるなら、会議をすることは間違っていないと思いがち。でも、そこに落とし穴。

矛盾なく機能する組織にするために、会議の目的を見直してみませんか?会議は物事を決定する場ではなく、決定に必要な情報を集める場と考えてはどうでしょうか?
決定するために会議をすると、決定の責任者が不在になります。責任者がいない案件は現場に委ねられたとき、どんな扱いを受けるのでしょうか?してもしなくても同じということになりませんか?

会議の定義

  • 会議は物事を「決定」する場ではありません
  • 会議とは場のことで、空間、時間であり、決定者(責任者)ではありません。
  • 「会議で決めたではないか?」という言葉の背景にある考え方には、みんなで決めたことを理由に、 責任や義務を持つ人が責任を放棄する場になっています。
  • 行動の決定は権限、責任をもつ人がひとりで行うべきです。 で、なければその結果に対する責任や義務を誰も負うことが出来ないからです。
  • 結果に対する責任や義務を誰も負う必要のない仕事の仕方では、エキスパートが必要でなくなります。つまり会議は自分たちの不勉強を多い隠すための場になっています。



もし、会議の場で「決定」があったのならば、 責任、または決定権のある権限ある人が、その会議の席上で決定し、参加していたひとりひとりに対し、命令を出したという意味が正しい意味になります。しかし、「会議で決めたではないか」という使われた方は、みんなで決めたという意味で使われています。これでは誰にも責任がないということに他なりません。

責任者不在の曖昧さが、責任を問われない気楽さを生み出し、目標達成への活動が弱まり、目標達成が困難になります。

正しい会議の目的と内容は以下のようになります。
  • 幹部のひとりひとりの意見を他と調整しながら聞く(情報収集)
  • 何か新しいこと、知らせるべき幹部に知らせる(伝達)
  • 訓練方法として何かを教える(教育)


人を幸福にする 会議のかたち

  • 参加者全員が意見を言う機会が平等に与えられているようにします。
  • 権限(責任、又は決定権)のある人は聞くだけでOK。(感謝と感想の総括で留め、決定は後日の方がいい)
  • 意見の言えない人は参加者として無能であり、参加への拒否でしかないので、 次回から参加させてはいけない。参加させるなら十分な訓練をして参加させる。
  • テーマを予告しており、参加者は準備しておく、資料も配布しておくきましょう。


会議を機能させる必要な基本スキル

  • 自分のための優先順位を決める権利。
  • 対等な人間として、敬意を持って扱われる権利
  • 自分の気持ちを言葉にして表現する権利
  • 自分の意見と価値観を表明する権利
  • 「 イエス」「ノー」を自分が選択して伝える権利
  • 間違う権利
  • 考えや気持ちを変える権利
  • 『わかりません』と言う権利
  • 欲しいものを欲しい、したいことをしたいという権利
  • 人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利
  • 周囲の人から認められることに頼ることなく、人と接する権利
  • ポジティブでなかったり、自己主張しない 自分を選択する権利

以上は、自立した一人の人間として、万人に認めるべき「権利」ですが、実際には権利と考えていない人が存在しています。その存在は、時には心ない経営者の場合ですが、都合がいい場合があります。しかし、心ある経営者や現代のコンプライアンスを重視する社会にあっては、デメリットになる場合が大半です。

これら「権利」をモチベーションを支えるスキルと 再認識して、各人が身につけるように奨励しましよう。このスキルがない人は、会議に出てくるなというのが、アメリカ流であることも参考にしてください。




2011年6月16日木曜日

壷中日月長 / 30代までにマスターしたいビジネススキル




禅の言葉「壷中日月長」・・・こちゅうじつげつながし」と読みます。心の使い方で狭くも広くもなるのが自分。心が楽しむと、壷の中は広く時間は悠久になり、無限に精神を遊ばせることが出来るという意味です。自分を成長させる楽しむのは自分の在り方次第ですね。
30代までにマスターする目標をもてば40代も変わる。もう、それだけで長生きした気分になるでしょう。遠くまで行ける楽しみはやってみたものでないと分らない極上の楽しみです。遠くまで行ける能力は20歳代の過ごし方で決まると言っても過言ではありません。

フリーターでなく、正式に勤務しようとすれば、20 歳代をどこで何をして過ごしたか、修業したかが、一生の間、マークされつづけます。なぜなら、学校生活を終えた後に、現時点における本人のビジネス能力を判定する 重要ななバロメーターにされるからです。

私たちのマートワンでは、ビジネス能力の要素を、次の6項目としています。
  • 適性
  • 教養
  • 知識
  • 仕事の種類と作業のマスター
  • リーダーシップ
  • 意欲


このスキルは生涯ついて回るので、これを自分のものにしておく必要があります。

(1)適正

適性とは自分の能力を高めやすい分野、その逆に能力を発揮しにくい分野があり、 その区別のことで、優劣ではありません。通常、適正は一生変わらないので、適性を無視すると能力向上は鈍化します。これは自分で発見できますが、発見できないことも少なくありません。会社勤めをすると、人事などが過去の経験や独自の判断で決定してしまいます。そのときのためにも発見しておいてアプローチできるのが望ましい。成長が遅れている場合は、適正としていることが、 ミスマッチしている可能性のあることを考えてください。
(2)教養

