2013年3月29日金曜日

40歳までに身につけたいマネジメントとコントロール


前回、お話したマネジメントとコントロールという二つの基本技術はどんな職種や職場でも使えるノウハウです。ですから是非とも30歳代で身につけるようにして、40歳までには実現するようにしたいことなのです。
マネジとは語源は、10世紀ごろは野生の馬をつかまえて調教し、目的地に到着すること、あるいは倒木や古木にまたがり、漕いで川や湖を渡ることを意味しています。これをビュジアルで見せているのが、意外にもセクシー女優、マリリン・モンロー主演の「帰らざる河」なのです。



それが近世になって、経営用語として転用されたもので、他者である部下を使いこなして目標を達成する、という技術のことなのです。
いまだにNHKでもマネージャーと表記していますが、これひとつみても「マネジメント」が正確に日本に輸入されなかったことを物語っていて、その名残りで、便所掃除などを率先してやり、部下に後ろ姿を見せて働いているマネジャーが偉いなどという感情的な説明が罷り通っているのです。誤解されては困るのですが、便所掃除を率先してするのが悪いということではなく、マネジャーの仕事はあくまで目標を達成することにあります。

感情的な評価が可能になると、休まず、遅れずの「見せかけの勤勉」が通用してしまうのです。そしてやる気論になってくる。しかし、やる気があっても、できないと仕事にならないのです。

見せかけの勤勉の正体」の著者、太田肇氏はその前書きで次のように書いています。

2009年3月に開催された第二回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)。野球の「世界最高峰」を決める大会と銘打っているだけに、参加選手の意気込みはすごかった。
クールなイチロlが野球青年の本能をあらわにし、自ら先頭に立ってチlムを引っぱろうとしていた。彼がこんな姿を見せたのははじめてだ。イチローだけではない。松坂も、ダルピッシユもふだんの公式戦では見せない、なりふり構わぬ真剣さで闘った。そしてWBC日本代表として連続優勝を成し遂げた瞬間、年俸数億円のスーパースターたちが子どものように抱き合って喜んだ。

しかし、そばにいた原監督だけはちょっと違っていた。
口を真一文字に結んだ端整なマスクからは、喜びと興奮を懸命に抑えようとしているのが伝わってくる。「主役は選手たち」という一歩引いた姿勢を最後まで貫き通したのだ。

この大会はドラマチックな結末で終わったが、仮に日本チlムが連続世界一という栄冠を手にできていなくても、選手にとって、またファンにとっても特別に印象に残る大会だったに違いない。大会後、イチローが胃潰瘍を患い、松坂が肩を故障してシーズンの大半を棒に振ったのも、究極のモチベーションがもたらした後遺症だったのだろう。結果だけで言うわけでなく、半年前の北京オリンピックで彼らが見せた表情や態度とは明らかに違う。あのときは「星野ジャパン」の総帥、星野監督が見せた熱血ぶりとは対照的に、選手
たちはどこか冷めていた。

どちらも世界一を決める晴れの舞台。中心選手の顔ぶれはそれほど大きく変わっていないし、監督もそれぞれが球界を代表する人物。けれどもスター選手の燃え方がなぜ、これほど違うのか?

私に言わせるとそれは必然的であり、そこには「やる気のパラドックス」というべきメカニズムが働いていたと考えられる。思うに原監督は「やる気のパラドックス」を理解している数少ない現役監督の一人であり、代表監督就任を受諾した時点で、スター軍団の能力とモチベーシヨンを最大限に発揮させるには、自分がどんな姿勢をとればよいかわかっていたのではないか。

話はガラッと変わるが、私たちはつぎのような現象をしばしば見たり聞いたりする。
並はずれた努力と負けん気で競争を勝ち抜き、功成り名を遂げた人たち。野心と執着心も人一倍強い彼らは、自分の成功だけではものたりず、わが子に後を託そうと子育てにも情熱を傾ける。幼いころから塾や習い事に通わせ、おだてたり伺喝したりしながら、何とかわが子にも親と同じやる気を共有させようとする。

