2014年10月12日日曜日

心身一如 しんじんいちにょ〜会社が生まれ変わる7つのステップ





「心身一如 しんじんいちにょ」とは、病の原因はひとつ。精神を安定させれば病は遠ざかるという意味です。

企業活動も、個人の暮らしも精神が安定していないと、トラブルが続出、しかもうまく処理できなくなるので、際限なくトラブルが続き、ますます病は重くなります。

その原因は、精神が安定しないことにあります。トラブルがあるから精神が安定しなくなるのではなく、精神が安定していないからトラブルが起こるということが分かっていないのです。

日頃、中心に<在り方>を据えていないので、トラブルが止まらないのです。



たとえば、従業員が複数いると思いますが、そのひとり、ひとりに聞いてみてください。

「うちは、どんな会社なんだ?」と。。。「なにを目的にしてるんだ?」と。。。

どんな答えが返ってきますか?

それがすべてです。


1.<Be>と<Do>

<Be>は在り方です。こうありたい、あのようにありたい、です。

 <Do>はすること、何をしたか、どうするか、です。




2.ステークホルダー(Stakeholder)

ステークホルダーとは、会社を取り巻く利害関係者です。
具体的には、お客さま、従業員、株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関など。

世界で最も大きな研究機関、SRIインターナショナル(SRI International)では、組織にとってステークホルダーのことを「支援がなければ、当該組織が存続し得ないグループ」と定義しています。

つまり会社が存続するためには欠かせないグループであり、成長するには、Win-Winの関係を築かなければならないグループです。

いまでが広く認知されステークホルダーとの関係を大切にする会社が増えています。

国がワークライフバランスに力を入れていますが、そのためにも必須の考え方であり、行動の条件です。




3.Win-Win

Win-Winは、私もハッピー、あなたもハッピーの関係を築くことですが、これを二者間の問題だとすると、問題が起こります。

いまでは「生涯顧客」という概念も広く知れわたっています。「生涯顧客」づくりに力を入れるのいいですが、その裏で犠牲になっている人が増えてくるようでは、企業活動は破綻を迎えるのは時間の問題です。

たとえば当該企業とお客さまの関係はWin-Winの関係なっていても(するために)他のステークホルダーとの関係でWin-Loseになっている場合があります。

よく問題になるのが、企業と従業員の間でWin-Loseになっているケースです。あるいは企業と仕入れ先の間もWin-Loseになっていることも問題になり公正取引委員会の介入を受けることがあります。


こんなことになっている会社が多い。







これでは正常な企業活動とは言えなくなってしまいます。いわゆるブラック企業と呼ばれる場合、このような状態になっています。


1.このようなことにならないように、ステークホルダーとの関係を全部洗い直す作業が必要です。

2.そして関係者それぞれにとってのWinをイメージし、目標を設定します。

3.Winを実現するために<Be>を基礎に自分ができる<Do~なにをするか>行動を決める

4.実現不可能なものには勇気をもって「No Deal」(取引しない)を決断する





4.ステークホルダー

前記、Win-Winの項目、1~4がステークホルダーとの間で行う作業です。

特に【4.実現不可能なものには勇気をもって「No Deal」(取引しない)を決断する】については交渉が必要になりますが、交渉しても変えられないようであれば、他の障害が生じることを防止するために決断します。

ところが、これができない企業(人)があります。理由はいろいろですが、時には倒産に至る場合があります。この件は後で説明します。



5.クレド

先にあげたWin-Winの項目、1~4がステークホルダーとの間で行う作業の結果、具体的な取り決めを全社に浸透させるために要約したものを文章化して実践するためのツールです。