教養とは、未知に分野に挑戦できる基礎的な理解力のことです。
教養がないというのは、当人が難問を避けたがるとき、 あるいはそのことに臆病な気配を当人が示す状態のことです。
長らく赤字が続くような会社には、教養のなさが、あらゆる場面で露出しています。
「教養」は「あなたでなければダメだ」と言われるような代替不可能な救世主になるために、ぜひ身につけておいて欲しいスキルです。


(3)知識

技術力の基礎となるものです。学校生活での知識は、この前提になります。技術知識は生涯かけて学びつづけます。知識があるとは、知っていることではなく、予め約束されたルール通りに実行できて、問題発生時には、採用される改善策をただちに出せる状態のことです。予め約束されたルール通りに実行できるために、読み書き、聞き取りできることが条件になります。


(4)リーダーシップ

リーダーシップとは、統率力とか指導力ではなく、部下はもとより、同僚、先輩、上司からも敬服される状態のことです。管理者になってからリーダーシップが期待されるのではなくて、管理者になる前から、敬服されるようになるために、継続的な心がけが必要です。自分の外側の評価、地位、専門知識、経歴などに頼るのではなく、自分の内なる力、ライフスキルを身につけてください。

ライフスキルについてはこちら


(5)意欲

意欲とは積極さ、徹底するスキルです。意欲は、先にあげた「教養」「リーダーシップ」と共に、 経験が乏しくても発揮できるスキルです。しかも、一生涯持続可能なことであり、持続しなければならないことです。
最初から最後まで差別化可能なスキルです。日々の違いがものを言います。自分を否定することなく積極的に発揮するようにしたいスキルです。

以上の5要素を生涯かけて磨き続けます。

自分を育てながら社会に貢献していくことで生きがいに発展します。自分探しと言いますが、自分とは遠いところにいるわけでなく、 自分の内にある力を引き出し表現していく、そのプロセスそのものが自分そのものと言えます。それはライフスキル、そのものです。

ライフスキルについてはこちら

30代までにマスターしたい技術

それほど、重要な20代にぜひマスターしたい技術があります。広義のマネジメント技術を支える2本柱である マネジメントとコントロールの2大技術です。

一般にマネジメントは、日本では管理と意味づけされています。経営管理、販売管理、人事管理などですね。管理会計、健康管理、管理人など管理のつく単語はたくさんあります。

[広辞苑第五版]では、管轄し処理すること。良い状態を保つように処置すること。とりしきること。と定義づけされています。先にあげた単語をはじめ、管理のつく単語の意味は良い状態を保つことが中心になっています。

しかし考えても分かるように情勢は国家で、地域社会でも、家族、個人のどのレベルでも情勢は常に変化しています。もし変化するから維持するという考え方がとしたら、ミスマッチが起ってきます。

直進で運転していて、道がカーブになっても、ハンドルを動かさなかったら、車は脱線します。このときにハンドルを動かす行為がマネジメントなのです車には前輪と後輪があるように、マネジメントにもマネジメントとコントロールがあります。車が前輪で駆動しているように、マネジメントでは、マネジメントが駆動する役割を担っています。
つまりマネジメントは、部下を動かして作業をさせる技術です。コントロールは、部下が実行する作業の中味なのです。
部下が動かなければ、どんな作業も止まったままです。部下の動きが悪ければ、作業も思うように進みません。
部下が動いてくれたとしても、実行している作業の内容が 悪いと成果はあがりません。
ですから、部下の行動している状態(マネジメント)と実行している作業(コントロール)を最適な状態にするのが、 マネジメントなのです。

部下にマネジャー(管理者)は、その名でも分かるようにマネジメントができる人のことです。しかもマネジメントはマネジメントとコントロールから成り立っています。

管理者をマネジャーと呼び、コントローラーと呼ばないのは、「企業は人なり」と言われてきたのと同じく、人へのかかわりこそが基本だということなのです。

さて、曲がりくねった坂道を昇って行く犬は、曲がりくねった坂道と意識するでしょうか?犬に聞いてみないと分かりませんが、無心で、ひたすら歩くしかない犬には、いまこの瞬間があるだけで、おそらくまっすぐな道があるだけです。先に直進で運転していて、道がカーブになったらハンドルを動かす行為がマネジメントだと説明しました。

つまり禅の考え方でいうなら部下と一体になってハンドルを動かす共有の状態のことをいいます。部下を動かすとは、部下に使われる意味でもあるのです。部下が仕事のしやすいように工夫して指示する、部下が実行する作業の中味を誰がやってもやりやすいように適切にしてあげる コントロールをすることなのです。

そこで部下に指示・命令して作業をさせようとしたら、なにが必要でしょうか?

