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2012年11月19日月曜日

天地与我同根 万物与我一体/ブランド力は信頼関係で育まれる


禅語に「天地与我同根 万物与我一体」と言う言葉があります。「てんとわれとどうこん、ばんばつとわれいったい」此の世に存在するものは全て同根。自分と他者とは一体、そこに区別するものはない。と言う意味です。皆同じ人間、同じ心を持ったもの、そこに優劣の比較もなければ、損得もない。損得が入り込めばよい関係は創れないというものです。互いに尽くし合うことが大切というものです。

他社との差別化要因の切り札になっている自律型マネジメントの本体は、天地与我同根 万物与我一体が言わんとする信頼関係の集積に他なりません。

自分の判断でなく、マニュアルに定めてあることをただそのまま接客するのと比べて、人が自分で判断して接客していると自然な印象を受けるものです。マニュアルと接客の関係に見る成功要因を考えてみましょう。
「挨拶をして普通に会話したらできるはず。」・・・経営者なら誰でもそう思います。しかしそれを励行しようとしたら、できないので、マニュアル通りにやるしかないと判断してマニュアル全盛になりました。

マニュアルやルールにがんじがらめにされて働いている人には、任されることをうらやましく思う人がいたりします。
一方、お客さまはマニュアル通りにする姿を見て侘しさを覚えながらも、マニュアル通りに実行できている姿に畏敬の念を覚えたことも事実です。

 マニュアルと接客の関係は大別すると以下の4通りになります。
  • 【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
  • 【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる
  • 【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
  • 【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている

マニュアルレスで自分の裁量で判断できることの喜びとやりがいは大きいのですが、そこには責任が必ずついて回ります。そこを自覚できない限り、マニュアルをなくすことはできません。

マニュアルを使っても、その通りできないというのは、マネジメントが機能していないことを意味しています。他に理由はありません。
「こうしてください」と決められたマニュァルがないということは、自由ということではなく、最良の方法を考えて実行しなさいという権限委譲の精神が実行されている証明です。そこには、任せる側と任される側の信頼関係が大切ですし、何がベストであるかを判断する良心と良識が求められます。良心と良識なくして自由はありません。

マニュアルがなく、各自これが仕事だと思うことをしているので、マネジャーは苛立ち、個別に攻撃をするというのは、マネジメントを間違えています。

【パターン1】と【パターン4】の間では、結果に辿り着く道筋があるのと、ないのとの違いがあります。努力していたらどうにかなるという話ではありません。いくら努力しても、方法が間違っていたらなりません。だからマニュアルを作って導入しても、思うようになるところとならないところが出てきます。

【パターン1】マニュアルレスで最高の接客ができる
【パターン2】マニュアルの範囲で最高の接客ができる

両者には共通する点がありますが、以下のパターンには共通する点がありません。

【パターン3】マニュアルの範囲のことが実行できない
【パターン4】マニュアルレスで各自これが仕事だと思うことをやっている

この両者には、マネジメントできない点で、共通するものがあります。
マネジメントとは決めたことを決めた通りに実行することです。
マニュアルレスで最高の接客を実行すると決めたら、そうするように持って行くのがマネジメントです。

マニュアルがないからマネジメントがないわけではない。ですから、マネジメントする立場、される立場共にマニュアルがあり、ルールがはっきりしている方が、仕事はやりやすく楽な場合が多いのが実態です。
10円のものを売っていてもブランドは作れます。1000万円のものを売っていても作れない者には作れません。

ブランドとは生き様、仕事の仕方が商品に与えている影響の大きさと品質の確かさです。
多様な価値観が混在する集団が、そこに人を介在させてブランドを築くとは、仕事の仕方の標準化なしに実現できません。つまり働き方の共感と共有です。
それをマニュアルなしに実現するには、ひとり残らず個人のパフォーマンスを最高レベルに引き上げることでしか標準化できません

「こんなものでしょう」と途中でお茶を濁すことを認めない文化と仕組みがないとできません。だから「ブランド」とは、これが仕事だろうと各自が勝手に判断する世界とは対極にあります

これはアメリカのデパート、ノードストロームの精神に通じるものがあります。
ノードストローム(Nordstrom)は、アメリカ28州で160店舗を展開する創業1901年の老舗デパート。「ノー」と言わない顧客サービスで有名です。
ノードストロームの就業規則には「どんな状況においても自分自身の良心と良識に従って判断すること。それ以外のルールはありません」としています。
そこから見えてくることは、良心と良識への認識のバラツキの範囲が最小であることが実行力に影響していることです。個々の作業の仕方は個人の良心と良識に任せるが、良心と良識では一致していることが絶対条件になる世界。マニュアルの世界はここが反対なのです。

作業の仕方は絶対に遵守だが、個人の良心と良識は問わない。分りやすくするために、極端な言い方をすると、もともと個人の良心と良識をあてにしていないのが、マニュアルの世界です。人を信用できない、そんなことに時間を費やすのは効率的ではないとして、作業さえ間違いがなければクレームは出ないという世界です。

マニュアルレスのマネジメントは、もっとポジティブです。
クレーム防止ではなく、感動を起こす最高のものを届ける。その態度がお客さまに伝わっている限り、クレームが出る確率は低く、称賛を獲得できるという英断を背景にしています。全員が自分でよしと思うことを自分で考え行動することでチームワークを実現する仕組みです。

ファストフード、コンビニエンスストァ、スーパーマーケットの膨大なマニュアルに比べるとすごく少ない世界でありながら、逆にそれを越えるものを提供する野心に満ちた世界です。

それは野球とサッカーの違いといえます。野球は一球一打について指示を出しマネジメントするのに対し、サッカーは一度ピッチに入ってしまうとベンチからのマネジメントはほとんどできません。サッカーは、野球以上に動きの中で連携と役割分担が要求されます。
サッカーは、チームメイトとの信頼関係のみならず、サポーターとの信頼関係も大事で、サポーターもチームメイトの部分のようなスポーツです。


では信頼関係を強固にしていくうえで欠かせないスキルとは、どういうものでしょうか。

たとえば スターバックスが目線にしているスキルはどうでしょう。
  • 1)自分への信頼感を高める率直であるスキル
  • 2)すべての他者の話を傾聴する誠実であるスキル
  • 3)サポートを求め、求められる対等であるスキル

率直、誠実、対等、これらはアサーティブの4つの柱に通じるスキルです。
この三つを実現する原動力となっているのが自己責任です。
自己責任への高まりが自律できる心を創造します。

自分への信頼感を高める。これは自己肯定するスキルです。その延長に自他肯定があります。自尊感情を高めることは一般には楽なことではありませんが、ライフスキルすべてに影響する最も重要なスキルで、他の2つのスキルを高める上でもどうしても必要なスキルです。自他肯定によって、他の2つを実現する力になっています。

聞く(hear)と聴く(listen)は違います。聴くとは、コーチングでいうところの"アクティブ・リスニング(積極的傾聴)"です。聴くという字を分解すると、耳と目と心があることが分ります。
人には、雑談など、ただ話を聞いてほしい場合があります。その場合は聞くようにしてあげます。しかし、大切なこと、心を伝えたい場合には、聴いてほしいと思います。
人の話を傾聴するとは、ただ話を聴くではなく、こころを感じ取るスキルが問われています。コーチングでも重要なスキルである 相手に話しやすいようにしてあげることが、結果的に聴きやすい状態を作りますので、自分の聴く態度が問われます。
積極的な傾聴は相手の気持ちを理解するスキル、相手の立場になって物事を考えるスキルにつながります。
これによって、仕事で重要なホスピタリティのスキルを身につけることになります。
 さらに言葉の向こうにある相手の心を感じ取るには、自意識が高くては聴き取れません。自意識が高くなるのは自尊感情が低いからです。そこで自己肯定するスキルが必要になります。

アクティブ・リスニングを習慣として身に付けることで、一人ひとりのパートナーが常に相手の立場で考えるようになり、互いに支え合い助け合うと同時にパートナー同士の絆を強め、働きやすい環境をつくります。

サポートを求めるスキルは、互いに支え合うという互助の精神を含んでいますが、これが甘えでなく自立心になるのは、自分への信頼感を高める意志が機能しているからです。
裏返すと、自立しようとしないから、サポートを求める必要がなく、誰の役にも立たない自意識だけが強化され続け、自分への信頼感を弱めます。
結局、日頃から、なにを問題にしているかの違いから、どんどん自分が成長する職場と、逆に全く成長しない職場ができあがるということです。

自分の人生は自分の選択と行動で変化します。
世の中や環境のせいにして、自分にできることをしないでいたら、できることも、やがては大きな変化を起こせる可能性も全部閉じてしまうしかないのです。

自分の人生は自分の選択と行動で変化します。
世の中や環境のせいにして、自分にできることをしないでいたら、できることも、やがては大きな変化を起こせる可能性も全部閉じてしまうしかないのです。

スターバックスにしてもノードストロームにしても、店というチームは自分でよしと思うことを自分で考え行動する自律型マネジメントによって顧客を惹き付けているのです。
他社との差別化要因の切り札になっているのは、いくつかの信頼関係に他なりません。

