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2014年10月6日月曜日

かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき 貫いて居場所あり。



かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき<風吹不動天辺月>貫いて居場所あり。

天職とは勝手に身につくものではありません。自分の在り方を貫いて、それが形になって天職になっていきます。つまり人はなりたいものになれる。組織も同じ。リーダーシップのあるチームワークのできるところ、なりたいようになるのです。


いま、これからの時代は「
自律型マネジメント」が主流です。自律型とは目的、目標を共有し達成するために自分で自分の行動を律してチームワークすることです。

最大のポイントは自立していること、自立に対して主体的に尽力できるスキルです。チームワークできるようにするためです。チームワークとは仲良く仕事をするのが目的ではなく、チームワークできることで結果的に仲良くいられることです。

弱小チームから常勝チームに変貌を遂げた強い時代の西武ライオンズはそれができていたそうです。試合前の選手同士の会話はなく、他のチームから移籍してきた選手は、仲が悪いのかと思ったそうですが、そうではなく自分の役割を果たせるように個々の選手がみんなそれぞれ考え準備に余念がなかったからです。


クラウンライターライオンズから買収した西武ライオンズは1979年に初代監督に根本陸夫氏が就任。成績は芳しくなかったものの、チームの基礎作りに着手。


選手たちと堤オーナーが顔合わせをするパーティでは、スーツのポケットを全部縫って手を入れられないようにした逸話も残っています。

野球選手である前に社会人の<在り方>を徹底して浸透させた上で1982年に広岡監督を招聘、今度は野球選手として改革に着手。


地均しに成功した上で1986年に森祇晶(昌彦より改名)監督を招聘、生え抜きの選手も揃い常勝チームの座を確立しています。時間もかかっていますが一貫してチームワークのできるチーム作りをめざしていたようです。


初代監督だった根本監督については南海ホエールズを買収したダイエーも初代監督に招聘、その後王監督にバトンタッチし、常勝チームになっています。

「一貫している」その中心にあるのが<在り方>です。<Be>の力です。

<Be>に対する自信があるので、勝った負けたに一喜一憂せずに、自分たちの野球を育んでいけるのです。一喜一憂しない理由は他者の評価に惑わされないからです。

リーダーシップの機能しているマネジメントの元で人の目線を気にせずに、チームワークができるスキル、つまり自立したスキルを高めることができるのです。

チームワークとは相互依存です。互いに研鑽するようになり、モチベーションが働くと相互依存の潜んでいる本領を発揮すると相乗効果になります。これが命令されて動いている主体性のない集団にはない「自律型マネジメント」の底力です。


その因果関係を図にしたものが次の図です。


2014年8月17日日曜日

【会社を潰さない社長の仕事】目標は北十字星の如きであること。


目標は全員が知っていて分かりやすいものでなければなりません。

しかし現場に赴けば分かることですが、「北十字星は?」と聞いても「さあ?」という顔つきを見ることになる。

知っているのは「責任者」だけということが少なくない。

責任者は伝えたと言う。部下は分かったような分かっていないような。





部下は言う「マネジャーは大変そうですが」。。。他人事のような口ぶりは、仲間から閉め出したために起こっています。勿論マネジャーはそんなことをしたつもりはありません。

しかしマネジャーにすれば頼ることができないので、そこまで関わらなかっただけのことです。そこまでとは、チームワークができるように関わらなかったということです。

チームワークとは、ひとりひとりが責任者です。それを束ねた責任者がマネジャーです。
すべての責任者の頂点に立っているのが社長です。御神輿ではありません。

すべてを束ねて率いているのが社長です。その指先はみんなが見えるように北十字星を指していなければ、みんながどこに進んでいいのか分からなくなります。

共有、シェアですね。



チームワークができるには条件があります。分担した仕事が誰かに手伝ってもらわなくても、自分でできることが条件です。

そのためには、完遂できるか、できないか、ひとりひとり、チェックしておかないといけません。できない場合には追加教育が必要です。

社長にひとりひとり追加教育しろというわけではありません。
しかし果たせるか、果たせないか、知っていて、果たせない場合には追加教育が行われ、完遂できるようになって行う仕組みが機能しているか、どうか、その有無は知っていないと仕事になりません。