勤務シフトができないと出勤してきませんし、労働法規上の労働条件を遵守することもできなくなります。これでは、必要なとき人がいなかったり、労基法の違反で、モチベーションが下がって、お客さまに迷惑をかけます。

部下に指示・命令して作業をさせようとしたら、次のことができる必要があります。

労働法規上の労働条件を部下のために確保しながら、勤務シフトの策定をするには、部下への作業割当てが必要です。
部下への作業割当てを策定するには、労働法規上の労働条件が確保できるだけの人時生産性を考慮した作業割当計画、つまり一般従業員の側からしても必要な「経営効率から算出した数値目標」が達成できる計画が必要です。「経営効率から算出した数値目標」は経営トップと一般従業員全員からの願いなのです。
願いを達成する作業割当計画を作るには、作業の内容と適正な基準時間を知っている必要があります。つまり仕事を構成している作業の全種類がマスターされていてこそ、目標が達成できる適正な総労働時間が設定できます。
作業の内容と適正な基準時間を知っていても、部下がその通りに作業ができないと、絵に描いたモチになります。そこで、部下がルール通り作業ができるように、部下の作業遂行能力考課できる必要が生じます。考課とは調査して優劣を定めることですが、考課しないといつまでたっても 教育が行われないので、部下の作業遂行能力は向上しません。作業遂行能力がないのにやる気を出せといってもどうしていいのか分からないので、モチベーションはあがりません。
モチベーションを高めるのは、モチベーションが高くなるような適切で正しい指示・命令、及び継続的な考課と教育をOJTで行うことが不可欠になります。
以上がマネジメントの概要です。赤字はマネジメント作業の主な項目であり、必要な能力です。
以下がコントロールの概要になります。青字はマネジメントの領域です。
経営効率から算出した数値目標を達成するためには、作業割当計画に則って、適切で正しい指示・命令を出して部下に実行させることで進めます。
進行中の数字を確認して、目標と計画とを一致を リアルタイムで図っていかなければ、最終的に達成、つまり目標と計画とを一致させることはできません。

目標と計画とを一致を リアルタイムで図ろうとすれば、状況の変化に適した命令・指示の変更、及び部下への追加教育とによって、作業の内容の変更を行い、計画どおりの目標数値を達成します。

経営効率数値について, 目標と計画とを一致させられるようにするのが、コントロール技術の目的です。そのために必要な作業を部下にさせるようにするのが、マネジメントの技術です。そして、これを総括してマネジメントと呼んでおり、それをする人マネジャーと呼んでいるのです。
30才までにマスターする理由は、30才を超えるといつでも部下を持てるように、自分自身の実力を用意をしておくためです。そして30才から40才の間で、実際に部下を持ちマネジメントすることで、さらなるマスターをしていただきたいわけです。人はあまりにも個人差があるという現実に必ず直面します。人生いろいろ、人もいろいろですから、いろんな 問題が出てきます。それは個人の問題のひとことで片付かないのも事実なのです。
計画どおりの目標数値を達成にこだわるほどに、さらなる問題が起こっていることに気がつきます。
計画どおりの目標数値を達成にこだわらないマネジャー不適性の人なら、無視できても、こだわる人は無視できません。しかし部下を知ることはお客さまを知ることでもあり、また自分を知ることなのです。マネジメントに苦労するほど、自分が磨かれるということでもあります。

ビジネススキルを育む基本スキル

自分のための優先順位を決める権利。
対等な人間として、敬意を持って扱われる権利
自分の気持ちを言葉にして表現する権利
自分の意見と価値観を表明する権利
「 イエス」「ノー」を自分が選択して伝える権利
間違う権利
考えや気持ちを変える権利
『わかりません』と言う権利
欲しいものを欲しい、したいことをしたいという権利
人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利
周囲の人から認められることに頼ることなく、人と接する権利
ポジティブでなかったり、自己主張しない 自分を選択する権利

以上の権利をアサーティブに主張できること。なぜなら部下を持ったときに、認めてやらないといけないからです。認めた上でマネジメント&コントロールできなければ、マネジャーの役割を果たせないからです。






看脚下/準備力でマネジャーの能力は決まる




「看脚下」・・・「きゃっかをみよ」と読みます。靴をそろえる、そんなささやかなことが大事につながっている。一歩を踏み出すのは自分自身、他の人のことを気にしていては進めない。自分の足でゆっくり歩き出せば良い。靴を揃えるのは次なる行動の準備なのです。

マネジャーの仕事は、刻々と変化する状況に対処することが本分。心おきなく対応するには準備がすべて。準備と変化する現実を往来することで、先見性が養われて行きます。


マネジャーまたは幹部の条件

  • 出来事を数字化、単語化し、あるべき形を表現し、
  • それを行動に移す
  • 起こっている事実を正確に表現、
  • それを論理的に反省して、よりよくするための行動を起こす


起こっている事実を正確に把握し、論理的に言葉で説明できなければ打ち手を見つけることができません。感覚的に手を打つマネジャーがいるのは、次のような弱点があるからです。


マネジャーまたは幹部に 多く見られる共通の弱点


  • 思考手順(観察、分析、判断、論理手法)が破綻している
  • 調査と実験の曖昧さと不足
  • プラン作成と実行の継続(遂行能力)の不足



マネジャーの職務

マネジャーは以下の能力を合格点に達した状態でいつも持っていなければなりません。

たとえばサービス業、小売業での正しい店舗展開においては、能力が確認されてからマネジャーに任命されるものです。もし満たない場合には、アルバイトひとりでも部下に持つことはトラブルの原因になります。

チェーン展開の本場アメリカでは、20代から30代にかけてマネジメントスキルの修得のために猛勉強しています。その機会を失うと生涯、人の下でしか働けなくなるからです。