ところが、どういうわけか、子のほうは親の遺伝子を受け継いでいるはずなのにまったく欲がない。たとえ表面的にはやる気を見せていても、本物のやる気とは質が違う。当然、生き馬の目を抜くような競争は勝ち抜けない。ニ代目、三代目がパツとしないのは、単に彼らがハングリー精神に欠けるだけでなく、そこにも「やる気のパラドックス」が働いているからである。


今、企業が社員を採用する際に、また学校の教師や公務員を採用する際に、最も重視するのは「やる気」、「熱意」だ。また本文で述べるように、社内の人事でも実は「やる気」を評価する傾向が強まっている。不況や低成長で給与を上げられないと、いっそう精神論に走りやすくなるのだ。おまけに「やる気」や「熱意」といった言葉を並べておくと世間受けもよい。今や日本の組織に、そして日本社会全体に「やる気主義」が蔓延している。
けれども、それによって社員の、また日本人のやる気が上がっているだろうか?
答えは、「否」である。

皮肉なことに、それと反比例して「やる気」は低下し、日本人自身をして「世界でいちばんやる気がないのは日本人』(可児鈴一郎、講談社)とまで言わしめるようになってしまった。それほど「やる気主義」はやる気にとって有害なのである。「やる気のパラドックス」に気づかないで、このまま「やる気主義」をとり続けたら企業も社会もじりじりと活力を失っていくのは目に見えているし、日本人が歴史上最もやる気のなかった時代として後々語り継がれるだろう。

言うまでもなく、「やる気」はとても大切だ。やる気しだいで、とうてい不可能と思われていたことが可能になることもあるし、逆にもって生まれた能力を生かせないままに終わってしまうことだってある。だからこそ親は子の、教師は生徒の、上司は部下のやる気にこだわる。けれども、案外何がやる気を妨げているかには気づかないものだ。ましてや自分の言動が、意に反して相手のやる気を奪っているとは想像もしない。たとえ気づいた
としても、そこから抜け出ることは想像以上に難しい。

そもそも私たちは「やる気がない」というと、やる気を引き出すことばかり考える。お金、働きがい、楽しき、自己実現・・・。書店にならぶビジネス書も、社員や部下をやる気にさせる方法を説くものばかりだ。私はそれが不満だった。やる気を引き出すことを論じる前に、何がやる気をなくさせているかを考えるべきではないか、と。自動車だってサイド・ブレーキをかけながらいくらアクセルを強く踏んでもまともに走らない。無理に走らせようとすると故障してしまう。人間だって同じで、いくらやる気を出させようとしても、それを妨げているものがあれば、やる気は出ないし、無理に出させようとすると組織も人間もおかしくなる
人間の場合、だれでも内部にやる気の源泉、すなわち車のエンジンに当たるものをもっている。したがって、やる気をなくさせているものさえ取り除けば、自ずとやる気を出すはずだ

この書籍見せかけの勤勉の正体では、本物のやる気を引き出すリーダーシップとマネジャーの姿勢について追求していきます。

評価の曖昧さ、目標の在り方、管理、仲間同士の牽制・嫉妬、処遇などモチベーションを引き下げている要因をピックアップして行きます。
結局、なにが問題かというと、従業員の本音を知りようのない社長を筆頭に管理者が現場の仕事と正しい仕事の仕方を知らないことに尽きるのです。

『これだけ社員のやる気がない、やる気が出ないとわれると、経者やマネジャーは反発したくなるに違いない。
「社員のやるや働きがいには十分気をつかってきた。ドライな欧米企業とちがって成績があがらなければクビを切るようなことはしないし、たとえミスをしても向こう傷は問わないようにしてきた。またやる気のある社員には、ポストに関係なくやりがいのある仕事も任せてきたはずだ。これだけ社員のやる気を尊してきたのにやる気が出ないとは、甘えるのもいいかげんにしろ!」と。
実は、そこに落とし穴があるのだ。』と太田氏は語る。さらに太田氏は続ける。