なぜなら、完遂できないのに、北十字星を指さしても、行くことはできないからです。

冷静に考えてみてください。とても滑稽な姿が目に浮かぶはずです。

社長にそんな滑稽な姿をしてもらっては困ります。


「目標は北十字星の如きであること。」とはそういうことです。スローガンではありません。






2012年12月1日土曜日

八面玲瓏/自分の強みに特化することが優れたチームワークに貢献する




禅の言葉「八面玲瓏」・・・「はちめんれいろう」と読みます。あれもしたい、これもしたい。情報に振り回され主体性を失うと自分の能力を十分に発揮できなくなり、途端に輝きを失います。一心に打込むこと、集中することが人生を素晴らしいものにすると伝えているのがこの「八面玲瓏」なのです。
チームワークとは役割分担のことです。役割分担と言わないのはどうしてでしょう。ただ役割を分担するのではなく、「チームワーク」には自分の責任を果たすことが条件づけされているからです。チームワークで優れるとは、自分の強みに特化することに他なりません。
・自分の強みに特化する。
・打ち込むことが特化になります、
・特化を進めるために客観的な「等身大の自己評価」をする。
・目的と目標を明確に持っていること
・特化する意欲を集団に拡大する

特化するには、自分の得意に徹底的に努力するのが効率的です。
「そのポジションは他の者にやらない!」というわがままを貫くことが、もっとも優れたチームワークになります。わがままと言っても、努力のないわがままはNGです。打込むことが自分を磨きます。弁護士になるには学力のある人でさえ3〜5年間1日15時間以上の学習が必要です。そこまでやるか、やらないかはともかく集中なしに特化などできないのです。

さて、そこで「等身大の自己評価」をすることが重要になります。

【等身大の自己評価】

過大評価でも過小評価でもいけません、等身大です。
客観的な自己認識スキルがものすごく大事になります。
過小評価の場合だと、うまくいかないとなんでも自分の責任、自分の力量不足と思い込み、チャレンジしなくなります。
過大評価の場合だと、何かにつけて周囲の責任にするので、改善がストップして機能停止になります。

もうひとつのタイプが、実は過小評価だけど、それを隠すために過大評価するタイプ。周囲を振り回すことになり、周囲は手が打てなくなります。
どれも自分の強みに特化できなくなりますが、どれをとってもアサーション権を認識していないことが原因で起こっています。
先にお話したアサーション権を再認識していただき、客観的な「等身大の自己評価」をしていただくのが賢明です。

集団は個人の集まりですので、チームをまとめるリーダー、マネジャーが客観的な「等身大の自己評価」をする習慣を身につけていると、集団も「等身大の自己評価」をするようになり、集団として強みに特化することができます。

この力が、会社なら、どこにでもいる「やりたくない仕事に就いている人」を巻き込んで個人の価値観に変化を与える力につながっていきます。「やりたくない仕事」というより、なにがしたいか判らない人の方が圧倒的に多いので、感動する体験を重ねると意識が変わっていきます。
「なにをやっていいのか判らない」という迷いを表現する言い回しは、「どんな仕事に就いたらいいのか」「どこの学校に行ったらいいのか」「どんなセールストークをしたらいいのか」などに使えます。重要度や規模などに関係なく使っていますが、そのいずれの場合にもあてはまる原因が、実は目的がないことなのです。

目的がはっきりしていないと継続する力が起こってこないのは万事に通じます。
自分の強みに特化することができなくなるので、戦略の3Cの関係性でのチームワークがこなせなくなります。
「そのポジションは他の者にやらない!」を実行するためにも組織内に、目的と目標をワンセットで浸透させてください。

【目的と目標を明確にする】
目的と目標は、大きなゴールと小さなゴールのような違いがあります。

目的は「なんのために」(大きなゴール)
目標は「数値目標」(小さなゴール)

目的「なんのために」を大きなゴールというのは到達に時間がかかるからです。
目標「数値目標」を小さなゴールというのは、短期だからです。

大きなゴールに到達するために、小さなゴールへの到達を重ねて行く...これが目的と目標の関係です。

ですから一般に目標は性格上、伝わりやすいものです。それでも、ただ伝わっているだけで、自分のものになっていない、明確に意識していないようであれば、目標はない状態だと考えてください。
一方の目的はと言うと、かなり曖昧になっているはずです。それが行動に与える影響はものすごく大きいのです。数値目標があっても、なんのための目標か判らないという状態ではやる気が起こらず、逆にストレスになります。これでは同じことをしていても、全く違った結果になります。
目的は「なんのために」(大きなゴール)
目標は「数値目標」(小さなゴール)


「等身大の自己評価」は
・目的の結果とプロセスの両方
・目標の結果とプロセスの両方
で、それぞれ行い、その評価の結果をそれぞれに落とし込みます。それがあるから、継続できることを忘れないようにしたいものです。