チェーンストア隆盛の日本ではどうでしょうか。人手不足から能力が不足していてもマネジャーに昇格して、マネジャーになったら今度はマネジャーなんだからそれ相応の仕事をしてもらわないと困ると迫り、責任遂行を求めるようになります。
しかし求めれども必要なスキルを身につえていないために仕方なしに、期待を要求せずに曖昧な責任追及に終始するようなことになっているケースが多く見受けられます。

この状態は会社規模によって差はありますが、本来は次のようなことが正しく行われている必要があります。

  • 部下への作業割当と勤務シフト表づくりをする
  • 部下の不足する知識と現場体験を発見し、それに基づくOJT(現場教育)を行う
  • コンプライアンス(国の法規と裁判所判例)に基づく労働条件と環境づくりを部下のために実現する
  • 資産の保全(伝票、建物設備、機器、在庫商品と材料、現金・有価証券の保全)と緊急時の対応、 対策をする
  • 報告書と全項目完全記入し、期限内に提出する


以上の内、「部下への作業割当と稼働計画づくりをする」と「部下の不足する知識と現場体験を発見し、それに基づくOJT(現場教育)を行う」の2項目はマネジャーの能力水準が個人によって異なるために、技術の向上はすべてのマネジャーにとって永遠の課題になります。

この2項目は、現在マートワンが提唱する「自律型マネジメントシステム」での週間会議でよく使用されている「計画」「指示」という言葉に該当する部分です。それ以外の3項目はいつも一定水準を維持することを要求されているものです。チェーン展開をする上で5項目への取り組み姿勢をとても重要です。

また5項目をカヴァーする能力には、観察・分析・判断の3つの考え方、計画、実験、調査の方法を使える技術を身につけている必要があります。
これらの技術は現場教育をマスターしていないと使いようがないことも留意しておきます。

これまでの経験において、これらのものが欠落している場合は、何らかの形で注意、勧告されているはずです。「叱られた」「注意された」「がんばります」ではなく、能力取得にただちに取り組む必要があります。

マネジャー教育は、精神的な訓練になりがちですが。そもそも「能力が確認されてからマネジャーに任命する」仕組みが機能していないために、トレーニング内容も、目的もない場合が少なくありません。



マネジメント・スキルが不足する場合 どうしたらいいのか。

「経営効率から算出した数値目標」は経営トップと一般従業員全員からの願いです。
願いを達成する稼働計画を作るには、作業の内容と適正な基準時間を知っている必要があります。つまり仕事を構成している作業の全種類がマスターされていてこそ、目標が達成できる適正な総労働時間が設定できます。

シフトは能力に関係なく組まれていて、各自が能力を発揮してもめざす数値が達成されないという矛盾が実際の現場で起こっています。つまり戦闘能力が明らかに不足しているにも関わらず、期待する結果を出せないことに不満を表すというようなことが起こっています。

この改善には、教育の絶対的な必要があります。

教育をせずに、
計画から実績を引き算して差異を算出して、
叱責と激励の抽象的あの手この手だけで道徳的心に訴える
意欲を出せと促すだけで、
結果的に数値は変わらないまま、計画と実績の不一致を続けて、
毎週毎月、いくら会議しても、手だてすら見いだせないまま
ひたすら同じことを繰り返すことは絶対に避けるべきなのです。
これを続けている限り、マネジメントはいつまでたってもできません。

先にあげたマネジメントとコントロールの技術の説明に、あてはめて考えていただくとどういう結末になるか想像してみてください。

望むような結果を出すプロセスが実行されないまま、いくら激励と叱責し、決起を促そうが、目標と計画を一致させることは不可能なのです。
一致 させられるとしたら、目標を能力に一致させた場合だけなのです。

会社は利益も出せず、 運営を続けるために、労働法規上の労働条件も守れなくなります。
いくら骨身を削ってがんばっていると言っても、がんばらないから仕方なしに、骨身を削っているだけのことなのです。
骨身を削って解決できるかというと、それでは出来ないのです。優秀な人材ならこの段階で、ついていけないと感じるでしょう。

これは努力の問題ではなく、技術の問題なのです。
結果を出すための努力の前に、技術を身につける努力が必要なのです。

必要なのは、教育や学習なのです。
貧しい国で、いあまる環境から抜け出るために、学問を身につけようとする人がたくさんいますが、それと同じです。
教育や学習もなしに、変わることはないのです。

数値は、仕事の結果でしかありません。
仕事は作業の集合です。作業は動作の集合です。
つまり実績を変えようとすれば動作を変えるしかありません。

動作を変えようとすれば、どのような動作にすればいいのかの検討が行えない限り変わりませんが、それには、仕事をマスターしていないとできません


だから、30代に成長するためには、20歳代に仕事(作業、動作)をマスターしておくことが欠かせないのです。


どうして、 このマネジやコントロールの基本技術ができにくいのかといえば、原因は明白です。
仕事を構成している作業の全種類がマスターされていないからです。
数字は作業の種類とその作業順序と作業自体のやり方を変えることによってのみ、変化します。

ひとは変わりたいと思いながら、変われずに悶々とすることがよくあります。
変わるには行動を変えるしかありません。

行動のなかにこそ自分がいます。

それには行動の優先順位を変えることです。習慣化してしまった自分の行動を、自分でも別人かと思うほどに変えてしまうと、自分は変わります。

マネジやコントロールの基本技術も同じで、仕事を構成している作業の全種類をマスターしている方がいいけれど、実際に追いついていないのなら、求める結果にもっとも影響のあることを優先順位のトップ、上位にもってくると 数字は間違いなく変化します





