2013年4月2日火曜日

計画は修正していますか


日本流の計画は、もともとスローガン的願望であることが多く、それゆえに途中修正がないのが一般的です。しかしあるべきシステムではむしろ修正が起こるのが条件のように考えられています。

但し期限直前の修正では計画の意味がありません。達成したかどうかは、計画と実績との差異の幅が誤差の許容限界内ならOK 、それを出ればノーです。許容範囲がない場合、計画はなく目標のみはスローガン状態である場合がほとんどです。つまり気合いでスローガンに取り組んでいる状態が続いているので、やる気なれば目標に近づき、疲弊すると目標から遠ざかるという気分次第の結果になってしまうのです。

もう一つ忘れてはならないのがスケジューリングの使い方です。

週単位の進行計画であり、週ごとに果たすべき課題が異なるから、遅れがある場合には本人をはじめ、関係ある職位、ポジションの誰にもわかることが大切なのです。そのためコピーした書類は、関係ある職位、ポジションにすべてに配られていることです。

これによって、しかるべき助言と、必要ならば強制力のある助言(勧告)、あるいは命令によって修正が行なわれるのが普通なのです。ときには同じ原因の問題が他にも起こっているとして、他のマネジャー、スペシャリストへも修正命令が出されることもあります。原因が本人によるものではない場合、その問題の解決、排除は他の職位で行なわれることになります。つまり指導、サポートがタイミングよく的確に行なわれるのです。

一般的に、こうしたスケジューリング、すなわち週ごとの進行計画表ができていないから、遅れが明確にはつかめない。なんとなく、遅れている感じだ
けで、時機を失してしまうし、計画は絵に描いた餅に帰してしまいます。

「計画」という言葉に権威がないのは、実はこうした修正や指導が不可能
なためです。それは計画の中身がまるっきり分からない、あるいは違っているからなのです。計画がないと主観による叱咤激励にしかできなくなるので、本来の仕事から離れ人間関係を複雑にしてしまうという全く違う次元の問題になるので、立ち入れなくなってしまうのです。

立ち入れなくなるとは、結局期限終了後にしか参加できないので、終わったことを云々することになりますが、これでは教育にならないのです。
教育の基本はon-the-job trainingですが、事後はONではありません。これを続けるため、誰も本当には仕事を知らないという状態が作られてしまうのです。




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