仲間との信頼関係
お客さまとの信頼関係

それを実現しているのが
自分の信頼関係
なのです。

つまり、それは個人の問題として切り捨てるか、共同体の問題として向かい合い考えるか、人へのまなざしのあり方が最終的に利益のもっとも大きな要因になっているのです。

自律型マネジメントの本体は、天地与我同根 万物与我一体が言わんとする信頼関係の集積に他なりません。

2012年10月10日水曜日

身心一如/アサーション3つのタイプ



「身心一如」・・・「しんじんいちにょ」という言葉があります。精神が安定すれば病は遠ざかるという意味です。心と身体の病気は別でも原因はひとつと言えます。
アサーションを語る上で重要な態度に3つのスタイルがあります。まず、アサーションを実現する態度であるアサーティブがあり、その対極の態度に、 アグレッシブ(攻撃的) ノン・アサーティブ(パッシブ/受身的)の2つがあります。アサーティブは率直、誠実、対等、自己責任を基本にした態度でコミュニケーションをします。身心一如を絵にしたような態度です。あとの2つには率直、誠実、対等、自己責任な態度が見られません。

【 アサーティブ 】

アサーションを実現するのはアサーティブです。
アサーティブな態度は、率直、誠実、対等、自己責任を基本にした態度です。
国の内外を問わず、民衆に支持された指導者の名言と共にそのモデルを発見できます。

アサーティブは、自分のことを大切に考えますが、同じように相手を大切にできる態度です。ホスピタリティにも通じています。自信を持って説得力のある心の豊かさを印象づけることが出来、互いの納得と理解のもとに発展的、継続的な協働(チームワーク)できる態度です。ビジネスに於いては、自分のゴールを実現するために、相手のゴールを考慮し、相手が仕事しやすいように環境を整えることができるスキルといえます。

部下を使う立場であれば、部下本人の自己実現、部下の育成を考慮しながら、自身の目標を達成するために、部下が仕事しやすいように配慮できる態度を恒常的にとれる態度です。世の中は結果がすべてですが、結果はプロセスの最後に過ぎません。だからプロセスをマネジメントし、コントロールする配慮を欠かすことなく恒常的に行うことを習慣化している態度とも言えます。

また、アサーションに注目していることから、相手が新人でも、どんなに偉い人であっても、その姿勢が変わることがないのも特長です。

変わらないのには理由があります。互いのゴールを尊重する力があるからです。尊重を可能にするのは、互いのゴールへの使命と願望が理解できて、客観的な認識と主観的な認識の双方のバランスから根拠を導きだして行動の基本に置くことが出来るからです。
コントロールについて注意したいのですが、人をコントロールすることは不可能ですが、人が場面と関わるプロセスはコントロールできます。つまり人間の気持ちをコントロールできませんが、作業、動作はコントロールできるという意味です。
作業、動作をコントロールして、本人に気づかせることで、人間の気持ちをある方向に向かわせることはできますが、大半は人間の気持ちをコントロールして、作業、動作をコントロールしようとします。それは出来ないという意味です。
【 アグレッシブ 】

アグレッシブ(攻撃的)は、自分のことを最優先する態度ですが、際立っているのは、自分の言い分やメリットを獲得するために、相手を言い負かそうと自分勝手な理屈を振り回したり、表向きだけ従ったり、威嚇したり、丸め込んだり、時には暴力に訴えたりするタイプです。

じぶん外の力を使うことで、強引さによって一時的には自分が勝利することも多いのですが、結果的には出来ればかかわり合いになりたくない、人が寄り付こうとしない担当者になってしまうことも少なくありません。しかしじぶん内の力が育む機会を自ら断ち切ってしまっているため、役職や地位から離れると無力感を味わうことになり、自己否定感が残ることになります。

実は、その自己否定感がアグレッシブ のスタートになっています。元来必要なスキルがないより、備えている場合が多いのですが、自身に否定感が強いため、アグレッシブ(攻撃的)な態度をとっている場合が大半です。積極的に率直、誠実、対等、自己責任を取り入れることでアサーティブに変わることが可能です。

【 ノン・アサーティブ(パッシブ) 】

一方、ノン・アサーティブ(パッシブ/受身的)は、常に自分より相手を尊重し、自分のことや自分の立場は二の次にしてしまう態度です。意見を伝えても主張することがなく、選択と決断を相手にまかせてしまうことが多いのが特徴的です。相手を敬うことは大切ですが、必要以上に頭を下げたり、相手の意見をそのまま受け入れてしまうことは、逆に相手を不安にさせるか、意味もなく尊大にさせてしまい「思い通りになる相手」と思わせます。アサーションから遠のいた状態を自ら作ってしまいます。

ノン・アサーティブ(パッシブ)は、とかく被害者的な立場に身を置くような結果になりがちです。しかし、自分の扱い方を他者に教えているのが、他ならぬ自分だという意識を持つことが重要です。自分が被害者なら加害者に置かれた者にも言い分があるということになります。結局互いに尊重出来ない関係にしかならないというのは不毛です。そんなことにならないように、自分を尊重することが他者を尊重することになることを忘れずにいたいものです。
アサーションに関して、アサーティブ、アグレッシブ、ノン・アサーティブ(パッシブ/受身的)、それぞれの特徴を次のようにまとめてみました。
仕事や日常生活の実際の場面で、その違いを確認してみてください


2012年10月7日日曜日

只管打坐/継続できる仕組みを創る



「継続は力なり」と言いますが、裏を返せばそれだけ継続は難しい。なぜ難しいかというと物理的に継続できないからです。だから継続はできないことを前提にした仕組みが必要なのです。さらにいうなら「そもそも継続するべき状態があるのか」というのも重要な問題です。

マートワンの「ビズアサーティブ」は、自分と他者を同じように大事にしながら、WIN-WINな関係を構築する自律型結果志向恊働主義をご提案しています。

アサーションに似た言葉には【アサーション Assertion】【アサーティブ  Assertive】【アサーティブネス Assertiveness】があり、微妙に意味が違います。

【アサーション Assertion】
遠い関係のものが近づくようにする活動
【アサーティブ  Assertive】自他ともに大事にする表現をする
【アサーティブネス Assertiveness】自他ともに大事にされた実感のあるWIN-WINな関係性

アサーションがいまほど問われる時代はありません。厳しい経済状況、精神性の崩壊、価値観の混迷などに切り札として機能するのは、アサーション、アサーティブ、それを職場に活かすことで得られるメリットをご紹介しています。マートワンの「ビズアサーティブ」はこの問題に向かい合い、矛盾のない世界をご提案します 

ビズアサーティブを語る前にちょっとした準備体操を。

ジョン ・レノンの「イマジン」ではありませんが。こんな世界を想像してみてください。
・3分の2の患者を無料で診察し、従来より50分の1も安価な装具を使う病院ネットワークがある世界

・都市部に快適で便利な公共交通網が普及し、年間数時間しか自動車を運転する必要がなく、しかもその自動車の燃料費は従来の半分で、使った分だけ払えばいい世界

・企業が数10万ヘクタールの森を開拓して超大国へ木材を供給しながら、森に暮らす動植物が守られている世界一職場や自宅の建物が、消費する量を超えるエネルギーを生み出し、クリスマスでも暖房不要、7月の猛暑でも冷房不要の世界

・毎日のように消費する商晶の梱包材が、土中や河川に堆積することなく分解されて肥料となり、自分にも子供たちの世代にも有害物質を出さない世界
・融資した顧客の4分の3を極貧生活から脱出させ、しかも採算が取れている銀行のある世界

・有機農法によって、集中農法と同等、もしくはそれ以上の生産性を達成し、農家に高収入をもたらすことができる世界

・化学工場が、有害物質の販売量ではなく、環境にも健康にも負担の少ないサービスを競い合う世界

・才能あるスタイリストが、画一的なモードを拒否し、自分の会社をつくって、Tシャツの市場リード、スタッフには最低賃金の2倍の給与を払っている。
ユートピアだって?
そんな世界が実際にあるんだ。僕らはそこを取材したのだから。
そんな起業家が本当にいるんだ。僕らは実際に会ったのだから。


「未来を変える80人 僕ら出会った社会起業家」 は、4大陸世界38ケ国での取材をまとめた本です。日本からは2000年スイスのシュワブ財団より認定された「古野農場」がピックアップされています。

金のためなら恥も外聞もない企業がある一方で、社会起業家が増えています。
世の中に貢献すること最優先にビジネスをしたひとたちです。
では、普通の起業家は、世の中に貢献していないのか、というとそんなことはありません。ただ優先順位がちょっと違うということでしょうか?日本でいうボランティア活動がビジネスになった印象。
なぜ、ここでこんなことを取り上げるかというと、問題にしたいのは「自主的」「自律的」というキーワードです。一般的になぜ働くのかというと「生きるために働いている」って感じがあるでしょう。

社会起業家の場合、これがひっくり返って、「働くために生きている」って印象があります。「何のために死ぬか、ムダに生きるか、自分で考えろ」は映画「ランボー最後の戦場」のセリフですが、社会起業家からはそんなセリフが聞こえてきそうです。どうして、そんな考え方ができるのでしょうか?

