2012年9月28日金曜日

面壁九年/ひたすらの継続が自己効力感を育む




人生は選択の連続です。ただ選択するのではなく、いつも可能性が問題になります。
アサーティブ(積極的な自己表現)なコミュニケーションは自分のライフスキルによって可能性を開きます。
自分はやれると信じている自己効力感の高い人にとってはこの上ない楽しみになりますが、自己効力感の低い人にとっては、この「可能性」こそ頭痛の種なのです。

・衝動と抑制
・欲望と自制
・欲求の充足と不足

これらの差から生じる葛藤の処理能力は、自己効力感とダイレクトに結びついていてアサーションなスキルに影響します。

この差から生じる葛藤は、どこから来るのでしょう?比較するからです。自分と誰か。あるいは自分と理想。できていない自分と出来ているイメージ。やる気はあっても力があるとは思えない状況が葛藤の原因です。葛藤する人は、きっとやる気があり、真面目なのでしょう。しかし、コツコツが大切なことほど時間がかかるものです。続けることが成功の道のりなのです。

禅に「面壁九年」という言葉があります。「めんへきくねん」と読みます。何ごとも日々の精進の結果なのです。比較してあきらめるくらいなら比較しない方がいいのです。比較しても意味がありません。比較するなら、やり方の違いに注目すべきなのです。やる気があり、真面目なので葛藤するわけですから、その特長を活かして、やり方の違いを学べばプラスに作用することもあります。しかし、人はそれぞれ違うことも意識して、間違ったやり方を正すようにすればいいのです。「面壁九年」七福神でもおなじみの達磨和尚は中国の少林寺で9年間、壁に向かって坐禅していたと言います。投げ出さずにひたすらやるべきことに集中するのが成長の近道です。

葛藤の処理の仕方で、その人の一生の未来が容易に見えてしまうのも、自己効力感が繰り返しによって培われているためです。処理の仕方は、個人特有のもので、繰り返し行われる事で、その特性が強化されるからです。

衝動は感情とリンクしていて、不安をコントロールできる力は、精神活動のすべてに影響し、あらゆる場面で集中する意欲に影響を与えます。
コントロールできない者にとっても同じで、他のことに集中する意欲を妨げ、不安は知性を破壊します。
不安の強い人は作業にかかった途端に「その課題は自分にはできない可能性が高い」と予測するために、作業が進む前にギブアップしていることが多いので、真剣になれない、モチベーションが高くならない、継続出来ないといった負の連鎖が瞬く間に動き出します。

葛藤に向かい合ったときの処理の繰り返しがどのようにして起こっているのか、理解するうえで、とても分かりやすい事例をご紹介します。

幼児の無邪気な笑顔と要求から、生涯の生き方を予測することも可能です。
幼児は我慢が苦手ですが、我慢が自分の欲求を満たすポジティブな行為だと知った子どもは欲求を充足するために積極的に我慢を繰り返します。
そのプロセスでは、自分の感情も認識して、ストレスを処理しています。

つまりライフスキルの重要なスキルである<自己認識スキル>、<ストレスマネジメントスキル>を体験した上で、意志決定スキル、目標設定スキルを自分のものにしています。
その結果、自分の考えと行動を報告することで、保護者との間で効果的な.コミュニケーションを体験して、コミュニケーションスキル の心地よさを体験します。
我慢することで 獲得した心地よい体験は、繰り返されます。
幼いときの持続性を繰り返し体験することで、その特質は強化されます。

我慢できるタイプは成人すると社会性の高いグループに入ります。
一方、我慢できないタイプは、社会性が弱く、目標から後退することが多く、ストレスに弱く、小さい挫折に心が動揺、感情の起伏が激しく、その反動もあって強情だが優柔不断、自分をダメと決めつける傾向が強化されてしまいます。

幼いときの持続性を繰り返しの結果として、ストレスをバネにして、計画を立てて実行する力が強い楽観的なグループと、目標を持つことが苦手で、不安につぶれやすい悲観的なグループに大別できるようになります。
ストレスをバネにできる人とは希望を持つことができる人です。
希望とは楽観のことで、楽観とは計画を立てて達成のために気力を使える人、必要なら他者の援助やアドバイスを積極的に求めることができる人と定義出来ます。ストレスにつぶれる人は、この反対で、悲観的な人です。

悲観とは、一度挫折したらあきらめてしまうことが多いタイプ、自分をダメだと決めつけて、挫折しやすい。そのため逃げ腰になり、他者の援助やアドバイスを嫌います。
楽観的な人と悲観的な人では、ノーに対する感情処理能力に決定的な違いが発見できます。
楽観的な人は受け止め方が合理的で、ノーと言われても相手の虫の居所が悪いのか、あるいは自分のアプローチの仕方が悪るかったのか。
楽観的な人は、やれるように、やり直せばいいと考える事ができるので、PDCAのマネジメントサイクルをどんどんフルル回転できます。これが問題解決に拍車がかかる要因になり、解決が早まります。
悲観的な人は自分のせいだと決めつけ、思い込みが強く、この反対が起こりあきらめに走ります。あきらめる習慣はライフスキル全般に影を落とします。

しかも、自己効力感の違いは、集中力の違いになります。
たとえば、いままで取り組んだことのない講座に参加したとします。
聞いたことのない言葉、いままで知り合った人たちと違うタイプの人たち、このような雰囲気に呑み込まれ、自分には出来そうにないかも」と気になりだしたら、そればかり考えてしまい、講座は上の空。上の空なら誰でもマスターできないのが一般的ですが、隣の人は真剣に傾聴していて受講中は「できるか、できないか」について考えもせずに、ひたすら学んでいる。結果は明白です。
能力の違いではないのですが、片方は上の空だったために頭に入らない。
片方は傾聴した分、頭に入っている。結局、自己効力感が自己効力感を育む。楽観が楽観を育み、悲観が悲観を育む。つまり、幼いときの体験が繰り返し続いているのです。

ライフスキルの効用の意味は、なによりライフスキルの存在を認識することにあるといえます。そしてマスターすることが可能ということ。
その始まりは、時間を自分の意欲で塗りつぶすことです。

次の図をご覧ください。集中度と時間の関係性を示したイメージです。
















人はみんな24時間を授かっていますが、自分の持ち時間の使い方がそれぞれ違います。
図は起きている間の1日の12時間を表現していたとします。
黒が、集中した時間だとします。白は、その反対です。たとえばアルコールを飲んだせいで記憶にありませんという状態だとします。依存による時間の消費は、自分を忘れるための行為なので、ほとんどこれと同じです。

さて、問題は人には習慣性があり、毎日の行動を繰り返しているということです。
つまり黒の人は毎日黒、白の人は毎日白。これを両極端にしていろいろありますが、問題は毎日繰り返していることです。これが人生の差になります。まさしく人生の縮図です。

「面壁九年」ひたすらの継続が自己効力感を育みます。


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