クレドと称して、お客さまとの関係だけを書いたものを配布している会社がありますが、これでは二者間のWin-Winになってしまいます。

クレドはステークホルダー全員がWin-Winになることをめざしたものです。

でなければ「会社が存続、成長するに、ステークホルダーとの間でWin-Winの関係を築く」という思想から外れてしまいます。


6.Win-Winの目的

Win-Winの目的は「会社が存続、成長するに、ステークホルダーとの間でWin-Winの関係を築く」ことで、みんなが幸せになるためです。


企業ならみんな競争しています。競争のないビジネスもありますが、その場合、他の誰もが何らかの理由で手出しをしないことが考えられます。

参入障壁が強いと諦める、あるいは撤退します。逆に参入障壁が低くて儲かるならどんどん参加してきます。

つまりステークホルダーとの間でWin-Winの関係を築くことで参入障壁を高くするとWin-Winの関係はさらに強度を増すという意味です。

その先にあるのは、人々の幸福が増すという「原理原則」です。
私たちの挑戦はこの「原理原則」に向くしかないのです。

しかし現実には、この挑戦をする人が少ないのです。
この態度が、「儲からない」「幸福とは思えない」になって表れています。




7.<Be>と<Do>再考

「儲からない」「幸福とは思えない」原因はとてもシンプルです。

<Be>と<Do>の理解がなく、<Be>と<Do>の運用を間違えているからです。

つまり仕事の仕方が分かっていない、暮らし方が分かっていないということにつきます。運転の仕方が分かっていないために事故ばかりしているのと同じです。

<Be>は在り方です。こうありたい、あのようにありたい、です。

 <Do>はすること、何をしたか、どうするか、です。

ところが、 <Do>に関心があっても<Be>に関心がないため、悩みが後を絶たないのです。そのため不要な問題に頭を悩ませ、肝心のことWin-Winの関係構築ができない。

たとえば3ステークホルダーの項目であげたように、

【4.実現不可能なものには勇気をもって「No Deal」(取引しない)を決断する】については交渉が必要になりますが、交渉しても変えられないようであれば、他の障害が生じることを防止するために決断します。

と、ありますが、この決断が出来ないのです。

なぜだと思いますか?

<Be~在り方>がないからです。

<Be~在り方>は一般企業にはほとんどあります。「経営理念」と呼ばれるものがそうですが、ほとんどの企業であるだけで使っていない。使う気もないのが実態のようです。

みんなそうしているから、うちも決めようといった程度です。その程度のものなら邪魔になるだけなので、潔く一旦捨てていただいて、<Be~在り方>を正しくしてください。

<Be~在り方>は企業活動の基準になります。つまり行動基準、<Do~する>になります。

「経営理念」として<する>ことを掲げてはいけません。経営理念はこう<ある>という「こうありたい態度」なのです。

こうありたい態度は、すべてのステークホルダーとの間での態度になり、行動になります。基準になります。

「No Deal」(取引しない)を決断できないのは、基準が揺らぐからです。

この得意先とは「No Deal」(取引しない)
この従業員とは「No Deal」(取引しない)

この仕入れ先とは「No Deal」(取引しない)

その判断基準は、在り方に反するからです。

では、< Be~在り方>がない企業ではなにが基準になっているのでしょう?

時々の感情や人、物、ことが基準になっているのです。
これがどれほど大きな問題になっているのか、気づかないことが少なくありません。むしろ時々の感情や人、物、ことが基準にして考えるのが妥当だと思い込んでいる場合が多いのです。

しかし、そのために悩みは絶えないのです。なぜならこれらはどれも不安定な要因だからです。組織の土台に不安定要因を据えたら組織はダッチロール状態になるのは必然です。

つまり主体性が発揮できなくなります。
人間は自分が主体性を発揮できないことをコントロールしようとしたら最後には気が狂ってしまいます。一個人の人生でも同じです。
リーダーシップがとれるずがないので組織はリーダー不在になります。

自分が主体性を発揮できないことをコントロールしている状態は、妖術使いが出てくるドラマや小説以外で見たことはありません。

< Be~在り方>があるはずのポジションに、時々の感情や人、物、ことが入るという状態はリーダーシップの不在を意味します。


リーダーシップのないマネジメントは、マネジメント自体がどれほど立派でも機能しません。つまり組織の崩壊を意味します。






2014年10月6日月曜日

かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき 貫いて居場所あり。



かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき<風吹不動天辺月>貫いて居場所あり。

天職とは勝手に身につくものではありません。自分の在り方を貫いて、それが形になって天職になっていきます。つまり人はなりたいものになれる。組織も同じ。リーダーシップのあるチームワークのできるところ、なりたいようになるのです。


いま、これからの時代は「
自律型マネジメント」が主流です。自律型とは目的、目標を共有し達成するために自分で自分の行動を律してチームワークすることです。

最大のポイントは自立していること、自立に対して主体的に尽力できるスキルです。チームワークできるようにするためです。チームワークとは仲良く仕事をするのが目的ではなく、チームワークできることで結果的に仲良くいられることです。

弱小チームから常勝チームに変貌を遂げた強い時代の西武ライオンズはそれができていたそうです。試合前の選手同士の会話はなく、他のチームから移籍してきた選手は、仲が悪いのかと思ったそうですが、そうではなく自分の役割を果たせるように個々の選手がみんなそれぞれ考え準備に余念がなかったからです。