そこには人の役に立ちたいという切実があります。そこには、禅で言う「只管打坐」のこころがあります。

只管打坐」・・・・「
しかんたざ」と読みます。ひたすら坐禅することを言いますが、その真意は「ひたすら、いまこの瞬間に打ち込んでいることが幸福」にあります。「只管打坐」こそ、実はいま多くの若者が求めていることなのです。
道元禅師の提唱された教えで、 只管打坐の重要な点は、 ただひたすらになるまで、ただひたすらに坐禅をすること。つまり余計なものを全部そぎ落として行く点にあります。
たいていは、ただひたすらになるまで、ただひたすらになれずに適当にしてしまう。この曖昧さが苦しみから抜けきれない、依存的な性質を強めてしまいます。
依存的な性質を消費社会は大歓迎しますので、自分らしさを求めながらも、当人は、トリッキーな消費社会に取り込まれていて気がついていない場合もあります。

雑貨を買うために行列が出来る国です。しかし、中にはそういうものとは一線を画し、自己実現を図ろうとする人たちもいます。気がついている、いないにかかわらず、「只管打坐」は見過ごすことのできない言葉です。ただひたすらになるまで、ただひたすらに行動するには、結果ではなくプロセスへの注目をしないとできません。このプロセスへの関心が苦手なマネジャーが多いのです。
さて、これから言うことをひとことでいうなら、 スタバで働いているアルバイトの女のコって、ひとりひとりが社会起業家のひとりみたい。それが言い過ぎなら、ひとりひとりが店長みたい。そういう話です。

「スターバックスって、アルバイターやフリーターがお客さんによろこんでもらうのがうれしくて、”只管打坐”の思想でボランティア活動している喫茶店、そんなイメージです。」どうしてそんなことになるのかというと、「任されている気概」が個々にあるからです。
バックボーンに、「 人の能力を値引きしない 」という思いがあります。できないと考えるより、できると考える。できると考えるから、とてもたくさん勉強する。
休みの日でも出て来て勉強している。それを仲間が支える。お互いが励ましあっている。助けを求めたら、いつでも仲間が助けてくれる。

だから教わるよりも、助けてあげられる人に早くなりたいと、自律と自立を自分に求めて自分を叱咤する。無意識に自己啓発が起こる。そういう毎日を通して自分が変わって行くのが分る。
「給料は安いんです」個々にみんなそう言う。だけど「楽しいから、辞めたくない」という。その結果として離職率が圧倒的に低い。離職率が低い理由はシンプルです。考えるだけではなく、行動に置き換えるので、
楽しいいまが継続中だからです。 そういう人がスタバだけで、1万人以上もいる。できないと考える自分より、できると考えられる自分が好きだから、仕事が楽しい。楽しそうだから、そういう活気のある職場にしませんかという話なのです。
大変遅くなりましたが、ここからが重要な継続できる仕組みを創るです。
一般に「継続は力なり」と言いますが、裏を返せばそれだけ継続は難しい。なぜ難しいかというと物理的に継続できないからです。食事もすれば風呂にも入るし、睡眠もとる。逆に継続するとそれができなくなり、倒れてしまう。つまり継続とは、他のことに携わった間の状態からいかに迅速にテンションの高い元の状態に戻すのかという問題です。
それには戻すべき元となるテンション、モチベーションの高い状態を一旦作っておかないと戻しようがありません。継続できない最大の原因は「戻るべき元がない」のです。仮にも元になる状態があっても、意識していないのでたまたまの偶然でしかなく元がないのです。そうでない状態で休憩したり、仕事したりというのがダラダラの状態なのです。
そこでテンション、モチベーションの高い状態を一旦作りあげることが大事なのですが、継続できない人やチームには、実は仕組みの認識が元々ないので作る意識がない。人間はどんなに頭が良くても考えないことはできません。「スタバの離職率が低い理由」は成功法則の宝庫なのです。
物事には、それ自体に意味がありません。どう判断するかで、自分が意味づけをしているだけなのです。ひとつひとつの作業をどのように意味づけするかは、自分の判断です。同じものを見て、個々の判断が全然違うわけですから、判断の仕方を教える立場の人の判断はすごく影響があります。(続く)


2012年10月5日金曜日

萬法一如/アサーティブネスの歴史で知る矛盾のない仕事術




ある先進的な企業から、社内、社外ともWinWinの関係が作れるように、全国にいる全社員を対象に研修してほしいと依頼を受けました。

たとえば、結婚記念日で奥さんと待ち合わせをしている。そこに残業の依頼が入った。こんな時に、自分の予定を率直に伝えることができ、素直に受け入れることができる上司。このような権利を誰もが持っていて実際に履行できる関係を職場に落とし込みたい。

最先端事業を営む進取の大企業から、このような問題が職場にあり、互いがうまく好ましい関係が作れない。同じことはユーザとの間にもあり、WinWinの関係が作れていない。一刻も早く改善したい。その背景には過激な競争があり、WinWinの風土作りが欠かせないという判断から生じたものでした。

アサーティブな活動ができる会社にしたいという願いは進歩的で過激な競争を生き抜いている会社ほど強いのです。

萬法一如」・・・・「ばんぽういちにょ」WinWinの基礎 アサーティブ権でご説明した禅の言葉です。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。

矛盾のない仕事。すべての根源は同じです。人間は誰もが幸福になりたいと考えています。自分を認めてほしいと思っています。すべてはつながりを持ち、因果関係があります。因果関係に矛盾があるとストレスになり疲労し意欲はなくなります。ですからモチベーションを高める対策は、矛盾をなくすことです。

自分だけが幸福になりたいと思うと矛盾は至る所に生じます。みんなが互いのことを考えて働く仕組みでは矛盾はなくなります。問題はそうすると自分の利益が減ると考える習慣があることです。とんでもない勘違いです。その発想の根源は不安と恐怖です。不安と恐怖に支配されると人は間違いを間違いと認識できなくなってしまう弱い生き物なのです。弱い生き物がジャングルを生き抜く方法として間違った考えを採ってしまい、結果的に不安を現実にしてしまうのです。

次の言葉をどう考えますか?

魂が自分の意志を持とうとするのはまったく自然のことで、したがって生後二年の間にうまくやってしまわなければ、その後からではとても目的を達することはできない。この生後すぐの時期は、力や強制を自由に使えるという点でも大変都合のよい時期なのである。子どもたちは成長するに従い自分が赤ん坊だったころにあったことをみな忘れてしまう。であるからその時期に子どもから意志を奪ってしまえばその子どもはその後自分にも意志があったことなど決して思い出さないし、その際手厳しいやり方をしても決して後に悪影響を残したりしない。

子どもの不服従はすなわち、あなたの人絡に対する宣戦布告と同じである。あなたの息子はあなたから支配権を奪おうとしているのだから、あなたは力を持って力を制し、あなたに対する尊敬を揺るがぬものにしなければならない。そうでなければ教育などとてもできはしないのだ。息子に、あなたこそ主人なのだということを思い知らせなけれならない。

犬や猫に対する教育方針ではありません。17世紀中期のヨーロッパに於ける人間の子どもの教育方針です。17世紀ですが、止まる事なく流れるタイムラインで継承されていて、似たような考え方はいまでも散見できます。民主主義になり、数は減りましたが、その断片が大人の世界ではまだ残っていて、マネジメントの不安から抑圧が生まれています。

働いて自分がうれしい、お客様もうれしい、会社もうれしい、「萬法一如」はWin-Winの世界を表した言葉なのです。それはまさしく幸福生産性を高める基本的な教えです。

アサーティブの概念はどのようにして生まれたのか、その歴史をふりかえってみます。

アメリカ 1896年。アメリカ最高裁が下した「分離すれども平等」という考え方は人種差別待遇は憲法に違反しないと判決を下しました。

「分離すれども平等」とは、白人と黒人を分離して暮らす体裁をとっても、せ別していることにあたらないという解釈です。もちろんまやかしです。この判決によって白人と黒人が同じバスに乗ったり、学校へ行ったり、レストランで食事したりすることができなかったのです。

1954年には「ブラウン裁判」が行わました。「ブラウン裁判」とはカンザス州に住む黒人ブラウンは自分の娘を近所の小学校に入れたいと願ったが、白人学校という理由で拒否されたことで、教育委員会を相手どって起こした裁判です。実際には黒人組織NAACPが白人社会に叩き付けた闘争といえるこの裁判は、最高裁に持ち込まれます。

全米が固唾を飲んで注目した判決の行方は、事実上まやかしであった「分離すれども平等」の判決を覆すという歴史的な結果となりますしかしこの判決に不満をもつ白人感情は激しい闘争にエスカレート。KKKの黒人リンチ事件が相次いで発生するようになり、陽気なアメリカ人の暗い影の部分が浮き彫りになりました。

1955 年12月、後に公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスという女性が、アラバマ州モントゴメリーの市バス内で席を移るよう求めた白人男性に敢然と拒否、バス運転手の通報で駆け付けた警官に逮捕され、収監されました。

「もう我慢しない」と決めたローザ・パークスの 事件をきっかけに、当時ほとんど無名だった故キング牧師を中心とした長期間の抗議行動に発展。翌58年に米連邦最高裁が差別は憲法違反とする判断を下しました。

白人社会への黒人の対抗が強くなる一方で、1954年、黒人音楽であるゴスペルやリズム&ブルースをベースにした白人によるロックンロールが誕生します。

1956年には、アメリカ全土の若者を熱狂させました。その原動力になったのがエルヴィス・プレスリーでした。白人でありながら黒人のように歌う彼のパフォーマンスは文化を変えるに十分な威力がありました。しかしまだロックンロールを受け入れる社会ではなく、エルヴィスが歌ったクリスマスレコードをオンエアしたDJが首を切られたり、レコードが焼き尽くされたり、コンサート会場の貸し出し禁止などが相次いで起りました。