マネジメント力の必要

2 0 歳代で社会に貢献というのは、もともと想定しているレベルが低いからであり、社員の平均年齢が20歳代の企業ではひとりよがりにすぎないと言えます。

しかし管理者が30 歳代~ 40 歳代ともなると社会に貢献、つまり収益力の高い店舗運営ができるようでないと、本人にとっても会社にとっても、地域社会にとっても好ましい状態ではないと言えるわけです。

生産性と教育はこのように密接な関係の上に成り立っているわけです。それを、どんどん若年者に引き下げていっても、高い生産性を実現できるというのは、想定しているレベルが低くても、高い生産性を実現できるということであり、それは本部の教育を含めたシズテムの力なのです。

注目すべき点は、教育と挑戦的なシステムへの挑戦的な態度なのです。つまり、先にあげた「人間のビジネス能力の要素」の実行なのです。管理者が取り組む技術の総称が、マネジメントです。マネジメントの運営の意味は数値責任を果たすことです。



品管打坐 / 成果プロセス主義




成果主義は経営の評価尺度にひとつです。
成果主義の是非には意見が分かれますが、その原因は成果主義と業績主義(実質は結果主義)が混同されている点にあります。
その区別をする意味で、成果主義を「成果プロセス主義」としています。

目標に対する結果の多い少ないではなく、目標に到達したか、しなかったで、評価することを「成果主義」といいます。
「達成率」という概念は、結果主義のことであり、成果主義とは異質なものです。成果主義では達成したか、しなかったのかが問われます。

成果主義に対応できるエキスパートが育成されるまでの期間のみ、過渡期の対策として、結果主義が採用されるのは仕方がないにしても、会社挙げて結果主義を採用するのは、経営での成長を阻害する要因になることを心しておきましょう。

結果主義を採ってしまうと、将棋倒し的に健全な経営システムの崩壊を引き起こします。
システムとは、因果関係で構築されている自動的に形成される仕組みだからです。
いい仕組みを作るには自動的にいい仕組みになるようにいい条件、つまり因果関係の整備が揃っていなければなりません。
ですから、悪い仕組みの場合には、反対に悪い条件が揃っています。
重要ないくつかをいい加減にしていると悪い条件が揃ってしまうのです。
成果プロセス主義は、好ましい条件が揃うようになる仕組みといえます。


成果主義

結果の多寡ではなく、予め設定した目標に到達したか、しなかったで評価すること。
成果主義を現実のものにするには、目標を達成できるエキスパートが不可欠です。エキスパートとは、目標への到達方法を知っている者です。
エキスパート は、経営の要であり、エキスパートとして行動することは数値責任制度で仕事をすることを意味します。エキスパートは 成果主義の象徴的存在です。
成果主義を成功させるには、価値前提の経営であることが必然になります。


結果主義(出来高主義)

結果主義は、達成率で評価するやり方で、出来高主義とも言い換えられます。
結果主義は、 目標への到達方法を知っているエキスパートが育成される迄の過渡期の尺度です。状況に応じた使い分けが必要です。また使い分けによって職位も変わります。
それにしても 、人を育成する仕組みが 破綻していると、いつまでたってもエキスパートが育たない状態では、ずっと結果主義で経営している会社も多いのが現実です。

過渡期にある会社は「成果主義」への転換をめざし、改善するための計画が必要 です。
それには、価値前提の経営に変更する必要があります。

「価値前提の経営」の反対が「事実前提の経営」です。
結果主義を採っている、あるいは結果主義になってしまうのは、事実前提の経営をしているからです。価値前提が企業のビジョン、価値観、理念を出発点にして仕組みを作り作業を作るのに対して、事実前提は場当たり的なご都合主義です。

したがって仕組みも曖昧で場当たり的になってしまいます。
誰も好んで場当たり的なご都合主義を採用しようとは思っていない場合がほとんどですが、ご都合主義になってしまうのは、理念を基本にした経営をしないからです。ですから、他社がしてるから我が社もというようなものが多いのが事実です。

理念というと、よく二文字、四文字の熟語スローガンが多いのですが、実際の仕事、作業に落とし込もうとしていないのが問題といえます。理念というと、それと同じと思う方が少なくありませんが、しっかり整理してもらいたいものです。


ところで、成果主義を導入したものの、機能しない実例が多いのはどうしてでしょうか?
成果プロセス主義にしないからです。

成果主義は、必ず教育・訓練、それに伴う考課・評価と共に導入しないと、単なるノルマになります。必ず教育・訓練、それに伴う考課・評価と併せて導入します。
成果主義が失敗するのは、個人のスキルやモチベーションをあげないまま、つまり仕事が果たせる能力がないままに、報酬などのインセンティブによって目標達成を求める点にあります。誤って導入されている成果主義は、能力と意欲に関心をもたないまま、業績は個人の責任としているケースの多いのが実態です。


