「円相」は禅の極地を語った「信心銘」に出てくる一句です。中国・隋時代に僧燦という禅僧が「円かなること大虚に同じ。欠くることなく余ることなし」とうたいました。大虚とは、宇宙のなりたちの源です。つまり「円とは宇宙の究極の姿に似て、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している」ということです。
足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している状態とは、なんと美しいではありませんか?ビジネスは、この「円相」とよく似ています。
組織には何人もの人が属していて、それぞれに主義主張があります。個々の立場に立つと、なるほどそれぞれに筋が通っているように思います。しかし、個々の意見は正しくてもつなぎあわせると矛盾だらけになります。間違いのない考えは、 どこからみても矛盾がありません。まさしくきれいな円を描きます。
私たちはよく原点に立ち戻れと言いますが、原点が間違っていると戻っても正しい行動はとれません。原点とは、すべてが調和している、円のはじまりであり、円の終わりなのです。ビジネス活動の中核をなす「仕事のあり方」は、美しい円を描くアートです。
組織とはなにか?
組織と個人の関係はどうあれば、両者は幸福なのか。誤解されやすいテーマです。
まず組織の正しい理解から始めましょう。会社はなぜ作られたのか、なぜ人が採用されているのか?組織と個人の関係の すべての出発点は、なぜ人が採用されているのか?という当たり前の整理次第です。結局、会社がうまくいくのは人次第」そんな言葉の原因はすべてここにある。能力、やる気以前の問題であって、間違った前提のままで、能力、やる気を問題にしても効果は出ません。
経営の基盤となる考えがあまりにも考えられることなく、気にもされることもないために、経営上の様々な部分で問題を引き起こしています。
ここでご説明することは、あまりにも当たり前のことですが、現実には間違った認識が起こっています。
▼ 組織の定義
- トップがやりたいことを、実現するための枠組み
- トップがやりたいことを、実現するため人々が従業員として集められました。
- トップのやりたいことが、実行されているのが良い組織です。
- トップのやりたいことが、実行されていないのが悪い組織です。
- トップのやりたいことを、分業で実行するのが組織です。
- トップがやりたいことを、具体的に数字で示したものが「目標」 です。
- 組織図に示された形が組織ではなく、組織とは分業の仕組みのことです。
- 分業とはチームワーク、つまり役割分担です。
- チームワークは、目的を達成する為に多数の人が役割を分担し自分の役割を達成する事。
- 分業しても、目的を達成するために行動していない集団は単なる寄せ集めです。
- 役割分担ができていないのは、役割をこなしていないか、こなせていないからです。
- 組織力とは、分業が機能して、全員の能力の合計以上の結果が出せることです。
- 全員の能力の合計以上の結果が出せない組織は、正しく分業ができていない証拠です。
組織にはいろんな人がいます。似ているようでも人ぞれぞれに、いろんな価値観があります。価値観は違ってもいいのです。最終的にあなたとあなたが仕事する組織と従属している人が、みんな幸福であればいいのです。
ただ、この質問の仕方では、「幸福」の価値観が問題になりますが。つまり人によって違うからです。この問題は厄介です。そのためマネジメントが機能しにくいという問題が引き起こされます。しかし価値観の統合なしに、マネジメントはできないので、多数決ではない最大公約数で求めます。
重要なのは、組織には数多くの日常語があります。問題は、その言葉のひとつひとつが組織単位で定義づけていること。全員が理解し賛成していることです。そうすると、あらゆる活動のプロセスに矛盾の生じないきれいな円が描けるようになります。論理の破綻がない価値観が統一された状態が形成されます。これがものすごく重要です。
たとえば金を稼ぐ手段としか考えていないトップがいます。毎日ゴルフとかに出かけて会社に出てこない。金を稼ぐ手段だから、会社をどうしたいのか目標がないので、人を育成することも考えない。働いて稼いでくれたらいい。儲かったら給料もあげるが、儲からないと給料も下げる。儲からない理由は努力不足と環境にせいだから、自分は関係ないので相変わらず会社に出てこない。競争相手を考慮せずに値づけするので、ユーザはどんどん離れて行く。こういう会社が本当にあります。会社は健全に機能しなくなり継続が困難になる間違った態度、行動ですが、これもこのトップのやりたいことなのです。
それをどう考えるかは、トップをはじめ従事するすべての人の選択と判断で、その基準が矛盾しないかどうかが、選択と判断のポイントになります。破滅のスパイラルに陥っていますが、この会社のトップは、自分の世界ではそれが成立すると判断しているのです。
この事例は極端にしても、共同体としての論理が破壊していると、機能不全を起こします。自社だけでなく、得意先やユーザ、株主、地域社会、これら全部会社と共にする共同体です。環境の問題も、共同体の破綻です。なぜ、破綻しているのかというと、幸福の定義を間違えているからです。