特化する意欲を集団に拡大する
目標の結果にしか関心がない集団は継続の要である反省がないので成長しません。反省は行動を改めるための戦術を練ることであり自己否定とは違います。そこには責任を引き受ける態度がなく、チームワークのかけらもありません。つまり見せかけの意欲を塗りたくったバラバラな集団だということであり、その末路は見えています。

この点からも、アサーション権の重要を訴えた意味が理解していただけるはずです。 特化する意欲、言い換えるとパーソナル・リーダーシップを集団に拡大するか、しないのか。できるのか、できないのか、パーソナル・リーダーシップを育むリーダーシップにかかっています。


2012年10月13日土曜日

一/チームワークとはひとりひとりがプロの集まり


禅とマネジメント


チームは一の集まり。つまり個人が集まりです。優れたチームとは優れた個人の集まりですが、言い換えると優れた個人にすることが、いいチームにする基礎です。徹底した一へのこだわりの集積なのです。「一」は、すべての始まりであり、すべてのゴールです。そしてチームワークは、すべてのひとりひとりの始まりであり、ゴールなのです。

「きょうの禅語」(マツバラリエ著/リヨン社)では次のように説明されています。

一(いち) 小さくても大事なひとつ。

「一」を辞書でいてみると、たくさんの意味があります自然数の最初の数、いくつかのうちのひとつ、最も優れたこと、物事の最初、ただひとつ・・・etc(英語のONEもほぼ同じ意昧を持っているのが興味深いです)

このシンプルな一文字に私達人問、そして宇宙の万物すべてが当てはまるというのが禅語の考え方のようです宇宙には数えきれないくらい、たくさんの命があって、ちっぽけだけどその命は度とつくることはできないのです。自分という人聞はその中の、小さな小さなひとつでしかない同じものはひとつとしてない唯一のものけれど、そう考えると、命の尊さを感じずにはいられません

さらに、仏法的に「一」は、すべてのものがそこから生まれそして帰るところであるただひとつのものと考えられているようです

円形トラクのスタートとコールが同じなのに似ているかもしれません
しかもそのラインが「一」という文字に見えるというのはちょっとできすぎでしょうか?

と、いうようにあります。まさしくその通りですね。そしてチームワークもその通りです。

チームワーク(Teamwork)というと、人の関係性を注目にする方が多いようですが、そうでしょうか?

仲良しグループではありませんから、メンバー間のトラブルもなく、仲良く仕事をしているのが、チームワークのいい状態とはいいません。

管理者は人を使って目標を計画の実行によって達成するのが仕事です。目標を達成するために人が集められました。ですから人が集まって、みんなでなんとなくやろうではなく、みんなで手分けしてやろうというのがチームワークです。つまりチームワークとは分業で目的・目標を達成することができることです。 目的・目標を達成できないチームは烏合の衆でしかなく、チームになっていない状態なのです。ですから部門の長、マネジャーや店長など、管理者はチームワークを機能させることに、最大の関心と注意を払わないとなりません。

野球をしたこのない者が集まってプレイしてもチームワークにはなりません。なぜなら、自分のポジションを守りきることができない烏合の衆だからです。
そこで訓練をしてスキルアップを図りますが、これには相応の時間がかかります。チームワークを成立させるには、訓練、教育、命令・指示が必須条件になります。つまり分業が成立する条件は、各自が指示されたことを達成できることになります。それがチームワークです。

どんな状態がチームワークのいい状態なのでしょうか?

  • ひとりひとりが、自分の役割を完全に果たしている状態
  • 自分の役割をこなせない人のために他の人がサポートしなくてもすむ状態


チームワークの良い状態とは磨かれた「一」が機能している状態です。チームワークはサッカーや野球のチームと同じく目的を達成するのが前提です。スポーツ でも企業活動でも、共通の目標である勝利を勝ち得るためには、各人のスタイルやものの考え方、立場や生活の背景がどうであれ、互いに尊重し合い、きっちり自分の仕事をすることが、正しいチームワークの姿です。自立した個性のぶつかり合いがあるからこそチームワークですし、チームワークのダイナミックさです。

あなたの会社やお店では 、人と違うことや目立つことを恐れ、右へならえ的に同一行動をとり、仲良しサークルのように振る舞うことが、チームワークとされていませんか?

