2014年2月27日木曜日

戦う集団の言葉の使い方

組織の力は在籍する人の力の合計以上の力になって正しい状態です。
ところが組織力とひとくちに言っても、実際には戦う集団から烏合の衆まで、ピンからキリまでそのレベルには違いがあります。その違いはどのようにして生まれるのでしょうか?

ここに書いてあることは、誰でもが納得できる理にかなったことばかりです。つまり、当たり前のことです。

しかし、いざ実行になると、できない場合があるはずです。
その理由は、話として聞いたとき、読んだとき、納得できても、実際には違った解釈があったり、分かっていないからです。


景色を観ても観る場所によって違って見えるように、物事はそれを観る立場で違って見えるものです。

つまりいろんな角度で観た上で定義づけていくのと、あるひとつの現象だけを観て決めつけるのでは、全く違った解釈になります。矛盾はそこで起こるのですが、ともあれ個人が一生懸命に考えたことですので、自分の意見や価値観に執着します。そこで問題が起こります。


バランスの欠いた自分の考えが正しいと言い出したら際限のない混乱が起こります。組織を構成する人々、個々銘々の解釈によって行動がなされるとどうなるでしょうか?

烏合の衆になるのは必至です。私たちはそうして組織の力を引き下げてしまいます。


つまり組織としての定義付けが曖昧であると、同じ言葉を使っていても人によって解釈が違うために、行動の基準が違ってくるのです。

すると粗域内で行動のムラが発生します。そのムラをそのままにしておくとムラはさらに拡大し、ムダ、ムリは増え、混乱は増し、組織力は失速します。その典型が烏合の衆であり、周りのすべての人々を不幸にします。

一方、一枚岩で目標達成に臨んでいる戦う集団の同じ言葉には、同じ解釈、同じ反応をする特長があります。

<目標>という言葉の意味はひとつです。成し遂げるものであり、誤差の範囲も全員が認識しています。必ずやるという反応が見られます。集合があり、「どうすればできるか」を議論する時間の共有があり、準備があります。

戦えない集団には、<目標>という言葉の意味が100人いれば100通りある場合もあります。批判があり、愚痴があり、不満があり、思い込み、決めつけ、心理学でいう防衛が働いています。

いつの時代にも未来は不透明なものですが、現代のように変化が速い時代に、一枚岩になれない組織は衰退の道を転がることになります。

言葉を再定義することによって、価値観の統一を図り、組織に潜在する力を引き出し、戦う集団として目標達成を実現、そのプロセスで人の育成とやりがい、いきがいを創造し、組織と周りの人々の幸福を実現してください。


結 は行動の結 です。結 を変えるには行動を変える以外にありません。同じことをくり返しながら の結 を期待するのは常軌を逸した人間のすることです。