簡単に言うと「インセンティブを用意したからやる気を出して勝手にやれ」みたいな面があります。これでがんばってくれたら楽ですが、結局出来ない奴はほっておけということになります。心のメカニズムを無視したやり方、人心への配慮が欠けているのが欠点です。
人気企業なら、それでも成果はあがるかも知れませんが、人が集まりにくい中小企業では、人手不足に陥り「成果主義制度」は頓挫してしまいます。

本社が明けても暮れても、「成果主義制度」の会議をやっている間に、現場は放置されたままで業績は低下、導入しても士気は上がるどころか低下の一途、倒産した実例もあります。
その根本原因は人への関心の乏しさと関連してプロセスへの無関心にあります。本来の成果主義(プロセスを評価する成果主義)は企業のビジョン、価値観に沿って個人個人が貢献を実現するために必要な自発的な行動を促し、企業価値を高めることを支援するものです。

一般に企業活動をしている場合、「評価」という言葉がポピュラーに浸透しています。
それを覆すと面倒なので、あえて強調はしませんが、本当は評価の意識を変えてほしいのです。(だから評価という言葉も使わないことをおすすめします)

評価という言葉は上から目線のため、どうしても「ほめられたい」とリンクします。
つまり顔色を伺う態度を養成してしまいます。そのため自律心を育む障害を作ってしまう結果になります。

自律心が育まれないと「自律型マネジメント」を築くのは困難になります。反対の作用を引き起こすからです。これが問題です。

成果主義の本来は自立心を促すことにあります。成果プロセス主義では、自分で自分の目標を決めて、自分自身で目標達成ができるように自分を管理する目標管理スキルが個人に問われます。個人のスキルアップを目標達成可能レベルにまで引き上げることを条件にします。
個人にはハードな側面もありますが、自立のプロセスを評価するだけでなく、プロセスの共有によって必要なサポートもするわけです。

そこで大きな役割を果たすのが、自立のプロセス共有と評価をする「等級別スキル基準書」です。「等級別スキル基準書」は業績のみの評価に偏らないように、能力開発や人間性も給与に反映するものです。

行動を変える道具の役割、教育の道具となり、目標達成手段にもなります。プロセスをマネジメント&コントロールしながら、「等級別スキル基準書」で成長を、業績で成果を、報酬で承認を、本人にフィードバックすることから、個人個人に安心を与え、チームに所属する多くの人の間で、自分の成長が実感できるようになります。

経営への参画意欲を持つに必要なスキルアップ機会を創出するうえで、「等級別スキル基準書」はその方向性を示し、現在の自分のレベルといま何を、いつまでに何を身につけるのかを知ることができます。

そしてどのようにして身につけるかを自分と上司によって知ることができます。それを実行することで、業績と連動した報酬制度、つまり本来の成果主義が機能しますが、その結果は個人の幸福感にダイレクトに寄与します。
スキルとモチベーションと目標と承認が一体化することで、自尊感情が高まるからです。自尊感情が高まれば他者への尊重心も高まります。
それらが相互に影響しあい、従業員は同じベクトルに動き、企業は活性化します。

自主的に取り組んでくれることを望むトップや幹部にはこれ幸いの方法ですが、失敗している実例は、マネジメントを手抜きしたい人のもとで起こっているといえます。
つまりプロセスに無関心なために「結果主義」に陥ってしまうのです。もともと結果主義で経営している企業が、脱皮する手段として成果主義を導入するものに、単に形を導入しただけで誰も行動を変えようとしないために、状態が変わらないのです。

これはすごく当たり前のことで、行動を変えない限り変わりません。
「目標を達成するとあなたの年間給与はこれだけになります」
これで変わる人は、モチベーションが高く自立心の強いひとです。
そういう人が少ないから、マネジャーの数が一般従業員より少ないのではないでしょうか?つまりエキスパートでしかできないことを万人に求めようとしているのです。
これでは最初から挫折が目に見えている。

成果主義を導入するなら、マネジャーが仕事の仕方を「結果主義」から「成果主義」に変えないといけません。つまりトップが方針を変えるだけでなく、トップをはじめ管理者全員が仕事の仕方を変えないといけないのです。
ところが、トップは方針を変えたが、管理者全員がノルマを背負っただけになっているのです。方針を変えても仕事の仕方は変わっていないのです。

仕事の仕方を結果主義から成果主義に変えないと成果主義にならない。そこで分りやすくするために、「成果主義」を「成果プロセス主義」と呼ぶようにします。結果ではなく、プロセスに注目するようにします。プロセスとは仕事の仕方、手順そのものへの関心です。正しい行動をしていたら、ふさわしい結果は出ます。

間違った行動をしていたら、やはりそれにふさわしい結果が出ます。 それにあわせて評価を変えます。「結果がよければほめる」ではなく、 「正しい行動が継続できるように励ます」に変えるのです。
正しい行動をしていても、ひとは気分で動くので、いつの間にか変わってしまいます。
それを防ぐためにプロセスに注目し、正しいプロセスが続くようにします。「正しい行動が継続できるように励ます」のは大変です。ずっと観察していないといけないからです。

「結果がよければほめる」は、ゴルフをしていてもできます。殿様のようなトップにはうってつけですが、意欲的なトップには不向きで、意欲的なトップが誤って結果主義を採用してしまうと、汗と涙の努力を台無しにします。

マネジャーが、ずっと観察していて、行動に注目して、励ましてもらえたら部下はうれしいものです。部下がやる気をなくしている一番の要因は、自分より上位の職位の人の無関心です。