つまり、根っこは一つなのだ。それは、部下のやる気を常に鼓舞し、何よりもやる気を重視する「やる気主義」である。
社員が自分の仕事を片づけても帰れないし、たとえ仕事に余裕があっても休暇を取りにくいのは、休みを取らず遅くまで働く者ほどやる気があると上司が決めつけ、それをプラスに評価するからである。逆に、いくら仕事ができても早く帰り、休暇を完全取得していてはやる気がないと見なされ、高い評価は得られない。


やる気主義が蔓延している会社では、技術不足、もっともな作業プロセスを説明しても「やる気が問われている」と勘違いされてしまいます。違いが分からないのです。そういう会社では、考えさせることが必要なのですが、それが思うようにいかないのは明白です。白か黒か、イエスかノーか思考に染まっているのです。ですから命令の方が話が早い。そのように育てて来た結果ですが、その裏にはやらされ感があります。やらされ感が強く、考える力が弱いとマンネリ感がなかなか拭えないのです。

さらに、休みを取らず遅くまで働く者ほどやる気があると上司が決めつけるのには、上司の言い訳(無意識の自己満足)という巧妙なトリックがあります。このトリックは部下にすれば抜け道になります。 労働条件が厳しい反面、 やっているフリが通用してしまうのです。これが「落とし穴」です。
これが本のタイトルになっている世界に名高い見せかけの勤勉の正体なのです。世界に名高いというのは、外国人と仕事をしてみたら分かります。彼らは決めた条件通りにしか働きませんが、条件で定めたことには遂行するのに一生懸命です。建前がないのです。これがマネジメントとコントロールの基本なのです。

やる気を出せばもっとやれるはずだという思いが、部下に過大な要求を押しつけ、目標をエスカレートさせてしまう。そして、やる気のある者、忠実な部下には報いてやりたいという思いから処遇に差をつけ、それが結果として社員の聞に不満や不公平感を抱かせる。そもそも寄って立つ基準がやる気という主観的なものである以上、納得できない部下が出てくるのは当然である。

いっぽう、過剰な管理や人間関係の問題は「やる気主義」と無関係だと思われるかもしれない。しかし、それらも源は「やる気主義」に発していることが多い。
マネジャーというものは、自分のやる気や意気込みが強過ぎると、その意欲とエネルギーが部下の管理に向かう。またマネジャー自身が上司からやる気や忠心を見られていると思うと、それをアピールするため部下を過剰に管理してしまうことがある。

その通りなのです。そして自分のやる気や意気込みが強過ぎるほど、継続できないのです。マネジメントとコントロールは誰がやっても同じようにできる再現性を追求したものなのです。この点から見ても、主観に偏り、感情の起伏をエネルギーにして強制的に行動して当面の目標を達成するやり方には、疲れてしまって連続性がないのは明白なのです。

強制ではなく自発性。それには共感が必要なのです。一方、強制がなく自発性を期待するだけという職場もあります。これも失敗します。共感がないからです。マネジメントに於ける人を使って目標を達成するには、人が動く動機が必要なのです。それが共感です。共感というと主観のように思うかも知れませんが、計画された共感づくりには、誠実な下心による緻密な計算が必要なのであって、マネジメントの重要な部分なのです。

このような間違いを30代で正しておかないと、本当のマネジャーにはなれないまま、40歳を迎えてしまい、社員の生活設計も会社も歪んでしまうのです。

2013年3月1日金曜日

マネジメントの実際の中身



スペシャリストが、目標の達成という課題を実行する手段は、何でしょうか。
目標は上司からの命令で出てくることが多いものですが、それを表現するためには、それをさらに細分化したプログラムを作りいくつかの小さな課題に分解し、小さな目標を自分自身でたくさん立て、マイルストーンを使って消化していく必要があります。(建築業者が使う行程表をイメージすると分かりやすいと思います)

その目標を実現するには、いろいろな方法を考え出さねばならないわけですが、重要かつ肝心なことは、それぞれの方法について決まりを決めねばならないということです。

つまり、たいていの目標は達成するのに時間がかかるものだから、そのひねり出した方法、あるいはあらかじめ決められている方法を継続していかねばならなくなります。その継続するための方法が、「決まり」です。

