2013年4月30日火曜日

「責任と義務」は組織の背骨



組織を正常に創り正常に機能させるために責任と義務についてお話しておきましょう。
同業者であっても、大小に関係なく、組織の在り方は、随分と違います。単純に考えると同じ業種で成果をあげるには共通点が見られるものですが、実際にはまるで違うことが多いのが実情です。

その最大の原因は「責任と義務」の在り方も解釈も違いすぎるからです。しかし不思議なことに当事者にはあまりその意識がないのは、いくつもの同業他社を体験していないからです。そのため見学しても表面的になりがちで、特に「責任と義務」については、それぞれが自分の都合の良いように歪曲することが少なくありません。

責任とは、スペシャリスト(マネジャー)が、
①上司から数値目標を予告され、
②みずから実行計画を起案し、
③両者の合意の上に、
④実行を約束して、
⑤その目標を達成する
以上に尽きます。

ですから辞令を交付されたときから、請負契約書の締結と同じことになります。この意識がないと組織の背骨はまたたく間に歪んでしまい、組織は正常に機能しなくなります。
もしも目標数値が達成できないときは、請負契約のときと同じように契約したときの報酬が減額されることもあるのも仕方のないことです。そこまでしない会社の方が多いので、誤解をしてしまう人が少なくありませんが、それは期待値を含んで減額されていないと考えるべきなのです。

言いたいのは減額が目的ではなく、正確な実行計画を起案できるスキルと実行力を高めることなのです。

マネジャーには部下を持つマネジャーと部下を持たないマネジャーがいますので、部下を持つマネジャーの場合は部下を使って数値目標を達成する責任があります。それを織り込んでの実行計画を創る責任があるので、自ずと教育計画も含まれているはずです。ですから離職者が出ると実行段階で大きな痛手になります。この点も考慮されているはずなので、部下ののコミュニケーションについても細心の注意が必要になります。そこで組織づくりに不可欠な5つの条件にこだわりが生まれます。

1.人間の能力は教育によって無限に向上する
2.組織づくりが、やりがいと生きがいのある人間力アップのシステムであること 
3.労働法規を遵守していること
4.労働条件を停滞することなく向上させ続ける
5.職能適性検査に基づく適正配置をする

数値目標の達成が組織を創っていく役割をしているのです。表現を変えると業績の良い会社ほど組織がしっかりしていくのです。

ところが「責任」の意味を誤解していると、組織がしっかりしていないから業績が良くないと解釈する傾向にあります。この発想は何かに影響して、問題は外部要因にあって、自分たち内部にあるわけではないと考えます。

この傾向が両極端となり、同業者でありながら、全く違う社風の会社が誕生することになります。
なぜそうなるのか?最大の原因は実行計画を起案できない点にあります。あるいは起案させない点にあります。
なぜなら、果たせるはずの能力があらかじめ確認されないかぎり、数値目標の手続きは始まらないからです。能力がない者に数値目標を与えることは、その段階で与える側の責任放棄だからです。会社が若く、能力が身についていない場合もありますが、だからこそ学習のためにも実行計画が必要になります。

実行計画が第三者に分からない状態でフォローすることは不可能です。なぜならどこが間違っているのか、誰の目にも明らかにならないため、主観でのフォローに頼るしかありません。つまり上司側がカンを働かせて、間違いを探さなければならず、何かにつけて否定的になる危険があります。不当にやる気をなくさせる可能性があり、それを嫌うとやたらと感情的に肯定して、問題を客観的に捉えて改善することができなくなります。そのため幾度、挑戦しても進歩ができないという不幸に陥ります。

若いうちは、その方が当人も楽ですが、やがて年齢にふさわしい責任ある態度がとれなくなります。当初は独身だった人でも、その頃には家族もいるはずですが、ふさわしい役職を全うする力量もついていないことになります。

計画目標と実績との差異が縮まらないで、頭をかけばすむという状態が長く続くはずがないのです。長く続けられるとしたら、何かが間違ったままなので、続けば続く程、後で支払う利息も膨大になります。
つまり責任制度とは、きわめて人間的な温もりを持ったものであって、自由な生きがいとやりがいをめざしているのです。それを誤解していることは、この放棄に他ならないのです。


2013年4月2日火曜日

組織づくりの基本



組織づくりの基本

1.人間の能力は教育によって無限に向上する
2.組織づくりが、やりがいと生きがいのある人間力アップのシステムであること 
3.労働法規を遵守していること
4.労働条件を停滞することなく向上させ続ける
5.職能適性検査に基づく適正配置をする



  1. 人間の能力は教育によって無限に向上する

実際はどうあれ、人間の能力は教育によって無限に向上すると考えて、教育
対策を綿密に設定し、つねに教育を推進することが組織づくりの基本です。

ところがこれを拒否または嫌悪する従業員が少なくないのは、会社側が用意した教育の内容と見通しとが劣悪なためと評価すべきである。その最大の原因は目標達成のプロセス、結果と評価が形式的であることが影響しています。評価するためにとってつけた評価であり、現実の活動から乖離してしまっているケースが少なくないからです。現実の活動とはなにか。目標が達成できる仕組みに則った活動です。