成果主義は人を、金で動かすものと思い込んでいる人がいますが、そうではありません。
成果主義は心で動かすものです。それを明確にする意味でも、成果主義を成果プロセス主義と呼びましょう。

目標への到達方法を知っているエキスパートを育成する成果プロセス主義は働く人と企業にとって幸福の道しるべになるものです。



成果プロセス主義はブランド創造力になる

成果プロセス主義では心を動かす仕組みを用意して、スタートからゴールに至る全プロセスを支え続けるようにすることが必要になります。
成果プロセス主義を自律型マネジメントの核にして、自然にモチベーションを引き出します。その仕事の仕方が「WAY」になっていきます。


7つのゴールデンルールが個人を育み、チームワークを機能させチームに貢献することからブランド創造力になります。


この構造を支えるのが「励ましの心」です。




低い目標より高い目標のほうが達成しやすいものです。必要なスキルは別にして、成果プロセス主義であってもなくても、部下であっても、あなた本人であっても、目標達成のコツは、集中力をどう引き出すかです。そのために高いモチベーションが必要になるだけで、肝心なのは集中力です。

それには低い目標を設定しないことです。その理由は、低い目標は事実前提だからです。
難易度が低い目標、どうすれば達成できるかという工夫を必要としない目標だからです。人間は意識しないことはできないのです。

工夫が必要なことを難しくないとしたら、習慣化された結果なのです。習慣化されたことは、過去と同じ結果しか出せないのが普通です。
同じことをして違う結果が出ることがおかしいのですから、違う結果を求めるなら違うやり方を講じるようにします。そこで工夫が必要になります。

結果が変わらないような工夫は意味がないわけですから、どうせ工夫するなら少ししかしないのも、たくたんするのも手間は同じです。

ですから思い切り結果が変わる工夫をしたほうが手間が省けるというものです。
いくら工夫しても案が出ないのは仕方ないにしても、まずは、これ以上、逆さまにしても、もう出てこないというところまで、工夫を出すようにします。これは価値前提の経営すべての領域に言えることです。この点が事実前提の経営と決定的に違います。

成果プロセス主義は、価値前提の経営のプロセスとして打つ手ですから、当然、工夫することが内包されています。その点からも目標は低くしない方がいいのです。
経験のない人には、過渡期の対策として目標をベビー・ステップで置くといいでしょう。
ベビー・ステップ▶ストレッチターゲット▶ジャイアンツステップというように難易度がアップする目標設定をします)人と場合によっては、結果主義を使うことはありますが、ストレッチ・ターゲット以上の高い目標を設定するようのが常套手段です。

ところがこういうことを言うと理想論だと言い出す人がいます。その部分だけに注目したらそう思えますが、大局から観たら、また違って見えます。ジグソーパズルと同じで、小さな矛盾は結果的に大きな矛盾となってシステムにならないのです。

ジグソーパズルは、全体を眺めることができるので、間違いのあることが分ります。有無をいわさずやり直しをさせるか、あきらめるかのか選択を突きつけますが、現実は全体を観察できない。だから間違いが分らないし、あっても認められない。

報酬と成果は切っても切り話せない関係になります。しかもここでいう報酬とは金銭だけではない。生き甲斐、やりがい、意欲を伴います。


プロセスに「励ましの心」を定着させる
自立した一人の人間として「権利(スキル)」認める

・自分のための優先順位を決める権利。
・対等な人間として、敬意を持って扱われる権利
・自分の気持ちを言葉で表現する権利
・自分の意見と価値観を表明する権利
・「イエス」「ノー」を自分が選択して伝える権利
・間違う権利
・考えや気持ちを変える権利
・「わかりません」と言う権利
・欲しいものを欲しい、したいことをしたいという権利
・人の悩みの種を自分の責任にしなくてもよい権利
・周囲の人から認められることに頼ることなく、人と接する権利
・ポジティブでなかったり、自己主張しない 自分を選択する権利

12の権利は「スキル」です。
自分の権利を認めることで、 自分以外の人にも同じ権利あることを認めましょう。
権利を認めたらスキルだと考えましょう。

スキルは使ったらいい、使わないと自分を十分に使えないと知りましょう。
自分と相手の権利がぶつかった時、状況と状況がぶつかった時。そこには「境界」があることを忘れずに選択します。
何を選択するかは自分の選択と判断と行動です。つまり自分の責任を積極的に引き受けます。
その時々にいろんな状況、条件がありますが、自分の選択をあらゆる他人のせいにしないようにします、そのときの自分は自分が選択した自分です。積極的に日常に反映して自律心を育み、自立に向かうように進めていきましょう。


7つのゴールデンルール

自分と周囲の人を尊重し励ます
コミュニケーションスキル (効果的コミュニケーション ・対人関係)
プロセスに注目する 
自己肯定スキル(自己認識・共感性)
決めたことは責任をとる
できるまでやる
いまこの瞬間に集中する
意志決定スキル(意志決定・問題解決)
理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
目標設定スキル(創造的思考・批判的思考)
感情的な行動をしない
ストレスマネジメントスキル (感情対処・ストレス対処