しかし若い世代はプレスリーを通じて知った自由を支持し、世の中は従来の価値観から変わりはじめていたのです。

そして、1963年8月28日、黒人の公民権運動のために「私には夢がある」と訴え全米の黒人の心をひとつに束ねたマーティン・ルーサー・キング牧師率いる20万人のデモ行進がワシントンで行われます。

やがてその抗議は全米で黒人暴動という形で広がっていきました。





米ソ冷戦、ベトナム、国内外に問題を抱えたまま、3ヶ月後にフロンティアスピリットを訴えたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件が発生。さらに2年後の65年にハーレムでマルコムX暗殺、その4年後、北アイルランドで公民権運動が起こりました。

アサーティブネスは、黒人差別に対抗したこの公民権運動にはじまり、やがて女性差別に対抗した1970年代の女性解放運動に引き継がれました。
アサーティブネスの基本概念は人は誰でも自分らしく生きる権利があるというものです。黒人も白人と同じ権利を持っていいのではないかという主張は、白人を否定するものでもなく、あなたもOK、私もOKの主張です。

同じく女性もOK、男性もOKの主張です。
それは、ひとはみな、 誰かに強要されたり、抑圧されることなく、自分の考え。 感じ方を率直に表現してもいいということです。 
自分を認めることは、同時に他者も認めることなのです。

互いを尊重することを基本とするのがアサーティブネスです。このアサーティブネスの考え方を職場や教育の現場で生かそうというのが、私たちの提案です。 

自分の将来、ライフスタイル、スケジュール、人間関係を自分自身で決定する能力を持つようにする。人づきあいを深めるようにし、必要であれば他者へ援助を求めることをためらわない。

自分の権利を守るために「いや」と言いたい時は率直に言う。

相手から話しかけられるのを待つのではなく、主体的に自分から会話を始めたり、目標を設定して、達成に努力るなど、積極的に自分を表現することで、同時に他者のそれらも受容する態度を尊重するものです。
「萬法一如」「アサーティブの歴史」にモチベーションが高まり、さらに自律した組織を創る「矛盾のない仕事術」のヒントがあります。

2012年10月3日水曜日

自性清浄心/意欲を出せば意欲が返って来る




禅には自性清浄心・・・・「じしょうしょうじょしん」という言葉があります。人間はきれいな心を持っているものだから、互いにきれいな心を出し合う事でいい関係が生まれるという意味です。優しくすれば優しさが返って来る。親切にすれば親切が返って来る。意欲を出せば意欲が返って来る。
ところが職場では意欲を出しても怠け心しか返って来ない、厳しくしないと怠けてしまうとか、愛を忘れて愛のムチだとムチばかり入れることが少なくないのです。結局、一番大事な「私たちは人間だ」ということを忘れていつしか目的を忘れてしまうことが少なくありません。
そのような職場では「目標数値」だけがあり、自律心を失ってしまいます。自律のない職場になると「厳しくしないと怠けてしまう」「(愛のない)愛のムチ」が横行するようになり、退職率が高くなり、残った社員は無気力な人中心というようなことにもなりかねません。意欲を出しても怠け心しか返って来ないのには、<上司→部下>のコミュニケーションその問題を含めて本質的な欠陥が潜んでいると考えたほうが良さそうです。
「自性清浄心」を忘れないようにしたいものです。
会社内で生じるすべての問題の根源はコミュニケーションの悪さにあります。偏見に満ちたコミュニケーション観は、すべての行動を歪める恐れがあるので注意したいものです。風通しを悪くする要因は、強引さと抑圧で、どちらも歪んだ人間観、社会観に裏づけされているので注意が必要です。

特に問題になるのは、自分の意見を明確に伝えられない過度の抑制ですが、ビジネスにおけるアサーティブ(積極的な自己主張)を考える上で、アサーティブ以前の問題を考慮する必要があります。
それは部下を持つ身、上司を持つ身、両方を持つ身、中間管理職が上司と接する場合、同じく部下と接する場合。同じように接するわけにはいきません、決して日和見主義ではなく、それぞれの立場があり、どの立場に対しても尊敬や尊重が欠かせないからです。尊敬、尊重のあるところ、自分の意見、考えだけを伝えればいいということはなく、あるいは相手の意見を聞けばいいというのではなく、相手に考えてもらうことが欠かせません。

つまり自分の意見を伝えるのではなく、相手の考えを引き出し、さらに自分と意見交換することで、考えてもらう機会を提供することです。この姿勢なしにアサーティブはなく、また語るべき内容と方向性が曖昧なままにコミュニケーションはできないと考えます。
ビジネスシーンの<上司→部下>のコミュニケーションのあり方は、大きく分けると3タイプだといえます。
  • 言いたいことを言う
  • 言いたいことが言えない
  • 言いたいことをいい、聴くべきことを聴き、接点を見いだし、客観的にして、もっとも優れた方法を合意、採択する。

コミュニケーションは相違する価値観のぶつけ合いですから、意見に対して反対意見があって当然です。この調整こそがコミュニケーションすることであり、調整能力がコミュニケーションスキルです。ですから調整のあり方に、人物像やビジネスセンスを計り知ることができます。
<上司→部下>の関係は、ある意味、腕力勝負みたいなところがあります。そこで「言いたいことを言う」「言いたいことが言えない」というようなことが生じてきます。この方法は、どちらも大きな欠点を内包していて、上司、部下共倒れになる可能性が非常に高いリスクがあります。

言いたいことを言う

アグレッシブに言いたいこと言う場合の問題は、相手の価値観を抑圧して、理解なしに、こちらの言い分を押しつけになるケースが多いこと。そのために意欲を引き出すことができず、言われたことをやっていたらいいという感じ方を強化していまうことです。
反対意見があっても傾聴せず、ルールや慣習で結論に到達したりすることも少なくありません。反感や嫌気がさすのを感情的なフォローでサポートするため、親分子分の関係を強化することになります。

たとえマニュアル型マネジメントのスタイルをとる運営の場合でも、能力の値引きをしたこのやり方は、どこからみても刹那的で、部下から考える力を奪うので人材育成、生産性の面で、その効果は小さいものになります。やりがいを求める建設的な人や、部下に自分の成長が見込めないと感じる分別があると辞めてしまうことも少なくありません。

言いたいことが言えない

アサーティブの対象となる言いたいことが言えない人は多いもので、努力が認められて管理者になった途端、これまでと打って変わって無気力になる人もいるほどです。思うように自分の意見が言えない人は、言いたいことを言う人とは真逆のタイプに思えますが、実は自己肯定感が乏しく、自己認識スキルが乏しい点で根本は同じタイプと言えます。

自己認識スキルとは、WHO(世界保健機構)が幸福で豊かな人生に欠かせないスキルとして掲げたライフスキルのひとつで、自分の感情を知るスキルで、ライフスキル全般に強く影響します。
自己認識ができないと感情処理に困難をきたし、目標管理やコミュニケーションに問題を生じさせてしまうからです。仕事や生活のいろんな場面で適切な対応をするには、自分の感情を知っていないとできません。しかし、自己認識ができないと、感情に書き込まれ、その不快感に適切な対応をするか、気分転換するか、あえるいは放置したままになります。気分転換するにも同じことがいえます。放置したままになるのは、どう対処していいのか判らない、つまり自分の感情を認識できないことに起因します。

自己認識の処理は人によって違い、次の3タイプに分類できます。
自己認識ができるタイプ
自分の感情を知り、対処方法を身につけているアサーティブな人。自律心が強く健全で活発な人生観を持つことができます。
状況が悪く不快感を持つ場面に遭遇しても、根気と意欲で迅速に脱出し、本来の自分のペーズを取り戻せことができるタイプです。ライフスキル全般の力を活用できるタイプの基礎的な力になります。
受け身タイプ
 自分の感情を認識できるものの、自分でコントロールできず、感情に流されてしまうノンアサーティブなタイプ。極端な表現をすると活発なタイプと憂鬱な感情に浸るタイプがあります。

呑込まれタイプ
自己認識ができないので、自分の感情をコントロールできず、感情に翻弄されるアグレッシブなタイプ。状況に適切に対処できず自分の感情に圧倒される。ライフスキル全般の力を弱めてしまい、場合によればライフスキルがほとんど機能しないことも起こってきます。

「言いたいことを言うタイプ」「言いたいことが言えないタイプ」。そのどちらも自己認識ができないタイプであるため、感情処理が苦手で、コミュニケーションに欠陥を持ってしまうのです。

マンパワー、人間力とは、「人間関係力」に他なりません。つまり様々な価値観を持った人との間で、多様な価値観と調整していく能力です。自分の都合を相手に押し付けるのも、相手の都合で自分が動くのも、「人間関係力」では失格です。

自分が抱えている間違った価値観では、健全に、人を指導したり、育むことはできないのです。彼ら中間管理職が、円滑なコミュニケーションを苦手としているのは、大局観に問題があるからです。中間管理職とは、すべても決裁権がないのが一般的です。

しかし立場上、トップでなければ判断できないことを代行するかのように処理しなければならない場面の連続です。このとき、「おれも辛いんだよ、分ってくれよ」というスタンスで、部下に了解を求める人が少なくありません。この望ましくない態度を、
高圧的に打って出るか、抑えめに接して相手の自主的な理解を得るかの違いで表現しているのが、「言いたいことを言うタイプ」「言いたいことが言えないタイプ」です。
そのどれもが、信頼を築けない、共感を起こせない、意欲を引き出せないという点で失格なのです。
さらにこの間違ったコミュニケーションの繰り返しは、冒頭に述べた「会社内で生じるすべての問題の根源はコミュニケーションの悪さにある」を具現化してしまいます。
コミュニケーションとは、価値観の違いを認めた上で、ある価値観ややり方に合意し、共感することです。