クラウンライターライオンズから買収した西武ライオンズは1979年に初代監督に根本陸夫氏が就任。成績は芳しくなかったものの、チームの基礎作りに着手。


選手たちと堤オーナーが顔合わせをするパーティでは、スーツのポケットを全部縫って手を入れられないようにした逸話も残っています。

野球選手である前に社会人の<在り方>を徹底して浸透させた上で1982年に広岡監督を招聘、今度は野球選手として改革に着手。


地均しに成功した上で1986年に森祇晶(昌彦より改名)監督を招聘、生え抜きの選手も揃い常勝チームの座を確立しています。時間もかかっていますが一貫してチームワークのできるチーム作りをめざしていたようです。


初代監督だった根本監督については南海ホエールズを買収したダイエーも初代監督に招聘、その後王監督にバトンタッチし、常勝チームになっています。

「一貫している」その中心にあるのが<在り方>です。<Be>の力です。

<Be>に対する自信があるので、勝った負けたに一喜一憂せずに、自分たちの野球を育んでいけるのです。一喜一憂しない理由は他者の評価に惑わされないからです。

リーダーシップの機能しているマネジメントの元で人の目線を気にせずに、チームワークができるスキル、つまり自立したスキルを高めることができるのです。

チームワークとは相互依存です。互いに研鑽するようになり、モチベーションが働くと相互依存の潜んでいる本領を発揮すると相乗効果になります。これが命令されて動いている主体性のない集団にはない「自律型マネジメント」の底力です。


その因果関係を図にしたものが次の図です。


すいとうきょせい 在り方は水に似て無心に流れて道を開く






未知のことについても、積極的に取り組める人と、逃げ腰になって理由をつけて取り組まない人の違いは何でしょう。その背景にある「自信の違い」を生み出す「違い」はなんでしょう。

自信の違いについて言えば、実は違いなんかないのです。

不安だし、何から手をつけていいのかも分からない。どうしていいのか分からない。という点では全く変わりはないのです。

ただ積極的(アサーティブ)に取り組む人は、行動することで、遥か遠くにあったことを引き寄せてくるのです。
失敗を恐れていないわけではなく、逆に失敗を恐れるから失敗をしないように努力をします。


消極的(ノンアサーティブ)な人は、失敗を恐れて悩んでいるばかりで行動しません。本人は悩んでいることを考えていると思い込んでいますが、考えるのと、悩むのは違います。

考えても答えのでないことは行動で答えを出すしかないので、積極的(アサーティブ)に取り組む人は、行動することで、答えを見つけていきます。

「行動の違い」を生み出す「違い」が自信の違いです。禅問答になってしまいますが、自信の強さに違いはないのです。

しかし自信の質に違いがあります。<Be>と<Do>の違いです。

<Be>の自信とは、<自分の在り方>の自信です。
<Do>の自信とは、<なにができたか>つまり<成果>の自信です。


私たちは、子どもの頃から<なにができたか>で評価されてきます。
学校の成績、運動の成果など目に見える、つまり他の人が見ても分かりやすい評価基準で評価されてきます。
大人になれば、業績で評価されます。資格をとるにも採点されて合格、不合格が決まります。


つまり<Do>の自信に裏付けされた評価を自分に課している人が、自信があることには取り組めるが、未知のことには、逃げ腰になって理由をつけて取り組まない自分にしています。

<Be>つまり<在り方>を大切にしている人は、<なにができたか>で評価しません。

その前提にある態度を大事にしているので、

  • 「できるまでやる」
  • 「プロセスに注目する」
  • 「決めたことは責任をとる」
  • 「いまこの瞬間に集中する」
  • 「理想と現実の差を埋める目標を選ぶ」
  • 「感情的な行動はしない」
  • 「自分と周囲の人を励ます」

というような態度に自信を持っています。

このような態度は他者に委ねませんので、他者の評価を気にしません。実際、他者には分かりません。他者に分かるのは結果が業績になってからです。

しかし<Be>を大切にしている人は、自分にできることとできないことの判断がついているので主体性を発揮できないこと、つまり自分にできないことには無関心です。他者の評価もそのひとつです。そんなことに右往左往する時間があるなら、態度の高度化(レベルアップ)に励みます。

<Be><在り方>の自信は自分への自信です。ただ裸の王様にならないように、<自分>への疑いは<Do>に満足している人に比べると段違いに強いのです。狂人は自分を狂人だと思っていませんが、正常者は自分はおかしくないと疑うのと酷似しています。