どうすれば求める結果に辿りつけるか、 結果から逆算して、プロセスを計画し、計画通りに実行して、ところどころ必要な修正を行い続けることです。
教育は必要なプロセスが実行できるようにすることにありますが、計画が逆算したものでなく、主観的な根性論なら教育は結果に寄与することは少なく、教わることが現実と違うためリアリティがなくなるので、嫌気がさすのです。

さらにそういう状態になれてくると、根性論が浸透してくるので、教育が余計なもののように思えてくるのです。このことは先にも話したようにマネジメント&コントロールが理解できないまま、当人は知り尽くしていると誤解してしまうのです。このような劣悪な環境を作らないように組織づくりの基本を正しく押さえておきたいものです。








計画は修正していますか


日本流の計画は、もともとスローガン的願望であることが多く、それゆえに途中修正がないのが一般的です。しかしあるべきシステムではむしろ修正が起こるのが条件のように考えられています。

但し期限直前の修正では計画の意味がありません。達成したかどうかは、計画と実績との差異の幅が誤差の許容限界内ならOK 、それを出ればノーです。許容範囲がない場合、計画はなく目標のみはスローガン状態である場合がほとんどです。つまり気合いでスローガンに取り組んでいる状態が続いているので、やる気なれば目標に近づき、疲弊すると目標から遠ざかるという気分次第の結果になってしまうのです。

もう一つ忘れてはならないのがスケジューリングの使い方です。

週単位の進行計画であり、週ごとに果たすべき課題が異なるから、遅れがある場合には本人をはじめ、関係ある職位、ポジションの誰にもわかることが大切なのです。そのためコピーした書類は、関係ある職位、ポジションにすべてに配られていることです。

これによって、しかるべき助言と、必要ならば強制力のある助言(勧告)、あるいは命令によって修正が行なわれるのが普通なのです。ときには同じ原因の問題が他にも起こっているとして、他のマネジャー、スペシャリストへも修正命令が出されることもあります。原因が本人によるものではない場合、その問題の解決、排除は他の職位で行なわれることになります。つまり指導、サポートがタイミングよく的確に行なわれるのです。

一般的に、こうしたスケジューリング、すなわち週ごとの進行計画表ができていないから、遅れが明確にはつかめない。なんとなく、遅れている感じだ
けで、時機を失してしまうし、計画は絵に描いた餅に帰してしまいます。

「計画」という言葉に権威がないのは、実はこうした修正や指導が不可能
なためです。それは計画の中身がまるっきり分からない、あるいは違っているからなのです。計画がないと主観による叱咤激励にしかできなくなるので、本来の仕事から離れ人間関係を複雑にしてしまうという全く違う次元の問題になるので、立ち入れなくなってしまうのです。

立ち入れなくなるとは、結局期限終了後にしか参加できないので、終わったことを云々することになりますが、これでは教育にならないのです。
教育の基本はon-the-job trainingですが、事後はONではありません。これを続けるため、誰も本当には仕事を知らないという状態が作られてしまうのです。




2013年4月1日月曜日

スペシャリストとはマネジメントする人






マネジメントのことを、「管理」というと、本来のマネジメントの意味から遠のいてしまい、保全、維持というイメージが強くなってしまい誤解を招きます。このため変化を嫌うマネジャーが出てくるという

マネジメントは逆に、自ら変化を起こし、変化することで、新しいよりよい状態と数値に迫っていくのが本質だからです。

どうでしょう?保全、維持が仕事の中心になっているマネジャーを見かけませんか?国会で問題になる人たちに、このタイプの人が多く批判の対象になっています。

随分と違いがあると感じてもらえると思いますが、感じないとすればかなり問題で、もし、マネジメントする立場にあるとしたら深刻です。

マネジャーは、部下に作業させることによって数値責任を果たせる人であり、数値責任を果たすことが仕事の本体です。

マネジャーつまりマネジャー・スペシャリストに対してタレント・スペシャリストは、みずから作業をすることで数値責任を果たすわけです。

タレント・スペシャリストとは部下を持たずに任務を果たすスペシャリストのことです。カーディラーの営業マンの方はその典型ですね。

マネジャー・スペシャリストは部下を持ち、部下を使って任務を果たすスペシャリストです。どちらもマネジメントをしている点では同じです。両者共に、最初に目標があり、それを達成するための努力を、さまざまにやりとげていきます。 成果主義にふさわしい立場の人と言えます。

さて、目標があり、それを達成するための努力を、さまざまにやりとげない人がいます。こういう人はマネジメントしているわけでもなく、スペシャリストであるはずもなく、スペシャリストになることを放棄しているといっても過言ではありません。会社が出来高主義だとこの種の人を増やしてしまいます。

部下がいても、いなくてもスペシャリストは自ら目標の達成の手段を用意し、実行する者であって、指示・命令を受けて作業するワーカーとは違います。