ところが仲良しサークルのように振る舞っているのも、実はそうしたいからではなく、互いの不勉強をフタをして隠すため、無意識に出来た陰湿な秘密結社の場合が多いのです。
ですからある種の人々にとっては、心地よいものにもなります。それならそれでいいからそれでいいじゃないという考えもありますが、長い目で見ると百害あって一利なしです。
なぜなら、各自が指示されたことを達成できない状態では目的も目標も達成できないからです。自分の役割が果たせない集団が幸福であるはずはありません。働く人が不幸になるような仕組みには断固ノーなのです。


チームワークは、みんなでやっていこうではなく、みんなが自分の役割を果たせることです。そこには自ずから行動を起こす文化、卓越することを求める文化を賞賛する良識と良心が働いています。つまり自由の概念と同じです。自由とは勝手気ままなことをするのではなく、良識と良心を自ら働かせることなのです。大リーグなんか観ていると選手も観客もそうだということがよくわかります。

チームワークは自己研鑽を基本にした、意見を意見として交わせる集団でなければなりません。チームワークは、チームワークを意識して作っていこうという「モラル」「マナー」、つまり自ら自分の役割を果たせるように自己研鑽していく姿勢が大切なのです。
良いチームワークが創造できる管理者なら、現在以上の利益を生み出せます!

チームワークの良い状態とは

  • ひとりひとりが、自分の役割を完全に果たしている状態
  • 自分の役割をこなせない人のために他の人がサポートしなくてもすむ状態

どうして、 手伝われることが、なぜマイナスになるのでしょうか?
手伝うことは、マイナスどころか罪悪です。次のような理由からです。


  • 手伝われることによって、不足している知識、経験が上司に理解されなくなるので、 必要な追加(補足)教育が行われなくなってしまいます。
  • 本人のスキル不足がそのままになり、発展のないまま継続されてしまいます。
  • 手伝ったほうは、本来なら休息できる時間、あるいは次の作業ができなくなってしまうので、サボったのと同じ状態になります。
  • 手伝った側が自分のレベルアップが図られないため、チーム全体がスキル以下の作業しかできなくなります。

チームワークを機能させるために次の点に注目しましょう!
  • ひとりひとりが計画にそって指示・命令された役割分担を遂行できるビスネススキルを身につけなければなりません。
  • ビジネススキルを身につけるには時間がかかります
  • 役割分担を遂行できるスキルを持ったエキスパートを、 企業内に育て上げなければなりません。
  • 役割分担を遂行できるスキルを持ちたいと思うポジティブな人が必要です。
  • 自己育成を図らず、目先の気楽さと安逸さを追い求める「勤め人」根性タイプの人に不向きです。
  • 具体的な指示が、明示されないとチームの各人が「自分なりにこれが仕事だろうと感じたこと」を やっているにすぎない状態になります。
  • 役割分担を帰納させするには上司からの部下への命令と部下から上司への報告が不可欠です。

管理者の手腕による影響は大で、ひとりひとりのスキルアップなしには、働く人を幸福にするチームワークは機能しないのです。チームワークとはひとりひとりが目標達成のできるプロの集まりなのです。すべてのひとりひとりの始まりであり、ゴールなのです。


自己実現サービス


2012年10月1日月曜日

円相 /組織とは何か?ビジネスの矛盾を解決する原点




「円相」は禅の極地を語った「信心銘」に出てくる一句です。

中国・隋時代に僧燦という禅僧が「円かなること大虚に同じ。欠くることなく余ることなし」とうたいました。大虚とは、宇宙のなりたちの源です。つまり「円とは宇宙の究極の姿に似て、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している」ということです。足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結している状態とは、なんと美しいではありませんか?
ビジネスは、この「円相」とよく似ています。

組織には何人もの人が属していて、それぞれに主義主張があったりします。個々の立場に立てば、なるほど筋が通っているように思います。しかし個々の意見は正しくてもつなぎあわせると矛盾だらけになります。

間違いのない考えは、 どこからみても矛盾がありません。まさしくきれいな円を描きます。
私たちはよく、原点に立ち戻れと言いますが、原点が間違っていると戻っても正しい行動はとれません。原点とは、すべてが調和している、円のはじまりであり、円の終わりなのです。ビジネス活動の中核をなす「仕事のあり方」は、美しい円を描くアートです。
では、組織とはなにか?
組織と個人の関係はどうあれば、両者は幸福なのか。その課題を解決するために、まず組織の正しい理解から始めましょう。会社はなぜ作られたのか、なぜ人が採用されているのか? 
組織と個人の関係の すべての出発点は、なぜ人が採用されているのか?という当たり前の整理次第です。
結局、会社がうまくいくのは人次第」そんな言葉の原因はすべてここにあります。能力ややる気以前の問題であって、前提を修復することなく、 いくら能力ややる気を問題にしても効果は出ません。経営の基盤となる考えがあまりにも考えられることなく、気にもされないために、経営上の様々な部分で問題を引き起こしています。
ここでご説明することは、あまりにも当たり前のことですが、現実にはほとんど認識されていないようです。