この態度が「なぜ?」と聴く態度になっています。

<Do>で評価している人が「どうしたらできる」と<HOW 型>になるのに対して、<Be>を重視している人は「なぜ?」が習慣化した<WHY型>なのです。

この質問の違いが危機突破力になります。

<Be><WHY型>は、うまくいかない場合、「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」の連発で正解を探します。

<Do><HOW 型>は、「どうしたらできる」と答えを探しますが得られないと自信を喪失します。特に経験のないことには極端に弱く消極的で折れやすいのです。そのため弱さが露呈するのを嫌い<ノンアサーティブ>あるいは<アグレッシブ>になります。

<ノンアサーティブ>と<アグレッシブ>は態度は真逆ですが、根本は同じです。その人間関係の構えは<自他否定><自己否定・他者肯定>です。このように自信の質が極めて限定的なのです。

<Be><WHY型>の人間関係の構えは<自他肯定>で、自分は自分、他者は他者と自他尊重が基本になっています。



外面の力はすべてと言っていいほど限定的ですが、内面の力は無限です。
外面の力、つまり外から見える力、他者が評価しやすい力は、財産、地位、教育レベル、業績、専門知識、資格など無数にありますが、期限、地域、業界などあらゆる面で限定的です。


内面の力、外から見えない力、つまり自分にしか分からない力は、態度、信念、意識などでつかみどころがありませんが、世界のどこでも通用して死ぬまで力を発揮します。


外面の力の最後は、「立派な業績を残されましたね」といった類いの言葉で評価され、外面の力の最後は、「素敵な方でしたね」といった類いの言葉で評価されます。

<Be>と<Do>の違いは次の図のようにまとめることができます。
決定的な違いは「リーダーシップの有無」になって表れます。






<リーダーシップ>の定義は人によって違います。違っていいでしょう。しかし外面的な力技で<リーダーシップ>は発揮できません。

<リーダーシップ>のあるマネジメントは効果を発揮しますが、<リーダーシップ>のないマネジメントはあり得ません。

マネジメントとは、あらゆる困難を乗り越えて目的を達成することだからです。<リーダーシップ>は困難に出会えば出会うほど、<北十字星>から逆算して進路を示す必要があります。


最初から限界があり、折れてしまいやすい<Do>の力と自信では、問題も困難もなく変化のない時には問題なくできても、困難が生じるとすぐに凹んでしまいます。

あらゆる困難を乗り越えて目的を達成するとは自ら「変化を起こすこと」だからです。


自信を精神的なものとして、無理に自信を持とうとしても自信は生まれず逆効果になります。自信には自信が生まれる根拠があります。どんなときにも自分を信頼して行動できる基礎である<Be>です。


すいとうきょせい 在り方は水に似て無心に流れて道を開きます。





2014年10月2日木曜日

きゃっかしょうこ 未来は今この瞬間にあり



 脚下照顧(きゃっかしょうこ)、未来は今この瞬間と繋がっています。決して遠く先にポツンとあるものではありません。

リーダーシップとは未来を見つめて、北十字星を指さすことが出来る力ですが、いまこの瞬間とつなげてその地図を書き出す力のことです。 脚下照顧(きゃっかしょうこ)、脚下を照らし顧見ながら行き先を示せることがリーダーシップなのです。


リーダーシップが働いているマネジメントはこちらに事例をあげています。
                       (クリックしてみてください。)



社長の仕事としていますが、その意味はリーダーシップということです。


会社勤めをしていると、上司、上役、社長の批判は日常的。しかし、特に役についていなくても限界はあるものの「リーダーシップ」は発揮できます。

リーダーシップは「主体性」に他ならないからです。

主体的になにをしたいのか、その背景には<Be〜在り方>つまり<Why>の根源にある態度がなければ、主体性は発揮できません。

前回お話した<How>は<Do〜なにをするか>のための態度です。

在り方を度外視して自分が<リーダーシップ>と思うものを発揮した場合には、事態は複雑になり、混乱します。自身がよくなることもありませんが、実はこの間違いをやらかす人が少なくありません。




<Be〜在り方>が間違っているからです。そもそも自分がシステム(原理原則)として機能していないのです。

自分がシステムの一部だと知っていて、積極的にシステムの一部になることから、とんでもなく素敵なことが起ります。しかし「個性」という単語を間違って理解すると、それができなくなってしまいます。

この世は「違い」だらけです。どのように違いを創るか、それは真摯に考えることです。

個性とは、主体性のある違い。

主体性はいまこの瞬間の態度に宿っています。

















2014年10月1日水曜日

さとればこうおなし 自分の目で見れば世界は広がる



一線で働くビジネスマンにとって、「何をどうしたら売れるのか」と一番関心の高いテーマですから即効性があるのはHOW型だと考えます。もっともです。

しかし「なぜマナーは必要なのか」「なぜお客さまが大事なのか」「この作業は何のためにするのか」という基本的なことを教えずに、動機づけはどうするのでしょう?テクニックばかり詰め込まれた若い社員はどう育つと思いますか?