「なんでもいいからやってくれたらいい」という態度は、会社内で生じるすべての問題を新たに生み出すか、強化するだけでしかないのです。

アサーティブを間違えて理解すると、以前は怖々話していたことを、勇気を出して話せばいいのだという解釈にもなります。
ここで説明したように、ただ話せばいいではなく、話す以上に相手のいい分を聴くことが大事であり、それは共感を呼び起こすことが目的である点に立脚していなければならないのです。

<上司→部下>の関係は、ある意味、腕力勝負みたいなところがあると、言いましたが、実は、力負けしていても、逆にそれを武器に信頼を獲得して、部下全員から支持され思う以上の結果を出している管理者の方もいます。
無口で、雄弁とはほど遠いタイプ、人徳と言ってしまえばそれまでですが、人を観察する力や説得力による核心をついたコミュニケーションによって強い共感を部下全員と共有しているからです。
中間管理職は、伝達者でなく、伝動者でないと、その職は果たせません、

つまり、トップが火の用心しろと言えば、次の階層の人は、スローガンをポスターにしろと伝え、ポスターを用意する人は、消化器を用意するように指示、消化器を用意した人は消化器の使い方のトレーニングをするように指示し、消化器の使い方のトレーニングした人は火の用心マニュアルを作成の指示を’して、火の用心マニュアルを作成した人は、火の用心マニュアルの読み合わせを指示する・・・・というように具体的に浸透させていくのです。

しかもただ具体的に浸透したらよいというのでhなく、「火災」についての価値観を末端まで間違いなく確実に明確に伝えいく。それができて伝動なのです。
伝達は、トップが火の用心しろと言えば、すべての階層で、火の用心しろと伝えられて、最終的に火事になったというような笑えないようなことが平気で起こります。

「言いたいことを言うタイプ」「言いたいことが言えないタイプ」は、どちらもメッセンジャーでしかなく、価値観を末端まで間違いなく確実に明確に伝えいくことができないために、最終的に「前に言っただろう」というやり場のない場面に必然として辿り着くことになります。
中間管理職が、その任務を果たせるようになるには
メッセンジャーでなく、伝動者になることです。伝動者たる管理者は素晴らしいということではなく、伝動者でなければ、必ず会社内に問題の引き金をひいてしまうのです。
その弾丸が問題化したとき、なにが原因だったのか、なかなか気がつかないものです。

そして大半は外部や、自分以外に原因があると考えますが、「言いたいことを言うタイプ」「言いたいことが言えないタイプ」に甘んじていなかったか、反省をしない限り、根本的な解決は図れないと考えるべきなのです。

■伝道者になるには、どうすればいいのか

トップが価値観を明確に示している場合は、それに準拠すればいいのでうが、示していない場合、価値観を補足して所属する従業員すべてに理解しやすいように調整します。
このとき、もっとも簡単な出発点は、下の図のように社内の組織図の頂点に「お客さま」を据えることです。

(図:組織図)
会社というところは、「顧客満足」と言うワリにはお客さまのことを話題にするより、社内の人を問題にした発言が多いものですが、それだけにお客さまを話題にする会社が拡大を実現して利益も出しています。この組織図こそ、中間管理職にとって錦の御旗なのです。
そして御旗の魂が「価値観」です。「私たちはお客さまをどうしてあげたいのか。」というテーマによって価値観は御旗への浸透する方法を得ます。
そして、共感を得るために、下の図のように、従業員の幸福はお客さまの幸福、会社の利益は三位一体であることをどれだけ分りやすく伝えることができるかが伝道者のスキルとして問われます。

(図:三位一体)

この三位一体によって仕事の仕方、その質と量をどうするべきかが議論になります。
「言いたいことを言うタイプ」「言いたいことが言えないタイプ」も、この議論が苦手ですが、その理由は錦の御旗を持っていないことと、従業員を幸福にする思想を間違えているか、あるいは不足しているからです。

従業員を幸福にする思想とは、ひとりよがりなものであってはいけません。人間は公共性、社会性のある生き物です。そこから外れると歪んだ価値観を土台にするしかありませんが、それでは、何度も言うように成長性を逸してしまうことになります。

「言いたいことを言うタイプ」「言いたいことが言えないタイプ」どちらも、必然で議論を避けずにいると、話し合うことで互いの価値観を認め合うプロセスを経過するようになります。その上で、部下の価値観に立脚して部下の幸福を考えると、自分ができることの限界を思い知らされます。
中間管理職にとってできることは、従業員の幸福、お客さまの幸福、会社の利益による三位一体の追求でしかないことが分ります。

そして、三位一体への没頭が信頼感になり、説得力も共感もここから生まれてきます。
アサーティブという問題は、ここを原点としないとビジネスの現場では通用しないと思います。
学問としてその考え方を学ぶのなら結構ですが、本来の自分の能力を発揮して生きやすくなりましょうというのが、アサーティブの目的ですが、部下を持った人が三位一体への没頭なしに自己主張できることはないのが現実社会です。

「言いたいことを言うタイプ」も「言いたいことが言えないタイプ」も、過ちの原点は、伝道者でないことです。そこを改めると、状況は瞬く間に変わることでしょう。

零細の小売業なら町を変える、中小企業なら日本を変える、大企業なら世界を変える。思いきった発想を本当にすることこそ、スタートだと思います。その根底には人への尊敬、尊重があることは言うまでもありません。

「自性清浄心」を忘れないようにしたいものです。

2012年9月30日日曜日

天地与我同根 万物与我一体/心開いて私はOK, あなたもOK



スタッフの意欲が低いと悩んでいる アサーティブなコミュニケーションの阻害要因となる人間関係。 

マネジャー(管理者)の悩みとして一番多いのが、スタッフの意欲が低いという問題です。どのように低いのかと聞くと、ほとんど同じように、もっと自主的にやってほしいということです。マネジャーの心中を察するとよく分かる悩みです。 

そこで、マネジャー諸氏に、スタッフの作業のプロセスに関心を持っていますかと問いただすと、同じように「それはほとんどない」と返ってきます。 つまり、複数の指示は出すものの、その後の作業進行中に関心を持っていないということです。

ですから結果には関心があるがプロセスの「確認」が非常に少ない状態です。マネジャーが関心を持っているのは主に「結果」だけのようです。 

禅に「天地与我同根 万物与我一体」・・・・「てんちとわれとどうこん ばんぶつとわれいったい」と読みます。すべては自分と他人は一体、同じ人間、同じ心を持っている同根であり優劣もなければ区別などできないという意味です。 

違和感を感じる方も多いかも知れませんが、大局観を持ってみれば大した違いがあるわけでもないので、心開いて本音で語り合えば似たような者。自分を大切にしたいように、相手のことも大切にしてあげればもっと相手のことも考えることができる。そうすれば損得勘定で考えることもないはず。

想像が現実を勝っていないかという戒めです。思い込みに振り回されずに、心を合わせるようにすれば人間関係も深まり、共感・共有も可能になるでしょうということです。 ところで、人間の交流パターンは以下の通り4つあります。

私はOK, あなたもOK(自己肯定、他者肯定)


・私はOK, あなたはNO(自己肯定、他者否定) 


・私はNO, あなたはOK(自己否定、他者肯定)

 
・私はNO, あなたもNO(自己否定、他者否定) 

この4つの内、どれかがあなたの基本的な対人及び自分自身との交流パターンです。基本的なコミュニケーションの構えともいえます。  

相手によって変わる場合があるように思っている方も多いと思いますが、相手が誰であっても、基本的な構えは変わりません。この基本的な構えの上に個別の対人関係が乗っていると考えてください。 

さて、あなたは4つの内のどれでしたでしょうか? 次に、もうひとつ質問です。
この4つの内、自分が幸福になれる交流パターンはどれでしょうか? 

あるいは、よい状態で、店の運営や会社の経営が行えるアサーティブな交流パターンはどれでしょうか?  