▼ 組織の定義

トップがやりたいことを、実現するための枠組み
トップがやりたいことを、実現するため人々が従業員として集められました。
トップのやりたいことが、実行されているのが良い組織です。
トップのやりたいことが、実行されていないのが悪い組織です。
トップのやりたいことを、分業で実行するのが組織です。 
トップがやりたいことを、具体的に数字で示したものが「目標」 です。
組織図に示された形が組織ではなく、組織とは分業の仕組みのことです。
分業とはチームワークです、つまり役割分担です。
チームワークとは、多数の人が一つの目的を達成する為に役割を分担し、自分の役割を達成することです。
分業しても、目的を達成するために行動していない集団は単なる人の寄せ集めです。
役割分担ができていないのは、役割をこなしていないか、こなせていないからです。
組織力とは、分業が機能して、全員の能力の合計以上の結果が出せることです。
全員の能力の合計以上の結果が出せない組織は、正しく分業ができていない証拠です。

組織にはいろんな人がいます。似ているようでも人ぞれぞれに、いろんな価値観があります。価値観は違ってもいいのです。最終的にあなたとあなたが仕事する組織と従属している人が、みんな幸福であれば、いいのです。

ただ、この質問の仕方では、「幸福」の価値観が問題になりますが。つまり人によって違うからです。この問題は厄介です。だからマネジメントが機能しにくいのです。
しかし価値観の統合なしに、マネジメントはできないので、多数決ではない最大公約数で求めます。

重要なのは、組織には数多くの日常語があります。
その言葉のひとつひとつが組織単位で定義づけていることがとても重要です。なぜなら言葉の解釈は人によって違うからです。

解釈が違えば価値観、行動も違ってきます。そのままに任せていれば銘々が感じる「これが仕事だろう」という動きしかできなくなってきます。その結果、全員を束ねているのは数値目標になってきます。しかしこれでは結果だけに注目が集まり、プロセスへの関心は薄れ、トップのやりたいことはぼやけてきます。やりたいことの背景にある想いは見えなくなり、やがて自分たちは人間であるという基本的なことまで忘れてしまいます。やがて「人間らしく生きて行きたい」というような不満とも愚痴とも分からない言葉が出てきます。

これを防ぐには、少なくとも重要、頻繁に使われる社内の言葉には、正しく定義され、全員が理解し賛成していることが始まりです。そうすると、あらゆる活動のプロセスに矛盾が生じなくなります。仕事はきれいな円を描きます。論理の破綻がなくなります。これがものすごく重要です。

たとえば金を稼ぐ手段としか考えていないトップがいます。毎日ゴルフとかに出かけて会社に出てこない。金を稼ぐ手段だから、会社をどうしたいのか目標がないので、人を育成することも考えない。働いて稼いでくれたらいい。儲かったら給料もあげるが、儲からないと給料も下げる。

儲からない理由は努力不足と環境にせいだから、自分は関係ないので相変わらず会社に出てこない。競争相手を考慮せずに値づけするので、エンドユーザはどんどん離れて行く。こういう会社が本当にあります。これもこのトップのやりたいことなのです。

それをどう考えるかは、トップをはじめ従事するすべての人の選択と判断で、その基準が矛盾しないかどうかが、選択と判断のポイントになる。破滅のスパイラルに陥っているけれど、この会社のトップは、自分の世界ではそれが成立すると判断している。

この事例は極端にしても、共同体としての論理が破壊していると、機能不全を起こします。自社だけでなく、得意先やエンドユーザ、株主、地域社会、これら全部共同体です。
環境の問題も、共同体の破綻です。

なぜ、破綻しているのかというと、幸福の定義を間違えているからです。厄介なのは、みんなと同じと思える 定義づけで「こんなもでしょう」という判断をしている場合です。

自分は「こんなもでしょう」が蔓延していないが気になります。お役人の世界を例に出すと悪いけど、納税者の立場で言わせてもらうと、「どうしたらできるか」を考えないで安直に「それはできません」ということの多さはいかがなものか。