7つのゴールデンルールが個人を育み、チームワークを機能させチームに貢献することからブランド創造力になります。





禅で言う「只管打坐」とは、「ひたすら、いまこの瞬間に打ち込んでいる」
「只管打坐」こそ、実はいま多くの若者が求めていることなのです。」そう言うと、不審そうな顔をされるミドルマネジャーが多いようです。つまりこの感じ方こそ、外食、流通サービスの人手不足を引き起こして大きな間違いです。

只管打坐とは、道元禅師の提唱された教え。ただひたすらになるまでただひたすらに坐禅をすること、

しかしたいていは、ただひたすらになるまでただひたすらになれずに適当にしてしまう。
この曖昧さが苦しみから抜けきれず、依存的な性質を強めてしまいます。依存的な性質を消費社会は迎合しますので、自分らしさを求めながらも、当人は、トリッキーな消費社会に取り込まれていて気がついていない場合もあります。

しかし、なかには十分認識している人もたくさんいます。そういうものとは一線を画し、自己実現を図ろうとする人たちです。
気がついている、いないにかかわらず、「只管打坐」は見過ごすことのできない言葉なのです。
ただひたすらになるまでただひたすらに行動するには、結果ではなくプロセスへの注目をしないとできません。このプロセスへの関心が苦手なマネジャーが多いのです。



人人悉道器 /報酬とは道を究める努力への贈り物と考える人になる



人人悉道器・・・・にんにんことごとくどうきなり」と読みます。この世に生まれた人は誰でも道を極める可能性を兼ね備えている、努力によって、もともと備わっている可能性が開くという意味です。

道を究めることで、もともと備わっている可能性を開いたことへの贈り物、報酬とは、自分という器への贈りもので、道を究めることで分け合っているといえます。


私たちが買い物するとき商品と交換に対価を支払っています。同じように、会社は労働に対して報酬(給与)という対価をを支払っています。その取り決めが労働条件です。

つまり 報酬、給与は「職務を果たすことで支払われるもの」です。

ところが報酬の本来の性格である職務給というより、むしろ存在給として支払っている会社があります。矛盾を内包している会社になるほどその傾向があります。
もしかして、あなたの部下は、あるいはあなた自身も、約9時間存在していれば無条件に支払われるものと錯覚していませんか?

でもムリもありません。小さいときから、親と一緒に暮らす過程で、「会社に入ったら自分で責任をもって職務を果たすんですよ」なんて教えていないと思うからです。もしそういう育て方をしているなら立派です。たいていは、「いい会社に入ったら給料もいいし、将来も安定するんだから、しっかり勉強しなさいよ」みたいなのが多いでしょう。これが間違った判断の始まりです。
だから会社に入る、会社にいることが重要になってしまい、報酬の意味が曖昧になるのもムリがありません。

入社したら、トップ、幹部、上司が個々に教えはするけど、しっかり嫌われないようにしなくては」と思ったり、「言われたことはちゃんとしないと」と考えたり・・・・ますます分ったようで分っていないことになっているものです。

だから、「どうなってるんだ!」と言われても、「そうは言われても」と状況、他者のせいにしてしまう。本人には全然悪気がありません。悪気がないから反省が反省になりません。

あなたの部下は、あなたの会社に売った自分の労働をどのような品質や種類であってもいいのではなく、予め指示 によって具体的に示された指定通りのものでなければならないとルール化されていますか?その場合においてのみ、対価は支払われる約束になっていますか?

たとえばあなたのお店のレジーで、無愛想に対応して、賞味期限が過ぎたものを販売しても、対価がもらえるとしたら、お店はどんどん信用を失い、お客さまを失います。こんなことが罷り通っていいのですか?そうではないですよね。

あなたのお店のレジーで、愛想良く対応して、賞味期限内の商品を販売してこそ、お店は繁栄します。そうでないと困りますよね。そのように指示も出しているはず。なのにお店では、私語が氾濫、お客さまが並んでいようが、少々お待ちくださいのひとこともなしに、無愛想に注文を聞くだけ。このような現実はいったいどうして起っているのでしょうか?このような事態の責任は誰にあるのでしょうか?

給与は、 あらかじめ指定された勤務先へ地理的に移動して、その場所に定められた時間内存在していたらもらえると錯覚していませんか?
そこまでひどくない?そうでしょうね?

では、会社に売っている自分の労働の品質や種類は、予め具体的に指示された指定通りのものになっていますか?

それでもない?
では、どちらに近いですか?

  • 「報酬」は、職務、与えられた目標を果たした行為に対して支払われる対価です。
  • 給与とは、約9時間存在していれば無条件に支払われるものではありません
  • 正当な対価は年齢、社歴、学歴、身分、職務の名称によって、多寡が左右されるものではありません
  • 労働者として売る「自分の労働」はどのような品質や種類であってもいいのではない
  • 予め命令や指示によって具体的に示されている指定通りの労働であった場合に対価は支払われます。
  • 予め命令や指示する義務と責任は上司にあります。
  • 人時生産性の意味は「人」「命じた職務」に支払われるのではなく、行為に支払うための尺度です。
  • さらに、「やりがい」という、お金に換算できない報酬があります。

人人悉道器。この世に生まれた人は誰でも道を極める可能性を兼ね備えている、努力によって、もともと備わっている可能性が開くという意味です。報酬とは、自分という器への贈り物だと考えられる人になりたいものです。