 自分や周囲を幸福にするアサーティブな交流パターン。 少し考えていただくと分かると思いますが、自分が幸福になれる交流パターン、あるいはよい状態で、会社の経営、部門、店の運営が行える交流パターンはひとつしかありません、 私はOK, あなたもOK
(自己肯定、他者肯定)だけです。 あなたの交流パターンと同じでしたか? 違う場合は、あなたの交流パターンは、いますぐ捨てるのが賢明です。私はOK, あなたもOK(自己肯定、他者肯定) 以外は持っていても役に立たないばかりか害になるばかりですので、全部廃棄してください。   

スタッフの意欲が低いと悩んでいるマネジャーに質問です。目的を持って育てようとしているか? 自主的にできるようにしょうとするなら、
自立している、しょうとしていることが欠かせません。

さて、スタッフの自主性の問題ですが、目的をもってスタッフを育てようとしているでしょうか? 具体的にどんなスタッフになってもらおうとしているのでしょうか? 「目先の作業をこなすことしか頭にない」そう語るマネジャーが大半です。  

自立させるように日常的に関わっているか重要になりますが、その点はいかがでしょうか? マネジャーが、自立させようと取り組まないと自立しません。 なぜならスタッフはマネジャーの指示で動くのが仕事だからです。 

ではなぜ、自立させようとしないのでしょうか?
自主的にやってほしいと願うなら、自立できるようにするのがいいはずです。 自主的にとは、「自立も自分でしないさい」ということなのでしょうか? もし、そういう人物を想定していたとしたら、
そういう部下でないと使えないというような状況であったら、私は、真っ先にマネジャーは不要でないのかと考えます。 

マネジャーの仕事は、部下を使って目標を達成することです。

その役割に集中していたら、「しかし」も「もし」も、考えるより先にどうすれば部下を思うように使えるか。 つまり目標達成に必要な部下の能力を引き出し、能力をフルに使うかに集中します。その前に、目標達成に必要な自分の能力を引き出し、能力をフルに使うかに集中します。 


その状態が、私はOK, あなたもOK(自己肯定、他者肯定)の出発点、アサーティブなコミュニケーションの必要な条件です。



2012年9月29日土曜日

一心不生/大きな問題は小さな問題のかたまり



「一心不生」・・・「いっしんふしょう」 
禅の言葉で、意味はある人には問題になるが、別の人には問題にならない。ほとんどの問題とはそういうものです。それを分別することなく、受け止め自分にとって、問題として考える。それを「一心不生」といいます。
私たちの仕事の現場はまさしくその典型的な場であり、そして多くの人は問題を共有するより、自分に関係のないことは無関心を装います。その結果個人にしわ寄せがいき頑張っている人、そうでない人が出てきます。
毎朝5時起床、帰宅は12時前。
もし自分の愛する人が毎日12時間以上働いているとしたらどう思いますか?

こんな仕事の仕方はどこか間違っていませんか?
単純に人手不足のせいでしょうか?
あるいは業績が芳しくないからでしょうか?
ただなんとなくそれが習慣のようになっているから?
どうしてそんなことになっているのでしょうか?

電話一本で、平気で休む人がいる一方で、その穴埋めに、多忙を極めたり、時間外労働を引き受ける人がいます。
有給休暇を取る人、取らない人。
同じ職場の同じ規律で働いて、どうしてそんなことがまかり通るのでしょうか?

生産性があがるような方法を教育もせず、訓練もせず、指示もせずにいて、利益が出ないのでと無理強いをする。
休みもとらず、給料もあがらず、ボーナスも少なく。その切なさの原因はなに?
自分が休まず、無理することに慣れていて、部下にもそれが当たり前の顔をする上司がいます。それはヘンなことだけど、上司はとってもいい人。

いつもどうすれば給料をあげられるかを考え、悪くても業界水準並みは払いたい。
それが出来ないのは経営者の恥と考える社長。
一方、 従業員と来たら、給料は自分で稼ぐものとは思うこともない。
予算自体 を甘く考え、単なる数字のゴロあわせですませて、焦点はボケたまま。
それをひたすらガマンして、文句も言わずに気を使う社長。
それってヘンです。

手伝い合うって言えば感じはいいけど、忙しければ、いつでも手伝ってくれるという甘えがはびこっているだけの職場。

実際は責任を考えたこともなく、自分の役割を果たそうともせずに、結局「フリーター、アルバイトだから」の言葉と意識で完結。
働く顔と遊ぶ顔は同一人物と思えないのはどうして?
それを注意したらチームワークが壊れるからって見て見ないふり。
それってヘンでしょう?
ヘンだと思うけど、波風立てるのもイヤだなってガマンする。
それで幸福になれるのかな?

ガマンして、ガマンして、結局、お互い不幸なだけじゃないですか?
どちらかがガマンするのではなく、両方が幸福になれる
【WIN-WIN】な方法ってないと思いますか?

自分の気持ちや考えを、率直に、誠実に表現することを抑えてしまうのはどうして。誰にとっても人生の主人公は自分です。

だれかにとってその他大勢かも知れないけれど、誰だってその他大勢ではない。
自分を大事にするから、同じように周りの人も大事にしてあげる。
具体的に、どうしたらいいのでしょうか?

その基本が「率直な自己表現」・・・つまり対等・率直・自己責任・誠実で構成された自己主張です。

「対等」であること。
「対等」というのは、自分が相手よりも上だとか、相手より下だとか、敵対的な考えにとらわれることなく、同じ立場の人間として向き合うことです。
仕事はチームワークで進めることが多いので 、役割で上下関係が出来たりします。しかしそれと人間であることは別です。役割上命令したり、されたりしても、人としては対等なのです。
対等な扱いをしない人は、自分より弱い人には見下しがち。なにより自分を自分で見下しては自分が可哀想。

「率直」であること。
「率直」とは、遠まわしな表現をしたり、くどくど言いわけしないで、気持ちや自分の意見をシンプルな言葉で表現することです。
自信がなかったり、責任回避をしようとすると、知らず知らずに率直さを欠いた表現になり、結局相手を遠ざけてしまいます。
「自己責任」であること。
「自己責任」とは、自分の行動は自分が選択する、その結果にも自分で責任を持つこと。人の言いなりになったり、人のせいにしないことです。
人に譲る人は、言葉にしないけど、人のせいにしてしまう。
気がついていないけれど、これが自分を疎外する原因になります。

「誠実」であること。
「誠実」とは、自分にも相手にも、正直に向き合うこと。
自分を抑えるのは、正直な自分を隠しているので、心から向き合うことがない。
だから相手はつまらないと感じます。
でも自分を抑えた人は相手のためにしたことと思っています。
だから気持ちがすれ違う。
いくら相手を思って抑えても、それを喜ばれることはありません。
心を向けずに表現するのは正直ではないので報われることはありません。

仕事をしていく上で、もっとも大きな力となるのは、働く意欲です。
働く意欲はもっとも率直な自己表現です。

日頃から自己主張を抑えていると瑞々しい意欲は失われていき、自分を自分で疎外することを促進してしまうのです。
アサーティブ。 つまり対等・率直・自己責任・誠実で構成された自己主張は、チームワークの源であり、チームワークとは自分の役割を果たせる集団のこと。
「一心不生」
大きな問題は小さな問題のかたまりなのです。ひとりひとり、ひとつひとつの小さな問題を放置するから、矛盾が生じてきます。つまりチームワークが機能していないから、最後にはだれの問題か分からない大きな問題になっているのです。
それを解決する糸口は我慢するのではなく、対立するのではなく、ひとりひとりが対等・率直・自己責任・誠実で小さな問題を放置しないことです。そうすると矛盾がなくなっていきます。

2012年9月28日金曜日

面壁九年/ひたすらの継続が自己効力感を育む




人生は選択の連続です。ただ選択するのではなく、いつも可能性が問題になります。
アサーティブ(積極的な自己表現)なコミュニケーションは自分のライフスキルによって可能性を開きます。
自分はやれると信じている自己効力感の高い人にとってはこの上ない楽しみになりますが、自己効力感の低い人にとっては、この「可能性」こそ頭痛の種なのです。

・衝動と抑制
・欲望と自制
・欲求の充足と不足

これらの差から生じる葛藤の処理能力は、自己効力感とダイレクトに結びついていてアサーションなスキルに影響します。

この差から生じる葛藤は、どこから来るのでしょう?比較するからです。自分と誰か。あるいは自分と理想。できていない自分と出来ているイメージ。やる気はあっても力があるとは思えない状況が葛藤の原因です。葛藤する人は、きっとやる気があり、真面目なのでしょう。しかし、コツコツが大切なことほど時間がかかるものです。続けることが成功の道のりなのです。

禅に「面壁九年」という言葉があります。「めんへきくねん」と読みます。何ごとも日々の精進の結果なのです。比較してあきらめるくらいなら比較しない方がいいのです。比較しても意味がありません。比較するなら、やり方の違いに注目すべきなのです。やる気があり、真面目なので葛藤するわけですから、その特長を活かして、やり方の違いを学べばプラスに作用することもあります。しかし、人はそれぞれ違うことも意識して、間違ったやり方を正すようにすればいいのです。「面壁九年」七福神でもおなじみの達磨和尚は中国の少林寺で9年間、壁に向かって坐禅していたと言います。投げ出さずにひたすらやるべきことに集中するのが成長の近道です。

葛藤の処理の仕方で、その人の一生の未来が容易に見えてしまうのも、自己効力感が繰り返しによって培われているためです。処理の仕方は、個人特有のもので、繰り返し行われる事で、その特性が強化されるからです。

衝動は感情とリンクしていて、不安をコントロールできる力は、精神活動のすべてに影響し、あらゆる場面で集中する意欲に影響を与えます。
コントロールできない者にとっても同じで、他のことに集中する意欲を妨げ、不安は知性を破壊します。
不安の強い人は作業にかかった途端に「その課題は自分にはできない可能性が高い」と予測するために、作業が進む前にギブアップしていることが多いので、真剣になれない、モチベーションが高くならない、継続出来ないといった負の連鎖が瞬く間に動き出します。

葛藤に向かい合ったときの処理の繰り返しがどのようにして起こっているのか、理解するうえで、とても分かりやすい事例をご紹介します。

幼児の無邪気な笑顔と要求から、生涯の生き方を予測することも可能です。
幼児は我慢が苦手ですが、我慢が自分の欲求を満たすポジティブな行為だと知った子どもは欲求を充足するために積極的に我慢を繰り返します。
そのプロセスでは、自分の感情も認識して、ストレスを処理しています。