ビジネスの上で追求される一つの数値あるいは状態は、数時間だけやれば実現してしまうというものではありません。何日間も何か月もかかるということは、それだけの期間は同じ作業を同じ方法で継続しなければならないということです。

ここに、マネジメントの実際の中身があり、その重要さを理解できていなければ間違ってもは、スペシャリストにしてはいけないし、なってはいけないのです。

マネジメントの実際の中身を決め、それを実行するのがマネジメントなのです。つまり、どのような方法について、どのような決まり、つまりルールを決めるかが仕事なのです。



それには次の5つの条件をクリアしなければなりません。

①調査と実験を繰り返す
②ルールを修正し続ける
③教え続ける
④ルールどおり行動する部下を評価する (他の要素での評価を優先しない)
⑤ルールどおりの作業の進め方を習慣にしてしまう。

このどれかひとつでも省略するとマネジメントは機能しなくなります。

ところが、この実際がどうなっているかというと、
①調査と実験を繰り返す→思いつきで
②ルールを修正しつづける→間違ったやり方を変えようとはせず、ルールを無視するようになる、
③教え続ける→一度示達しただけで終わり
④ルールどおり行動する部下を評価する→他の感情的な評価を優先させて、ルールどおりにやっている人を低くしか評価しない
⑤ルールどおりの作業の進め方を、習慣にしてしまう→その都度、考えてやらねばならなくしている

いずれも、マネジメントを自ら放棄し、マネジメントをできなくしてしまっているケースが圧倒的に多いのです。なぜそんなことになるのか、その最大の原因は継続・維持という最も重要な原理を無視しているからです。その理由に調査と実験を繰り返さず、個人の思いつきで取りかかっているという無謀があるからです。つまり元々信用できていないことを本気でやれる状態ではないのです。

同時に、ルールは少しずつでも修正されていくことによってのみ有効であって、よ
りよくなっていくものです。これは一見すると継続の原理と矛盾するようですが、実務上はそうではありません。実務に当たっている方なら実感できるはずです。
少しずつ変えるのであって、大勢はそのまま継続になるからです。しかもむやみに追加するのでなく、追加と削除を同時に行うという本当の意味での変更なのです。


ところがここでも変更は無責任だというわけのわからない意見が出てきます。結果が芳しくなくても変更しないほうが無責任なのは良識のある者なら理解できるはずです。

しかし大事なことは習慣づけであり、昔からこれを躾と言い、これをもって社風、企業文化と表現してきたのです。社風とはムードではなく、共通した反応の仕方のことなのです。それを「その会社らしい」とムード的な表現をしているだけで、実際には科学的な実験と観察、習慣化によって導き出した決まりのことなのです。



2013年2月27日水曜日

実は知られていないマネジメント&コントロール。あなたは乃木タイプ? 児玉タイプ?




実は知られていないマネジメント&コントロール。

マネジメント&コントロール、正しく使っていますか?あまりにも当たり前すぎて、自分なりに、これがマネジメント&コントロールと解釈されて、間違った仕事の方法に疑問を持たずにいる方がたくさんいます。


日本では最前線チームを、従来から店舗運営部とか営業部、販売部と呼ぶことがありますが、アメリカではすべて作業部隊を意味するオペレーション・セクションあるいはファンクションと呼びます。

販売や営業は店舗段階だけでやるのではなくて、会社全体でやっているのですから、店舗グループを表現するのに絶対にセールスという言葉は使いません。

コントロールという言葉にも、独特の意味があります。中小企業診断士のテストでは管理と統制と使われたりしますが、本来のコントロールと統制には随分違いがあります。


たとえば小売業とサービス業というビジネスは、ていねいにやりはじめたら、これでいいという底がなく、無限にやったほうがよい仕事が多いものです。徹底しようとすれば、人件費をいくらかけてもキリがありません。

そこで成果を決定づける必要な作業だけに絞りこみ、その代わり、不可欠な最大の任務だけは徹底的にやり遂げることに専念するオペレーションをモットーとしていて、絞った課題については完全に実現するのです。

