組織を正常に創り正常に機能させるために責任と義務についてお話しておきましょう。
同業者であっても、大小に関係なく、組織の在り方は、随分と違います。単純に考えると同じ業種で成果をあげるには共通点が見られるものですが、実際にはまるで違うことが多いのが実情です。
その最大の原因は「責任と義務」の在り方も解釈も違いすぎるからです。しかし不思議なことに当事者にはあまりその意識がないのは、いくつもの同業他社を体験していないからです。そのため見学しても表面的になりがちで、特に「責任と義務」については、それぞれが自分の都合の良いように歪曲することが少なくありません。
責任とは、スペシャリスト(マネジャー)が、
①上司から数値目標を予告され、
②みずから実行計画を起案し、
③両者の合意の上に、
④実行を約束して、
⑤その目標を達成する
以上に尽きます。
ですから辞令を交付されたときから、請負契約書の締結と同じことになります。この意識がないと組織の背骨はまたたく間に歪んでしまい、組織は正常に機能しなくなります。
もしも目標数値が達成できないときは、請負契約のときと同じように契約したときの報酬が減額されることもあるのも仕方のないことです。そこまでしない会社の方が多いので、誤解をしてしまう人が少なくありませんが、それは期待値を含んで減額されていないと考えるべきなのです。
言いたいのは減額が目的ではなく、正確な実行計画を起案できるスキルと実行力を高めることなのです。
マネジャーには部下を持つマネジャーと部下を持たないマネジャーがいますので、部下を持つマネジャーの場合は部下を使って数値目標を達成する責任があります。それを織り込んでの実行計画を創る責任があるので、自ずと教育計画も含まれているはずです。ですから離職者が出ると実行段階で大きな痛手になります。この点も考慮されているはずなので、部下ののコミュニケーションについても細心の注意が必要になります。そこで組織づくりに不可欠な5つの条件にこだわりが生まれます。
1.人間の能力は教育によって無限に向上する
2.組織づくりが、やりがいと生きがいのある人間力アップのシステムであること
3.労働法規を遵守していること
4.労働条件を停滞することなく向上させ続ける
5.職能適性検査に基づく適正配置をする
数値目標の達成が組織を創っていく役割をしているのです。表現を変えると業績の良い会社ほど組織がしっかりしていくのです。
ところが「責任」の意味を誤解していると、組織がしっかりしていないから業績が良くないと解釈する傾向にあります。この発想は何かに影響して、問題は外部要因にあって、自分たち内部にあるわけではないと考えます。
この傾向が両極端となり、同業者でありながら、全く違う社風の会社が誕生することになります。
なぜそうなるのか?最大の原因は実行計画を起案できない点にあります。あるいは起案させない点にあります。
なぜなら、果たせるはずの能力があらかじめ確認されないかぎり、数値目標の手続きは始まらないからです。能力がない者に数値目標を与えることは、その段階で与える側の責任放棄だからです。会社が若く、能力が身についていない場合もありますが、だからこそ学習のためにも実行計画が必要になります。
実行計画が第三者に分からない状態でフォローすることは不可能です。なぜならどこが間違っているのか、誰の目にも明らかにならないため、主観でのフォローに頼るしかありません。つまり上司側がカンを働かせて、間違いを探さなければならず、何かにつけて否定的になる危険があります。不当にやる気をなくさせる可能性があり、それを嫌うとやたらと感情的に肯定して、問題を客観的に捉えて改善することができなくなります。そのため幾度、挑戦しても進歩ができないという不幸に陥ります。
若いうちは、その方が当人も楽ですが、やがて年齢にふさわしい責任ある態度がとれなくなります。当初は独身だった人でも、その頃には家族もいるはずですが、ふさわしい役職を全うする力量もついていないことになります。
計画目標と実績との差異が縮まらないで、頭をかけばすむという状態が長く続くはずがないのです。長く続けられるとしたら、何かが間違ったままなので、続けば続く程、後で支払う利息も膨大になります。
つまり責任制度とは、きわめて人間的な温もりを持ったものであって、自由な生きがいとやりがいをめざしているのです。それを誤解していることは、この放棄に他ならないのです。