つまりライフスキルの重要なスキルである<自己認識スキル>、<ストレスマネジメントスキル>を体験した上で、意志決定スキル、目標設定スキルを自分のものにしています。
その結果、自分の考えと行動を報告することで、保護者との間で効果的な.コミュニケーションを体験して、コミュニケーションスキル の心地よさを体験します。
我慢することで 獲得した心地よい体験は、繰り返されます。
幼いときの持続性を繰り返し体験することで、その特質は強化されます。

我慢できるタイプは成人すると社会性の高いグループに入ります。
一方、我慢できないタイプは、社会性が弱く、目標から後退することが多く、ストレスに弱く、小さい挫折に心が動揺、感情の起伏が激しく、その反動もあって強情だが優柔不断、自分をダメと決めつける傾向が強化されてしまいます。

幼いときの持続性を繰り返しの結果として、ストレスをバネにして、計画を立てて実行する力が強い楽観的なグループと、目標を持つことが苦手で、不安につぶれやすい悲観的なグループに大別できるようになります。
ストレスをバネにできる人とは希望を持つことができる人です。
希望とは楽観のことで、楽観とは計画を立てて達成のために気力を使える人、必要なら他者の援助やアドバイスを積極的に求めることができる人と定義出来ます。ストレスにつぶれる人は、この反対で、悲観的な人です。

悲観とは、一度挫折したらあきらめてしまうことが多いタイプ、自分をダメだと決めつけて、挫折しやすい。そのため逃げ腰になり、他者の援助やアドバイスを嫌います。
楽観的な人と悲観的な人では、ノーに対する感情処理能力に決定的な違いが発見できます。
楽観的な人は受け止め方が合理的で、ノーと言われても相手の虫の居所が悪いのか、あるいは自分のアプローチの仕方が悪るかったのか。
楽観的な人は、やれるように、やり直せばいいと考える事ができるので、PDCAのマネジメントサイクルをどんどんフルル回転できます。これが問題解決に拍車がかかる要因になり、解決が早まります。
悲観的な人は自分のせいだと決めつけ、思い込みが強く、この反対が起こりあきらめに走ります。あきらめる習慣はライフスキル全般に影を落とします。

しかも、自己効力感の違いは、集中力の違いになります。
たとえば、いままで取り組んだことのない講座に参加したとします。
聞いたことのない言葉、いままで知り合った人たちと違うタイプの人たち、このような雰囲気に呑み込まれ、自分には出来そうにないかも」と気になりだしたら、そればかり考えてしまい、講座は上の空。上の空なら誰でもマスターできないのが一般的ですが、隣の人は真剣に傾聴していて受講中は「できるか、できないか」について考えもせずに、ひたすら学んでいる。結果は明白です。
能力の違いではないのですが、片方は上の空だったために頭に入らない。
片方は傾聴した分、頭に入っている。結局、自己効力感が自己効力感を育む。楽観が楽観を育み、悲観が悲観を育む。つまり、幼いときの体験が繰り返し続いているのです。

ライフスキルの効用の意味は、なによりライフスキルの存在を認識することにあるといえます。そしてマスターすることが可能ということ。
その始まりは、時間を自分の意欲で塗りつぶすことです。

次の図をご覧ください。集中度と時間の関係性を示したイメージです。
















人はみんな24時間を授かっていますが、自分の持ち時間の使い方がそれぞれ違います。
図は起きている間の1日の12時間を表現していたとします。
黒が、集中した時間だとします。白は、その反対です。たとえばアルコールを飲んだせいで記憶にありませんという状態だとします。依存による時間の消費は、自分を忘れるための行為なので、ほとんどこれと同じです。

さて、問題は人には習慣性があり、毎日の行動を繰り返しているということです。
つまり黒の人は毎日黒、白の人は毎日白。これを両極端にしていろいろありますが、問題は毎日繰り返していることです。これが人生の差になります。まさしく人生の縮図です。

「面壁九年」ひたすらの継続が自己効力感を育みます。


2012年9月26日水曜日

無心/WIN-WINな関係を実現する



アサーション権の理解が役に立つ最大の理由は自分も相手も傷つけないコミュニケーションをするためです。よりポジティブな表現をすると、WIN-WINな関係を実現することです。
WIN-WINと言葉するのは簡単ですが、中国や韓国との領土問題を例にとっても、なかなか難しく、それぞれの主張を相手に押し付けているばかりでは、うまくいきません。

お客様との関係でも敵対的になることがあるのが現実です。どうしても自分の欲求や所属する集団の欲求に注目してしまうためで、うまくいくはずの商談でもまとまらなくなります。
WIN-WINはテクニックでなく、在り方ですので、本当にWIN-WINをめざす気持ちがないと意識もできないものです。ともすれば私たちは日頃から気にかけている家族との関係ですら、WIN-WINから離脱する傾向にあるので、注意が必要です。
禅に「無心」という言葉があります。自分の内にある一切のはかりごとを捨て、ひたすら祈る。そうすると自然に傾聴できて、周囲の人の心に自分の心が入っていけるようになります。障害物がなくなるからです。無心になれないとどうなるか、事例で考えてみましょう。
たとえば・・・・・
出かけていった子供が帰ってこない。親は心配する。いろいろ想像する。心配した挙げ句、知り合いに電話して確認する。緊張と疲労がピークになろうとした矢先に帰宅する。顔を見ると安心して抑えつけていた不安が怒りに変わります。

子供を罵倒する。いま何時だと思っているのだ。連絡くらいしろ、なにをしていたんだ。バカヤロー、帰ってくるな!心にない言葉が出てしまいます。叱られることを理不尽と思った子供は反撃する。誰がこんな家に帰ってくるものか。
相手の感情に注目せずに、つい自分の感情に注目して 互いに気持ちとは裏腹な言葉が飛び出し、とるべき行動を忘れる。本当は安心して抱きしめたい気持が反対の言動になっている。

コミュニケーションのまずさから不要な不安を引き起こしたその結末が、コミュニケーションの断絶によって、感情の表現と適切な行動が打ち切られる。残されたのは「感情的な行動」という混沌とした行動です。
たとえば・・・・・
幼いこどもと母親。お父さんを迎えに行った場所に、お父さんはいない。待ったけれど来ない。こどもは不安と寂しさから泣き出す。
「うるさいわね。すぐに来るから泣かないの」と言えば、子供はさらに泣きます。自分の気持ちを判ってもらえない悔しさから、今度は母親に向かって泣いている。

この瞬間、母親の取る態度によって、こどもは救われます。その事例。
別の母親は「悲しいのね。大丈夫よ。もうすぐ来るからね。”お父さんがいないから、悲しかったよ”って言ってやろうね。」子供は頷きながら泣き止みます。自分の感情を判ってもらえて安心したからです。
前者の母親は、自分の感情に注目しましたが、後者の母親はこどもの感情に注目しました。その結果、相手の行動も、自分の行動も正反対です。
自分の行動を変えれば結果はまったく違ったものになる。ビジネス・アサーティブがもっとも伝えたいことは、この違いです。

もっと相手の感情に注目してあげるとWin-Winは容易になります。
アサーションとは、ひとことで言うなら、人を大事にすることです。関連した言葉にアサーティブ、アサーティブネスがあり、微妙に意味が違います。それぞれ次のようになります。

【アサーション Assertion】 

   遠い関係のものが近づくようにする活動

【アサーティブ  Assertive】

   自他ともに大事にする表現をする

【アサーティブネス Assertiveness】

   自他ともに大事にされた実感の持てるWIN-WINな関係性
ビジネス・アサーティブの始まりは、コンセプトから。どのようなビジネスでも、共通しているのが人間に対するサービス業だということ。人間に対するサービス業でない仕事はないと言えます。すべての人に夢と感動を与えるものでなければ成功は難しいでしょう。なぜなら成功とは、すべての人に夢と感動を与えた結果でしかないからです。

2012年9月25日火曜日

時時勤払拭/世界は使われていないイエスで溢れている




時時勤払拭/世界は使われていないイエスで溢れている

私は、世界はまだ使われていないイエスで溢れていると感じています。

イエスとは、やった!、その通り!いいぞ!、野球やサッカーなどスポーツでのファインプレーに感じる気持ち、言葉。ビジネスシーンではWIN-WIN、笑顔や握手したくなる瞬間。

使われていないイエスとは、待ち望んでいる気持ち。イエスと言いたいけれど言えるような状況ではない。期待はずれ。 一体誰が暗いニュースを聞きたいものか。
つまり、こちらの出方で相手はいつでもイエスという状況にある。みんなウズウズしている。
禅に「時時勤払拭」という言葉があります。時時、つまり常に邪念、妄想を払い拭き、心を汚さずに勤めることで、自分本来の清らかさが表れるという意味です。自分の在り方でプロセスが変わり、結果も変わります。なにごとも自分次第なのです。自分の足下を清らかにして取り組むことこそ始まり。つまり精進することです。
これをあなたの仕事に照らせば、ひたすら顧客を想い、顧客があなたに出会えてよかったと思える会社作り、店作り、仕事作りをした上で、知ってもらえるように告知する。告知で知ってもらうのは、「一生懸命の生業」で、それを通して、体験でもって会社作り、店作り、仕事作りの結果を伝えて感動していただくことにつきます。これこそがアサーティブ(積極的自己表現)の本質なのです。
しかし現実は、会社作り、店作り、仕事作りをせずに、アリバイづくりのような告知をもって告知していますという。何から何まで他人事なのです。邪念、妄想に自身を曇らせていて全然清らかでない。全然アサーティブではない。冒頭に言ったように、”つまり、こちらの出方で相手はいつでもイエスという状況にある。みんなウズウズしている。使われていないイエスで溢れている”という次第なのです。