つまりオペレーションとは完全にやり遂げるために現場のすべてを総称する言葉であり、全社あげて徹底してやり遂げる作業のことなのです。つまりドライ商法と言われているものです。


マネジメント&コントロールのコントロールとは、期限前に現在進行中の数字を使って、命令の変更と教育の追加で作業内容を変更することです。それによって期限前に数値を変更させ、目標数値に到達させる、つまりコントロールすることでマネジメントの目的を達成するのです。そういう意味でマネジメントとコントロールは切っても切り離せない関係にあるのです。

そして、マネジメントとは、日本語でいう管理という意味ではなく、どのようにしてでも到達することです。このことが間違って使われているために「マネージメント」と表記されたりします。「マネージメント」では「マネジメント」本来の意味が違ってきます。「マネジメント」の語源は「Manage」であり、その意味はとんでもない状況にあっても、状態をコントロールしながら、目的地に到達することを言います。


つまりマネジャーとは、どのようにしてでも目標を達成する人なのです。



最初からできそうにないことを悪戦苦闘しながらやり切るのがマネジメントであり、困難は前提条件として折り込み済みなのです。
座して、ああだ、こうだと言ってるイメージとはかけ離れているのです。

できそうにないことをやるわけですから、計画の内容が一番最初に重視され、吟味されるのは当たり前であって、この習慣がないから PDCAがいつまでたってもできないのです。つまり計画が反省を繰り返した上で策定されていないのです
そのため、何年働いても 人が育たないのでプロフェッショナル不在の原因になっています。

プロフェッショナル育成には時間がかかります。だからこそプロフェッショナルには自信と誇りが芽生え、それがリーダーシップに発展して行きます。

真のリーダーシップと形ばかりのリーダー、管理と統制、マネジメントとコントロールの違いが分かりやすい娯楽映画があります。「二百三高地」です。この話は司馬遼太郎の「殉死」「坂の上の雲」でも描かれています。前者が乃木将軍でおなじみの乃木 希典陸軍大将、後者が児玉源太郎総参謀長です。娯楽映画ですから、少し考えながら観ていただくと誰にも分かりやすくなっています。






あなたは乃木タイプ?
あるいは児玉タイプ?


重要なのは、 期限前に現在進行中の数字を使って、命令の変更と教育の追加で作業内容を変更することです。期限後にもう過去になってしまった数字をもとに叱責、激励し、感情的、道徳的に奮起させる、あるいは奮起するのではないのです。

この違いが「二百三高地」でははっきりとビジュアルで見てとれます。これに関連して、リーダーシップ、チームワークの概念も間違わないようにしたいものです。次に言う「犠牲の在り方」にも言及していますので、参考にしてください。



最初からリーダーシップを身につけた人も、マネジメントできる人も、プロフェッショナルもいません。だから育つ期間が必要なのです。その期間は生産性も低いでしょうが、仕方がありません。犠牲にする期間です。

大事なことは犠牲の意識があること。繰り返す失敗が実を結ぶようにすることが大切なのです。

マネジメントできない期間は犠牲の期間、早くマネジメントできるように成長させよう、成長しょうとしる意識がなく逃げ回っているだけでは不毛の期間になります。





2013年2月19日火曜日

チームワークに正しい理解を


分業つまりチームワークには、正しい理解が必要です。

これはプロ野球で考えていただくと分かりやすいと思います。たとえばショートに飛んだ打球をショートが捕れないとサードがカバーします。

それが頻繁に起こるとサードは緊張を過度に味わい疲労します。分業とは自分の守備範囲を確実にこなせることが前提であって、助け合うことではないのです。

ですから「チームワークを良くしょう」と言ったらその意味は「自分の役割は確実に果たせるようにしましょう」という意味であって、間違っても「助け合いましょう、手伝いましょう」ではないのです。これはスポーツの世界では常識です。