それと同じことが自社に蔓延していないか。「やったけどできませんでした」って本当にどうしたらできるのか、考え実行したのか。その根源にあるのは「幸福の定義」を共有していないからではないのかという不満が自分にはあります。

人は自信がないと、目標を掲げません。あるいはランクを下げます。「そんなこと言ったってできっこない」こういうことを安直に結論を出す人がマネジャーにいると、幸福の定義はひどく惨めなものになります。

先の会社に出てこないトップ、自分の仕事の理不尽を自分で気がつかないのは、現実が怖くて仕方がないからです。一方、従業員は惰性でやっている。賢い者はどんどん辞めていくから生産性はどんどん低下する。それでもコストダウンできているので、今日はまだ存続している。でも、明日はない。
幸福をどうとらえているのか、それを問いかけたらリーダー失格を免れない人がたくさんいます。円どころの話ではない。話の入口で会話は頓挫しているのです。
幸福のランクはどんどんあげられることに目を向けましょう。
あげた分だけがんばらないといけない。でも現実には、「こんなもんでいいでしょう」というがんばりたくない者もいる。そこで指針となるのが、「トップのやりたいこと」なのです。トップの存在と、できれば在り方がとても重要です。
トップのポジションに立って 、幸福の定義を正しく決める。それを前提として、組織の定義を考えて合意しておく必要があります。

もちろん、人の価値観は様々なので、なにを語っても異論がある、考え方ですから、止められない。でも無理な意見は円にならない。矛盾によって必ず破綻します。

それをひとつひとつ丁寧につぶしていく。円にならない場合は組み立てのやり直しの繰り返しです。

で、いまはどんな時代かというと、この論理が破壊され過ぎていないかという疑問がつきまとうのです。それを一緒になって取り組んで解決してもらうために「ブランド・マネジャー」の育成に励んでいます。
さて、組織の定義に戻ります。

トップがやりたいことを、実現するために、人々が従業員として集められこと、トップのやりたいことが、実行されているのが良い組織であること、その実行はチームワークによって為されていること。これらの基本が誤っていると経営のさまざまな点で矛盾が起こってきます。

そしてそれらの矛盾こそが、問題や課題をいたずらに複雑にしていることに注目しましょう。経営は本来とてもシンプルなものです。そして個人の幸福もシンプルなものです。

原点に立ち戻れと言いますが、原点が間違っていると戻っても正しい行動はとれないのです。「円相」は「一円相」と書いたり、図形の「○」と描いたりします。非常に難しい言葉です。円とは宇宙の究極の姿に似て、足りないことも、余ることもなく、すべて満たされて完結していることを意味します。
正しい仕事は必ず円になります。意見交換していると、意見の違いに出くわします。当然なことで、あっていいことで、違いも楽しい。同じでないといけない理由はありません。
ところが、どうしても意見の相違があってはならない場面もあります。仕事の場面なんかで、「どう考えても、それはおかしいだろう。その判断は間違っている」ということがありまます。

でも、本人は譲らない。賢いひとがバカになる瞬間です。自分はコンサルティングをしていて、よくそういう場面に出会ってきました。で、なにが問題かというと、ある課題だけを考えたら判断は間違っていない。でも、因果関係があるので、それをそういう判断したら、他で問題が生じるということが少なくない。

人はひとりで生きていないし、ある問題はそれ単体のことではなく、他の問題と連鎖しています。そこで「大局を観る」ことが欠かせません。大局を観たら間違いだと判ることでも、大局を観ないと正解になってしまう場合が少なくありません。一回、二回の失敗なら取り返しがつくだろうけど、何度も重ねるとひどいことになります。

「大局を観る」ことができない人のもうひとつの欠点は、因果応報が判らないことです。現実を判断して結論を出すのはいいけれど、その現実は自分、あるいは自分たちの誤った行動がもたらした点に注目しない。決して知らないわけではないけれど、注目しない。で、どうするかというと表面化した問題に手を打つ。

しかし「クサい匂いは元から絶たないとダメ」というのが本当なのです。だから 表面化したことは、たまたまの結果に過ぎない。手を打つべきは、誤った行動に向けてでないと意味がない。なのに表面化した問題に手を打つ。不思議な発想だと思いますが、平気でそういうことをするひとが、たくさんいます。理由は判りませんが、それが気になって仕方がないのでしょうね。「こだわり」はものすごく重要。

唯一無二なんて、こだわりのかたまりのような世界です。でも間違ったこだわりもあるので注意したい。「円相」を忘れないように心がけたいものです。