テクニックばかり詰め込まれた人から買う理由がユーザにあるのでしょうか?仮にいま儲かっていたとしても限界がくるのは時間の問題です。しかしHOW型の人にはこれが理解できません。もっとHOWをよこせというばかりです。
HOW型の育ち方しかしていないので無理なのです。

たとえば宮本武蔵は、最初は同郷の友人、本位田又八と同じくHOW型の若者でした。しかしあまりの無頼に激怒した村人や沢庵和尚によって幽閉されます。ここで来る日も来る日も、考える日々を過ごし、剣の修行に旅立ってからも、剣を通して考えます。

どうすれば勝てるかと考え学ぶ、より磨かれたHOW型に物事の本質を考えるWHY型が加わります。決闘を繰り返すほどWHY型が優って行くようになります。一方の本位田又八は士官の夢破れ、その後チャンスのきっかけもないまま、つまりHOWを考える機会さえなくさまよっているだけです。

HOWはテクニックを発揮する機会があってこそ使えますが、機会がなければどうしていいのかわかりません。これがHOW型の限界です。
限界に追い込まれるとどうしていいのかわからないので、うまくいかない原因を自分の外側に求めます。環境、状況、他人のせいにして責任回避するしかないのです。



自分の目で見るにはHOW

人間には外側の力と内側の力があります。
外側の力とは、外部の人から評価されやすい力です。目に見えるからです。役職、学歴、収入(財産)、専門知識、等々です。外側の力が、本人に会ったことがなくても、分かりやすいものです。
しかし、期間限定、地域限定、なにかと限定的です。退職したら役職は関係なくなります。外国で暮らせば通用しないものがたくさんあります。

一方、内側の力は、外部から評価されることは稀です。見えないから分からないのです。物事の本質を大事にする心の在り方など、どれほど優れていても、本人と深く接する機会がないと分かりません。

「外も内もない自分がいいと思うならそれでいいのではないか」と考える人もいるでしょう。まさしく見方が在り方(BE)を決めているのです。そして在り方が見方を決めているのです。

つまり在り方を変えない限り、見方(思考)は変わらないので行動が変わらないのです。




見方(思考)の影響で仕組みを創れる人と創れない人がいます。仕組みとは相乗効果であり、相互依存の発展したものです。たとえば会社という組織は相互依存の典型的な事例です。相互依存が力を発揮するには、自立していることが前提です。

会社内のどこかに自立していない者がいると、停滞し淀んでしまいます。相互依存は不可能になり、依存だけが残ります。依存は生まれて間もない幼児の専売特許です。もし依存する人が増えたとしたら、組織は組織力を発揮できず崩壊するのが原理原則です。

自立できていないものにとって、HOW は喉から手が出るほどありがたいものですが、いくらHOW をかき集めて成果をあげても、限界がきます。すると崩壊が始まります。


WHY型は在り方を追求し、大義を大切にします。つまり社会力を大事にするのでチームワークのレベルアップに発展し相互依存力、共有を高めていきます。仕組みの始まりです。







2014年8月29日金曜日

【会社を潰さない社長の仕事】放置すればその日の内に情熱は失せる、消えない前に全員に火を点けること。



人間には自然治癒力があります。異常を発見して元に戻す、あるいは防御しようとします。体重の変化にも察知して減量を食い止めようと頑張ります。

いままで以上に集中力が働いた場合も同じで、緊張を緩和しようとします。疲労を感じて眠くなったり回復しようとします。

気持ちも同じです。今日の成果は今日で終わります。明日に繋げたければ、持続できるように手を打っておくことが必要です。できれば今日以上の成果が出るように。

今日の緊張感を明日も持続しようとすれば、今日の頑張りを労うことは大事ですが、緊張が続くように、明日の計画を伝えることを欠かすわけにはいきません。日が変われば早々に今日の計画を同じように伝えます。両方が必要です。