酷い場合には、「自分は悪くない、悪いのは他のことを担当している者だ」という言い訳に使われることが多いのが日本の分業意識なのです。

「助け合いましょう、手伝いましょう」には危険な発想が潜んでいます。

手伝うことが増えれば増える程、手伝った人は自分の仕事ができないのです。あるいは休息、自己研鑽に使える時間が減少するのです。

手伝ってもらった人は、 本人の能力不足になっている知識と経験とが上司に認識されず、必要な追加教育が行なわれなくなります。本来自分が担う役割を果たせないままになります。つまり能力不足が続く危険があります。

スポーツの世界と相通じるのは、共に結果を出すことを求められているからです。結果主義、出来高主義で勝負を決めることはできません。成果主義だから勝負を決められる能力が必要となり、必要となるから日頃からトレーニングが当たり前になっているのです。

この分業に明け暮れて来たのがアメリカの小売業の世界なのです。日本のように情緒的に頭を下げることをサービスと解釈せずに、一人ひとりが自分の役割を果たせるように取り組んできたのです。

それがエクソンモービル、シアーズを頂点にして、フォロワーとして続いたのが、GM GE IBM などなのです。この系譜はAppleやMicrosoftにも生きていると想像するのは容易いことです。

情緒的に良し悪しを判断していくからチームワークもリーダーシップもマネジメントも誤解され、誤解されたまま定着していき、出来るはずの能力開発が不十分なままになり、結果的にWINーWINが遠のき、WINーLOSE が起こってしまうのです。

 WINーLOSEは「7つの習慣」にも書かれているようにずるさが潜んでいるのです。

チームワークに正しい理解がないまま、組織作りをすると組織は本来の能力の総和以下になるしかないのです。



2013年2月18日月曜日

あなたにとって、組織とはなんでしょう?



従業員の生涯教育が重要なのは、従業員との関係をWIN-WINなものにすること、それは同時に従業員の集合体である組織と顧客との関係もWIN-WINにするためです。

では、組織とはなんでしょう?
従業員の集合体では不足であって、従業員が分業を正確にこなせることが条件です。つまり組織とは、分業の仕組みそのもののことです。

分業とは、多数の人々が一つの目的を実現するために仕事を分担しあうことです。その背景には数値責任制があります。
一般に多数の人員が集まれば烏合の衆になってしまい、個人一人ひとりがそれぞれもっている力の総和よりもずっと少ない力しか発揮できないものです。これでは分業どころか責任のなすり合いにしかなりません。

ほとんどの会社では責任のなすり合いの結果に甘んじていることが少なくありません。その証拠に「自分の会社だったら頑張るのに」なんてわけのわからない言葉が飛び交います。実際には組織で頑張れない人が独立しても頑張れません。

つまり個人一人ひとりの力の総和以上のものすごい力を創り出すのが、組織のあるべき姿なのです。
しかもこの場合の組織論は人間の経験法則から導き出されたものなのです
個人ではとてもできそうもないことをやってのける「人々の分担の仕方」が組織論なのです。

自分はよく組織図を作成の依頼を受けますが、どのように整理しまとめようが、部長、課長といった肩書の人がどのようにポジショニングしようが、実際のところまるっきり関係のない話なのです。

トップがやりたいことがどんどんやれている企業がよい組織であり、そのような組織はどんなにきれいな組織図を作成しても、できるものでもないのです。

場合によればトップがやりたいことが全然できないつまらない組織にしかならないことも少なくないのです。良い会社とは、経営政策どおりにビジネスが進行し、経営効率も高水準、併せて従業員も幸福な生活設計ができている状態のことです。


これを可能にするのは、個人一人ひとりが活力のある分業が出来う能力を持ち、現実に分業を遂行できることが絶対条件なのです。組織図はその集約として図にしただけのもでしかなく、大事なことは分業が出来う能力と分業が遂行できる実行なのです。

この大前提を飛ばしてしまい、組織図を作成すれば組織が機能する、あるいは機能する期待が持てるというのは妄想でしかないのです。





2013年2月15日金曜日

成長を志向する企業の評価尺度





成長を志向する企業にあって評価尺度は重要です。それは成果主義です。成果主義の導入はうまくいかなかったと思われる方が多いでしょう。自分が知っている会社にも、成果主義を導入して倒産した会社があります。毎日毎日メーカーさんと一緒になって成果主義の会議の挙げ句という笑えない話がありました。