厄介なのは、みんなと同じと思える 定義づけで「こんなものでしょう」という判断をしている場合です。「こんなものでしょう」の蔓延が気になります。お役人の世界を例に出すと失礼ですが、納税者の立場で言わせてもらうと、「どうしたらできるか」を考えないで安直に「それはできません」ということの多さはいかがなものか。
それと同じことが自社に蔓延していないか。「やったけどできませんでした」って本当にどうしたらできるのか、考え実行したのか。その根源にあるのは「幸福の定義」を共有していないからではないのかという不満が自分にはあります。つまりやり方で会社はもっと良くなる。それができないのが、トップの責任なのです。トップが人生観、幸福に対する認識を間違えているからなのです。企業は人なりというように人の考え方と行動で決まっています。
人は自信がないと、目標を掲げない。あるいはランクを下げる。できない不安、目標に束縛されることを嫌うと、目標を掲げません。掲げても実質としては取り組みません。「そんなこと言ったってできっこない」こういうことを安直に結論を出す人がマネジャーにいると、幸福の定義はひどく惨めなものになります。
先の会社に出てこないトップ、自分の仕事の理不尽を自分で気がつかないのは、現実が怖くて仕方がないからです。従業員は惰性でやっている。賢い者はどんどん辞めていくから生産性はどんどん低下する。それでも人件費カットやなにやらでコストダウンできているので、今日はまだ存続している。でも、明日はない。
幸福をどうとらえているのか、それを問いかけたらリーダー失格は免れない。円どころの話ではない。話の入口で会話は頓挫しています。
幸福のランクはどんどんあげられるはずです。あげた分だけがんばらないといけませんが、頑張ればやれます。でも現実には、「こんなもんでいいでしょう」というがんばりたくない者もいる。
そこで羅針盤の役割を果たすのが指針であり、「トップのやりたいこと」なのです。そのポジションに立って 、幸福の定義を正しく決める。それを前提として、組織の定義を考えて合意しておく必要があります。
もちろん、ひとの価値観は様々なので、なにを語っても異論がある、考え方ですから、止められない。でも無理な意見は円にならない。矛盾によって必ず破綻します。
それをひとつひとつ丁寧につぶしていく。円にならない場合は組み立てのやり直しの繰り返しです。
で、いまはどんな時代かというと、この論理が破壊され過ぎていないかという疑問がつきまとうのです、私の頭のなかでは。それを一緒になって取り組んで解決してもらうために「ブランド・マネジャー」を作っている。
さて、組織の定義に戻ります。
トップがやりたいことを、実現するために、人々が従業員として集められこと、トップのやりたいことが、実行されているのが良い組織であること、その実行はチームワークによって為されていること。これらの基本が謝っていると経営のさまざまな点で矛盾が起こってきます。
そしてそれらの矛盾こそが、問題や課題をいたずらに複雑にしていることに注目しましょう。経営は本来とてもシンプルなものです。そして個人の幸福もシンプルなものです。原点に立ち戻れと言いますが、原点が間違っていると戻っても正しい行動はとれないのです。
「円相」は「一円相」と書いたり、図形の「○」と描いたりします。非常に難しい言葉です。円とは宇宙の究極の姿に似て、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結していることを意味します。正しい仕事は必ず円になります。
意見交換していると、意見の違いに出くわします。当然あっていいことで、違いも楽しい。同じでないといけない理由はありません。ところが、どうしても意見の相違があってはならない場面もあります。仕事の場面なんかで、「どう考えても、それはおかしいだろう。その判断は間違っている」ということがありまます。
でも、本人は譲らない。賢い人がバカになる瞬間です。自分はコンサルティングをしていて、よくそういう場面に出会ってきました。で、なにが問題かというと、ある課題だけを考えたら判断は間違っていない。でも、因果関係があるので、それをそういう判断したら、他で問題が生じるということが少なくない。人はひとりで生きていないし、ある問題はそれ単体のことではなく、他の問題と連鎖している。そこで「大局を観る」ことが欠かせない。
大局を観たら間違いだと判ることでも、大局を観ないと正解になってしまう場合が少なくない。一回、二回の失敗なら取り返しがつくだろうけど、何度も重ねるとひどいことになります。「大局を観る」ことができない人のもうひとつの欠点は、因果応報が判らないことです。
現実を判断して結論を出すのはいいけれど、その現実は自分、あるいは自分たちの誤った行動がもたらした点に注目しない。決して知らないわけではないけれど、注目しない。で、どうするかというと表面化した問題に手を打つ。「クサい匂いは元から絶たないとダメ」というのが本当なのです。
表面化したことは、たまたまの結果に過ぎない。手を打つべきは、誤った行動に向けてでないと意味がない。なのに表面化した問題に手を打つ。不思議な発想だと思うのですが、平気でそういうことをするひとが、たくさんいます。理由は判りませんが、それが気になって仕方がないのでしょうね。「こだわり」はものすごく重要なのです。
唯一無二なんて、こだわりのかたまりのような世界です。間違ったこだわりもあるので注意したいものです。「円相」を忘れないように心がけたいものです。