教育、治安、モラル、マナーは音を立てて崩れる勢い。危機感から「美しい国づくり」「生きる力の再生」と言った首相をよってたかって潰しにかかったのは数年前。一国の総理に、そこまで言わせたのは他ならぬ国民の責任なのです。
しかしメディアが叩けば、同じように石を投げる。批判するのは簡単だが、良識あるはずの評論家までケチをつける。批判するなら代替案のひとつも出すべきところだが、それもないままに、リベラルなあの人も批判していると無自覚に相乗りして批判する。

人間の品性が失われる状況にあって「美しい国づくり」がなぜ悪い?どのような良識なのか疑いは晴れないままに去り、「こいつら」「あいつら」と下品極まりない表現の評論家が人気を博すのは「美しい国」をあざ笑ったメディアならではの当然のおぞましさか。

そう思っていたら、同じ意味のことを書いている方がいました。他界された阿久悠氏が、その著書「清らかな厭世」で怒っているのです。
「悪いのは社会だ時代だ いや制度だと言っているけど つまりは一人一人の哲学だよ」と題したページに、『無関心、無軌道、無気力、無神経、無責任、無恥、無茶、無定見、無頓着、無表情、無理無体、そして無礼とバラエティーに富んでいる。思えば不気味の初期は「三無主義」といった。』

さらに続けている。「勤勉と正直と正確を野暮だと嘲ったら只の怠け者の国になる」「勤勉と遊蕩の値打ちがいつの間にか逆転し真面目の生き場所がない」阿久悠氏の他界が悔やまれます。
労働は悪、休息と消費こそ美徳のようなわけの分からん、かっての真っ逆さまの価値観がまかり通るかと思えば、経済危機の嵐。メデャアはいたずらに不安をあおりたてる。ご丁寧に音楽入りでドラマ仕立てで恐怖心をあおる。危機と無の山を前にして、なのをどうするか、ビジネスと向き合う人にとっては、気概が問われる正念場。

で、どうするか。まず原点に立つ。

人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。これこそが原点。
世界中、どこに言っても読み書きをする地域の人々にとって、すべての活動は、そのためにあると言って過言ではありません。先進国であればあるほど、その傾向は強い。

だから、なにを目指すかは明白です。価値ある存在だと知らせてあげればいい。それをきちんと届けられたら、商売は間違いなく繁盛します。

どのようにして届けたらいいのか、そこが難しいと言うより先に、まずは思い出していただきたい。

あなたの会社に、あなたの営業所に、お客様を称える、励ます、応援する習慣があったかどうか。サービスを良くしろではない、人と人の関係性の問題としてです。昨今言われるホスピタリティ。

繰り返しますが、人は誰でも、価値ある者と思いたい、思われたいと思うものです。
自分が大切にされてないと感じると心ばかりか、体調までおかしくなることが少なくありません。大切にされていないと感じると、その原因を自分が劣っているからだと思うこともあります。

だからどんな店が衰退し、繁盛するかは明白なのです。それがどれだけ多くの方に届けられるか、一番の課題です。知ってもらわないとお客様は動けない。しかし肝心の顧客もあなたに無関心です。つまり必要なのは告知です。それさえできれば間違いなく繁盛します。誰かが、ここでは売れないと言った店でも立派に繁盛する。

さて、あなたは価値ある存在だと知らせてあげればいい。それをきちんと届けられたら繁盛すると言いましたが、ほとんどの方は、それが質と量の両方でできない、できていないのも事実です。勘違いをされるからです。

お客様のメリットをズラズラ並べる。それを実行しようとする。しかし、うまくいかない。メリットを提供しているのにうまくいかないから、理由が分からなくなります。
重要なポイントです。
◎メリットの提供ではメリットにならないのです。心が動いたことがメリットなのです。

昨年、日本人なら誰でもご存知の企業が展開している店舗を見てほしいと言われ、問題を指摘。改装に踏みきったところ、売り上げはまたたく間に倍になり、その後も上昇中で満席続きです。それでかなり満足されていますが、実は倍や3倍ではダメなのです。結果オーライの事実前提の経営をしているとそうなる。まだまだあなたは価値ある存在と伝えていないのです。それを伝えたら、4~6倍になるポテンシャルが潜んでいるので、行列のできる店になります。

人に注目しましよう。
人は誰でも価値ある者と思いたい、思われたいと思っています。その切実にあって、何ごとにも失敗してはいけないと思っている方、自分の欲求や希望を伝えるのも、控え目にするべきだと考えている方、感情を表現を抑圧してしまう方もいます。疲れ、落ち込み、腹立ち、寂しさ、嬉しいことさえも表現してはいけないと思っている方も少なくありません。

外部評価による力、たとえば役割、地位、さらに自分ではどうにもできないことである年齢、性などによる固定化したイメージによる行動に終始して、自分の内なる力を使わないままに自信を失っているかもしれません。



この方たちは、あなたはすばらしいと言われるのを待っています。しかし、売る側は伝えていないし、伝え方も悪い。つまり、この世界には、まだ使われていない「イエス」、使いたくてウズウズしている「イエス」が溢れています。

ビジネス・アサーションで言う「YES, 」を救いに行く。
では、次に溢れている「YES」を救いに行くキーワードをご説明します。


2012年9月24日月曜日

萬法一如/9つのアサーション権〜9.周囲の期待に応えなくて良い権利





萬法一如/9つのアサーション権
9.周囲の期待に応えなくて良い権利

萬法一如」「ばんぼういちにょ」と読みます。みんなが互いのことを考えて生きるという意味です。ビジネスの世界で説明すると以下のようになります。9つのアサーション権は「萬法一如」の基礎となるものです。


アサーション権

アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、マートワンゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。


人からなにかを期待されて、それを察することができても、それに応えなくなくてもいい権利です。期待するのは相手の勝手であって自分のことは自分で決めればいいのです。

この背景には、相手の期待に応えたとして、相手が自分の期待に応えてくれるかどうか定かではありません。もし応えてくれなかったときには、あなたには怒りの感情が起こってくるでしょう。そのような可能性も考慮して、人からなにかを期待されて、それを察することができても、それに応えなくなくてもいいとしています。

人の期待を察して応えたいと思うときは、GIVE&GIVENのポリシーがきちんと自分に備わっていることが条件になります。
そうでないと自分はこれだけのことをしたのにとGIVE&TAKEを求めて、相手を責めたり、失望から自信喪失、自己嫌悪になったりすることも少なくありません。
それでは、人からなにかを期待された段階で自分が相手に期待しているGIVE&TAKEがスタートになります。周囲の期待に応えるもの、応えないのも、共同体における自分の選択であって、GIVE&TAKEという交換ではないのです。
自分の考え、自分の気持ちで動く自由な精神を汚したくないものです。自由を尊ぶ気持ちを大切にしてこそ相手にも束縛を感じさせないコミュニケーションが可能になります。
周囲の期待を考えるときに、ヒントになる話があります。

ジャン・コクトーの映画、ディズニーのアニメにもなったボーモン夫人の有名なおとぎ話「美女と野獣」です。この物語は解釈が人によって違うと思いますが、長い時を経ても輝きをなくさないのは、普遍的な重大な原則を秘めているからです。
野獣である王子は最後に美しい王子になって終わります。その結果に焦点をあてると誤解してしまいます。
美しい王子になったのはベルという娘が野獣の王子をそのまま受け入れたからです。ベルは野獣に変貌することを求めませんでした。だから最後に変化が起こったのです。
私たちは、とかく他者に「あなたさえ変わってくれたら、私は幸福になれるのだから」と変化を要求します。
こども、パートナーにはじまって同僚、上司、部下など、要求の強さは立場によって違っても、幸福は相手次第と言わんばかりに自分以外に変化を要求します。
でも実際は、自分の行動で自分は幸福になれるものです。自分の判断と行動は自分が選択できます。選択次第に自分を幸福にできます。「美女と野獣」はそれを伝えて物語です。
アサーションで言う「周囲の期待に応えなくて良い権利」とは、ひとは自分の行動で幸福になれるということの裏返しにすぎないのです。
これらのアサーション権は因果関係があり全部関連しています。

【ビジネスの現場からこんな意見が聴こえてきます。】
ビジネスシーンでは、周囲の期待に応えなくて良い権利との遭遇の連続です。「利益」を追うもの同士が向き合うわけですから、相手が自分の期待に応えてくれるかどうか定かではないことへ向き合う日々です。
そこでストレスを感じる目標を達成するには、GIVE&GIVENをポリシーにWIN-WIN を追求することが欠かせません、
アサーション権について
アサーション権は100以上あると言われています。まとめ方で数も変わりますが、現在、ゲンキポリタンでは、アサーション権を分かりやすくするためにシンプルに次の9つと全体に共通する基礎(じぶん外の力とじぶん内の力)にまとめています。

 1.自分の行動を自分で選択して実行する権利
    2.他者と違う自分の価値観を大切にする権利
    3.(知らない、できない、分からないなど)不完全であってもいい権利
   4.論理的な説明できなくてもいい権利