しかし、それでも成果主義なのです。誤解のないように自分は成果プロセス主義と呼んでいます。決定的に違うのは成果が出せるように一貫してフォローする点です。つまり成果を出すのは実質的には管理者なのです。「命令(成果)という名の依存」・・・・無責任な不毛のマネジメントでしかありません。その撲滅について25年間言い続けてきました。成果の出せない相手に成果主義を振りまくのは発令者に責任があります。


あなたの会社では、成果主義導入の有無は別として、評価の基準はどうなっていますか?
結果の多寡、つまり達成率ではなく、「予め計画した目標に到達したか、あるいは、しなかったかで評価していますか?

「達成率」という概念は、結果主義に属するものです。結果主義とは出来高主義です。つまり「出来ただけでOK」「結果オーライ」の世界です。最初から「成長できたらいいな」という願望の企業です。成長を志向しているのと、願望しているのは全く違うことです。

成果主義は給与の在り方と密接に絡んでいましたが、では一般に多いパターンはどうでしょう?ほとんどが評価尺度は結果主義です。言い換えれば出来高主義です。
成長を志向する会社のモットーである計画主義と相反するものです

計画主義は、成果主義の基礎をなすもので、目標に対して具体的な達成手順を詳細にし、達成可能と判断できたときに発令されるものです。つまり計画ができた段階で90%は結果が読めている状態です。残る10%がマネジメント&コントロールのコントロールなのです。

つまり目標達成率80%というような事態があり得ないのであって、あったら正しく判断できなかった発令者の責任なのです。もしこのような事態が相次いで起こったとしたら、多店舗展開は不可能になります。予測できないのに、出店計画ができないからです。だから計画主義は成長を志向する会社のモットーなのです。





2013年2月14日木曜日

働く意味が与えてくれるもの




働く意味が与えてくれるものを考えてみましょう。

まず一番目に「安定したやる気
やる気の安定は難しい問題です。感情が高ぶったときにはやる気がアップし、頑張ると疲れてやる気が下がる。この繰り返しをやっていると前年比アップダウンの繰り返しです。この問題に決着をつけるのが、働く意味の理解です。

働く意味の理解できるとやる気のムラがなくなります。ムラがなくなるのは科学的に考えるようになるからです。科学的に考えるのは仕事に対する姿勢が落ち着いてくるからです。それをもたらすのが働く意味の理解なのです。安定したやる気は、「仕事のやりがい、生きがい」につながります。

つ目の課題が この「仕事のやりがい、生きがい」です。
働く意味の方向性がわかれば、人はそれに向けて真摯に打込むことができます。打込むことがやりがい、生きがいにつながります。努力する程愛着が湧き、やりがいが生まれてきます。

三つ目の課題は「成果」です
働く意味を考えることは、目標に対するブレない気持ちが出てきて、その結果として、営業成績だったり、売上げ達成だったり、自らの望む成果をもたらしてくれます。これは 努力する程愛着が湧くことに起因しています。


四つ目の課題は「自己の成長、キャリアの方向性」つまり育成プログラムの影響を受けます。
自分が何のために働くのかが明確になることで、自分がどのように成長していきたいのかが見えはじめ、目標が明確になり、その目標を果たすことができるようになります

こうして見て行くと、従業員教育の在り方が見えてきます。全体を貫くのは、働く意昧の理解です。それには是でいいだろうはありません。具体的な案件を学習していても、繰り返し繰り返し、底辺に流れているのが 働く意昧の理解です。


それが五つ目の課題である人間関係をマネジメントする能力」に発展します。部下を持ったとき、上司として部下を育てるにあたり、部下にどのように成長てほいか、どのような人間になってほしいかの指針が必要になりますが、その指針として、自分が働く味を理解していることが特別な力を持ちます

働く味を理解することは自身にとっては基本的なことですが、それが部下を育てる上では特別な力になるのです。