毎日がトレーニングです。せっかくガンバってレベルアップに向かっているのをわずかな無関心によって中断しては元も子もなくなります。一旦ゆるむと巻き直しに倍のエネルギーがかかります。ムダなエネルギーが必要になります。

気をつけたいのは、「なにをするか(どのようにするか)」も大事ですが、それ以上に「どうありたいか(どうなりたいか)」が大切です。


「なにをするか(どのようにするか)」は伝える方も、受ける側も分かりやすいので、どうしても、話の中心になりますが、それに気をとられていると、「どうありたいのか(どうなりたいのか)」が疎かになります。しかしそれだとレベルアップに限界があり、限界に達するとやがて崩壊が始まります。相互依存(チームワーク)よる相乗効果(組織力)が発揮できなくなるからです。

どのようなチームにも価値観は生まれます。価値観こそが接着剤のようにチームを束ねる要因だからです。チームには共有する優れた価値観がなければ進化できません。つまりなにを共有するかで組織力は強くも弱くもなります。たとえば優れたホスピタリティは、高い志(大義)のもとに生まれます。「なにをするか(どのようにするか)」でマニュアルは作れますが、ホスピタリティは「どうありたいのか(どうなりたいのか)」がないと提供できません。共有していてこそ、組織として実現可能になります。

業績アップであっても、資格のための勉強であっても同じです。業績をあげてユーザにどうしたいのか、ユーザに対してどうありたいのかのかがなく、なにをして儲けるか、売るためにどうするかに集中していると関係性はいずれ破綻します。当たり前ですね。

社員に対しても同じです。「なにをするか(どのようにするか)」を伝えるのには限界があります。もしあなたが聞く立場だったら「もう言わなくても分かっている」と思うはずです。しかし「どうありたいのか(どうなりたいのか)」には終わりがありません。終わりはありませんが、「できるようになった」はあります。ここが「なにをするか(どのようにするか)」と逆なのです。組織が継続する限り、業績向上に終わりがないので、「なにをするか(どのようにするか)」には終わりがありません。

ですから「分かっているけど儲かりません」という事態が必ずやってきます。
しかもユーザには「あなたから買う理由が見当たりません」といわれるようになるので、崩壊が始まるのです。

「どうありたいのか(どうなりたいのか)」を意識し続けることは、とても重要なのです。念のために言っておきますが、「どうありたいのか(どうなりたいのか)」は内面の心、状態のことです。

放置すればその日の内に情熱は失せます。消えない前に全員に「どうありたいのか(どうなりたいのか)」の火を点けることを毎日の仕事にしましょう。

自分の子どもだと思えば、その頑張りが無理なく続いて成長することを望むはずです。それと同じです。もし放置したことによって情熱が失せたら、叱咤激励、愚痴ることになります。言う方も言われる方も嫌機がさします。

せっかくの情熱、やる気が消え失せない前に、松明の火を消さないようにしたいものです。






【会社を潰さない社長の仕事】ストレスに対して感情の渦に身を置いて逃げ込まないこと。




感情の渦に身を置いて逃げ込むとは、アルコール依存性を思い浮かべてみてください。この場合のアルコールは感情そのものです。飲んで酔う程に現実から逃避できます。覚めれば元通りなので、また飲みます。

不思議なことにアルコール依存性の人にアルコールが好きな人はいないことです。目的は酔うことだけで、本当にアルコールが好きな人は食事を楽しむようにアルコールを楽しみます。

感情も同じです。感情は人生に潤いを与えてくれます。感情がなければなんとつまらないことになるでしょう。しかし感情的になるのとは全然違います。まさしく感情に溺れることで、苦痛を忘れようとします。実際には苦痛は増すだけで何の解決にもなりません。

時間のムダです。主体的に生きている人は天気とうまくつきあうことをします。雨だから憂鬱ではなく、雨の日にできることをしようとします。ストレスも同じです。
主体的とは自分の価値観に基づいて行動できることです。他者の価値観に左右されないのです。あるいは左右される範囲が小さい。感情的な人は他の条件に反応しすぎる人です。

反応を許しているのは自分だということが分からない人です。状況によって生じる感情に反応していて、一貫性のある経営はできません。必ず信頼を失くします。言葉や行動に自分が責任を負わないので周囲には不審が募ってしまいます。一過性であるため本人にはそれが見えません。

このパターンの恐ろしいのは、反応の仕方に自分が注目していて、一定のルールを持っていることです。反応することを自分が許していて、反応することが正しいとさえ思っていることです。このやり方では「仕組み」ができなくなります。


仕組みは自律心、主体性がないと完成しないからです。